◯月◯日
きょう、おとうさんとおかあさんはようがあったので、あたしとおとうとたちはがーやおばさんのところにあずけられました。おばさんはおみせがいそがしいので、あたしはおとうとたちをあそばせるためにこうえんまでつれていきました。
ユミはベンチに座って見守っているおかあさん達にぺこりと頭を下げてから、はじっこに腰を下ろした。なんだか自分が大人びた気がして嬉しかった。
砂場では男の子達の傍で女の子が何か騒いでいる。そこにやってきたユミの弟達に女の子が気づくと話しかける。
「ねえ…おままごとしよう…」
「おままごと…?」
どうやらおままごとがイヤだと言う男の子達に女の子は文句を言っていたらしい。
「パパ役の子がいないとできないもん…いいでしょ」
別にイヤではなかったので、上の弟はこくんと頷いた。
「あたしがママ…あなたがパパね…」
しっかりものらしい女の子はてきぱきと役をふる。下の弟ともうひとり幼い女の子が二人の子供役になった。
「じゃあ、おとうさんがお仕事から帰ってきました…」
さっそくおままごとのシーンを設定する女の子に弟は「名前は?」と尋ねる。
「名前なんかいいよ…パパとママで…」
なんとなく納得してない顔で、それでも弟は彼女に合わせてドアを開ける動作をすると…「ただいま」と言った。
「おかえりなさい、パパ…おふろにする?それともごはん…?」
「…?」
きょとんと首を傾げる弟に、女の子は少しいらただしげに砂場の一角を指差した。
「おふろでしょ…」
「あ…うん」
尋ねたわりにはきっぱりと女の子が言ったので、弟は逆らわない。
気の強い女の子の扱いには姉のおかげで慣れていた。
「じゃあ…ぼくは子供達をお風呂に入れるね…」
「パパも一緒に入ってね」
にっこりと笑った女の子に弟は首を振って答える。
「ぼくは…後でママと一緒に入るから…」
「え…」
弟は子供役の二人の手を取ると風呂場と指し示された方ヘ行って、洗って上げるふりをする。
ベンチに座っている母親達は弟の発言におしゃべりをやめて、一様に顔を赤らめた。
「ねえ…あんたのパパとママ…いっつも一緒にお風呂に入ってるの…?」
ニコニコと眺めているユミに隣に座っている母親がそっと尋ねる。
「いつもじゃないよ」
「そ…そりゃそうだよね…」
3人も子供のいる夫婦が、新婚じゃあるまいし…と納得して頷いていたが…。
「あのね…月に何日間は一緒に入らない日があるの…
おとうさんは構わんって言ってるのに、おかあさんが絶対イヤって言って…」
「・・・」
「・・・」
母親達の顔がさらに赤くなった事にユミは気づかなかった。
予想外の展開に女の子は一瞬きょとんとしていたが…そこは幼い子供なのであっさりと次の場面に進めていく。
おままごとセットの中から包丁を取り出すとトントントン…と落ちていた木の実を切る真似を始める。
「…痛っっ…切っちゃった…」
急に手を止めてぺろっと指先を舐めた。
「やだ…あの子ったら…」
女の子の母親らしい女が両手を頬に当てると恥ずかしそうに笑った。
「わたし…そそっかっしいから、よく指とか切ってああするのよね…」
自分の真似をした娘に照れながらも嬉しそうに細めていた目が、次の瞬間大きく見開かれた。
「だめっ!!」
「え…」
それまで大人しかった弟が怖い顔をして女の子の後ろに仁王立ちしていた。
びくっとして振り返った女の子や母親達も何ごとかと驚いて弟を見る。
「ちゃんと手当てしないと」
「で…でも…ちょっと切っただけだもん…」
「いいから、早く見せて」
「…」
弟の剣幕に女の子はたじたじになって黙って手を差し出す。弟は地面に生えていた草を抜くと女の子の指にハンカチで巻き付けた。薬草のつもりなんだろう…。
「今日はもう何もしたらだめだからね…」
「あ…あの」
弟は女の子を座らせると、今度は自分が料理を始めた。切った設定になっている木の実をおもちゃのフライパンに入れて、慣れたように片手で揺すり始める。空いている方の手を腰に当てている姿はなかなかさまになっていた。
「ふふ…あの子ったらおとうさんの真似をしてる…」
面白そうにつぶやくとユミは自分が訝しげに見られてる事に気づいて説明した。
「うちのフライパンすっごく重くてね…
おとうさんしか片手で扱えないのよ…」
「そ…そうなんだ」
訊きたい事はフライパンの話ではなかったが…
母親達はまだ幼いユミになんと言っていいかわからず、なんとなく居心地が悪そうにそわそわし始めた。
「その傷がなおるまで、ぼく家にいるからね」
「し…仕事は…」
「行かない」
「そ…そんな…なんで」
「そんな手じゃ、子どものせわやおうちのことできないよ…」
「大丈夫だったら…あたしもう治った」
せっかくのおままごとなのにずっと座らせられて退屈になった女の子が、 お皿を地面に並べているのを手伝おうと立ち上がろうとするのを、弟が肩を押して止めさせる。
「…座ってろ」
「は…い」
最初と完全に形勢が逆転していた。勝ち気でいつもはうるさいくらい自己主張する女の子が言うことを聞いて大人しく座っているのを、母親や砂場で遊んでいた他の男の子達まで手を止めてぽかんと見ている。
「やだ…言い方までおとうさんにそっくり…」
「あ…あのさ」
「…?」
弟の様子にあはは…と笑い声をあげたユミに、ようやく隣の母親が口を開いたのをきっかけに…
「あんたのおとうさん、おかあさんが怪我しただけで料理とかするの…?」
「あんなちょっとした怪我で…?」
「仕事も休んじゃうの…?」
「うん!」
皆が口々に質問し始めたが、ユミは動じる事なくニコニコして答え、ついでに理由も教えてあげる。
「だって、おとうさん過保護だもん」
なるほどと、全員がひどく納得して頷いている。
「怪我だけじゃないよ…具合が悪い時とか…
あ、そうそう…弟がお腹にいた時もずーっとおうちにいた」
「そりゃまた大変な過保護だ…」
「そんな長い事、仕事行かなくって大丈夫なのかい」
「大丈夫だよ…」
大好きな両親のことをいろいろ訊かれてユミは喜んでいた。
「ねぇ…あんたのおとうさんて…その」
「なに?」
「おかあさんのお尻に敷かれてる?」
おかあさんのお尻に敷かれてる…
一瞬意味がわからなかったユミが、頭の中でそのシチュエーションを描いた。
おかあさんのお尻の下に…おとうさんが…
そうか…
ユミは、おかあさんをお膝に抱っこしているおとうさんの姿を思い浮かべた。
「うん」
ユミは速攻で答えた。
「おとうさん…おかあさんのお尻の下に敷かれてる…」
だよね〜と、母親達が目配せして頷き合っている。
「ユミ」
柔らかな声が聞こえてみんながそちらを見る。
「おかあさん」
それまで背伸びしていたユミが急に年相応の子どもらしい表情に戻った。おままごとのママ役相手に散々過保護をしていた弟も下の弟と一緒に駆けつける。
「やっぱりここにいたのね…」
ガーヤの店に行く途中、イザークがここに子ども達がいると言うので寄ってみたのだ。
「うん…あの人達とおしゃべりしてた…」
ベンチに座っている母親達をユミは指差す。
「子ども達がお世話になりました」
ぺこりと頭を下げるノリコは3人の子持ちとは思えないほどあどけない愛らしさがあって、亭主を尻に敷くような面影は全くない。あれ…と思っている母親達はその後ろに寄り添うように佇んでいる人影に気づいた。
いつものように、こういう人づきあいは苦手なイザークは黙ってノリコの後ろに立っているだけだった。
今 ザーゴ国に訪れている北国の国王はどうしてもあの時、国を立て直しに来てくれた天上鬼に会いたいと言ってきた。天上鬼ことイザークがここに暮らしているのは、一部の国の首脳部しか知らない。その国王はザーゴ国王とも親しい間柄なので断ることが出来ずにしかたなく今日短い会談をしてきたところだったので、イザークもノリコも正装をしていた。
「あ…いえ、お嬢さんにはいろいろ楽しいお話を伺って…」
母親のひとりが、イザークに目をやりながら…しどろもどろにそんなことを言う。
端麗な容姿…怖いほどクールな表情…にこにこと娘と同じ人懐っこい笑顔で接するノリコが尻に敷いているとはとても信じられない。
「…ユミ、なにか変な事言いませんでした」
「いいえ…全然」
不安そうに尋ねたノリコに母親達は笑顔で答えた。
幼い弟達を両腕に抱えたイザークとユミの手を引いたノリコが公園から去っていった。
「見た…」
「見たわよ…」
ザーゴ国王から与えられる功労者への勲章がイザークの胸にあったことを、目ざとい母親達は気づいていた。紙幣のデザインにもなっているそれを知らない者はこの国にはいない。国王から直々に与えられるそれが、どれほど高貴な貴族でさえ手に入れるのは困難なことであるは周知の事だった。
ふだんは棚の奥に押し込んで放っていたが、さすがに国王と会うときはそれを身につけるイザークだった。
「で…でも…なんで…」
それほどの人が、妻が怪我をしたら料理をするの…
そんな家庭だったら、使用人がいっぱいいるはずだ…
母親達はただ首をひねって、次回あの姉弟が来た時に聞いてやろうと決心したものだった。
「早かったね…おかあさん」
「うん…やっぱりね」
バロイ国王から晩餐を誘われたが、断ってしまったノリコたちだった。
寝るまで両親が帰ってこないかもしれないと聞かされていたけど、しっかりしているようでやはり嬉しいユミだった。
「ガーヤおばさん、今日は特別シチュー作るって言ってたよ」
「そっかぁ…おとうさんやおかあさんの分もあるかな…」
「なかったら、ユミのをあげる」
妻と娘の会話を聞きながら、国王や主賓の前では仏頂面だったイザークの口の端が上がっている。
「ねぇ…おとうさん…」
「なんだ」
「おとうさんて…おかあさんのお尻に敷かれてるの?」
「ま…」
ノリコが赤くなって何か言おうとするのをさえぎって、イザークは穏やかな口調で言った。
「当たり前だろう…」
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