転入


キア・タージ イザーク 

先生は大きく黒板に書いた

「キア・タージくんは、とある事情から日本に来た
 日常会話には不自由しないが、読み書きは出来ないようなので
 みんなも助けてやって欲しい」

「先生…」
イザークが横目でじろりと担任を見る

「イザークでいい…
 苗字で呼ばれるのは慣れてない…くん付けもごめんだ」

この成り行きが気に入らないイザークの機嫌は悪い
元凶すらもすくむような凄みのある視線を浴びせられて
さすがの先生も、早く席に座るように促すだけであった





二人がこちらへ来て数日後のことだった


父親はノリコに戻れる時が来るまで
中途で行けなくなった学校へ、また通ってみたらどうかと提案した

「せっかくの機会だから…」

娘に再び学校生活を送らせてやりたかった

以前の高校だと、さすがに不都合なこともあるが
幸い古くからの知人が校長をしている高校がある
深い理由はふせて転入させてもらえるだろう…

だが…その学校が男女共学だと聞いた途端…
イザークは眉間にしわをよせ、きっぱりと言い切った

「だめだ」



おとうさんの気持ちはありがたい
また学校に行けたら…いいな、と思う気持ちはあるけど
イザークが許してくれないのは、身にしみてわかっている

バラゴさんやアゴルさんとは一緒に旅をしているから
仕様がないかと認めてくれたけれど
その他の男の人たちと彼がいないところでおしゃべりしようものなら
すっごく不機嫌になるんだもの…

共学なんて無理だろうな…

そんなイザークを『過保護』とか『束縛しすぎ』って
いろんな人が非難するけれど
あたしは、そんな彼の気持ちが逆に嬉しくて
気にしてなんかいなかった

「いいよ…お父さん、あたしは…」

有無を言わせないイザークの態度と
あっさりそれを受け入れるノリコ…

亭主関白なのか…

イザークが間違ってノリコを送り返してきた理由は
とうとう教えてもらえなかったが
故意ではなかったらしい…
あの後…ノリコはぷんぷんと怒って
イザークがおろっとしているのが面白かった

この二人、 見ていて結構楽しめそうだ…と
家族は微笑ましく(?)見守る事にしていた



ノリコは…その『学校』に行きたいのかもしれんな…
イザークは、「いいよ」と言ったノリコの様子を見てそう感じた

伊達に長い事一緒に旅をしてきたわけではない
ノリコがその言葉と裏腹にどんな気持ちでいるか
おれにはわかる…

『ノリコをもっと信じておやり…』
別れる前にガーヤはそう言っていた

『他の男とノリコが話そうが
 少し笑いかけたくらい何だって言うんだ
 ノリコにはもうあんたしかいないってことは
 よくわかってるだろ』

ああ…わかっている、ガーヤ
だが…
毎日、朝から夕方までノリコを
その…男もいっぱいいるという『学校』へ送る事など…
おれには我慢ができん



「ノリコ…」
「なあに?」
「行きたいのか…その『学校』へ?」
「え」

一瞬ノリコは戸惑ったように目を伏せた
「気にしないで…イザーク、別に…あたしは…」

行きたいんだな…

「行きたくなんか…」
そう言うノリコを遮るように、イザークは父親を見た

「おとうさん」
「は?」

はっきりとだめだと言っておきながら
ノリコの様子を見たイザークの気持ちが揺らぎ出したのがわかる
やはりノリコのほうが優勢のようだ…

そんな二人の様子を楽しんでいた父親は
突然イザークに呼びかけられて、間の抜けた返事をしてしまった

「おれも…その『学校』へ行けるか?」

「へっ」



「それではノリコさんは二年生に
 イザークくんは三年生に編入ということにしましょう」

校長には、ノリコは父親が一年以上の取材旅行に連れて行ったため
二年生の途中で高校を中退したままで
イザークは旅行中に知り合い、とある事情で日本に来た青年…
ということにした
随分御都合主義だな…と思われたかもしれないが
もともとそういうことを面白がるタイプだったので
深い理由は聞かずに受け入れてくれた


「なんだと…」

校長の机の前にノリコや父親と並んで座っていたイザークが
いきなり立ち上がると、ばんっと机に両手を置き校長を睨みつけた

「おれをノリコと同じクラスにしろ…」
「…」
「あ…イザークはまだ日本語の言葉使いが…特に敬語が苦手で…」

父親がフォローしている間に
ノリコが必死にイザークに呼びかける

『イザーク…先ず座って…それから校長先生に命令形で話さないで』

不承不承座ったイザークが
「…同じクラスにして欲しい」
と言い換えた…顔はひどい仏頂面だったが…

「それは…いくらなんでも年齢的に…無理だね」
三年生にしても二つも年上になるのだから、ぎりぎりの許容範囲だ
校長は少し怯え気味に…だが、きっぱりと却下した

『イザーク…違うクラスでも同じ建物の中だし…
 何かあってイザークを呼んだら
 すぐに来られるくらい近いのよ…』

これ以上ごねると
ノリコがやはり学校へ行くのをやめると言い出すのが目に見える

「…わかった…」
無念で歯噛みをしたいような思いで、イザークは承諾した


「…っふう…」

三人が出て行くと
校長は張りつめていたものが急に解けたかのように息を吐いた

「すっごい迫力でしたね…」
教頭が感心したように言った
「あれで…まだ二十歳そこそことは…」

「Cだな…」
「えっ…」
「C組に入れよう…」





「ねえ…知ってる? 三年に来た留学生…」
「見たわよ…めっちゃカッコいいの…」
「C組でしょ…あのクラスってすっごいハイレベルだよね…」


「むっっ、あの女子たち…また掃除をさぼっておしゃべりして…」
「あはっ、あの土を掘るとき使うやつ」
「それはシャベル」
「じゃあ、赤ちゃんがいつもくわえている…」
「それはおしゃぶり…」
「友美…いちいち突っ込まなくても…」
「千賀ちゃんこそ、モップ振り回すのやめて…」
「それより三年C組って男鹿先輩のクラスだよね」


授業から解放された生徒たちがはしゃぐ放課後の校舎は
喧噪に包まれている


…ったく、なんて騒々しさだ…

こんな狭い空間にこれほどの人数…
しかも同年代の若者が集まっていることなど
向こうの世界ではありえなかった


ドンッ
廊下に立っているだけで人がぶつかってくる

「きゃあっ、ご…ごめんなさい」
「…いや」

言葉少なく答えられて、気を悪くしたんだろうかと
ぶつかってきた女子がぐいっと伺うようにおれの顔を覗き込んだ
いきなり至近距離に顔を近づけられて戸惑ってしまう

「弥生くん…」
声をかけられて振り向いた途端に、彼女ははにかんだような笑顔になった
「悟さん?」
「眼鏡は…?」
「それが…教室に忘れてきて…」

はぁ…と、悟と呼ばれた奴はため息をつくとおれを見る

確か…同じクラスだったか…

「すまない、こいつほとんど見えていないんだ」
「気にしなくていい…」

そいつは、眼鏡を取りに行こうと言って
彼女の腕を取って教室へ向かっていった


『イザーク…』

ため息をつきそうになったおれに
ノリコの声が響いてきた

『ノリコ…どうした?』
『ごめん…クラスメートにつかまってしまったの
 少しだけ待っていてくれる?』
『構わん…ここはうるさいから、昼を食べた所にいる』
『うん、わかった…』


イザークは校舎の裏庭に向かって歩き出しながら
昼休みの出来事を思い返した





「ノリコ… 」

休憩のたびに校舎を案内するだとか
教科書を取りに来いとか用事が入ってしまった
昼休みに裏庭でやっとノリコと会えて
思わず抱きしめようとしたが

「だめっ…」
赤い顔をしたノリコに拒否されてしまい
差し出した手を引っ込めた

「ごめん、イザーク…でもここでは」
「ああ…」

目立つ行為はするなと、釘を刺されていた
ノリコを抱きしめる事も、その一つなのだろうか…


「お腹空いたね…」
ノリコは大きな木の下に座るとバッグから弁当を取り出して並べ始めた

「今日ね…早起きして作ったのよ…」

そんなことは知っていた…
目覚めた時…隣にノリコがいないのが少し寂しかった

周りを見渡せば、カップルやグループなどが楽しげに弁当を広げている

平和な世界だな…




「授業…初日、どうだった?」
「ただ座ってただけだ…」

歴史だか英語など…さっぱりわからん


ノリコはふっとため息をついて肩を落とした
「やっぱり…退屈なのね」
無理してつきあってくれてるんだもの…

「いや…」

イザークは慣れない箸で卵焼きをつまんで食べている

「おまえが楽しそうだったから…」
「!」

おむすびを口に運ぶ手を止めて、上目遣いにノリコはイザークを見ると
イザークも可笑しそうな顔をしてこちらを見ていた

「イ…イザーク、もしかして…ずっと、あたしのこと…」
「気が乱れないか…探っていた」
何かあったらいけないからな…などとごちる

「イザークってば…
 ここはね…危険なことなんかないのよ…」
「そうか…?」
「第一…毎日あたしの気ばっかり探るつもりなの?」
「迷惑…か?」
「そうじゃぁないのっ!
 そりゃあ、こっちに来たのは不本意かもしれないけど…
 せっかくなんだから、もっと楽しんで欲しいの」

「楽しいぞ…おれは」

面倒くさくなったのか、フライを手でつかんでいる
明日からはフォークを持ってこなくちゃ…
ノリコは頭の中にメモった

「ただ…おまえの気だけを探っていればいいんだ…」
ぼそりとイザークはつぶやいた

「悪くないが…」

ノリコはイザークの言葉にはっと息をのんだ

そうだ…生まれて初めて彼は
退屈とも言える…穏やかな時間を過ごしているのかもしれない…

彼は子どもの頃から化物だと家族や周りの人に疎まれて
家を出た後も、たった一人で運命から逃れようと孤独な旅をして
いつだって…気を休める事なんかしないで…
あたしと出会った後も、何度も戦い…傷ついて…
元凶が消えた後も、請われるままに国や人々を助けて…

のんびりと楽しく過ごす…なんて無縁の毎日
考えてみれば彼はまだ二十歳の若者なのに…

いつまでここにいられるかわからないけれど
その間は、彼にもっとこの生活を楽しんで…
お兄ちゃんの言葉を借りれば
青春をエンジョイしてもらわなくっちゃ!

この世界に戻ってきたのは
そういう使命があったのかもという気がして
ノリコはぐっと握りしめた両手の肘を曲げてポーズをとった
座ったままだったが…

「ノリコ…?」
イザークは不思議そうにノリコを見た




「あん…女(スケ)がいたのか、あんた…」

え…と、ノリコが顔を上げると
いかにも柄の悪そうな学生数人に囲まれていた

「女の子たちにきゃぁきゃぁ言われて、
 いい気になってたくせによ…」
じーっとイザークを睨め付けながらもへらへらと笑っている

「いい気になっていたつもりはないが…」
落ち着き払ってそう言ったイザークの答えが
気に入らなかったらしい…

「なんだと!」
いやらしい笑いが引っ込んで、青筋をたてて怒り出した

ノリコは青くなってイザークに視線を戻すと
イザークは 興味無さそうにそっぽをむいている



「ねえ義くん…あの人…うちのクラスに入った…
 イザークって言う留学生…」

少し離れたところでお昼を取っていた四人組の女の子が
ノリコたちに気がついて、傍らにいた男の子の肩をつついた

「なんか大変な事になってるよ」
「…ん?」

義くんと呼ばれた男子が彼女の視線を追って振り向く

「うわっ…早速不良に目をつけられたか…」

「彼…すっごくカッコいいって女子たちが騒いで、目立ってたからね」
「ええっ…ワッコのクラスに、もう知れ渡ってるの?」
「そういう噂はあっという間にひろがるもんよ…」
「見栄えはいいが…細っこい優男だからな…
 不良たちの格好な餌食ってとこか…」
「き…吉祥寺くんてば、落ち着いている場合じゃ…」
「大丈夫だよ…ほら」
そう言って吉祥寺と呼ばれた男は片目をつぶった

「え…?」



二人を取り囲んだ不良の一人がノリコに目を留めた

「見慣れない女だな…結構かわいいじゃないか
 おれたちとも遊んでくれないかなぁ…」
そう言いながらノリコに手を伸ばしてきた

「だめぇっっっ!」
ノリコが大声で叫んで、不意をつかれた不良の手が止まった

「あたしにさわっちゃ、だめっ…!」

ノリコは恐いくらい真剣な顔で
触られまいと両腕をまわして身体を守る

そんなことしたら…イザークがきれちゃうよ…
目立つなって言われてるのに…

「なっ…なんだよ…驚かすんじゃねぇよ…」
「へへ…気が強い女も好きだぜ」
止めた手が再び動いて、両肩をがしっとつかまれた

やだっ、もう…初日っからこんな事に…
このまま騒ぎになったら、学校にいられなくなっちゃう…
せっかくイザークに楽しんでもらおうと思ったばかりなのに…

イザークが静かに振り返る気配がして
ノリコは泣きたい気持ちになった、その時…

ダン!

地面を踏みしめる音がしたと思ったら
不良たちがぎょっとなってノリコから手を離した

「い…行こうぜ」
それまでの勢いはどこかにいってしまったらしく、すごすごと逃げて行く

「えっ…?」

ノリコは、不思議そうに音がした方を見た

背の高い…イザークと同じ位かな…男子が立って
無表情にこちらを見ていた

強いんだろうなぁ
不良たちをひと睨みで退散させちゃうくらい…

「あの…助かりました…どうもありがとう…」

「…」

彼は黙ったまま視線をイザークのほうに向けた
ノリコも振り向いてイザークを見る
イザークは胡散臭げに彼を見ていた

「?」

イザーク、この人に興味を持っている…?
そんなことめったにないのに、気のせいかしら…

その彼は黙ったまま、くるりと背中を向けて去って行こうとした

助けてもらったんだから…
名前くらい聞いとかなきゃ…

「あの…」

従来の人なつっこさでノリコは訊ねる

「あたし…立木典子っていいます
 今日二年に転入したばかりで…そして彼は…」

「知ってる…同じクラスだ」
彼が初めてしゃべった、背を向けたままだったけれど…

「えっ…そうなの?」
イザークに訊いた

「ああ…」
イザークは相変わらず彼の背中から視線をはずさない

「あ…あなたは?」

その人は顔だけこちらに向けると言った

「おれは…藤臣功」



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by 彼方から 幸せ通信