軌跡 旅の途中 2




お互いを激しく求め合う二人の影を
たき火の炎が、ゆらゆらと映し出していた
甘い喘ぎ声が、それほど大きくない洞穴の中に幾重にも反響していく



「イ…ザーク…」

声をたてるのが恥ずかしくて必死で噛み締めていた指を
イザークにはずされてしまった

「なにを我慢している…」
「…だっ…て…」
「聞いている者などいない…」
「…やぁっ…」

抑えきれずにあげてしまった声が
身体の奥に潜んでいた狂おしい感覚を解き放ち
止まらなくなって…

やだ…どうにかなっちゃいそう…


「ノリコ…」
イザークがあたしの耳元で熱い息と一緒に掠れた声で囁いた

「…乱れろ…もっと」




甘く…熱く…ノリコの喘ぐ声が
おれを狂わしていく

おれの愛撫で、すでに一度…軽く達してしまったノリコが
再び…耐えきれなくなったらしい…
熱のこもった声でおれの名を呼び始めた
その姿が可愛くて…愛おしくて…もっと見ていたくて…
散々焦らしたあげく、ようやく身体を重ねる
彼女は 縋り付くように腕を伸ばしておれの肩をつかんだ


離したくない…
「…やっ…あ…」

おまえは…おれの…おれだけの女だという証が欲しい
「…も…う…」

その心をおれのことだけで一杯にしたい
おれだけしか感じられない身体にしてしまいたい


「…好き…イザークが…好き…」

ただ、喘ぐことしかできなかったノリコが
今にも意識を飛ばしてしまいそうな様子で…
そう口走った


「ノリコ…」

もう…ノリコしかいらない…
たとえこの先どんな運命が待ち構えていようと…
そんなことすらどうでもよく思えてくる

ノリコさえいてくれればそれでいい…

止められないほどの熱情に飲み込まれたおれは
抑え切れずに彼女を激しく責め始める

ノリコは細い指をおれの肩に食い込ませたあげく
がくんと落ちていった




焚き火の火はどうしようかと
イザークはノリコの服を着せながら考えた

先ほどのノリコの姿を思い浮かべると
イザークの口元は自然にほころんでしまう


ただ一言…
快楽の狭間で無意識に愛しいひとがくれた言葉だけで
何度彼女を抱こうが、拭いきれなかった不安が
際限ない独占欲が…きれいに吹き飛んでしまった

男とは…愚かな生きものだな…

毛布をノリコにかける

これでおれが抱いてやれば、充分暖かいだろう…
この山を超えれば、気候は少し温暖になる



星空を見ながらおれに抱かれるのが好きだと
寝物語にノリコが言っていた

「イザークの肩越しにね…星を見てるでしょう…
 目を閉じてもまだキラキラ光っているのよ…」
恥ずかしいのか、 顔をおれの肩に埋めたまま語る

「それで…あの…周りが白くなってはじける瞬間に…」

「なるほど…」
おれはくっと笑って、彼女の耳に息を吹きかけるようにに囁いた
「達すると周りが白くなるのか…」

「えっ…やだ…イザークったら…
 真面目に話しているのに…きゃっ」

おれの胸を叩き出した拳をつかんで引き寄せると
ノリコの上半身がおれの上に覆い被さり目の前に彼女の顔がくる

「…それで…?」
もう顔を隠す事ができなくなったノリコは
話の先を促すおれを少し恨めしげに睨みつける
そんな表情の彼女もひどく可愛らしい

「…その瞬間に、なんだか宇宙に抱かれているような気になるの…」
赤くなった顔で目を少しそらしながら、ノリコは一気に言い切った

「…気に入らんな…」
「…?」
「おれ以外の何者かにノリコが抱かれている気になるのは…」
「えーっ、例えばの話だってば……んっ…」

突然唇を合わされたノリコが慌てて逃れようとするが
頭に手をあてて押さえつけると、彼女の口腔を思うままに翻弄する
やっと離した彼女の唇が艶やかに濡れて
そこから一筋の糸が引いて落ちるのを指で拭ってやった

「ここなら…おまえを星空に寝取られる事はないな…」


それは数日前に泊まった宿でのことだった

別に星空に妬いたわけではないが、野宿になった今夜は風が冷たく
この洞穴を見つけて寝場所とした
これから暖かい場所へ行けば、また彼女を星空の下で寝かせてやれるだろう


火の始末をしてノリコのところへ行き、傍らに身体を滑り込ませた

「…イ…ザァ…ク…?」

起こしてしまったのだろうか…
ノリコは半開きの目でこちらを見ると
おれの胸の中にその身を寄せてきて
また軽やかな寝息をたてて眠ってしまった

愛しくてたまらない…

ノリコの眠りを妨げる事を恐れなければ
もう一度彼女の服を脱がしにかかったかもしれん…
代わりに彼女の身体を両腕でしっかりと抱きしめて
その栗色の髪に顔を埋めると…何度も口づけた…





「うわーっ、キレイ!素敵…」
目の前に広がった風景にノリコは歓声を上げると
馬から下りていいかとおれに訊ねた

山から下りる途中、山道が大きく広がっているところの端が崖になっていた
下方に広がっているのは落葉樹の森らしい
上から見下ろすと赤や黄色の葉が幾重にも重なり
華やかな色合いの絨毯と言ったところか…

馬から下ろしてやると
崖から乗り出すように下を眺める彼女の身体を後ろから抱きしめた

「…もうっ、イザークったら心配性なんだから…」

彼女が転げ落ちる心配をしたわけではないのだが…
黙って誤解したままにしておくことにした

長く旅をしてきた身には、紅葉はもうすぐ寒くなるという前兆にすぎない
春には花が咲き、夏には青葉が繁る
何度も繰り返し見てきた季節の移り変わり
彼女には初めてのこの世界の秋の景色が珍しいのだろう


「お昼、ここで食べれば良かったね」
唐突にノリコはそう言う

「?」

昼食と紅葉の関連がよくわからずに、不思議そうな顔をしたおれを
ノリコは振り向いて見上げる

「きれいな景色を見ながらごはん食べると、美味しくなるよね」
「味は変わらんと思うが…」
「イザークってば、ロマンチックじゃないんだから…」
怒ったようにそう言うと、ぷいっと顔を前に向けてしまった

ろまんちっく…?

「悪いが…おれにはさっぱり意味がわからん…」
素直に言ってみると、くすっとノリコが笑った

「あのね…イザークと一緒にきれいだねって思いながら食べたら
 やっぱり嬉しいでしょう…」
「嬉しいと…飯が旨くなるのか…」
「悲しかったり、辛かったりすると食欲がなくなるでしょ、その逆なだけ…」


ひとりで旅をしていた頃、野宿では野菜や果物を生で食べ
干し肉をそのまま噛みちぎっていた
たまに町の食堂で旨いと思えるものを食べたが
正直なところ…それがなんなんだという感想しか持てなかった
食事は生きていく為に必要な栄養を取るための行為
感情などとは関係なく、ただ咀嚼し飲み込む…
その動作を何度も繰り返すだけのことだった


最初 、ノリコは干し肉を手にひどく食べ辛そうに困っていた
少し火で炙ってやると香ばしい匂いがして
それを渡すとニコッと笑っていたな
まだ言葉が通じなかった頃のノリコとおれ…

それでもまだ苦手なようだったノリコは
言葉が少し上達した頃、市場で少量の植物油と香辛料や香草を求め
干し肉をそれに漬込んで容器に入れた
数日後いつものように火で炙って食べると
それはまったく別な物に変わっていた
味も柔らかさも…

「おいしい…ですか?」
おれの顔を覗き込むようにしてそう訊ねるノリコに
あの頃のおれは、「ああ」としか答えられなかった
それでもノリコはひどく嬉しそうな顔をした

それからノリコは小さな鍋を買い、料理するようになった
美味しく食べるために、手間隙かけることを厭わないようだった



「ノリコは、美味しく食べることにこだわるな」
「やーだぁー、それじゃああたしが食いしん坊みたいじゃない」
「違うのか…」
抗議の声を上げるノリコを少しからかってみたくなる

「あのね、イザーク…」
くるりとおれの方を向くと、真面目な顔でノリコは下の景色を指差した

「イザークは、これがきれいだと思わないの?」
「きれい…だが、毎年秋には同じ景色だろう…」
「だから…ああ、秋が来たんだな…って思うでしょう」
「…そうか?」

ノリコが少し遠くを見るような目つきをした
「家ではね…毎年お父さんが紅葉の頃
 ドライブに連れて行ってくれたんだよ」
「…ノリコ」
「そしてみんなでお弁当を食べたの…紅葉を見ながら…」

ノリコの目に涙がにじみだし、おれはどうすればいいのかわからない

「ち…違うの…寂しいんじゃないの…懐かしかっただけ」

気を使わせてしまっているのか…
おれはなんだか自分がひどく情けなくなる

「今年はこうしてイザークと一緒に見れてよかった…」

ノリコを抱き寄せ涙を唇で拭い取った

「…ノリコ」
「なぁに?」
「来年も…これから毎年…一緒に紅葉を見に行こう…」

何の保証もない未来をおれはノリコに約束した
心からそれを願って…

「…春はお花見だよ…」
「?」
「夏は海水浴…
 冬になったら冬山に連れて行ってくれなきゃ嫌だ…」

ノリコが珍しく我がままを言いながらおれの胸にすがる

「ああ…約束する」

それが叶えられないかもしれないことを、ふたりとも深く認識している
だから余計に言葉が重い…


「ノリコ…」
彼女の耳元で囁いた

「おれに抱かれながら…星を見るのが好きだと言ったな」
「…え?」

おれの顔を見上げて不思議そうな顔をする彼女に、にやりと笑いを返した

「紅葉も…きっと気に入る…」
「き…気に入るって…ちょ…ちょっとイザーク…きゃああっっ…」

ノリコを担ぐとおれは崖を一気に飛び降りた





「い…いっきなりなんだから…」
ドキドキする胸に手を当ててあたしは言った

そこは紅葉が空を覆い尽くしている森の中…
思わず見上げてため息が出そうになったんだけど…


「!」

イザークがすぐ傍の大きな幹にあたしを押し付け口づけた
彼の手がもうあたしの服を脱がせにかかっているのを必死で止める

「どうした…?」

唇を離して、彼があたしを見た

「ま…まだ、こんなに…明るいのに…」
恥ずかしいよ…とあたしは赤くなっているはずの顔をうつむける


「恥ずかしがることはない…ノリコの身体はきれいだ…」
「そういう問題じゃなくって…」

最後まで言わないうちにまた彼に抱きしめられる

もう…だめ…これ以上抗えない…

あたしは身体の力を抜いて、彼に身を任せた…



イザークは時折…ひどく刹那にあたしを求める…

あたしたちを待ち受けている未来…
どうあがいても変えられないかもしれないそれを
恐れているのかもしれない…


あたしは…彼が望む全てを受け入れようと思った

それで彼が気がすむのだったら…
彼とどこまでも一緒に行きたかったから…







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