「……わたしったらホントにドジ…」
冬の空はどんよりと曇り、白いものがちらほらと待っている中を、肩を落とした千津美はとぼとぼと歩いている。
もう12月に入ったというのに小春日和という日が2・3日続いた。本当に春が来たような暖かさで、コートを脱いで手に持つ人が町中でも多く見かけられた。
その所為もあって、今朝遅刻しそうになった千津美は上着も着ず慌てて家を飛び出した。周りの人が皆、厚手のコートやマフラーで武装しているのに気づいたのは、ぎりぎり間に合った電車に飛び乗った後だった。
「ドジ・ドジ・バカ・アホ…天気予報くらい見なさいよ」
「今日から寒気団が来て急に冷え込むってニュースにもなってたわよ」
「大体さ…家を出たらすぐに気づくでしょ…」
「だって……慌てて走ってたから…」
三浦や園部は軽装で大学に来た千津美を見て、呆れたりバカにしたり散々だったが、講義が終わってまっすぐに家まで帰ればそれほど問題ではなかったのだが…今日は 功と待ち合わせをしていた。
功の家からさほど遠くないところに大きなモミの木がある公園があった。今年はそこにクリスマスのイルミネーションが飾られて評判だったので、功と見に行く約束をしたのだった。
暗くなってからでないと意味がないので、ちょうどお互いの講義が遅くまである今日を選んで待ち合せた。待ち合わせ場所の公園の入り口には、最後の講義が終わってまっすぐいかなければ間に合わない時間だったので、コートを取りに家へ帰っている余裕がない。
真面目な千津美は講義をサボる気などなく、功を待たせるよりも寒いのを我慢する方を選んだ。
「本物のモミの木ですって…ヨーロッパみたい」
「ロマンチックよね…」
きゃあきゃあと騒いでいる友人たちを朝子は冷めた目で見る。
「女の子同士で見に行っても全然ロマンチックじゃないの…」
「もおっ…朝子ったら…痛いとこつかないでよ」
もうすぐ卒業を迎える大学の友人たちと噂に聞いたモミの木を見にやってきた。あまり気乗りしなかった朝子だったが、小説家を目指す身でなんでも珍しいものは見てやろうと、一緒についてきたのだった。
「きゃー、ちょっとあの人素敵じゃない?」
「え…ホントだ…カッコいい…」
「ねえねえ…声かけちゃおうか…」
逆ナンしようなどと友人たちが騒ぎ出して、朝子はその方向に目をやる。
藤臣くん…?
公園の入り口の近くにある樹に寄りかかっている功がいた。相変わらず凛々しくカッコいい姿は女の子たちが見とれても不思議でない。
ふっきれたはずなのに、やはり功の姿をみると胸が騒いだ。
あの頃の自分を思い出す。
功の良さをわかってあげてるという自己満足 、「藤臣くんのこと好きよ」堂々とそう言える自分が誇らしかった。けれど結局はすぐに別れてしまった…プライドを守るために…。
昨年、功と再会して気づいたことはそれだけでなかった。
朝子にとってあれは初恋だったのだ。
「恋なんてこと、まだわかっていないんだ」などと偉そうなことを功に言ったくせに、わかっていなかったのは自分だった。
優越感やプライド…そんなものに振り回されていた自分は、想いに応えてくれた功が差し出した手を振り払ってしまった。
あれ以来…何人かのボーイフレンドはできたが、 本当に誰かに恋したことはないような気がする。
「バカね、あなたたち…こんなところで待っているのだから、彼女と待ち合せに決まってるでしょ…」
「えーーー、でも…」
名残惜しそうに功を見ている友人たちに、朝子は近づいてくる人影に気づいて指をさした。
「ほら…あそこに」
朝子が指差した先に、千津美がいた。
この寒さにコートも着てない千津美を見て、思わずくすっと笑ってしまう。きっとどこかに忘れてきてしまったのか…千津美のドジは良く知っている朝子だった。
功は千津美に気がついた。
もう薄暗くなっていたのと、 寄りかかっていた樹が功を隠していた為か、千津美はきょろきょろと功を探してあたりを見回している。
声を掛けるのを一瞬ためらう。
千津美が今……一生懸命探しているのが他の誰でもなく自分だということに、功は得も言われぬ幸せを覚える。
ずっとそうしておれを求めて欲しい …おれだけを…
功はふと浮かんだ我がままな欲求を、頭を振って追い払った。
「志野原…」
功に気づいた千津美の顔に笑みが広がっていった。
「えー…あんな子が〜」
「あり得ないよ…全然、似合わない…」
「知り合いとか…親戚の子じゃないの?」
友人たちは口々に勝手なことを言っている。
「違うの…そうじゃないの」
朝子が言いかけた声は…
「うっっそぉ…」
「やっっだぁーーー」
友人たちの悲鳴とも言える声にかき消されてしまった。
「寒くないのか…」
カーディガンとスカートと言った軽装の千津美に功が眉を寄せた。
「あ…あの、実は…」
千津美がしどろもどろに今朝の成り行きを説明する。
「…と言うわけで…わ…私の不注意なんで………え…」
千津美の説明を最後まで聞かずに、功は千津美の肩をそっと抱き寄せ自分の腕の中へ閉じ込めた。
雪が舞っている…
どこかで女の子たちの悲鳴が聞こえたような気がしたが、
千津美は功の鼓動を聞きながら…そっと功のマフラーをつかんだ。功の体温が冷えた体を温めてくれるのが嬉しかった。
朝子は騒ぐ友人たちをよそに、二人を見ていた。
あれは功が凍えていた千津美に自然にした行為だ。
どれだけ功が千津美を大事にしているかがいやって言うほどわかった。
「いい加減にして行きましょうよ」
出て来た声は、思ったより冷静だった。
しばらくして功は千津美から体を離すと、コートを脱いで千津美に着せた。
「え…でもっ…ふ…藤臣くんが寒い…」
焦る千津美に功は微笑って言った。
「おれは、寒稽古で慣れてる」
「・・・」
電飾で飾られたモミの木は、噂に違わずきれいだったが…
朝子は自分たちより少し遅れて来た千津美と功を見ていた。
ぶかぶかの功のコートを着た千津美と、そんな千津美の肩を大事そうに抱いている功…
もし、つき合っているのが自分だったら、そんなことをしてくれたのか…
朝子は二人を見ていてそんなことを思った。
きっと…抱き締めることはなかったにしても、コートを着せてくれるくらいはしてくれただろう。功はそういう人だったから…けれど自分は、みっともないと突き返しただろうな…。
そもそも自分は、こんな天気にコートなしで現れるようなことはしないし…それに……
そもそも功は……
千津美を愛するようには自分のことを想ってはくれなかった。
ただ彼は…自分の想いに誠実に応えてくれていただけだった。
別れを切り出して正解…
朝子は少し清々しい気分になる。
「ねぇー、朝子…」
友人の声に朝子ははっと我に返った。
先ほどからもの思いに耽って、友人たちとの会話に参加していなかった朝子に気遣うように言う。
「なんか…気乗りしてなかったのを無理矢理誘ってごめんね」
「そんなことないわよ…」
朝子は慌てて首を振る。
「すごく…いいものを見せてもらったから…」
寒いのではないかと千津美が気にするので、功は近くにある自分の家へ連れて行った。
ちょうど夕飯時だったので、功の家族と一緒に夕飯をとる。
食後、母親のジャケットを借りて千津美を送ろうとした功に、いつものように章がからかうように言った。
「泊まればいいじゃん…明日はどうせ休みなんだろ…」
章に取って想定外だったが、功はあっさりとそれを受け入れた。
「泊っていけよ」
雪の所為で交通機関が乱れているし…なによりも功にそう言われれば、千津美は逆らわない。
「おまえ…」
風呂から上がった千津美が、母親から借りたパジャマを着て功の部屋に入った後だった。
章の戸惑った表情に功はくすっと笑って片目を瞑る。
「にいさんの期待に添えるようにするよ…」
う…っと言葉に詰まった章は、功が入っていた部屋のドアを睨みつけたものだった。
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