千津美の出産







「なんか、見てて気の毒で…」

夕子は仕事の後、見舞いに来てくれた夫に言う


一昨日女の子を生んだ彼女の部屋に
今日の早朝、新しい患者がきた
なんでも昨夜遅く病院に来て
明け方に男の子が生まれたそうだ

夕子が産気づいた時、夫は早退してすぐに戻ってきた
実家の両親も駆けつけてくれた
分娩室では、夫が付き添ってずっと手を握っていた

義父母も来てくれて
娘が産まれた時、みんなに祝福された

新米の母親として
本当に幸せなスタートを切ったと思う


今日も昼間、友達が来てくれた

「夕子と彼の娘だったら、もう美人になるわよね〜」

なんて言ってくれて…

夕子は独身時代はかなりもてた
ひっきりなしに、お誘いがあって…

夫はそんな中の一人だったが
際立ってハンサムで、素敵な人だった

結婚式の時には
「美男美女のカップルです」
なんて司会者に言われたっけ

喧嘩はするけれど
仲のいい夫婦だと思う





けれど、今日同室になった彼女は…

一人でバッグを抱えてタクシーで乗り付けたときいた
出産時も一人だったらしい

見舞いにすら誰も来ない…

さっき看護師さんが話しているのを偶然聞いてしまった
名前もまだつけられていなくて
出生証明書が作成出来ないと、事務方が困っているらしい



昼間、何気におしゃべりしてみたけれど
ご主人は仕事中で、連絡が取れないということだ
ご両親は、小さい頃他界していない、とも言っていた

ご主人のお仕事を聞いたら、公務員だと言っていたけれど…


「変よね、公務員なのにどうしてお見舞いにも来られないのかしら」

「お前が気にすることじゃないよ、夕子
 たまたま同室になっただけなんだから…」

「なんか、あたしだけお見舞いもいっぱいで悪くって…」

「妙な事情がある人でければいいけどね」
付き添ってくれている母が言う

「せっかく孫が生まれたのに、ケチがつくといやだよ」

当の本人が部屋から出て行った隙をねらって
彼女のことが話題になった


彼女は、いくつなのか知らないが
とても子供っぽい感じがした
新生児室から連れられた赤ん坊を渡されて
落としそうになっていた

看護師さんが慌てて
「大丈夫、あなた?」
と訊いていたが

「だ…大丈夫です
 姉の子の面倒も見ていたので赤ちゃんの扱いは慣れていますから
 で…でもわたしの子供だと思うと
 つい感激してしまって…」

かあっ、と赤くなって言っていた


「本当に、あの人大丈夫なのかしら…」

誰かに騙されて孕んでしまったとしても不思議ではなさそうな
無防備な気がする


「ん、でも心配ないんじゃないかな」

夫が妙に確信的に言ったのが、気になって

「どういうこと?」
夕子は訊く

「さっきさ、赤ん坊抱いていた彼女見てたんだけど
 意外と、しっかりしていたよ…」
なんかおれまで安心しちまうような、笑顔でさ…

「あら、よく見てるのね」
夕子はむっとする






千津美は、焦っていた

功は数日前から帰って来ていない
彼は仕事のことは、何も言わないけれど
こんな時は、何か事件が起こって担当になったのだとわかる

千津美の夫、藤臣功は警察所勤務であった

それでも一日に何度か電話をくれて
「夕飯は食べられない」とか「今日は帰れないと」など言う他に
臨月の千津美の身体を心配して
調子はどうだとか、大丈夫かなどと気にしてくれていた

そしてそういう時は、決して千津美からは
功に連絡を取ってはいけないことはわかっていた


だから産気づいた時も
千津美は功に連絡は取らなかった

功が連絡してくるのを待つつもりだったのだ

産まれた後で、功のお母さんに知らせるつもりだったが…


なのに…

「あーーーん、もう私ったら…ドジ」
慌てて、産院に来たため
携帯を忘れてきたのだ

功の実家の番号がわからない
全て携帯に登録されていたから

功とお姉ちゃんの番号ならば
かろうじて覚えていたが

お姉ちゃんは3人の子供がいて
一番下の子はまだおむつも取れていない

でも知らせれば、無理をしてでも来てくれる
お姉ちゃんには心配をかけさせたくない…

どうしようもないと諦めて
産まれたばかりの子どもをそっと見る


可愛い…

本当に私が産んだ、藤臣くんの子供
そう考えるだけで
目頭が熱くなる



藤臣くん…

結婚してからも
ついそう呼んでしまうことがたびたびある
心の中ではいつもそう呼んでいる

千津美にとって彼は永遠に
「藤臣くん」だった

彼の仕事は不規則で
ハードだ

結婚前にデートをすっぽかされるなど
日常茶飯事だった

結婚後も
数日間もぶっつづけで勤務し
家に帰ったとたん
食事も取らず、風呂にも入らず
死んだように眠り込むことも度々であった


けれど…

彼はいつも優しかった

千津美がどんなにドジをしようが
怒ったことなどなかった

怒鳴られたのは、一回だけ
初めて藤臣くんと知り合ったあの日…

わたし、藤臣くんが恐かったんだっけ

高校生だったあの頃を
千津美はとても懐かしく思い返す

千津美が大学を卒業するのを待つかのように挙げられた結婚式
本人達よりも、まわりが我慢出来ずにいたようで
気がつくとそういうことになっていた

激務な毎日の中で功は
せっかくの休日なのに千津美の為に
買い物や映画・展覧会めぐりなどにつきあってくれる
近所の行事なども嫌がらずに参加してくれる

いいのに、と言っても
気にするな、と笑って取り合ってくれない

だから…私は不満などない

相変わらず、変わらぬ表情と語らない口
けれどもそこに隠された彼の豊かな感情を

私は知っているから

不満などあるはずがなかった


昨年の秋
藤臣くんが3日間だけ休暇を取って
2泊3日の旅行に連れて行ってくれた

高原のプチホテル

「兄さんの紹介なんだ」


本当のところは章にさんざん恩を着せられていたのだが…

「カップルにすっごい人気のホテルで 
 予約取るの大変なんだけどさ
 おれのつてで取ってやったんだよ〜」

「お前達ときたら結婚したのに
 お友達みたいだぞ、いまだに
 ちぃちゃん、相変わらず時々『藤臣くん』なんて呼んでるし
 これを機会にもっと夫婦らしくなれよな」

夫婦らしくってなんだ、と功は思うが口には出さない


結婚式の後も、彼が忙しくて休暇が取れず
これが正真正銘はじめての藤臣くんとの旅行だった
なのに、わたしったら…

初日のお昼頃、ホテルについて荷物を預け
近くの高原に散歩に出かけた時に
滑って転んで、足首を痛めてしまったのだ

それ以上歩けなくって
藤臣くんに背負われてホテルに戻った
ただもう情けなくて
「ごめんなさい」って何度も謝った

お部屋のベッドにそっとおろされると
藤臣くんが言った

「気にするな…」

「おれはむしろこの方がいい」

そして…

それからチェックアウトするまで
私たちは食事以外は部屋にこもっていた

あの時の藤臣くんは
いつもの彼とは
少しだけ違っていた


帰った時、章さんに

「どうだった〜、ロマンチックなホテルだっただろう」

なんてからかわれたけれど

藤臣くんてば、片目つぶって
「ああ、満喫した」
なんて言ってたっけ




この子は…
間違いなく
あの時授かった子だと
私にはわかる

藤臣くんと私のあのひとときの
申し子だと


千津美は愛おしげに我が子を見つめる
その表情を、同室の女性の夫に見られてしまったということに気づきもせず





「いない」
朝から何度かけても
自宅の電話にも、携帯にも千津美は出なかった

功は焦る
焦るが今はどうしようもない

監視対象を数日前から
近くの空き家で見張っている

勝手に動くことは出来なかった

避けたい手段だったが
どうしようもなく千津美の姉に電話をかけた
その日のお昼過ぎの頃だった






コン コン と
ドアがノックされ、開いた


「お姉ちゃん」

同室のひとは吃驚して叫んだ



入ってきたその女性は
夫があたしに気づかれないように
そおっとため息をつくような
きれいなひとだった

「姉です」とひとまず紹介されて
二人は静かに話し出す


会話はもちろん聞こえない…
けれど、同室のそのひとが
とても嬉しそうだったのはわかった

なんだ、ちゃんといるんじゃない家族が

夕子は、ちょっと期待はずれな感じで思った



功は千津美がどの産院へ行くつもりだったのか覚えておらず
仕方なく千津美の姉に連絡を取った

千津美の姉は、心当たりの産院へ電話し
彼女の行方を探し当てたのだった



「功さんが心配していたわよ…」

「け、携帯忘れちゃって」
千津美はしゅんとなる

「うちの番号も忘れちゃったの?」
姉が笑う

「でもお姉ちゃん、子供達は…」

「大丈夫、ちゃんと預かってくれる人がいるから…
 むしろ、預かってもらう理由が出来て嬉しいくらいよ」

「うふふ…子育てなんて24時間大変だから
 ちょうどいい息抜きができたわ
 だから、気にしないで…」

「それよりも…」

慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げると

「本当に可愛らしい
 功さんそっくりね
 あちらのご両親もきっと喜んでくれるわ」

「あ、でもわたし、まだ報告していなくて…」

くすっと姉が笑った

「あなたの居場所がわかったらすぐに
 功さんへメールしておいたから
 今頃はもう連絡されているんじゃない?」


ちょうどその時
とん とん と病室のドアがノックされた




その人が病院の入り口に現れた時

そこにいる誰もが注目せずにはいられなかった


赤い薔薇の花束を肩にのせるような
気障な仕草が様になる男など稀な存在だろう

彼はその稀な一人であるらしい

ダークな色のスーツに黒いワイシャツというその姿は
まともなサラリーマンではなさそうな風情だった

女と見まごうその顔立ちも相成って
業界関係、と思われがちだ
実際のかれはテレビ局勤務である


入り口付近にはちょっとした
カフェもあり、人も多いのだが
皆…とくに女性達は彼から目が離せない

彼は受付を目指すが
受付の女性二人はすでに
どちらが彼に対応するかで
激しく争っていた

注目を浴びることに慣れた
不遜とも思える態度で彼は受付に訊く

「藤臣千津美がここに入院しているはずだが」



部屋に入ってきたその姿を
夕子も夫も両親も言葉無く見てしまう

派手な薔薇の花束を抱えたその人は
「ちぃちゃん」と叫ぶと
抱きつかんばかりに彼女に近寄る

「あ、章さん…」

「産まれたんだって」と嬉しそうに言う

「あ、主人の兄です」
夕子達の視線に気づき
千津美が紹介した

「ちぃちゃんと…」赤ん坊を指差すと
「こいつをよろしく」

外見に似合わず意外と気さくに挨拶し
千津美や姉さんと楽しげに話し出す

「母さんからさっき連絡があって
 取るものもとりあえず駆けつけたんだよ」

章が笑う

「功より早くこいつの会えて嬉しいな〜」

また、それをネタに功をいじめるつもりなんだろう…


そうこうするうちに、藤臣のご両親が来た


「もーうっっ千津美さんたら」
連絡が遅いことに怒っていたが

姉と千津美で猛謝りすると
けろりと笑って

「冗談よ、気にしないで
 あなたは悪くないわ…」

ごめんなさいね、いつもそばにいてあげられなくて

同じ警察官の夫を持つ、藤臣母の瞳は暖かい


「それよりもー」
きゃーーーっと赤ん坊を抱き上げると


「もう!功そのものよー
 あの子が産まれた時とおんなじ〜」

はしゃぐ藤臣くんのお母さんだった




やっと犯人逮捕にこぎつけたが
その過程でちょっと無茶をして
上司に怒られた功が
自席で始末書を書いていた

いつもの功らしくないその無茶は
千津美と産まれた子どもに
少しでも早く会いたいと焦ったせいだった

やっと上司から解放されて
功は警察署を飛び出した




功の小さい頃の思い出話で
そこは盛り上がっていた


「じゃあ、本当に小さい頃からあんな感じだったんですね」
千津美の姉が問うと

「まあね、とても可愛かったんだけれど…
 年齢以上に大人びたところは、あったわね」
功の母が当時を思い出して答える

「どうなるんだろうなぁ、この子は
 功みたいな無愛想な子になるのかなあ」
章が甥っ子の頬を指ではじいて、なぜか嬉しそうに言った




突然ドアがバンっと開いた





受付嬢は訊く前から答えてくれた
「はい、藤臣千津美さんですね」


今日の夕方から「藤臣千津美」を尋ねる人が後をたたない

最初は、優しい雰囲気を醸し出すきれいな女の人だった
その後すぐに、薔薇の花束を持った超美形な人が現れ
そして素敵な中年の夫婦もやってきた


そして今…
息を切らして受付に走りよって来た功に

 (ほんとに素敵な人…)
 さっきの花束を抱えた人とは雰囲気が違う
 身なりは乱れているけれど、却ってそれがセクシーで…
 ぽぉっとする

部屋番号を告げた





ノックもせずに開いたドアに
部屋の中にいた全員が咎めるような視線を送る


けれど、功には千津美しか見えていなかった
千津美と、彼女が抱いている子の姿しか…


静かに彼女に近づくと

「千津美…」

と名前を呼んだ


「ご、ごめんなさい。連絡出来なくて…」
千津美は赤くなってうつむく

「この子が…」
彼女の抱えている赤ん坊を見て言う

千津美は何も言わずに、抱えていた子を功に渡した

功に良く似た
眉毛も凛々しい整った顔の赤ん坊だった

慣れない手つきだったが
大きな力強い手で赤ん坊を抱くと…

「ひとりで大変だったな…」
と、千津美をねぎらう


その時はじめて緊張が解けた千津美の涙腺がゆるんで
涙が止まらなくなった


千津美の姉や
功の両親と兄も

黙って部屋から出ていった



功はベッドに腰かけると
赤ん坊を抱いていない方の腕で、そっと千津美の肩を抱きしめた

「これからは…」
功が言う

もう二人きりというわけにはいかないな



子どもの名前は
「涼」と決まった



隣のベッドで寄り添っている二人を
見るともなしに見てしまう…



彼女の子どもによく似たその人は

肩にかけていたスーツの上着はベッドに投げ捨て
ワイシャツは汚れてしわになっていて
ネクタイはゆるんでいた

その…精悍で整った顔は
ほほに殴られたような痕があり
口元は切れて血がにじんでいる


それにもかかわらず
今日一日不安気だった彼女は

彼の腕にすっぽり包まれ
とても幸せそうだった






夕子にはわかった

二人がとても仲のいい夫婦だと

隣のベッドの人は
外見は子供っぽいけれど

決してそうでないことを…




面会時間が過ぎて
皆帰った後


ポツリと夕子は隣の彼女に言った

「旦那さん、来れて良かったね」



「はい、ありがとうございます」

と嬉しそうに千津美が答えた










オリキャラにはじめて名前をつけました。同室女性については、モデルからの安易な命名ですけれど…(笑)
息子の方は、夏生まれの設定なので、 少しでも涼やかな名前をと思い、これも安易につけました。
Chizumi & Fujiomikun

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