文化祭


「あ…あの…」

授業が終わって、イザークのもとへ行こうとするノリコに
隣の席の大人しそうな女の子がおずおずと話しかけてきた

「立木さんって、ずっと海外に行ってたの…?」
「う…うん…おとうさんが作家なんだけど…取材旅行で
 せっかくいい機会だからって、連れて行かれちゃって」

嘘をつくのが苦手なノリコは、ひたすら父親が創作した話をなぞる

「うわーっ、なんかカッコいい…」

素直に感動されて、良心の傷みをおぼえながら
しどろもどろにノリコは答える

「そ…そんなことないよ…ちょっと変わった父親で…
 あたし的には…ごく普通の父親がいいな…とか思っちゃうもの…」

「え…でも…」
その女の子は屈託のない笑顔で言った

「お父さんは、立木さんのためにその方がいいと思ったんだよ
 わたし、両親がいないから…羨ましいな…」

ずきん…と、ノリコの胸が痛んだ

それまでは、イザークを待たせては悪いから
話を適当に切り上げて…と思っていたのだが…
きちんと相手をしてあげなければいけないような気になって
イザークに少し待ってと伝えた

「え…と、あなた…」
「あ…わたし、志野原千津美…」

筆箱を落としたり、立ち上がりかけて椅子と一緒に尻餅ついたり
ドジなところもあるようだけど…
素直で優しい女の子みたいだ


「ところで、立木さん!」
いっきなり千津美の後ろ側から彼女の友達が二人顔を出した

「3Cにきた 留学生の彼女があなたってほんとなの?」
「なんでも一緒に住んでいるとか…」

早いな…話が広まるの…

「うん…おとうさんの取材旅行中に知り合って…」
「まあ! どこの国の人…?」
「それは…言えないの…ごめんね」
「きっと、あたしたちが動揺するほど危険な国なのね…」
「中東とか…紛争地帯かしら…」
「え…あ…」
「…で、恋人なんでしょう…その彼と」

「うん」
本当はもう夫婦なんだけどな…

「危険な状況で実らせた運命の恋…ってことかしら?」
「うわー、なんかロマンティック!」

あながち嘘ではないけど…
やっぱり後ろめたくてノリコは話題の転換をはかった

「それがね…彼、急に環境が変わったせいか
 学校生活になかなか馴染めなさそうで…
 なんか楽しめるような事ないかな…」

「あら…もうすぐ文化祭があるし…」
「その後、体育大会もあるから…きっと大丈夫よ…」
「そうよ、この志野原さんだって昨年の体育大会で
 彼氏ゲットしたんだから…」
「えー本当?…でもイザークが彼女ゲットしちゃったらやだな…」

ちょっと冗談のつもりで笑ったのだが
志野原さんがなんかひどく暗い顔になってしまった

「ど…どうしたの…志野原さん」
「うん…実は今日…三年の女子に…
 『こんな子、藤臣くんが好きになるはずないわ…』
 って言われちゃって…」
「ひどい!!
 …てか、志野原さんの彼氏って藤臣さんなの?三年C組の…」
「えっ…立木さん、藤臣くんを知ってるの」
「うん…今日ね、不良に絡まれた時助けてもらっちゃって…」

「そ…そういえば噂で聞いたわよね…」
「うん…でも…」
友達二人は何気にノリコに気を使うような視線を送る

もう噂になってるんだ…本当に早すぎるよ…

「あ…立木さんの彼って不良に囲まれて
 目も合わせられずに震えていたっていう人なんだ」
急に回復して、千津美が明るく言った

「へ…?」
「良かったね…藤臣くんがきてくれて…」
「う…うん…」

今のは…なに…?
なにか妙な感じがしたけど…

「でも…わたしってやっぱり藤臣くんとは釣り合わないのかな…」
千津美の落ち込みモードがリセットされたようだ

「わたし…すっごいドジで藤臣くんに迷惑ばかりかけて…」
「そんなことないよ…藤臣さんは志野原さんの事
 好きだって言ってくれてるんでしょ…」

うっ、と更に暗い波が押し寄せてきた
「…わたし…まだ一度も…好きだって言われた事ない…」

「えっ…」
あたし…地雷を踏んじゃったみたい…

先ほどまでいた彼女の友人や、その他のクラスメートも
いつのまにか姿を消して教室には二人きりになっていた

「わたしなんかチンケでブスで取り柄もなくて…」
千津美が底なし沼のようにどんどん落ち込んでいく

「そんなことないよ…志野原さんカワイイよ…」
「こんなわたしを…藤臣くんが本当に好きでいてくれるのか…」

一生懸命なだめるが、ノリコの言葉など全く耳に入っていない
気がつくとあたりはもう暗くなってた


「志野原…」
教室の入り口に功が姿を現すと
千津美はそれまでうな垂れていた顔をぱっと上げて
にっこりと微笑んだ

…?

「藤臣くん…もう部活終わったの?」

千津美の問いには答えず功は手を差し出す
「帰ろう…」

「おしゃべりできて楽しかったわ。さようなら」
その手を嬉しそうに握ると、千津美はノリコに明るくそう言って
功と仲良く帰って行った

「…」

あれはいったいなんだったんだろう…
まさか彼を待っている間の時間つぶしの相手をさせられたんじゃぁ

ノリコはぷるぷると顔をふって

だめ…そんなこと考えては…
そうよ、志野原さんが笑ってよかった…

ノリコは自分に無理矢理そう言い聞かせる
それから、はっと気がついた

イザーク…!

彼の事をすっかり忘れていた
志野原さんをなだめるのに一生懸命で…
呼びかけられても気がつかなかったかも…


慌てて裏庭へと急いだ





イザークは裏庭にある大きな木に背をもたれて座っていた
腕を頭の後ろに組んで
ぼんやりと暗くなりかけてきた空をみつめている

ノリコは数メートル離れた所で足を止めた

太陽、月、星…
彼の…じゃなくて、あたしたちの世界も同じ
夕方になればこうして日が沈み、そして星が輝き出す
向こうに飛ばされたばかりの頃、あたしはよく空を見て
不思議な気持ちになったものだ
彼もきっと同じ思いでいるのだろう

「ノリコ…」
彼があたしの名前を呼んだ
ただそれだけで…泣き出したくなるほど嬉しくなった
どこにいるのかなんてどうでもいい…
彼がこうして一緒にいてくれる…それでいい

「ごめんなさい…遅くなって」
「どうした…そんな所に立って」
「だって…イザークがぼんやりしているのって…めずらしいから
 つい眺めてしまったのよ…」

くすっとイザークは微笑うと、こっちへこいという仕草をした

隣に座ろうとすると、いきなり腕をつかまれて引き寄せられた
ぼすっと彼の膝の上に乗せられ、そのまま唇が捉えられる
「ん…」
思わずついた吐息と共に開かれた唇の隙間から
イザークの舌が割って入ってきて…

「!」
地面に押し倒されたノリコは必死でイザークの口づけから逃れる

「だ…だめ…イザーク…」
「今日はやけに『だめ』が多いな…」

耳朶を軽く噛みながら囁かれて、ノリコは身体を震わせた

「…こんな…ところで…」
「抱かれながら星を見るのが好きだと…言ってただろう」
「…見えないよ…ここは」

青々と茂る木の葉が、空を隠している

「制服が…汚れるし…」
「今、脱がしてやる…」
「誰か来るってば…」
「もう…誰も居まい…」

いる…絶対、警備員さんとか…

首筋を唇でなぞられ、彼の指が制服の下に侵入して来る
理性が切れるぎりぎりのところで

「ここ…学校なんだから…」

ノリコはイザークの身体を両手で押し返そうとする
もちろん、そんな力ではイザークはびくともしないのだが
ノリコの意志は尊重された

「…だめ、なのか?」

イザークに顔を覗き込まれて
ノリコは熱のこもったうるんだ瞳でかろうじてこくんと頷いた

本当はあたしだって…

仕方なさそうにイザークは身体を離すと、ノリコを抱き起こした
そのまま、昂った熱を冷ますかのように二人は動こうとしなかった


「午後も…ただ座っていたの…?」
沈黙を破ってノリコが聞いた

一日中、イザークはただ教室に座っていて
ここでも随分待たされて…
あんなことしたくなるのも無理ないよね…

ノリコは申し訳ないような気持ちで一杯になった

「いや…最後の時間は『文化祭』とかいう行事の話し合いだった…」
「ふーん」
「…グループに分けられて…」
気のせいかイザークは少し嫌そうな表情をした

「グループの人たち…気に入らないの…?」
「わからん…少し妙な気になる…」

あたしが志野原さんに感じたのと同じかしら…

「あの…藤臣という男も同じグループだ…」
「あ…あたしのクラスにあの藤臣さんとつきあっている子がいるのよ」
「そうか…あいつでも彼女がいるんだな」

話し合いの際中だって、一言もしゃべらなかった…
あいつはいったいどうやって女を口説いたんだろう…

「そういやイザーク、藤臣さんの事じっと見ていたよね…どうして?」
「だから…よくわからん…」
「まさか、魔の種を持っているみたいな邪悪な感じとか…」
「そういうわかりやすいものならいいのだが…」

ノリコは冗談のつもりだったのだが
イザークは口に手をあてて考え込んでしまった

「何も同級生のこと、そんなに真剣にならなくても…
 大丈夫よ…害があるわけではないんだから…」

納得のいかない顔をしているイザークを、ノリコは一生懸命宥める

今日のあたし…宥めてばっか…

「それで、イザークたちは何をやるの?」
「焼きそば…というものを売るらしい…」





文化祭当日…


「イザークはキャベツを切ってくれ」
焼きそばの屋台で包丁を渡された

「刃物が恐い…とか言うなよな」

ぎょっとなったイザークは、グループ長の矢野という男を見た

「いや…今はもう平気だが…」
「はは…きみ、意外と冗談も言うんだな…
 刃物が恐いとか言ってキャベツ担当から逃げた奴らがいるんだよ」

指差した方向には、そんな繊細さは持ち合わせていないような猛者が
二名立っている

「柔道部の元主将と剣道部の元副主将だぜ…
 …ったく、何考えてるんだか…」

おれたちのほうがよっぽど『なまっちろい』のにな…
矢野が笑いかけてくる視線から目をそらして
山と積まれたキャベツをみつめた

「イザーク…」
突然耳元で超艶っぽいテノールが聞こえ
ぞくっと鳥肌たったイザークは包丁を落としそうになった

「おっと…気をつけて」
確か…男鹿と言ったな…そいつが気障な笑いをして後ろに立っていた

「ぼくもキャベツ担当なんだけど…ちょっと後輩にね…
 告りに行きたいんだ…少しだけ抜けていいかな…」

なぜ男の声でここまで動揺しなければならん…

「…ああ」
「サンキュー」

そいつは片目をつぶるとさっさと歩き出した


「今日…弥生くんがさ、眼鏡を家に忘れたらしくて…」
宝崎がエプロンを放り投げた
「おれ…一日付き添ってやらなくてはならんので…悪い…」

その女の子をここに連れてきて座らせておけばいいのではないか…
素朴な疑問がわきあがるが、口を開く前に姿が消えていた

敏捷な動きだ…さすが柔道部元主将だな…


そして…
腕を組んで立っている藤臣と目が合った

こいつは何の担当なんだ…

「志野原が焼き鳥屋をしてるので…」
珍しく自分から話し出した

「ちょっと見てくる」
そう言って立去ろうとするやつの腕をつかんだ

「こら待て…ノリコだってそこで働いているんだぞ」

「ノリコ…?」
振り向いた藤臣は、少し考えてから言った
「…立木か」
人の女房を呼び捨てにするな…

「彼女は大丈夫だ…」
なぜそう言いきれる…

「志野原は…ああだから」
「ああ…って…
 あんたが何を言いたいのかさっぱりわからん」

功はつかまれていた手を外し、ほんの少し口の端を持ち上げると
「ん…」
とだけ言って、くるりと背を向けた

『ん』ってなんだ…説明になってないぞ…

ポケットに両手を突っ込んで歩き去る功の後ろ姿を
イザークは呆然と見送った


「あははは…」
後ろから笑い声が聞こえてきた

「無口で過保護だからな…藤臣は」
矢野が可笑しそうに言った

無口で過保護はおれの専売特許だったはずだが…

「まあ…ぼくたちが炒めて売るから…
 イザーク、君はキャベツを切って」

残ったのは矢野と、このグループで唯一の女子と、おれか…


仕方なくキャベツを刻みはじめた

「熱っ」
女の子が叫んで指を抑えた

「どうしたの、聖ちゃん?」
「ちょっと指先を火傷しちゃったみたい…」
「えっ大変!早く保健室行かなくちゃ…」
「大丈夫…義くん、大した事じゃないよ…」
「だめだよ、ぼくも一緒に行くから…」

えっ…とイザークがキャベツから顔を上げると

「もう炒まってるから…火消しといて…」
後は頼むと、彼女を引っぱって保健室へ飛んで行ってしまった

「…」

指先を軽く火傷しただけだろ…
藤臣を過保護だと笑った口で、なにが『大変』だ…
こいつらに比べたら、おれなんぞひどくまともだぞ…ガーヤ…

はっと気がつくと
ジュウジュウと焼きそばが音を立てている

火を…消せばいいのか…

フッとイザークは気を放って火を消した


シュウシュウという音とともに
辺りに異臭が漂い始めた

「何をしてるっ!」
通りかかった先生が、いきなり屋台の裏に飛び込んで
下にあったものをいじった

「弁を締めないと…放っておいて引火したら…
 君は…この辺全てを吹っ飛ばすつもりか…」


なんだと…

イザークは辺りを見上げた
鉄筋コンクリートの5階建ての校舎は、占者の館と遜色のない建物だ

これも破壊するところだったのか…
この世界に来てまで…おれってやつは…


先生が言った「この辺」は、屋台のことだったのだが…



「ねえ…焼きそばちょうだい」

茫然自失だったイザークはその声で我にかえった

鉄板の傍に重ねられているプラスチックの容器を手に取ると
焼きそばを入れて渡した

「いくら…?」

…いくらだ…?

値段は聞いていなかった

どうすればいい…

「じゅ…十円…」
思いつきで言ってみた

「えーっ、うそ!」

おれは嘘つきにもなってしまったらしい…

「じゃあ、あと10個ちょうだい!」

焼きそばは瞬く間になくなった

十円焼きそばの評判はあっという間に広まって
早く次を作れと人が集まってくる



「…」

両手に持ったフライ返しをじっと睨みつけてみたが
答えは返ってこない…

当たり前か…

キャベツは先ほど刻んだものがたくさんある
細切れの肉もたくさん容器に入っている

確か…これと麺を別々に炒めて
最後にソースと一緒に混ぜていたな…

それほど難しい事には思えんが…

問題は火だ…

あれ(ガスボンベ)はいじりたくない…
一歩間違えれば、天上鬼の力を解放しなくても
おれは破壊の化物となってしまう…

かくなる上は…

静かに気を集中させたイザークの瞳が細く輝き
鉄板の下にぼぉっと火が広がった

そのまま、焼きそばを炒め始めた





「イザークってば…大丈夫?」

家へ帰る途中の電車内で
がっくりと身体を手すりにもたれさせるイザークに
ノリコは心配して声をかける

イザークの体力…尋常じゃないのに
ここまで疲れるって…

「一日中…力を使ってしまった…」
「えーっ、ここでは使わないって約束したでしょ…」
「だが…」



焼きそばは完売した

長時間、気を集中させ火をおこしながら焼きそばを炒めるという
慣れない作業をこなしていたので身体は疲れ果てていた

そこに持ってきて、戻ってきた面々から罵声を浴びせられた
売り上げが原価の10分の1にも満たないそうだ…

いったいこいつらは…

艶テノールで罵しっている奴…
後輩に告るのにどれだけ長く話さなければいけないのか…
おれがその子だったら、絶対こんな奴とつきあわんぞ
保健室に行ったやつらも、結局店仕舞をするまで戻ってこなかった
指先の火傷で、いったいどんな治療をしたんだ
一番まともなのは、今日は彼女に付き添うと宣言した柔道部元主将だな
少なくとも最初から自分をあてにするなと言ったのだから

そして…
「ちょっと見てくる」と言って消えた藤臣…
とうとう戻ってこなかったな
まあ…ここにいたところで、あいつからは罵声は聞けまい
聞いてみたいような気もするが…


精神的なダメージも加わってしまったイザークは
怒りのコントロールが上手くできずに
天上鬼が出てきそうになったのを必死で抑え
さらに疲労してしまったのだった



「そっちは…どうだったんだ?」
もうその事は忘れたいイザークが、掠れた声でノリコに訊いた

「うん…すっごく、いっぱい人が来てね、忙しかったよ」

同じように忙しくてもノリコは楽しそうだな
それはそれでよかった…

「当番は交替しなかったのか…」
当番じゃない時は遊びにくると言っていたのに
一度も来なかった

「ごめんね…遊びに行けなくって
 弥生さんは眼鏡忘れて使いものにならないし
 友美は先輩に呼び出されて裏の公園に行ったまま帰ってこないし
 千賀ちゃんは箒もって男の子追いかけていっちゃうし
 楓はボケに突っ込んであげなかったら寂しそうに姿消してしまって…」

おまえもか…

「あたしと志野原さんだけ…一日中働いていたのよ…
 要領悪いのかなぁ… 」
「志野原…藤臣の彼女か…
 では藤臣は店にいたんだな…」
「ううん…彼ね…ちょっと離れたベンチに座ってた」
「?」
「志野原さんがドジしてお客さんに怒られたときだけやって来てね
 怒っている人たちを睨みつけるの…
 志野原さん…しょっちゅドジするから…
 藤臣さんも一日中見ていなくちゃいけなくて…大変だよね」

それを大変とは言わないような気がするが…

「ベンチに座って…見ていただけか…」
「そう…ずっと見ていたよ…」

ちょっと羨ましかったなぁ…とノリコは微笑んだ

「ずっと…?」
「うん…ずっと…」

はぁーっ…とイザークは、盛大なため息をついた



風が吹いて…
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by 彼方から 幸せ通信