母の鬱屈 兄のお節介


電話が鳴ったので受話器を取った

「あ…あの、志野原と申しますが…、ふ…藤臣くんを…」

消え入りそうな声が聞こえた

「藤臣くん?」

「ふ…藤臣功くんを…」


え…?



章には毎日のように女の子から電話がかかる

おれにかかってきたらいないといってくれ、などと申し渡されていた

だから、それもそのひとつかと思ったけれど
普通は、「章」とか「章さん」、苗字でも「藤臣さん」なので

「藤臣くん」というのが珍しくてつい聞き返してしまった

功に女の子から…






小さい頃から章はいつもお友達が大勢いた
もちろん男の子もいたけど、女の子が大半だった
家にもしょっちゅう遊びに来ていた


功は友達がいるのかいないのか…
電話もめったにかかってこなければ、家に連れて来たこともなかった

無表情で無口なあの子は
女の子どころか男の子にさえ怖がられ敬遠されていたようだった

中学生になったら
喧嘩して帰ってくることも時々あった
父親がいろいろな武道を習わせてきたから
たぶん大丈夫だとは思ったけれど、母親としてはやはり心配だった

そして相変わらず、あの子は誰にも心を開かない
母親のわたしにでさえも…


たったひとりでいいから

功が心をゆるせるような、功を理解してくれるような

そんな友達が出来てくれたら

私は心からそう願った



だから中三の時、章が功にガールフレンドができたと教えてくれて
わたしは嬉しかった、これでやっと功も…

でも功はまったく変わらずいつもの功で…
聞けばあっという間に向こうから愛想を尽かされてしまったらしい

本当はとても優しい子なのに
彼女にはわかってもらえなかったようだった



高校生になった功は急に成長して
気がつけば身長も体格も章をずっと追い越していた

もちろん腕力も…

剣道部の活動に熱心で、二年生になって副部長になった

いつも凛として、威厳のある息子は自慢だった

このまま功は、こうして孤高の道を行くのだと
わたしは、もう諦めて彼を見守って行こうと決めた



秋頃から、少し功の雰囲気が変わったように思えた
章も同じことを言っていた

「あいつ、この頃変だ…」


功は生真面目すぎて、そこを逆手に取られてよく章に遊ばれていたのに
今はなんだか軽くかわしてしまうようだった

時々、何を思っているのか表情がひどく穏やかなこともあった


居間には、近くの街のタウン誌がおいてあって
私はお稽古ごとの仲間やお友達と、ランチやお茶をする時に
章は女の子をどこかに連れて行こうかという時によく利用している

その雑誌を、功が真面目に頁をめくっているのを見た時は
かなりびっくりした

なんだか見ぬ振りをしてしまった






「志野原さん、ていう人よ」

功を呼んで受話器を渡した



「ああ…」

「そうか、わかった」

それだけ言うと功は受話器を置いた



「ちょっと出かける」

日曜日に出かけるのは、剣道部の練習か試合くらいだったのに
近頃は毎週のように道具も持たずにふらっと出て行く

そんな功を黙って見送った


そう言えば、学校からの帰宅時間が数十分だけれど遅くなっている
部活の無い日はいつも、部活のある日も時々…

寄り道するような子ではないのだけれど


二人の男の子の母として、中学生以降は不干渉をモットーとしてきたため
聞きただすようなことはしたくなかった




あれから、数ヶ月経った…

お風呂から出て廊下を歩いていたら
もう夜遅いというのに功が電話で話していた

近頃多くなった部活の連絡かなんかだろうと思いながら傍らを通り過ぎた
相変わらず「ああ」とか「ん」とか短い相打ちばかりで
会話の内容などわからない

けど…

「おやすみ、志野原…」

思わず振り返った


今までに見たこともない優しい表情の功がいた






志野原という娘らしい

かあさんが我慢出来なくなっておれに言ってきた
おれだってずっと気になっていたんだ

この数ヶ月、功は変わった
今までは、 他人に興味や関わりは持たなかったのに
電話が増えたな、と思ったら部の後輩って奴を家に連れて来て驚いた

あいつになにがあったんだ…

まだ3年に在籍している後輩を呼び出して聞いてみると
なんと功とその志野原っていう子がつきあっているのは
学校中が知っているらしい

後輩が言うには、その娘はドジでなんのとりえもない女の子で
なぜ功がその娘とつきあっているのか謎だと
たぶん同情かなりゆき上でというのが定説らしい

同情でつきあうだと…
それじゃあ、あの中学生の時とあんまり変わらないじゃないか
あいつは相変わらず、女の子とそんな関係しか持てないのか?


朝、校門近くで見張ってみた
(おれも物好きだな…)


登校して来た功にちまっとした女の子が駆けて来たと思ったら
次から次へと女の子が寄って来て、その娘はどんどん離れて行く

いったい、いつからあいつ、あんなにもてだしたんだ…?
女の子からはただ怖がられるだけの存在だったはずなのに

あれっ…

功は…最初に声をかけてきた娘にすっと手を差し出し
彼女の手を握って歩き出した

自分の目で見ていながらおれはそんな功が信じられなかった

あいつはばりばりの硬派なはずだぞ
朝から女の手をとって登校だと…

ふたりはそのまま校門の中に消えていった


とりたててどうというような娘でなかった
たぶんおれの周りにいても、気づきもしないようなそんな娘だ

けれど…じとっと妬ましそうににらむ女の子たちを
気にしてはにかむその姿が妙にいじらしい
最初、功にむけた笑顔も可愛いらしかった


中学生の時につきあったあの女の子は美人で利発そうで
功とは並んだら似合いの二人だったが
あの娘はまったく反対のタイプだ

この彼女とつきあったせいで功があんなに変わったのだろうか

志野原という娘のことをもっと知りたくなった




(本当に物好きだな…おれは)
下校途中雨やどりしている彼女をお茶に誘った



いやはや、まいったな…
まだ笑いが止まらない…


最初は一緒に喫茶店に入るのを激しく拒否していたが
おれが意味深なセリフを言ったら、渋々ついて来た

まったく…
女の子からそんな態度を取られるのは初めてかもしれない


結局、おれが一人でいろいろつぶやいて
彼女はなにがなんだかわけがわからないという風情で
そのまま別れた



家に帰る途中で、喫茶店の女の子がしがみついて来た



おれは余計なことをしたらしい
功には思いっきり一発食らった

少し、かあさんを恨んだ

けれど、なんだかこの千津美という娘に
なぜ功が夢中になっているのか、わかったような気がした






章が、 可愛らしくていい子だよ…と、面白そうに言った

やっぱり志野原という子とつきあっているらしい


「かあさん、心配しなくてもあの娘だったら大丈夫だから」

そりゃあ、あんたはそう言うけど
母親にしてみれば、功みたいなあんな子が
急に女の子に夢中になるって
なんだかうまく手玉にとられているような気がして
心中穏やかでいられない



思いきって功に言ってみた

「つきあってる女の子がいるんでしょう」

「ああ」

「なぜ、黙ってたの?」

「なぜって…」
無表情は変わらない

「聞かれなかったし…」


最初からちゃんと聞いていれば良かったんだろうか
功がそういう子だということを忘れていた


「会わせてくれるんでしょ」

少しだけ功が困った顔をしたような気がした


会わせたくないのかしら…






「きゃあっ」

うちの玄関で靴をぬいで上がろうとするその娘が
上框に足を引っかけて転びそうになり叫んだ

功が慣れたように彼女の身体を後ろから抱きとめた

章はすでに吹き出していたけど
夫と私はそんな二人をただ呆然と見ていた



その娘は、紅茶を入れている私を手伝おうとして茶碗を数個割った
紅茶に砂糖を入れようとして砂糖ツボをひっくり返した


その度に功が
「気にするな」と言って
茶碗のかけらを片付け、机にばらまかれた砂糖を集めたりしている

「すいません、き…緊張してしまって」

真っ赤になって志野原という娘が恐縮している

私よりさきに、夫が笑いながら言う
「ま…構わん」

功ほどではないけれど、普段あまり笑わない人なので少し吃驚した



一緒に夕食の支度をした

さっきのあれをみていたので、少し警戒していたけれど
意外と料理をする手つきが高校生とは思えないほど慣れていた


聞けば、両親を早くに亡くし
小学生の頃から食事の支度をしていたと言う

「まだ高校生で一人暮らしだなんて…寂しいでしょう?」

「そ…んなこと…あ…ありません」
かぁっと赤くなって彼女が言った

「藤臣くんが…いつもそばにいてくれて…」

そんな彼女をみていると微笑ましくて
なんだか、功の気持ちがわかるような気がする
こんな無防備で…ドジな娘は、功みたいな硬派なタイプには
護らずにいられない存在なのだろう…


くすっと笑ってしまい、彼女が恥ずかしそうにうつむいてしまった

「ごめんなさい、笑ってしまって…そんなつもりじゃなかったんだけど」

「あ…気にしないで下さい」
笑われるのは慣れていると…彼女が言う


「千津美さん、と呼んでいいかしら」

こくんと頷く

「ねえ千津美さん…功は、あの子はあなたにどう接しているのかしら」

え…と彼女が不思議そうな顔をした

「いつも思っていたのよねぇ…功が女の子とつきあったらって…
 少しはおしゃべりとか、する?」

「えっ…いえ、その…あまり」

やっぱりね、とため息をつく

「じゃあ、一緒にいても退屈でしょう」

「そ…そんなことありません」

おとなしそうな彼女が、きっぱりと言い切った
私は驚いて彼女を見た

「藤臣くんは、優しいです。一緒にいると…その…嬉しいです」

恥ずかしげに言葉を濁しながらも、彼女の瞳に揺るぎは無かった


「…」 




違う…

この二人の関係は…
功が一方的に彼女を護っているわけではない

さっきうっかりこの娘のことを笑ってしまった
けれど、彼女はなにもこだわらずに
逆にそれを気にした私に気をつかってくれた
本当は、芯の強い娘なのだ

この娘とつきあい出してから変わっていった功のことを思い出した

彼女にはわかるのだ、功のことが
もしかすると功はこの娘に心を許しているのかもしれない

母親の私がどんなにそうしたくても、出来なかったことを
この一見弱々しそうに見える彼女が成し遂げたのだ


私はなぜかすごく嬉しくなった

「千津美さん」

「はい」

「あなたは…すごいわね」

彼女はきょとんと私を見た


「さあ、夕飯の用意…」
母は明るく言った






長いこと、何も言わなかったけれど
かあさんは功のことをとても気にしていた

不器用で誰からも理解されない功を
母親としては不憫に思っていたのだろう


けれどちぃちゃんに会ってから、それを止めたようだった


時々、ちぃちゃんを誘って買い物や食事にも行くようになっていた



そして、しょっちゅう

「ねっ、学生結婚でもいいじゃないの…」

と言って、功を困らせている


Chizumi & Fujiomikun

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