イザークのお気に入り


キー…キキッッ…

急ブレーキを立てて車が止まった


『校内徐行厳守』

そんな表示はまるで無視して勢いよく入ってきた車が
駐車場の空いているスペースにひどく乱暴に…
けれどきっちりと駐車する

ドアが開いて…青年が飛び出してきた…


来訪者専用の入り口を駈け抜けようとすると
横にある小窓が開き事務員が顔をのぞかせた

「ちょっと…待って下さい」

呼びと止められた青年が振り返った
うっ…と事務員は手を口に当て…言葉を詰まらせる

青年は…
見たこともないほどの美貌の持ち主だった


「あ…あの…ご用件は…」

しばらくぽぉっとなっていた事務員が
やっと自分の職務を思い出したらしい

「ノリコが怪我をした」
「…は?」


怪我人が出て迎えが来る時は事務室に連絡が来るはずだが…
そんなことは聞いていなかった

事務員が首を傾げていると…
無愛想な表情のその青年が視線を職員室の方へ向ける

「あそこだ…」
「…?」




「腫れは治まったみたいね…」

職員室で…保健分野を教えている先生が
ノリコの足首を調べていた

「念のために湿布して…包帯で固定しておくけれど…
  …歩けないわけではなさそうね 」

救急箱を開けながら
帰りは大事を取ってタクシーでも呼びましょうか…とノリコに訊いた


「…あの」

恥ずかしそうに言葉を途切らしたノリコを先生は怪訝そうに見た

「どうしたの…」
「じつは…」
「…なあに?」
「もう…そこに…」
「え…」


「おれがしよう…」
「きゃっ」

突然すぐ後ろから声が聞こえて…思わず叫んでしまった先生から
伸びてきた手が…包帯と湿布薬を奪っていった



お昼休みに軽くひねってしまって痛み出したノリコの足首は
先ほどまで冷却剤を当てられていてやっと腫れがおさまったところだった



「…」

婚約者だと紹介された青年が長身の身体を屈めて床に片膝をつき
もう一方の膝にノリコの足をのせているのを
先生は手持ち無沙汰に眺めていた


立木さんは…
顔立ちは子供っぽい所があるけれど他の生徒より年上なだけあって
芯のしっかりした子だと思っていた

けれど…さっさと彼氏に連絡してお迎えに来させるなんて…
やっぱり今時の甘えた若者だったのだわ…


少しがっかりした先生は…
二人に聞こえないようにため息をつく


それにしても…

包帯を巻く手つきがやけに慣れている…

先ほどからどうしてもこの青年から目が離せない
自分の息子と同じ年頃の彼に妙な想いを抱くことはないけれど
きれいなものに目を奪われるのに歳は関係ない

整った横顔…
肩幅は広いけれど全体に細っこい…モデル体型っていうのだろうか
半袖から伸びている腕は筋肉質でひどく引き締まっている
それに…なんて長い足…!

ひどく不機嫌な表情は
こんなことで呼び出されて怒っているのかしら…

これだけの容姿の男性なのだから…
少々気難しくても仕方が無いとは思うけど…


先生はちらりとノリコを見た

申し訳無さそうに肩をすくめているノリコが
自業自得とは言え…なんだか気の毒になってくる



不機嫌そうな表情はいつものことなのだが…
イザークが怒っていたのは事実だった

足をひねった時…思わず「痛い」ともらしたノリコの呻きを
イザークに気づかれてしまったのだ


『なぜおれを呼ばん?…ノリコ…』
『そ…そんな大したことないもの』
『まさか…一人で帰ってくるつもりだったのではないだろうな…』
『だって…ちゃんと歩けるよ…』
『馬鹿なことを言うな…っ!』


多分…声に出していたら大声で怒鳴っていたかもしれない…
そんなイザークの叫びから…
ノリコはイザークが本気で怒っていることに気づいて青くなり
イザークの表情は今まで以上に険しくなった

もちろん…二人の間で交わされている会話は先生には聞こえない…

先生に感じられたのは…
二人の間の雰囲気がさらに険悪に変化したことと…

「…帰るぞ」

立ち上がったイザークがそう言った声が
ぞっとするほど冷ややかだったこと…だった

先生にはノリコのことが案じられて仕様がなかった

帰ってから…酷い目に合わなければいいのだけれど…



「あのね…イザーク」

椅子に座ったままノリコは遠慮気味に話しかける

「もう一時間だけ授業があるのよ…」
「…」
「すっごく興味がある授業でね…出席したいんだ…」

口の前で手のひらを合わせて上目遣いにイザークをじっと見ているノリコは
まるでおねだりをしている子供の様で…
やはりこの子は甘えん坊さんなのだと先生はあらためて認識してしまったが…
イザークの眉間にしわが寄っていることに気づいて…慌てて言った

「だ…だめよっ…立木さん!」
「え…」

ノリコはびっくりして瞠いた目を先生に向ける

「せっかく迎えにきてくれたのでしょう
 担当の講師には言っておくから…もう帰りなさい…ねっ」

イザークにとりなすように先生はそう言ったが…
腕を組んで…ノリコの顔から足元に視線を移したイザークがぽつりと訊ねた

「教室はどこだ」
「三階だけど…」

無意識にそう答えたノリコが…
はっ…と気がついたが…すでに遅く…

「だ…だめ…イザ…きゃ…っ」

やっぱり…

「あ…あの…歩ける…あたし…」
「しばらくは無理はしないほうがいい…」

「…」

ノリコをひょいっと抱き上げたイザークが
階段の方へ歩いていくのを…先生はただぽかんと見送った




乙女な女の子達の休憩時間は…ただ騒がしかった

おしゃべりの花が満開に咲いて…
きゃーとか、えーっとかいう嬌声があちらこちらから聞こえてくる…

そんなところに…
がら…っ、とドアが開いて…
ノリコを抱えたイザークが入ってきた途端…

しん…と教室は静まり返った…


どこだ…とイザークに目で問われたノリコが指を指した

「あそこ…前から三列目…」

見慣れたノリコのバッグが置いてある机に行くと
イザークはそっとノリコを席に座らせた


「授業が終わったら…おれを呼べよ…」

そう言って立去りかけたイザークが
ドアの前で立ち止まると…振り返った

「立ち上がって動いたりしたら…絶対だめだからな…」

クラス中が注目している中で放たれた言葉は
あたかもその場全員に言い聞かせているようで…

「…」

皆から…無言の注目を浴びて
ノリコは耳の付け根まで真っ赤になって首を竦ませていた


次の時間が始まって…入ってきた講師が
いつになく静まり返っている教室内を不思議そうに見わたした




「…ああやって…授業が終わるまで待つつもりでしょうか」
「うーん…」


イザークは駐車場の車に戻ると …
軽くリクライニングさせた座席に身体を預け
腕を頭の後ろに組んで目をつぶっている

その様子を物陰から事務員と保健の先生が窺っていた

「立木さんの家に連絡を取ったところ…彼は婚約者で間違いないと…
 『どうせ何を言っても聞きやしないから、やつの好きなようにやらせてやれ』
 ということでしたが…」

どうやら…学校からの電話に答えたのは父親らしかった

「…取り敢えず…放っておくしかないわね…」

あれだけ不機嫌そうなのに…

呼び出しておいて(…と先生は信じている)…
まだ授業に出たいと言うノリコの我がままにつきあっている彼が
先生にはよく理解できなかった




「えーと…では」

黒板に何やら図を何枚か貼付けた担当の講師が
教室を見渡しノリコに視線を止める

「立木さん…」

名前を呼ばれてノリコは、はいと返事をした

「ここにきてこの図の意味を説明してみて …」


「先生…立木さんは足を怪我しています」

立ち上がろうとするノリコを制するように…
前に座っている生徒がそう言うと…他の生徒も続ける…

「立ち上がって…動いたりするなんて…」

クラス全員の声が一斉に重なった

「絶対だめです」


「そ…そういうことなら…」

わけがわからずに…目をぱちくりさせながら
講師は他の子を指名しなおした



授業が終わると…いつもは…講師が片付けて出て行く前に
速攻で教室を後にしようとする生徒がいっぱいいるのに…
今日はみんな席に座ったまま誰も出て行こうとしない

クラス全員から注目を浴びて…うっ…と身を固くさせているノリコは
ぎこちない動作で…形だけスマホを耳に当ててイザークを呼んだ



『来るわ…』
『来るわよ…』

いやがうえにも高まる期待に教室内が包まれている
講師すらその異様な雰囲気に何が起こるのか…気になって
いまだ教壇から立去ろうとしない


先ほどは唐突に現れたイザークに不意をつかれて…
言葉もなく見とれていただけだったが…
ガラ…ッとドアが開けられた途端…
遠慮なく…キャァー…という嬌声がイザークを迎えた


そんなことは…慣れているのか…モノともせず…
他のものは全く目に入らないといった風情で…
イザークはすたすたとノリコのもとへ歩み寄り
ひょいっとその身体を抱え上げると…あっさりと教室を後にした


二人の姿が消えると…
今度はため息がここかしこから聞こえてくる


「…彼が典子の婚約者?」
「あーんなかっこいい人初めて見た…ドキドキしちゃう…」
「体は細いのにさ…軽々と典子のこと抱え上げてたよね…」
「ハンサムで…背が高くてスタイルも良くて…力持ちで…」

うっとりとクラスメートたちがおしゃべりを始める…

「…でも、ちょっと恐そうじゃなかった…?」
「そんなことないよ…典子のこと大事にしていたし…」
「いいなぁ…典子は」

はぁ…っと、羨ましそうにつかれるため息の波は
当分おさまりそうになかった





目を覚ますと…閉じたカーテンの隙間から光が差し込んでいた
背中に感じるイザークの胸の感触が心地よい…


ゆうべ…イザークに抱き抱えられて帰った後も
あたしには何もさせずに…イザークはいろいろと世話をやいてくれた

お風呂にまで入れてもらっちゃってさ…


まるで赤ん坊のように扱われた自分を思い出して…
ノリコは頬を染める


でも…赤ん坊にはあんなことしないよね…


「痛まないか…」

何度もそう耳元で訊ねながら
いつもよりずっと…優しく愛してくれたイザーク…


こうして一緒に朝を迎えられることが…いまだ夢のように思われる
気の遠くなりそうな幸せをかみしめながら…
ノリコは身体にまわされているイザークの腕を
そっとはずすと起き上がった


「なにをしている…」

床に足をつけようとした時…いきなり声をかけられて驚いて振り向くと
イザークが目を開けてこちらを見ていた

「お天気が良さそうだから…窓を開けようって…きゃぁ」

イザークの手が腰を掴んで…引き寄せられ…ノリコは再びベッドに倒れ込んだ

「勝手に歩き回るな…」
「え…でも…もう全然痛くないよ…」

いまだ湿布と包帯が当てられている足を少し高く上げてみせる

「まだ…歩かない方がいい…」
「…」

真顔のイザークに見つめられて…ノリコは観念した


あたしの甘えや我がままの大半は
無理してでも聞いてくれるイザークだけど…
あたしの病気や怪我…安全とかに関しては頑に譲らない…
そのことは…むこうの世界にいた時から身に染みてわかっている

でもそれは…あたしのことを大事にしてくれている証だから…


「うん…今日も無理しないようにする」

ノリコは素直に頷いた





「本当に今日一日…ああやって過ごすつもりなのかしら」
「さぁ…訊いてみましょうか…?」
「…え」

しばらく物陰からイザークの様子を窺っていたのだが…
意を決したように先生がそう言って車に向かって歩き出し…
慌てた事務員も後を追った



朝…ノリコを送ってきたイザークは
当然のように教室までノリコを連れて行った
その後も…休憩の度に教室にやってきては…
なんだかんだと甲斐甲斐しく世話を焼く…


授業の間は昨日のように車の中で過ごしている
さすがに今日は新聞や本…コーヒーなどを持参していたが…

木陰とはいえ…暑い季節なので車内の温度も高いはずなのに…
汗一つかいていない涼しげな顔をイザークはやってきた二人に向けた

それでも話のきっかけを掴もうと…
事務員が少しドキマギしながら訊ねた

「あ…暑くないんですかぁ?
 良かったら冷房が効いている校内の休憩室で過ごしたら…」
「ほうっておいてくれ…」

けんもほろほろに断られて…
言葉に詰まった事務員に代わって今度は先生が口を開いた

「社会人の方だと聞いたけれど…お仕事は?」
「今日は休みだ」
「せっかくの休日なのに…こんな所で一日過ごすつもりなの…」
「そうですよ〜趣味とかないんですかぁ」

余計なことを言うな…とでも言うような視線でじろりと睨まれた事務員は
完全にノックアウトされ…がっくりと項垂れる

さすがに年の功か…先生は動じずに続けた

「さっき見せてもらったけれど…立木さんの足はもう大丈夫よ」

草をすりつぶしたような…見たこともない薬が
ノリコの足に湿布されていたのを思い出す…


民間療法か…なにかかしら…


そんなものとは縁の無さそうな…
イザークの整った横顔を先生は見る

「家に帰る時はともかく…休憩時間に少し動くくらいなら大丈夫だと思うの…」

暗に…授業が終わったら迎えに来い…と言っている


「まだ…無理はさせたくない…」

「随分立木さんのことを 大事にしているのね…」

そう言う先生に…
ひどく冷たく突き放した様な態度でイザークは言った

「ノリコはケガ人だから…
 気にかけるのは当たり前だ…」


相変わらず…ノリコ以外の相手には…
ひどく無愛想なイザークだった


「ケガ人…って、あれくらいの怪我で…過保護すぎますよ」



過保護か…

先生の言葉にイザークは…遠い日々を思い返した


『化物よ…』
『こいつ…化物』
『化物じみた力…』

以前…散々言われ慣れたセリフだったが…
今のおれにそんなことを言う奴はいない…

それに代わったのが…

『過保護だねぇ…』
『あんたは…過保護だなァ』
『彼って…過保護なの…?』

そんな言葉だった…
悪くはない…素直にそう思える…


ノリコの両親…ベートや華も…
言葉にこそしないが…
そう思っていることくらいわかっていた


ノリコがいなくなったら…
そう考えたら不安でたまらない時期があった

だから…
元凶との戦いの間も…強くなりたいとひたすら願った…
ただ…彼女を守りたかったから…
彼女を絶対に離したくなかったから…

ノリコを失ったと思っていた…あの三年間…
身に染みてわかったんだ
おれは…ノリコがいなければ…生きていく価値さえないのだと…

この世の何よりも大切な存在を…大事にして何が悪い?



「あんた…」

イザークは事務員を見る

「は…はいっ」

緊張した事務員が何を言われるのか…と不安そうに答えた

「趣味はないかと…言ったな」
「え…っと、あれは…その…」

事務員はしどろもどろになって…冷や汗まで出てきた


「過保護だ…」
「…はい?」

キョトンとした事務員にイザークが初めて口元で笑ってみせる

「おれの趣味は過保護だ…」
「…」

イザークはそれだけ言うと…
再びシートにゴロンと身体を預け新聞を読み始めた…

「…」

過保護が趣味だと言い切ったイザークに…
もはや何を言っても無駄だろう…
すごすごと二人は校内に戻っていく



授業の終りを告げるチャイムが鳴って…
ガラ…ッとドアが開いた途端…
教室内にきゃぁ…と嬌声がまた響き渡った

その後の彼方から
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by 彼方から 幸せ通信