クリスマスイブ


「まあ…」
「おっ…」

イブの夕方、部屋から降りてきたノリコを見た両親は思わず声をあげた

彼に買ってもらったというワンピースドレスは
ノリコの華奢な身体をヴェルベットやサテンの光沢が優しく覆って
腰をキュッとしぼっているサッシュのベルトがアクセントになっている
珍しく髪をアップにして、うっすらと紅をさした頬と唇が艶かしい

「変…じゃないかな…?」
恥ずかしそうな風情ですら、控えめな色気が感じられる

「きれいよ…ノリコ」
「ああ…」

あの男のためか…そう思うと穏やかにはなれない
あの男のおかげ…とも言える娘の美しい姿に複雑な心境な父親だが
それでも惚れ惚れと見とれてしまう

「本当によく似合って…イザークさんは大した目利きね…」
「女の服を選ぶのが得意なんだな…」

そりゃあ…むこうではずっと彼が選んでくれてたし…
という言葉を呑み込んで、えへへと笑った

「髪もお化粧も自分でしたの?」
「うん…友達に習った」

イブはドレスアップでデート…と告げた途端
気のいい友人達のお節介が始まった

「髪は上げた方が絶対いいよ…」
「お化粧くらいしな…」

いろいろあーだこーだと騒いだ挙句…
髪の結い方…ノリコに合うお化粧 …を教えてくれたのだ


「イザークさんも惚れ直すわね…」
「そうかなぁ…」

おしゃれしたいと言った時、機嫌が悪くなったような気がしたので
彼の反応がちょっと恐かった

だから、少しでも変な顔をしたら
髪を下ろして顔を洗おうと心に決めている

「お迎えに来てくれるの…?」
「うん…知り合いに車を借りるって…」

幸せそうな娘の様子に母親は目を細める

去年まではお祝いしたりプレゼントを贈ったりすると
逆に傷ついてしまいそうでクリスマスとは無縁に過ごしていた
街で娘と同じ年齢の女の子達が華やかに装い
楽しそうに歩いているのを見るのが辛かったのに…



ドアのチャイムが鳴って、ノリコは慌てて玄関へとんで行く
そんな様子はまだ少し子供っぽさも残っていて…
両親は目を合わせると…どちらともなくくすりと笑った

「ま…あんまり急いで大人になる必要もないな…」
奴の顔でも拝んでやるか…と娘の後を追って玄関へと向かう


「…」

上がり框の上にいるノリコより、それでもまだ頭半分ほど高いイザークが
黙ったまま典子を見下ろしている姿が目に入った

「あいつ…典子に見惚れて言葉も出ないのか…」

父親は母親に小声でそう言ったが、ノリコはそうは取らなかったらしく…

「変…?やっぱり変だよね…か…顔洗ってくる…」

くるりと背を向け洗面所に駈け出そうとするノリコの腕を
イザークががしっとつかんだ

「…洗わなくていい…」


廊下の向こう側でぶぶっと吹き出す音がしてそちらを見ると
父親が腹を抱えている

「…は…赤くなりおった…はっはは…」

「…」


照れているのか…憮然とした面持ちをしたイザークが
母親に紙袋を差し出した

「これを…私たちに…?」

中には母親用にプラリネ、父親にはスコッチウィスキーが入っていた

「私たち何もイザークさんにプレゼント用意してなくて…」

困ったようにつぶやく母親に
イザークは首を振ってそんな物はいらないと言う

「…これはプレゼントじゃない」
「では…何なんだ…?」
「お詫びのしるしだ」
「…何か我々に詫びなければならない事があるのか」

父親が眉をひそめて訊ねると、ああと短く答え
それから父親の目をまっすぐ真顔で見つめる

まずい…

前にもあったぞ
確かこいつがこんな顔をする時は…

頭の中に警報が鳴って慌てて視線をそらそうとするが…

「今夜はノリコを帰せない…」

…そうきたか…

「約束を破るというのか…」
「ああ…」
「そんな男だったとはな…」
「なんとでも思ってくれ」
「こんな物でごまかせると…?」

貰ったウィスキーをつっかえそうとするが丁重に払いのけられた

「ごまかすつもりはない…事前にこうして断っている」
「だめだと…言ったら?」
「悪いが…今夜は引く気はない…」
「ほう…イブのイベントがそんなに大事なのか」
「大事なのは…」
「なんだ」
「女の子の夢だ…」
「は…?」

父親の間の抜けた返事が交渉成立のサインと受け取ったのか
イザークはノリコの方に向き直った

「イ…イザーク…」
先ほどから青くなって成り行きを見守っていたノリコが
何か言いかけるのを手で制してからその腕を取る

「行くぞ…」
「えっ…あ…あの…」

そのまま戸惑うノリコの腕を引いて出て行ってしまった



ドアがパタンとしまる音とともに
両親はもう癖になってしまったため息をついた


「考えてみれば…」
片手を頬に当てて母親がしみじみと語り出した

「ノリコはもう成人したし…
 イザークさんは、私たちがいくら反対したところで
 こんなふうにノリコを連れて行ってしまうことが出来るのですよね」

高校生のノリコが自分たちと二度と会えない覚悟をしてまで
イザークについて行く事を選んだのだから
今更ノリコがそれを嫌がるとは思えないし…

「だが、あいつは約束したんだぞ」
「ちゃんと断ってくれたし…例外があってもいいんじゃないですか…」

あら美味しそう…
プラリネの箱を開けた母親が嬉しそうに声をあげた

まだ不満気な顔でウィスキーを抱えている父親は
ノリコの腕を掴んで引き止めたイザークの赤くなった顔を思い出した

「ま…いいか、あいつのあんな顔が見れたんだからな」

今日はとことん飲んでやるぞ…と宣言する父親に母親が顔をしかめた





「イザークってば…強引なんだから…」

急な展開についていけずに固まったまま連れてこられたノリコだったが
イザークが道端に停めてあった車の助手席のドアを開けてくれて
車に乗り込みながら、やっとしゃべり始めた




「あのショップの店員さんの言ったことなんか気にしないで」

突然イザークがイブの夜は外食しようと言い出した時
焦ったノリコが一生懸命な顔でそう言うのを見ながら
イザークは可笑しそうに口元を緩めた

「おれがそうしたいんだ」



彼の気持ちに応えたくて…
思い切ってドレスアップしてみたのだけど…
イザークったら、なぁんにも言ってくれないんだもの…

ちょっと不満に思ったけれど、ノリコはすぐに反省した

ああ…いけない…
会いたい…とただひたすら願っていた頃に比べたら
夢みたいな状況なのに…
あたしったら…我がままになってる…

こうして彼と一緒にいられるだけで幸せなのに…
それに…

今夜は帰せない…

彼は確かにそう言った
今日はさようならを言わなくていいんだ


「どうした…?」

落ち込んでいるかと思えば急に頭をぶんぶん振って
その後ぽっ…と赤くなったノリコの様子に
くっと笑いながらイザークが訊ねた


「えっ…あ…その…」

困ったノリコがイザークへ顔を向けると、あれっと首を傾げた

「イザークって運転できるんだ…」

車で迎えにくる…って知っていたし
さっきからずっと走っているのに、思いにふけっていたせいか
今更ながら運転席にいるイザークの姿を見ると不思議な感じがした

「飛行機のライセンスも持ってるぞ」
「え…」
「今度のせてやる…」
「…」



赤信号で停まった車の中で
イザークは片手でノリコの頭を引き寄せ
とん…と短く口づけると耳元で囁いた

「きれいだ…ノリコ」





「ひゃぁーーーすごい…」

バルコニーに出たノリコが思わず感嘆の声をあげた

イザークに連れてこられた湾沿いのホテル
海に浮かぶ船…向こう側にかかる橋、その上を行き交う車
全てがライトアップされているかのような美しい夜景が
目の前に広がっている


「寒くないか…」

コートも着ないで外に立っているノリコを
後ろからイザークがふわりと抱きしめる

「少し酔っぱらっちゃったみたいだから…
 酔い覚ましにちょうどいいよ」

ひんやりと冷たい空気が火照った顔に心地よかった

夕飯はこのホテルのレストランでとった
こことは別な光景が広がる眺めのよい窓際の席で
ろうそくの光が瞬く中…
お互いの視線を絡み合わせながら食べた食事は極上の味がした

お料理が美味しいせいだったのか
ただ自分の幸せを噛み締めていたのかはわからない

頼んだワインのボトルの大半はイザークが飲んだのだけど
ほんの数口すすっただけで頭がぽぉっとして
はしゃいでしまったかも…

「あたし…変じゃなかった?」
イザークが恥ずかしい思いをしていたら…
そう思うといたたまれない


頬をほんのりと桜色に染めて
にこにこと微笑み、時々小首を傾げながら
楽しそうにおしゃべりをするノリコの姿に目眩がしそうで
沸き上がってくる欲望の高まりをグラスを傾けることでごまかした

今はもう…
抑える事など…したくなかった…
いや…できやしない…

イザークが髪をほどくと
ぱさりとノリコの髪が彼女の肩に落ちる

「…?」
振り向いたノリコが不思議そうに瞳を瞬かせた

「もう…髪を上げるのはやめてくれ…」
「やっぱり…似合わない…?」

その白く…細いうなじに
どれだけおれの理性が試されたのか…気づいていないらしい…

「他の男には見せてほしくないな…」

彼女の髪をかきあげると
焦らされた挙句…やっと手に入れた大切な宝物のように
そっとそこに口づけた



部屋に置かれていたクーラーに入ったシャンパンと花束
その脇に置かれたカードには「Merry Christmas」の文字とともに
手書きでかかれたメッセージがあった

…今宵君と過ごす女性の幸運にあやかりたいものだ…


派手好きな発展家でメディアをにぎわせているホテル王の娘が
悪質な脅迫を繰り返された挙句命まで狙われた時
警察でさえ目眩まされた綿密な罠を見抜いて娘を救ったことがあった

娘に見初められ…父親に気に入られて…
娘の婿に…という話は断ったが
君が望めば最高の部屋をいつでも用意するよ…
という言葉を頭の隅に覚えていたのだ

仕事中に得たコネを利用する事など
今まであり得なかったのだが…

夜景の美しさでは都内随一のスイートルーム
うっとりと眺めているノリコの身体を腕の中に閉じ込めれば
多少の不都合などどうでもよくなってくる




とばっちりを受けたのはその部屋を予約していたどこぞの御曹司とその恋人だが
もともとこちらも父親の威光を笠に予約をごり押ししてきたくちなので
同情の必要はない

「水道管が破裂して…部屋中水びたしのため使用できません」
散々文句を言われて頭を下げ続けたレセプションの担当者も
どこからか…かなり上の方からから突然降りてきた指示に戸惑いはしたが
その御曹司が大嫌いだったので内心では拍手喝采…
ざまあみろと溜飲を下げていた





水面に波が広がる度に浮かんでいる花弁が静かに揺れる

今宵最初のイザークの愛を受けたノリコが
彼の膝の上で横座りになりぐったりとその胸にもたれていた

「幸せすぎて…恐いよ…」

掠れた声でつぶやかれた言葉は
揺れる花弁のように波立つ心の現れなのだろうか…

「まだ…不安なのか」

ノリコの髪を指で梳きながらイザークが訊ねる

「違う…そうじゃないの…」

全く逆…

「ずっとね…」
一目でいいから会いたい…って切ないほどに願っていた…

ノリコは瞳を開けると片手を上げてイザークの頬に当てた

こうして手を伸ばせば届くところにイザークがいるのに…
それだけで十分なはずのに…

「もっと一緒にいたいって…」
もっと優しくしてほしい…
もっと強く抱きしめられたい…
もっと好きになってもらいたい…

次々と際限なく求めてしまう自分に気づく
幸せだからこそ…出てくる我がままな願い…

「いつか罰が当たりそうで…」

恐い…と言うノリコを見つめたまま
イザークは顔に触れている彼女の手を取るとそっと口づけた


「どうやら…おれも恐いと思わなくてはいけないようだな…」
「イザーク…」

…おれの方が罪は重そうだが…

頭をノリコの顔の上に下ろし… 唇を重ねた後…
手を捉えられているために抗う事のできないノリコの首筋…
胸へと唇を這わせていく

「罰が与えられるというのなら…一緒に受けよう…」


イザークはノリコを抱え上げ浴室から出ると
彼女の身体にバスタオルを巻き付け寝室へと向かった





ドロップダイヤが暗い部屋の中にわずかに瞬く光を受けて青く輝いた

イザークの尽きせぬ愛を身体中で受け入れたノリコは
今はぐっすりと赤ん坊のように眠っている

あのような行為の後でなぜこんなにも無垢な表情ができるのだろう…

少し感心しながらイザークはノリコの髪をかきあげ
今日何度も目にしては心を揺さぶられた白いうなじに
細いチェーンを巻き、金具をとめた

「…う…ん…いざ…く…」

起こしたのか…と思ったが
ノリコはイザークの胸にすがりつくように身体の向きを変えると
またスヤスヤと安らかな寝息を立て始めた

不安や恐れならいつでも感じている
ただおれは…それに慣れてしまっただけなんだ

だが…ノリコにはそんなものと無縁な存在でいてほしかった…

おれのせいか…
すまん…ノリコ

もう絶対に離すまいというようにノリコをしっかりと抱きしめると
イザークは静かに目を閉じた




その後の彼方から
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