千津美の幸せ



お父さんが死んで
お母さんが死んで

親戚も居なくて

お姉ちゃんは学校をやめて
私を育ててくれて……









日曜日が体育大会だったので
月曜日は代休
その日一日、千津美はただぼーっと過ごしていた

彼は…
一見とても恐い人だったけれど
笑顔が素敵で
本当はとっても優しい人だと思っていた

でも、まさか…そんな彼と…
藤臣くんとつきあうことになるなんて

ぶるんっっと顔をふる

「見ちゃいられないんだよ」って言ってたっけ
きっと私があんまり情けなくって
助けにきてくれたのよね

あんな素敵な人が…
わたしの彼氏?
そんなのやっぱり信じられないわ

でも…あの時の藤臣くんの
優しい笑顔を思い出す

心がキュンとして
顔が熱くなる


明日会えるのかな…藤臣くんに

会えたとしたら
まず挨拶して…それから…
それから、ど…どうすればいいんだろう

あーん、もう…
机に顔をうつ伏せて
悩みまくる千津美だった





翌朝

電車を降りて改札口を通ると
藤臣くんがいた


目が合って、恥ずかしくて思わず立ち止まり顔を伏せた

「遅刻するぞ…」
と彼の声が聞こえた


緊張しすぎて
おはようとすら言えなかった
ホントにだめな 千津美

学校までの道のり
何の言葉も交わさなかった

何かしゃべらないと、嫌われちゃうかもと思ったけれど
どうしても言葉が出てこなかった


「じゃあ」と言って
下駄箱のところで去って行く藤臣くんを
千津美は黙って見送った


「おはよっっう」
教室に入ると、三浦さんと園部さんが声をかけてくる


「噂のカップル、仲良くご登校ね」
「ホントにどういうことなのか、説明してもらいたいわ」

「そんな…偶然会っただけで…」

説明してもらいたいのは、千津美の方だった
まだ何がなんだかわからない…

偶然だったのかな
あそこに藤臣くんがいたのは…



放課後、帰ろうとすると校門のところに藤臣くんがいた

「今日は体育大会の後で、部活がないんだ…」
一緒に駅まで歩き出した

も、もしかして私を待っててくれたとか…


千津美の駅で、藤臣くんも一緒に 降りてきた

藤臣くんのお家もこの辺りだったのかしら
でも今までこの駅で藤臣くんを見かけたことなかったよね…

駅前のスーパーで夕飯のお買い物をしたかったけのだけれど
藤臣くんが一緒だと恥ずかしい

一旦お家に帰ってから出直そうかな
と思っていると

藤臣くんがスーパーに入って行く
かごを取ると、
「買い物があるんだろ」
…って

わたしの考えてること
なんで わかったんだろ…


駅から出た途端
スーパーを見ながら、おろおろしていた千津美だった

(丸わかりなんだが…)

功はくすっと笑った




買い物した袋は藤臣くんが持ってくれて
二人で千津美の家へ向かう
やっと千津美は藤臣くんが送ってくれるつもりなのに気づいた

気づいたら、なんとなく嬉しくなって
自然とニコニコしてしまう
そんな千津美を彼も微笑んで見ていた


角を曲がり家の前に着くと
「おくってくれて、ありがとう。さよなら」
ちゃんと言えたわ、とほっとする

「ああ、さようなら」と言って彼は買い物の袋を渡してくれた

隣の家の玄関が派手な音をたてて開き
おばさんが出てくる

「おばさん…」
千津身が驚いて言う

「ああ千津美ちゃんおかえり
 買い物に行こうと思って… 」
その家から出てきた中年女性はすたすた歩いて行った

「じゃあ」と千津美は家の中へ消え
功は2・3歩歩いてふと振り返る

カチャっと、音がして玄関の鍵が閉まると
安心してそのまま駅へと向かった

先ほど会った隣のおばさんは、三軒先のうちの主婦に捕まって庭先で話している
その先の角の電柱では
おじいさんが犬に用を足させていた…








「おや、久しぶりだねえ」
隣のおばさんが声をかけた

千津美の姉は頭を下げる
「千津美がいつもお世話になって…」


「あんた、知っているのかい。千津美ちゃんの彼氏のこと…」

「しょっちゅう送ってくるんだよ、あんたが嫁いで行ったすぐ後からさ」
いつのまにか、三軒先の主婦もそこに加わっている。

「月火木は、なんでも部活とかでね、
 その日は千津美ちゃんが一人な時もあるし
 遅くなって一緒に帰ってくることもあるけれど
 他の曜日は大抵いつも来るよ、ここまで」

「だが、ほんとにここまでだがな…」
犬を連れたおじいさんが門の所を指差し、ホッホッと 笑った


「いつも気を遣っていただいて、本当にありがとうございます」
千津美の姉は再び深く頭をたれる

「なに、言ってるんだよ。水臭いよ
 千津美ちゃんはあたしたちの娘同然なんだからねっっ」


幼い頃に両親と死に別れた千津美を、近所は暖かい目で見守ってきた

だから、はじめて功が千津美を家まで送ってきた時
周りは結構慌てていたわけだ

隣家のおばさんは、万が一功が家に上がり込もうとしたら
全力で阻止しようと覚悟して家から飛び出した

角の家に住んでいるおじいさんと、三軒先の主婦も
一緒に帰ってくる二人の姿を見て
慌てて外に出てきたのだった

本人達はもちろんそんなこと露程も知らなかったが…


玄関先でそんな話をしている時、その二人が角を曲がって現れた

「あ、お姉ちゃん…」
久しぶりに見た姉の顔に、思わず千津美が走り出す

「まて…急に走り出すな…」
案の定、千津身がつんのめった瞬間
功が後ろからしっかりと受け止める

みんな、ぽかんとそんな二人を見ていた



千津美の姉に挨拶して、帰ろうとした功に
姉が声をかけた

「ちょっとあがっていらして…
 今日はいいでしょう」



「もっと楽にしてちょうだい」
持ってきたお菓子とお茶を出して
千津美の姉が言う

ちょっと困ってから
功は正座をあぐらに変えた


この家にあがったのは初めてだった
制服を着替えた千津美が横に座って
なんだか落ち着かない…



功に会うのは体育大会の時から初めてであった

千津美が困っていたので、夫に助けてもらおうかと思ったとき
彼が現れ、千津美を抱えてゴールまで走って行ったのだ

その後、私の所に来て言ったっけ
「これからこいつの心配は…」

あっけにとられてしまい、その時は彼に何も言えなかった

あんな大口をたたいた高校生が、少し戸惑って目の前に居た


結婚してから

千津美をひとりぼっちにさせて
幸福な毎日を送っている自分に後ろめたさを感じていた

けれど…

「今日はね、主人は遅くまで帰らないって言ったから…」
 あなたの様子を見に来てみたのよ、と

にこっと志野原の姉さんが笑った


「藤臣くん…」

「近所の人に聞いたわ。
 千津美のことをいつも心がけてくれてありがとう」

「いや…」
功は少し赤くなって うつむく


姉さんは千津美を見ると微笑んで言った
「幸せそうね、千津美」

きょとんと千津身が姉をみる


「ずっと、あたしを心配させまいと、笑ってきたでしょ…」


あっと千津美は思う

小学生の頃、親なしっこといじめられた
中学生の時も、何も言い返さない千津美を面白がって
何度もいたぶるグループが居た

その度に泣いて帰ってきた

でも、お姉ちゃんは働きに行っていて
あたしの為に…
絶対に心配させたくなかった
お姉ちゃんには安心してもらいたかった

姉が帰ってくるまでは、泣くのを止めて笑顔で迎える千津美だった

体育大会の時も、はりきりすぎて気分が悪かったけれど
お姉ちゃんが来てくれていたから笑顔で頑張った

藤臣くんは気づいていたみたいだったけど…


「ごめんなさいね、千津美…」
切なそうに姉が千津美をみた


「お、お姉ちゃん…」
慌てて千津美が言う


「わたし、知っていたの…あなたが無理して笑ってるってこと…
 お隣のおばさんにも
 あなたがいじめられて帰って来ることを聞いていながら…」

「でも、私はあの頃仕事と生活と、一杯一杯で…
 毎日のことがもうどうしようもなくて…」

「知っていながら、あなたの笑顔に甘えていたの…」


「なんでそんなこと言うの、お姉ちゃん
 お姉ちゃんこそ、あたしの世話をする為になにもかも犠牲にして…」


「私がお嫁に行った時も、笑顔でみおくってくれたよね」

「寂しくなかったの?本当は」

「そ、そりゃあ…でも」
千津美はうつむいた



功は、あの日の千津美を思い出していた
帽子を飛ばされ泣きじゃくる彼女の姿を…


「でも…今日、藤臣くんといるあなたを見て…」

あなたが、心から笑っていて
本当に嬉しそうにしていて
やっと安心できた…

「藤臣くんのおかげね…」

良かった…
千津美があなたに会えて

「ありがとう」

志野原の姉さんはおれに言った




一緒に夕飯でもと誘われたが
断って帰路についた

久しぶりの姉妹の逢瀬だったから
邪魔したくなかった…









前日降って一旦溶けかかった雪が
深夜からの急な冷え込みに 凍りつき
転倒して病院に運ばれる人が続出した

車はスリップして
けが人と事故の数が異常に多い

そんな冬の日の早朝

「ああっ寒いったら、あんた道路つるっつるだよ。今日は車やめときな」
と話しながら、その家の主婦が新聞を取りに外へ出ると

隣家の門の前に佇む人影が見えた

「あんた…」


振り返った彼が会釈する


ちょうどその時、玄関のドアが開き
「やーーん、寒い」と言いながら千津美が出てきた

ドアの鍵を閉め、門から一歩出るや

「きゃああああっっっっ」
つるんと滑ってしまうが、頭が地面と接する直前に
大きな力強い手で受け止められた

「はれっ」
気がつくと目の前に藤臣くんの顔がある

「えっっ、ど…どうして藤臣くんがここに…?」
抱え起こされながら千津美が尋ねるが

功はそれに答えるよりも
足元の危なっかしい 千津美からかばんを取り上げると
自分のと一緒に片手に持ち
もう一方の腕を差し出して言った

「おれの腕にしっかりつかまっていろ 」

「で、でも…」

遠慮する間もなくまた滑りそうになったので
ひしっと両腕で功の左腕をつかんだ


「離すなよ」

功の腕にしがみついたまま歩くチヅミの姿が、角を曲がって消えた


「ほっっほっほ、漢だな…やつは」
いつのまにか犬と一緒にそこにいたおじいさんが言う

三軒先の主婦も庭先から顔を出して、ガッツポーズを決めてみせた

千津美の叫び声に驚いて、皆外へ出てきたみたいだ



小学生の頃、 いじめられて帰ってきた千津美ちゃんを思い出した
わんわん泣きながら
でも決してお姉ちゃんには言わないでと頼む
姉さんを心配させまいと必死だった
小さい千津美ちゃん…

ごめんね、姉さんには言っちゃったけどね

良かったね、千津美ちゃん

あんたを護ってくれる人が
今はいるんだね

気がつくと熱いものが目からあふれて
「いやだ、朝っぱらから…」
それをぬぐうと

「ああっっ寒いったらありゃしない…」
と言いながら家に入って行った




Chizumi & Fujiomikun

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