疑惑



おれは…
いったい何をしたんだ…

金の寝床で地面に座り込んだイザークは
頭を抱えがっくりとうなだれていた


東大陸へ渡る前、これで二度目になるノリコの日記を送りにここへ来た  
前回のように光の力を呼び出し、チモの力を借りて
ノリコの家へ送るべく日記に気を集中させたのだが…


気がつくと…
日記はそのまま残って、ノリコが消えていた




 
ここは…?

ノリコはあたりを見回す

さっきまで、樹海の金の寝床でイザークの隣にいたのに…
一瞬まわりの景色が消えて…

あたしの部屋だ…
元の世界の…あたしが住んでいた家の…
懐かしいあたしの部屋だった


「いやぁっーーーー」

突然二階から悲鳴が聞こえ、書斎から父が、台所から母が飛び出してきた
先を争うように階段を駆け上ると
ノリコの部屋の前で兄が青い顔をして立ち尽くしている

「いやっ、いやーあーーーーっ」

叫び声はまだ続いている
皆が目を合わせうなずいた後、兄が思い切ってドアを開けた

「!」

ベッドの上で女の子が狂ったように泣き叫んでいた
長く伸びた髪、異世界風の服…

それは…一年半前、突然姿を消した娘のノリコだった

「ノリコ…」
母親が駆け寄って、その身体を両腕で抱きしめながら娘の名を呼んだが

「イザーク…イザーク…」
ノリコは泣きながら愛しい人の名前を呼び続けている

「…ずっと…いっしょ…いるっ…いったのに…」

叫び声がだんだんと苦しそうな嗚咽に変わっていった




「ノリコは…?」

落ち着くまでは…と
ノリコを母親に任せて一階の居間で待っていた父と兄が
姿を見せた母に同時に訊いた

「寝たわ…泣き疲れて…」
母が首を振りながら言う

「何か言ってたか…?」
「少しだけ…
 日記を送ろうとして、気づいたらここにいたって…」
「そうか…」



「やっぱりそういうことかよ…!」
重い沈黙がしばらく続いた後、兄が吐き捨てるように言い放った

「もう、ノリコなんかお役御免ってわけか…」
「なに言ってるのよ…二人はエンナマルナで
 一生の伴侶であることを誓いあったばかりなのよ」
「ノリコが帰りたくないって、駄々をこねた後に仕方なくだろ…
 そうやってとりあえず宥めといて、いきなりこれなんだからな」
「そんな…」
「だってそうじゃないか!
 日記を読んだ時、おかしいと思わなかったのかよ」

あなた…と母は父の顔をすがるように見たが
父はむずかしい顔をして考え込んでいる

「今いろいろ憶測しても意味がない…
 ノリコが目を覚まして話を聞かないことには」

確かに…日記を読んだ時、かすかに疑ったことはあった

異世界へ飛ばされたノリコは、そこで出会った青年と
運命に導かれるまま旅をしていくうちに
お互いに心を寄せあっていったらしい

ノリコはそれ以前に異性と特別な関係を持ったことなどない
同じ年頃の女の子たちの中でも
どちらかというと子どもっぽい奥手な子だった

だからなのか…初めて身近にいることになった異性に
ノリコが心を奪われてしまったと不本意ながらも理解できる

ノリコの日記には
思いが通じ合ってからの彼がノリコを大事にしてくれている様子が
嬉しそうに綴られていたのだが…

彼は天上鬼という化物を身体に宿し
幼い頃から悲惨な運命と闘っていたということだ
両親の元で慈しまれてぬくぬくと育ったノリコと
そんな彼との間に一体何が通じ合えるというのか…

日記はあくまでもノリコの視線でしか書かれていない…

その…イザークという青年はノリコの事を
そこに書かれているように愛してくれているのだろうか…

まだ十代の少女が描く夢物語…なのではないか

読みながら一抹の不安は拭えなかった
そして日記の終りのほうに綴られていたことが
その不安をいっそうかき立てた

天上鬼と目覚めという重い運命からやっと開放された時
すぐに彼はノリコを元の世界へ帰せると言ったらしい
やっと手に入れた平和な毎日を
ノリコと一緒に過ごそうとは思ってはくれなかったのかと
ひどくもどかしかった

ノリコは、イザークが自分と家族に気を使ってくれたのだと書いていた
ノリコの目には彼の言動全てが好意的に映るらしい

その後夫婦の誓いをしたということだったが
とってつけたような成り行きのように思えた

どうやら兄もそう感じたらしい…

送られてきたノリコの日記には、夫婦となった二人が
光の力を配り、世を立て直すために
再び旅を始めたところで終わっていた


母親が今夜はノリコの傍にいると言って部屋を出て行った
信じたくなくて否定はしていたが
彼女も同じ考えなのだろうな…

最愛の娘が戻ってきてくれて嬉しいはずなのに
なぜこんなにも心が重いのだろう



「大丈夫だよ…普通の生活に戻ればすぐに忘れられる…」

結局一晩中まんじりともせずに
夜明けとともに起き上がった父親が台所へ行くと
やはり眠れなかったらしい兄が、そこでコーヒーを飲んでいた

「なんたってまだ高校生なんだから
 これからいっくらでも青春をエンジョイできるさ」
自分に言い聞かせるかのように兄はそう言った

「忘れたりなんかできない…」

「え…?」
突然声がして、驚いて振り返ると
入り口に泣きはらした目をしたノリコが力なく立っていた

「普通の生活なんかいやっ…、青春をエンジョイだなんて…
 あたしはイザークのところに戻りたい!」
ぽろぽろと涙をこぼし始めた

「イザーク…イザークっ…」
「ノリコ…」

傍にいた母親がぎゅっと抱きしめた胸の中で
イザークの名前を叫びながら泣き出したノリコの姿が痛々しくて
兄は見ていられなかった

「気づけよ…ノリコ」
「…な…にを…?」
泣きじゃくりながらノリコが聞き返した

「おまえ…捨てられたんだよ…そのイザークって奴に…」
「よさないか!」
父親が止めようとするが、兄から奔流のように言葉が流れてくる

「天上鬼だかなんだか知らないけどさ
 おまえのおかげで光の力を使えるようになって…
 今じゃ、あっちの世界でもてはやされてるんだろ?」
「なに言ってるの?お兄ちゃん」
「前はおまえくらいしか奴のことを受け入れてやれなかったんだから
 そりゃあ、傍にいてほしいよな…
 でもそれはもう終わったってことだよ」
「ひ…ひどい事言わないで、イザークはそんなつもりじゃないっ!」
「じゃあ、どんなつもりでおまえを送り返してきたんだよ!
 日記を送るとか言って騙して、金の寝床まで連れてこられて…
 それでもまだわからないのか?」
「ち…違う…絶対何かの間違いだ…よ…今頃イザーク心配している」
「どう間違えたら日記の代わりにおまえを送ってくるんだ!」

どんっ、と握りしめた手で食卓を叩いた

「心配どころかほっとしてるんじゃないか…
 ようやく厄介者から解放されて…」
「お兄ちゃんに何がわかるの?イザークの事知らないくせに…」

わなわなと震えながらノリコは兄を睨みつけた

「ああ…知らないよ…知らないほうが客観的に見られるんだよ」
「ひどい…」

ノリコは急に力が抜けたようにその場にうずくまった

お兄ちゃんの言っている事なんかでたらめだ…
でも、二度と会えないんじゃないかと思うと
恐ろしさで身体が震えてくる
ただ…ただイザークに会いたかった





もう朝か…

ノリコが消えてからずっと
金の寝床で、イザークはノリコの気配を探ろうと懸命になっていた

以前、彼女の世界を感じ取れたのだから出来る筈だ

だがノリコが消えてしまった不安から気が乱れる
一度は天上鬼が出てきそうになったのを必死で押さえた

気を静めるんだ…落ち着け…
自分に言い聞かすそばから身体が震えてくる

くそぉ、ノリコが傍にいないと光の世界に溶け込む事すらできないのか…

ノリコを彼女の世界へ送ってしまった…
その事実にどれだけ打ちのめされているのか…
ダメージが大きすぎて集中できない… 

どうすればいい…?

ノリコがいてくれたから
彼女が傍にいてさえくれれば
どんなに困難で絶望的な状況でも打ち勝つ事ができたんだ

だが今はその彼女がいない…

焦れば焦るほど彼女が遠くなっていく気がする
そうしているうちに朝が来てしまった


どれほど辛い時でも、夜は明けるんだな…

イザークは樹海の樹々の間からこぼれる朝日を見上げる
ふと、ノリコが言っていたことを思い出した

『辛い時でも、今できる事をやっていこうと思ったの…』

今、おれに何ができる?
ノリコの気配を探す…彼女のもとへ行く為に…
やはりそれしか考えられん…
ならば…精一杯気配を探せばいい

あいつは今どうしているのだろうか
どんな思いでいる…?
泣いていないといいのだが…

二度と会えないことなど、あっていいわけがない
ノリコと光の世界に溶け込んだあの時から
永遠におれたちはひとつに繋がっているはずだ

例え彼女がどこにいようと…

「ノリコ…」
イザークは静かにノリコに呼びかけた



今、あたしに何ができるんだろう…

床にうずくまったままノリコは考えていた

異世界へ飛ばされて、辛い事は一杯あった
でもその度に…できる事を一生懸命頑張ったら、道は必ず開けた

イザークは今どうしているんだろう…
あたしのこと探している…?
そう…あたしにはわかる…
彼はあたしの気配を必死に探っているに違いない

そうだ…ここも光の世界で繋がっているはず…
泣いている場合じゃない
自分にはできないって…諦めないで
あたしもイザークを探すんだ

「イザーク…」

ノリコは 祈るように両手をあわせ、静かに彼の名を呼んだ

あ…今、光に溶け込んでいく…

『ノリコ…』
イザークの声だ…




不思議と気持ちが落ち着いてきた
彼女の名を呼ぶと
身体の奥から光が放たれ周りの空気が輝き始める

『イザーク』
ノリコの声が聞こえた

チチ…
両肩にのせていたチモが反応し、周囲が光とともに消え去った






大切に育ててきた…
その娘は今…愛しい人を必死に求めている

父親はノリコを見ていた

あれほど泣きじゃくっていたノリコが、急に大人しくなり
座ったまま祈るように両手を組むと頭を垂れた

声をかけてはいけないような厳かな雰囲気で…
気のせいか…彼女の周りに光が溢れてくる

そして…

シュン…

いきなり長身の精悍な青年が現れた

「イザーク!」
泣き笑いの顔でノリコが叫んだ

「ノリコ…よかった…」

彼は気が抜けたようにへたへたとその場に座り込む

「…もうだめかと思った」

胸に飛び込んだノリコを彼は両腕でしっかりと抱きしめた

「ずっとおまえの気配を探っていたのだが…
 なかなか見つからなくて…」

イザークが震えている…
一晩中、あたしのことを探してたんだ…
それなのにあたしときたら

「ごめん…あたし動揺して…泣いて騒いだあげく、眠っちゃって…」


理解できない異世界の言葉で話す二人を
我々はただ呆然と見守っていた

彼の胸で再び激しく泣き始めたノリコの背中を
彼が幼子をあやすかのように優しくなでると
ノリコは少しずつ落ち着いていった

それは…これまで何度もそうしてきたかのように
慣れた仕草だった

泣き虫のノリコのことを
彼はそうやって面倒見てくれてきたのだろうか…

ふと彼は視線を我々に移すと、小さく会釈した
ノリコを抱きしめたまま片手で荷袋の中を探って
紙を綴ったものを差し出した

「日記だ」




「ごめん!! 悪かった…」

兄がいきなり土下座して謝り始めて
イザークは不可解そうな顔をする

「いいよ…お兄ちゃん、もうやめて…」
「けど…」

兄の目を見てノリコは穏やかな表情で首を振った
イザークになぜ兄が謝っているのか説明したくないようだ

察した兄が立ち上がったのをきっかけに
廊下ではなんだからと、居間へと場所を移した


彼は長い旅の間にノリコから教わったらしい
言葉は日常会話ならあまり不自由はしないようだった

「光の世界を通して、ノリコの気をたどって来られた」

ノリコの周りに輝いていたあの光は幻ではなかったのだ

「だが…向こうの世界、誰の気もたどることはできん…」
「…と言うと…」

それが意味する事を考えると、わたしはごくりとつばを飲み込む
彼はこくりと頷いた

「戻る事は…難しいかもしれない」

喜ぶべきなのだろうか…

ずっと彼の胸にもたれて放心状態だったノリコが
はっとして彼を見上げた

「イザーク…」
彼を彼の世界から引き離してしまった…
そんな申し訳なさそうな面持ちで彼の名を呼ぶ

「そんな顔をするな、ノリコ…」

彼はわたしたちと話している時は
無愛想と言ってもいいような表情をしているのだが
こちらが思わず照れてしまいそうになるくらい甘い目でノリコを見る

「おまえの傍にいられる…それ以上何を望む?」


ノリコの日記に書かれていた事は真実だったんだな…

いや…
もしかするとノリコはきっと恥ずかしくて
少し控えめに書いたのかもしれん…

わたしも謝らなければいけないな…

疑っていた自分を恥ずかしく思いながら
それでも胸につかえていたものがすっと無くなって
ようやく気持ちが軽くなった父親は娘の帰省を心から喜ぶ事ができた



「でも…」
ノリコはなんだか腑に落ちない様子で訊ねる

「どうして、ノートの代わりにあたしが送られたの?」

うっ…とイザークの顔が赤くなった

「それは…誤って…」
「誤ってって…どうして誤ったの…イザーク?」

イザークは、気まずそうに顔を背けて窓の外を見る

「イザーク!」
黙ったままのイザークに、ノリコの眉尻が上がり出した
「こっちを見て」

しぶしぶイザークは再びノリコのほうを向いた

「おっ」
先ほどまで身も世もなく抱き合っていた二人の間の変化に
兄が面白そうに声をあげた
自分が土下座した事をもう忘れたようだ

若い者は…と父親は呆れたようにため息をつくが
理由を知りたいのは同様なので
困っている様子のイザークに目を向ける

「…日記を送ろうと気を集中させている時に…」

全員からじっと見つめられて追い詰められたイザークが
赤くなった顔の口元に手を当てて、絞り出すような声で話し出した

「ノリコのことを…思い浮かべてしまったんだ…」
「あたしのことを…どうして?」

「あの時…風が吹いて…」

イザークは向こうの世界の言葉に切り替えて何やら答えた

私たちには知られたくないらしい…

兄が不満気に何か言おうとするのを私は押し止める
話して構わなければ、後でノリコが教えてくれるだろう…


「風…?」
「…傍にいた…おまえの匂いが…風に運ばれて…」
「…?」

ノリコの顔がまともにみられないイザークは
上目遣いでノリコの頭のずっと上のほうに視線を送っている

「前の夜…抱いていた時の…おまえの姿を…
 ひどくそそられたので…つい…頭に浮かべてしまった」

「え…」

一瞬わけがわからずぽかんとしたノリコの顔が
みるみるうちに赤く染まっていく


「イザークっっ!!!」

ノリコの叫び声が家中に響き渡った



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by 彼方から 幸せ通信