ある夜のひととき



戸締まりをして、火の元を確認する。

階段を上り始めたイザークの耳に柔らかな歌声が聞こえてくる。


ノリコが子供たちを寝かしつける時にいつも口ずさむ彼女の世界の子守唄…。ユミが生まれたその日から毎晩のように聞いているそれを、今では自分でも歌える程だった。


ふと足を止めて…声の主に心を傾けると、イザークは口元に静かな微笑みを浮かべゆっくりと寝室へ歩き出した。


結婚してすでに3人の子を授かった。

ノリコの世界に比べれば不便極まりないこの世界で、彼女はその幼い顔だちや、きゃしゃな体にそぐわない程、母親として立派に役割を果たしている。 それは素晴らしく尊いことだが、イザークはノリコを自分の子供達の母親として見たことは一度もなかった。


イザークにとって、ノリコはノリコでしかなかったから…。

光の力を配る旅を終え、平和になった世界の片隅で送るノリコとの暮らしは穏やかに過ぎて行く。平凡な毎日…それが幸せと同義語だという思いをイザークは噛み締める。

もしかするとノリコを失っていたかもしれない、先日起こったとある事件…それはイザークの心に新たな決意を刻みつけた。

子供達には精一杯の愛情注いで育てていこうと思う…いずれこの手から旅立つ彼らが自らの手で幸せを掴めるように…


だが、ノリコは違う…

ずっと一緒にいると誓ったあの日から
ノリコの一生はおれと共にあるのだから
ノリコはおれがこの手で守り
幸せにしてやらねばならない



ベッドの端に腰掛けて物思いにふけっていたイザークは、ノリコの歌声が消えたことに気づいた。

子供達がやっと眠ったらしい…

密やかな足音がこちらへ近づいてくる。
部屋のドアが開いた所為で小さく揺れたランプの炎がノリコの姿をぼんやりと浮かび上がらせる。


「イザーク…」

イザークと目が合ったノリコがにっこりと笑うと、薄暗い部屋が光に満ちてくるような気がイザークはする。

「どうしたの、そんな所に座って…まだ寝ないの?」

鈴の音のようなノリコの声が快く耳に響く。


隣に座ったノリコの肩をイザークが抱き寄せると、ノリコはこてん…とその頭をイザークの胸にもたれさせる。

「どうした…?」

フフ…とノリコが笑った気がしてイザークは低い声で尋ねる。

「こうしてイザークの鼓動を聞いていると…
 初めて会った時のことをいつも思い出すんだ…」
「…笑うようなことなのか…?」

懐かしく思うことはあるかもしれないが、どう考えても楽しく思い出せるような出会いではなかったはずだ。

「笑ったのは幸せだからだよ…あの時からいろんなことがあったけど
 こうしてイザークと一緒にいられるのがすっごく嬉しいから…」
「…そうか」

ストレートにそんなことを言われると未だ照れてしまうイザークだったので、慌てて話題を変えた。

「足は痛まないか…」
「うん…イザークがちゃんと手当てしてくれたから、もう大丈夫だよ」

そう言いながら、ぽんと痛めた足を上げてみせるしぐさは娘時代と変わらない…三児の母とは思えない程子供っぽくて、イザークは知らず知らずに顔を綻ばせる。

「・・・」
「なんだ…」

顔を上げたノリコからじーっと覗き込むように見つめられたイザークは少し狼狽る。

「あの頃のイザークってさ…ここに…」

ノリコは人差し指でイザークの眉間をつん…と突っつく。

「いっつも皺があった…」

ごく稀に穏やかな表情をすることもあったけれど、笑顔など見たことがなかった。どことなく冷たくて…不機嫌そうに眉を寄せていて…出会った頃を思い起こせば、浮かんでくるのはイザークのそんな顔ばかり…


「でも、今はここ…」

イザークの目下にある笑い皺にノリコは指で指し示した。

「あたし…嬉しいよ」
「おれの皺が嬉しいのか」

イザークは少し呆れたように言う。


「だって、ねぇ…イザーク」
「なんだ」

ノリコ急に真面目な顔をしてイザークの胸に再び顔を寄せる。


「幸せなんだもの…」


そう言ったノリコの脳裏に、過去の色々なことが思い浮かんでいるのだろう。

それを察したイザークは、ぎゅっとノリコを抱き締める。



「皺が多い方がいいのか」
「やだ、イザーク…そういう意味じゃないってば……んんっ」


深いキスを受けたノリコは次第に力を失っていった。



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