体育倉庫


二時間目の終了を告げるチャイムが鳴った

短い休憩時間の間に一目でもノリコの顔が見たくて
イザークは階下にある彼女の教室に向かうが…

「おっ…イザーク、いいところで会った」
階段の踊り場で、担任の体育の教師につかまってしまった

「これを倉庫に戻しておいてくれ…」
有無を言わせずリレーのバトンを数本押し付けられた

「…」


もうとっくに気づいていた…
この学校の人間…先生や生徒すらも、人使いが荒い
隙あらば人に用事を押し付けて
自分はさっさと姿を消す

こいつらと比べたら…
アレフが可愛く思えてくるほどだ



体育倉庫は裏庭に通じる通路の脇にひっそりと建っている
引き戸を開けようとするが動かなかった
鍵はかかっていないと先生は言っていたが
何かが内側でつっかえているようだ

面倒くさいので力任せに開けると
バギッ…と何かが折れるような音がした

「きゃあっ」と女の子の悲鳴があがって、ぱたぱたと男女の学生が
制服の乱れを慌てて直しながら飛び出してきた…

「…くんたら、つっかえ棒しなかったの…?」
「おかしいな…ちゃんと…」
そんな会話を交わしながら行ってしまった

戸の内側には折れた野球バットが転がっていた


ほこりとカビ臭い倉庫の中に
かすかに男女の交わりの匂いがこもっている
イザークは床に何枚か重ねられたマットを見た

なるほど…そう言う事か…


バトンを所定の位置に戻すと
倉庫から出しなにもう一度振り返って中を見た

「似てなくもないな…」

狭い所にいろいろな道具が置かれているそこは
以前ノリコに背負われて行った場所を彷彿させる
ノリコはぽろぽろと涙を流して
震えながらおれを壁に押し付けていた
ノリコを拒絶することしかできなかったおれの心に
その時…彼女が残した暖かい一点の染み…
それは静かに広がっていって
今ではおれの全てを征服している

彼女をここに連れてきてみようか…
そんな悪戯な気持ちになった



「いやらしいこと考えているね?」

突然耳元で艶を帯びた声がした

「うわっ」
イザークは飛び上がって身体の向きを変えると
三メートルほどその声の主から後ろ向きに遠ざかった

「おや…意外と素早い身のこなし…」
不思議そうにそいつが言った


ここは人が多すぎて、いちいち気配を感じるのに疲れてしまい
おれはひどく無防備になっている
ノリコはそれが嬉しいと言ってくれたのだが
後ろに人が立っても気づかないとは…
やはり気を緩めすぎたか…


「君の身体能力は低いって聞いてたのだが…」
男鹿は顎に手を当てて興味深げにイザークを見ている

「…なんの話だ…」
イザークはもう後ろは取らせまいと
倉庫の壁に背中をぴったりとあてている

「いや…」
ふっと倉庫の中に男鹿は視線を移した

「君…こんなところで彼女を抱きたいの?」
「なっ…」

絶句してしまったイザークを
含み笑いを手で隠しながら男鹿が上目使いで見た

「ここは、恋人たちの穴場でね…
 休み時間には結構熾烈な争いが繰り広げられるよ」
「別に…おれはそんなつもりでは…」
「でも、さっき彼女の事考えていたよね」

なぜわかった…

「丸わかり…」
くすっと男鹿が笑った
「君っていつも仏頂面のくせに、彼女の前では表情変わるから
 さっきは彼女いないのに、同じ顔してた…」

侮れん奴だ…

「 一緒に暮らしてるんだろ…
 こんなところでする必要ないだろうに…」
「だから…そうではないと…」
「そうか…彼女の家族が同じ家にいるのでは遠慮もあるんだな」

何を勝手に決めつけている

「ぼく、今ひとり暮らしだから…なんなら鍵貸そうか?」

余計なお世話だ…

その時、彼らしくない憂い顔になり
ふっと男鹿がため息をついた

「…少し…羨ましいな…」
「?」
「ぼく…彼女の家族と以前から知り合っちゃてさ…
 結構信用されているんだよね…姉さん以外は…」
「それが…?」
「そのせいで少し遠慮みたいな感情がどうしてもよぎって
 なかなかね…」

そう言って、やつにしてはめずらしく切なそうに…
その倉庫をみつめた

「ちょっと待て…」

イザークは額に片手を当てるとしばらく考えた

「確か…文化祭の時からつきあい出したと思うが…」
「そう…あの日彼女に告ったんだよ」

ああ…半日かけてな

「まだ三日しか経っていないのでは…」
「そう、もう三日も経ったのに …」

「…」

イザークは 今度は両手で頭を抱えた

「どうかしたの?」
「ちょっと…頭痛が…」



三時間目の始まりのチャイムが鳴り始めた
とうとうノリコに会えなかった

「おや…休み時間が終わってしまった…
 君と話していた所為で、星野さんのところに行けなかったな」

メラっと怒りの炎が燃え上がりそうになるのを
イザークは必死で抑える

「行こう…次は文化祭の反省会だよ」


 


「男鹿…やったな…」
宝崎が親指を立てて笑った


「先生…」
グループ別に反省会を始めようとした時に男鹿は手を挙げた

「なんだ…男鹿?」
「イザークが先ほどからひどい頭痛で苦しんでいます
 外の新鮮な空気に触れたほうが良いのでは…」

そして、このグループだけ屋上で反省会をするのが許されたのだ


こいつら…おれをだしにまで使う気か…


「美味しいよ…これ、聖ちゃん」
「ほんと…?初めて作ったんだ…」

矢野と倉石という女子が座って仲良く弁当を食べ出した

「まだ三時間目なのに…あとで腹がへるぜ」
そう言いながらも、宝崎は羨ましそうな顔をしている

あの眼鏡の彼女が
(…と言っても未だ眼鏡をかけているところを見た事がないが)
ここにいたなら、こいつも絶対食べていたな…


イザークは腕を組んで立ったままその連中を見て言った
「おい…反省会は?」
反省すべき事は一杯あるはずだぞ…

「は…?」
みんなは不思議そうにイザークを見た

「反省って…げほっ」
何かを言いかけて矢野が喉を詰まらせた

「だ…大丈夫…義くん、死なないで…」
大げさなのはお互い様か…


「!」

後方に気配を感じたイザークが、ばっと振り返ると
男鹿がそこに立っていて恨めしそうな目で見ていた

「10円焼きそば…」
呻くようにそう言うと、信じられないように頭を横に振る
「…せめて200円で売ってもらいたかったね…」

「300円にしようと思ってたんだよ」
復活した矢野が恨めしそうに言った

「500円…」
金網に手をかけて外を見ている功が
背を向けたままぼそっとつぶやいた

「…さすがにそれは高いだろ…」
宝崎がぷっと吹き出すと
振り返った功が柔道部元主将をじっと睨んだ

「…反省事項は値段設定のミスだけだな」
慣れているのかそれほど動じず
それでもぱっと締め括ったあたり
やはり、やばいとは思ったんだろう


「…」

イザークは、その成り行きを唖然と聞いていた

お金を持っていないので
こちらの世界に来て買い物などしていなかった

食べるものも着るものもすべてノリコの家族任せだ
向こうではノリコが散々世話になったのだから、気にするなと言われた
不本意だが、どうしようもないこともある
だから値段を訊かれた時
こちらの相場など知らないイザークの頭の中はゾル換算だった

向こうでは150ゾルも出せば、ノリコと自分の二人分の服一式が買える
10円と言ってしまってから、あのちっぽけな容器の食べ物が10ゾルでは
高価過ぎることに気づいて、しまったと思ったんだ
だから嘘つき呼ばわりされたときは背筋が凍る思いがして…

そんなことを考え始めたイザークは、はっとして頭を振る

違う…
なに言い訳を考えているんだ…おれは…
悪いのはこいつらだぞ



「そんなにイザークを責めても…もう過ぎた事なんだから…」
倉石と言う女子が、意外と正義感の強そうな顔で男子を見渡した

イザークは落としていた視線を上げて彼女を見た
彼女の背後に光の翼が見えるような気がした

「聖ちゃんは優しいな…」
蕩けるような笑顔で矢野が彼女を見た

「やだ…義くんたら…」
嬉しそうにそう言うと、イザークを見てにこっと微笑んだ

「イザークは受験しないよね…」
「ああ…」
「だったら心配しないで大丈夫…
 放課後バイトすれば、損害分すぐに稼げるよ」

ばさりと音を立てて、翼は光から天上鬼のそれに姿を変えた


屋台を放棄していなくなったことをなじってやろうと
身構えていた気がすっかり失せて
イザークはその場にがっくりと膝をついた



ノリコのクラスも反省会だった
せっかくのお天気だから…と裏庭に座って話している

当然ながら…
彼女のグループの話題は、とっくに別な方へ向かっていた
女の子が集まれば…言うまでもなく彼氏の話になって…

また落ち込み始めた千津美をノリコが一生懸命宥めていた

「…ぐすっ…好きって言ってもらえないのは…
 やっぱり三年の女子が言うように…
  藤臣くんがわたしのこと本当は好きなんかでなくて…」
「何言ってるの…文化祭の時だって
 ずっと見ていてくれたじゃない…」
「そう…藤臣くんにとってわたしは負担そのもので…」


「そんなだから、だめなのよっ!」

突然、キレたように友美がびしっと千津美を指差し
ノリコまでびくっとしてしまった

恐っ…友美、普段は温厚なのに…

「藤臣くんに好きって言ってもらえない自分を嘆くより
 好きって言ってもらえる努力をしなくちゃ…」
「で…でもどうやって…」

友美の言ってる事…間違ってないけど…
藤臣さんは「好き」と言わなくても態度で示しているのに…


冷たい態度であたしを突き放していた頃の
イザークを思い出しちゃうなぁ
あたしは不安でたまらなくて…
イザークも本当はすごく苦しくて…
だから…今がすごく幸せで…

うっとりと愛しい人との思い出に浸っていると
周りの会話が聞こえてきて、ノリコははっと我にかえった


「彼は…なかなか手強いかと…」
千賀ちゃんが珍しく弱気になってる

「千賀ちゃんの箒、指先で簡単に止めたものね…」
弥生がおっとりと笑って
「悟さんも…片手で受け止めたけど…」
ポッとピンクに染まった頬に手を当て目を伏せる

「男鹿先輩にはあっさり奪われたよね…」
友美も顎を両手で支えて嬉しそうに言った

「千賀ちゃんてば…男子全員に攻撃してるの…?」
ノリコが呆れて言うと…

「と…友達とつきあうようになった男は
 全員試してみることにしてるのよ」

ふーん、彼女なりに友達を気にかけてるってことかしら

「安心して…立木さんの彼氏は大丈夫よ」
千津美がにこりと笑う

ついさっきまであんなに落ち込んでいたのに…
前にもあったぞ…このパターン

ノリコは嫌な予感がして千津美を見た

「成瀬さんは、自分より軟弱な男は相手にしないから…」

「…」


わ…悪気はないのよね…志野原さんは…
でも…


「すきって言わせるなんて簡単よ…そんなこと」
自身の彼氏はテニス部仕込みのフットワークで
千賀の箒から逃げた楓が楽しそうに言った

「楓…また…」
千賀が不安そうに楓を見る

「人がぼけっとした時に見せるものは?」
「隙…」

千賀からやめろ…と視線で制されたが
いつもの癖で、ついうっかり友美は答えてしまう

「畑を耕すのに使うのは、鍬と…」
「鋤…」

「ほら…簡単でしょ…」

「…」





「男鹿…彼女とはどうなんだ…?」
「うまくいってるのかよ…」

矢野と宝崎が同時に男鹿に話しかけた
想っていた彼女と最近つきあいだした友を
一応は気にかけているようだ…

その話題か…
イザークは立てた片膝を抱え込むように
なるべくみんなとは距離を置いて座っていたが
話声は聞こえてくる…

「いやぁ…彼女の家族とね…」
少し不本意そうに男鹿が先ほどの話をまた始めた

「家族って大事だよね…」
矢野がにこりと倉石と目を合わせる
「私、自分ではなかなか気持ちに気づかなかったのに…
 兄さんは気づいてて…」
「ぼくも、姉貴にはハッパかけられたな…」
二人ですっかり盛り上がり始めた

「おれなんかさ…逆に彼女の母親が遊びに来いって
 無理矢理家に連れて行かれてさ…
 それで、彼女以外の家族は出かけてしまったんだよな」
思い出しているのか、宝崎の顔がにやけている

「向こうの家族に絡めとられたんだな…」
ふうむと男鹿が少し羨ましそうにつぶやいた


「イザーク…おまえたちは…どうだったんだ?」

突然話の矛先が向いて、びくっとイザークは顔を上げた

「お…おれたち…?」

興味深げな顔がずらりと並んでこちらを見ている

「出会ってからつきあうまでどのくらい…?」

なぜそんなことに興味があるのだろうか…

彼らの年頃にはもちろん、ずっと孤独な旅をしてきたイザークには
日本の高校生達の感覚がいまいちよくつかめない

当然…ノリで答えることなどできずに
律儀に心の中で指を折って数えた

「…半年ほど…」
「そんなに長くないよね…」
「うん、僕たちに比べればね…」
「はいはい、君たち…勝手にやってて…」

男鹿が呆れたようにカップルに言って
イザークはもう終わったものと安心したのもつかの間
次の質問が容赦なく放たれた

「でも…学校に行っていたわけではないんだから
 毎日会っていたということではないんだろう」




『嘘つくのって…いやだよね』
この学校へ編入する前、ノリコが悲しそうにそう言った

『本当の事が言えないから…仕方がないんだけど…
 ひとつ嘘をついたらそれを正当化する為に
 どんどん嘘を重ねなければいけなくなっちゃうんだよね…』

ノリコのそんな表情は
イザークにとってあまり嬉しいものではなかった

王女と騎士…
深く考えもせずに口から出てきた作り話ですら
彼女に辛い思いをさせてしまったな…

『お父さんが考えた話以外は、出来るだけ本当の事を言えば良い』
『イザーク…』
『おまえとおれで話がくい違ってきてもまずいだろう…』
『うん…そうだね』

そうしてノリコはニコリと笑ってくれたんだ…




「ずっと…傍にいた、一緒に旅をしたんだ…」

「…」

しーん、とその場が静まり返った

「い…一緒に旅って…朝から晩までか…?」
「ああ…」

「…でも…ずっとべったりってわけではなかったんだろう…」
「それは…」

あの地下の神殿でおれが戦っていた時…
ノリコが来るまでどれくらい時間があっただろうか…
ノリコがラチェフに捕えられた時は…

「数回…数時間だったが…彼女と離されたな…」

遠い目でイザークがそうつぶやくと
誰かがごくりとつばを飲み込む音が聞こえてきたが…

「…じゃあさ…彼女と初めて…」
容赦なく質問は続いていった





「…ねぇ…イザークってもてるよね」
弥生が遠慮がちにそっと訊ねた

「え…?」

「あんなに格好いいもんね…」
楓もうんうんとうなずきながら相づちを打つ

「3Cの女子たち…狙ってるみたいよ…」
おかげで嫉妬の矢の数が減ったと千津美がにこっと笑った

狙ってるって…あたしがいるのに…?

戸惑っているノリコに追い討ちをかけるように
千賀がちょっとだけ眉をひそめて囁く

「休憩時間にイザークが体育倉庫の付近にいたって聞いたわ…」
「体育倉庫…?」

ああ…知らないんだ…
みんなが何気に裏庭から見渡せるところにある体育倉庫に視線を会わせた

きょとんと、ノリコもそっちを見た

「あそこはね…」
誰ともわからないけれど耳元で囁く声がする

「恋人達の逢瀬の場なのよ…」

ますますもってわけがわからずノリコは小首を傾げた

「彼…もう、食べられちゃったかもね…」

え…




「おや…まだ頭痛がするの?」

男鹿が労るように声をかけた

告白したのはどっちだとか
キスしたのはつきあいだしてどのくらいか…など
延々と続く質問にイザークは頭を抱え込んだ


「それで…彼女と…」
「なぜ…そんなことに興味がある…」

キッ…と顔をあげてイザークが皆の顔を睨んだ…


「興味って…特にないけど…」
「だが…先ほどから…」

宝崎がつまらなさそうにそっぽを向いた

「だってねぇ…」
「うん…だものね…」

矢野と倉石が顔を見合わせると頷いた

「君が…あまりにも真剣に答えてくれるから…
 訊いてあげないといけないような気になってしまってね」

男鹿がイザークの肩をポンっと叩いた…

「……」




「た…食べられたぁ…?」

驚いて訊き返すノリコに
千賀がコホンと咳払いして説明を始めた

「3Cの女の子たちってね…
 目の前に、いい男がいっぱいいるのに
 指をくわえて見ているしかないでしょ…」

「そう…」

楓も一緒になって話し出す

「この子とか…」
指を刺された弥生の頬がうっすらと赤く染まった

「この子みたいに皆しっかり彼女がいるのよね…」
千津美は、いやん…と言って恥ずかしげにうつむく…

「唯一フリーだった男鹿先輩まで…最近友美とできちゃったし…」
エヘへ…と友美は照れて笑った

「矢野さんには聖子先輩がしっかりついているしね…」

「そう…それですっごい欲求不満な所に…
 超イケメンのイザークが転入してきて…」
「まぁ、言ってみれば…
 お腹を空かした獣がいる檻の中に投げられた極上の肉…みたいなものよ」
 
イザークがお肉ですかぁ…

「でも…だって…イザークにはあたしが…」

恐る恐るそう言うノリコに
だってねぇ…と、千賀と楓が顔を見合わせた

「他の人は皆ガードが固いし…腕っ節も強いから
 とてもじゃないけど、強引に迫れないじゃない…」

「イザークは軟弱っぽいし…
 外国の人って軽そうだから…案外誘えばのってきそう…ってね」

「倉庫に連れ込んで…押し倒したら抵抗しないかも…
 そう思われてるらしいわよ…」

「そ…そんな…いくらなんでもそこまでしないでしょ」

ノリコはまさか女の子が…と信じられずに
大げさなことを言ってると…微笑んだのだが…


「3Cの女子を甘く見たらだめよ…」
眼鏡を忘れたと言って…弥生が常に悟の興味をひきつけているのは
彼女なりの不安対策なのかもしれない…

「独断と偏見ですっごい思い込みが激しいんだから…」
もう散々な目に会っている千津美には
彼女たちがどれだけ人の弱みにつけこむかは身に染みてわかっている

「たった一人で、屋台やってたんだって…?」
不器用っぽいよね…と友美が心配そうな顔をした
男鹿先輩くらい飄々としていれば、そんな攻撃上手くかわせるけど…


そんなことは絶対あり得ない…とは思うけど…

イザークは優しい人だから…
女の子から迫られたら…
断ったら彼女が傷つくとか考えちゃって…

ぶんぶん…と頭を振って
ノリコは嫌な妄想を頭から振り払った


「あ…今…考えたでしょう…」

図星な指摘にノリコはかぁっと赤くなってしまった

「やっぱり…」

女の子たちは気の毒そうにノリコを見た

「…」





なにが暇つぶしだ…

「興味もないことを訊ねるくらいだったら…
 あいつみたいに黙っていた方がましなのではないか…」

やけになったイザークが
ずっと金網のところに立っている功を指差した

「え…」
「…」

初めて気づいたように、はっと男鹿と宝崎が功を見る

「あいつ…」
「しまった!」

え…と逆にイザークが驚く間もなく
二人は功の所へと駆け出していった


「やはりこういうことか…」

金網から裏庭にいる女の子達が見渡せた

「なに一人で楽しんでだよ…!」
「黙視癖もいい加減にしろよ…藤臣」

男鹿と宝崎から責められても…
功は微動だにせず裏庭を眺め続けていた

黙視癖…?

『…ずっと見ていたよ…』
そう言うことか…



「おい…体育倉庫が空いてるぜ…」

何気なく…宝崎が口にした言葉で…
男たちは一瞬顔を見合わせた後…


だだだっっ

全員が階段をすごい勢いで降りはじめた


「藤臣…手すりを跳び越えるとは卑怯だぞ」
「聖ちゃん急ごう…」
「待って…義くん…」
「…星野さん…今日こそは…」


ぽかん…とひとり屋上に残されたイザークだったが…

体育倉庫か…

先ほどの休憩時間のことが頭に浮かび…
くっ…と口の端を上げて笑う




「…彼って…典子が不良たちに絡まれた時
 怖じけて目をそらしていたんでしょ…」
「命がけでも典子を守ろう…という気はないみたいじゃない…」

こいつら…言いたいこと言っとるなー…

呆れたノリコがそれでもイザークのことを弁護したくて…

「イザークはね…学校で…しかも体育倉庫なんかで…
 そんなこと…する人じゃないわよ…」

初日にイザークに押し倒されたことは頭の片隅に追いやって
ノリコは皆に余裕の笑顔をみせた



「ノリコ…」
「え…」

当のイザークの声がして、ノリコは驚いて振り返った


「走れ…」
「え」

有無を言わせず…腕を掴まれて…
ノリコはわけがわからないまま立ち上がってイザークと一緒に走っていた


ただ一人だけ…ノリコと向かい合って座っていた弥生が
眼鏡を外して首を傾げた

なんだか…イザークが空から降ってきたように見えたけど…
メガネ…直さないといけないかしら…


「やっぱり…」

イザークがノリコを連れて体育倉庫に駆け込んだのを見て
女の子達は頷き合った

「典子って…彼氏のことよくわかってないね…」




「なぜだ…」

息を切らせながら…
後からたどり着いた面々は…すでにイザークがノリコを連れて
体育倉庫に入ってしまったと聞いて訝しげに顔を見合わせる

「非常階段を使ったんじゃないか…」
「そうね…それなら近道だもの…」
「けれど非常時以外は使用禁止…て書いてあるぜ」

珍しく…功がぽつりと呟いた

「あいつは文字が読めない」


「そっっかぁーー」






「イザーク…?」

引き戸を転がっていた剣道の竹刀で抑えると
イザーク重ねられているマットの上に
はぁ…とため息をつきながら腰を下ろした

「あのね…イザーク…学校ではだめだって…」
「少し疲れたから…休むだけだ」

休むだけなら…なにもここに閉じこもらなくても…


イザークは身体をずらして背中を壁にあてて座り直すと
請うようにノリコに手を差し出した


イザークったら…

くすっ…とノリコは微笑んだ
なにも言われなくても…イザークが考えていることは
手に取るようにわかった

その手に導かれるようにノリコはイザークの横に膝をつくと
彼に覆い被さるようにして両手を壁につけた

時々ふざけて…このポーズを取ると
彼は結構喜んでくれる…



『女に壁に押し付けられたのは初めてだったな…』

いつかイザークはそう言って照れたように微笑った
あの瞬間にあたしを消そうと言う頑な思いが消えてしまったと…

『荒い息を吐きながら震えているおまえが愛しいとすら思った…』

おれ自身…その事実を認めることは、なかなか出来なかったが…
自嘲めいた風に彼は言ってたけどあたしはすごく嬉しかったんだ




「…キスしてくれ…」

そんなことをイザークが言うのはひどく珍しかったので
ノリコは一瞬戸惑ったが…
そっとイザークの唇に自分のそれを重ねてみた

いつもはあれほど激しくノリコに口づけるイザークが
なにもせずにじっとノリコにされるがままになっている


イザーク…甘えてる…?

慣れない学校生活を
我慢してあたしにつきあってくれてるんだもの…

ちょっとはあたし …感謝の気持ちを伝えなくっちゃ


ノリコは初めて自分からその可愛らしい小さな舌を
イザークの口の中へ入れてみた
入れてみたのはいいけれど…
どうしたら良いかわからず…
彼の舌の上に重ねてじっとしていたら
イザークはそっとそれを揺らして応えてくれた

唇を離すと真っ赤になっているノリコに
イザークは優しく微笑んだ

「ありがとう…ノリコ」



ノリコがくれた口づけの余韻を楽しみたかったのか…
イザークはそれ以上口づけることなくノリコを腕に抱きしめて…
次の休憩が終了するチャイムが鳴るまでじっとそうしていた




風が吹いて…
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by 彼方から 幸せ通信