ノリコの憂鬱


「…でねっ彼ったら焦ってさ…忘れちゃったの…」
「うっそぉ…大丈夫なの…?」


クラスメートのおしゃべりをぼんやり聞きながら
お弁当を食べていたノリコの箸が…ふ…っと、止まった



4月から保育の専門学校にノリコは通っている
クラスの生徒のほとんどは高校を卒業したばかりの子だった

年頃の女の子たちの話題と言ったら…
やはり男の子のことがダントツで多い
彼氏との秘め事すらもかなりオープンに話す彼女たちの会話に
ノリコはついていけない時がある


歳の差なのかな…
たった二つしか違わないのに…

二年前の自分は…外部との関わりを拒絶していたから
周りでそのような会話が交わされていても
気づかなかっただけかもしれないけど…


とにかく…そんなあけすけな会話は苦手で…
彼女たちが居心地が悪くならない程度に興味を示して
あとは適当に聞き流していたノリコだったが…



「ねぇ…典子はさ…どうしてるの…?」
「え…」

先ほどからある気掛かりに捕らわれていたノリコは
急に訊ねられて…はっと我に返った


「ど…どうって…」
「婚約しているくらいだから、必要なし?」
「…そ…そんなこと…」
「…ないよね…まだ若いし…学生だもんね」
「まあ…いざとなってもさ…彼が社会人なら安心だけど…」
「あ…安心…?」
「病院代…出してもらえるでしょ
 相手が…貧乏学生だとそうはいかないからね」
「妙に具体的じゃないの…もしかして経験あるとか…」
「ちょっと遅れた時に焦っただけだったら…」
「えー…それで…それで…?」

話の矛先が向けられた時と同様に急に自分から逸れて
ノリコはほっと息をついた



イザーク…

ノリコは愛しい人の面影を思い浮かべた…
いつもだったら…彼のことを考えただけで
幸せな気持ちが込み上げてくるのに…

今は…ひどく不安でたまらない…



イザークは今…政情不安な北アフリカの国にいっている
詳しいことは知らない…
訊けば教えてくれたかもしれないけれど…

ノリコにとって彼がどこで何をしようが…
それはどうでもいいことだった

明後日に彼は帰ってくる…
その日をただ…待っていれば…それで良かった

…良かったはずだったんだけれど…





入学して間もない頃… クラスの親睦会が開かれ
皆が自己紹介などをしながらおしゃべりを楽しんでいた時のことだった

「立木さん…彼氏いるの…?」

今でこそ典子と呼び捨てになったけれど…
最初の頃…年上のノリコをクラスメートは
「立木さん」と少し改まって呼んでいた

「あ…うん…婚約者がいるんだ…」

イザークが二度もはめてくれた婚約指輪が…
今ははずされている薬指をノリコは無意識に…虚しくさすった


「ええーっ…婚約者? 」

二十歳の割には自分たちより子供っぽい外見のノリコが
すでに結婚を決めていると知って彼女たちはびっくりしていた

「ねぇねぇ…どんな人…?」
「つきあって長いの?」
「相手も学生…? 」
「…ううん、社会人だよ
 出張が多い仕事で…不在がちなんだ…」

矢継ぎ早に質問されて困ったノリコだったが
その時も仕事に行っていたイザークのことを思い浮かべて
ついそんなことが口から出てしまったのだった


ふーんと興味津々の彼女たちが心持ち遠慮しながらも
あのさ…と訊ねたのだった

「彼の浮気とかさぁ…心配じゃない…?」
「え…」
「出張先で…なにしているかわからないじゃない…」
「あたしの元カレなんか…
 あたしがいないとすぐ他の子ナンパしてね…」

それが原因で別れたんだ…と苦々しく言う子に
男なんかそんなものよ…他の子が達観したような口ぶりで答えた


イザークが浮気…?

「ないない…そんなことあり得ないよ…」
「…」

クラスメートたちから世間知らずな女の子に向けるような …
哀れみすら感じられる視線で見られて…
ノリコはそれ以上何も言えなかった

それ以来…ノリコは
自分からはあまりイザークの話題を口にしないようにしていたけれど…
好奇心おう盛なクラスメートたちは
なにかとノリコに婚約者とのことを訊いてくるのだった




ニューヨークから帰国した翌日…イザークとふたり…
彼の家へ行った時のことをノリコは思い浮かべた


数少ない普段着と仕事着しかないイザークのクローゼットには
スペースはいっぱいあったのだけれど…
それでも遠慮してモタモタしていたあたしの手から
イザークは服を取り上げると…手慣れた様子でどんどん仕舞っていった

それは…まるで…
あたしを…イザークの生活空間に埋め込むような…
そんな作業のような気がして…

あたしは…ただ…自分の服の行方を黙って見つめていた…


途中にあったお店で買った歯ブラシを
洗面台の棚にあるイザークのそれの隣に立てて置いた時…

やっと…あたしは実感できたんだ…
これから…イザークと一緒にいられるって

幸せすぎて…泣きそうになったあたしを
イザークは優しく抱きしめてくれた



あたしは…本当は彼女たちに訊きたかった…
いったい…どうしたら…彼を疑うことが出来るのか…




あれから…もう二ヶ月近く過ぎていた
相変わらず彼は仕事に追われているので
あたしは実家で過ごすことが多い…

でも…あたしに不満などなかった…
不満など…持てるはずがなかった…


あたしの我がままを受け入れてくれた両親…
そのために頭まで下げたイザーク…

彼と過ごせない日々を…
両親と今まで通りに暮らせることに…ただ感謝している

恵まれ過ぎて…
感謝しなければバチがあたるくらいだとあたしは思っている


彼の仕事中…あたしから呼びかけることは滅多にない…
でも毎日…あたしが眠る時刻になると…
いつも彼の声が聞こえてきた


『元気か…ノリコ』
『うん…イザーク… …』


時差のことがよくわからないあたしは
彼のいる国が今、真夜中なのか…昼間の仕事中なのか…知らないけれど
とにかく…あまり長くおしゃべりしないようにしていた

迷惑をかけるのはいやだし…
それに…帰ってきた彼の腕の中で…
それまでの出来事を思いっきり話したいから…
彼は一晩中でも…そんなあたしのおしゃべりを聞いてくれるから…



今夜も…彼の声が聞こえてきた…

『どうした…ノリコ…?』

ノリコの気配を敏く感じとったイザークが
気遣わしげに訊ねてきた


『ちょっと…今日…学校で失敗して怒られちゃって…
 落ち込んでるんだ…』

『…』


彼はそれ以上訊いてはこなかった
彼に嘘ついてしまったあたしは…もっと落ち込んでしまった


でも…
どうしても…
彼には言えなくて…




二日後の朝…
学校へ行こうと玄関で靴を履いているノリコに
母親が念を押すように訊ねた

「今日はイザークさんが帰ってくるのよね…」
「…うん…」

母親が不審気に自分を見ていることには気がついていたが…
ノリコは何も言わずに家を後にした


「どうかしたのか…」

ノリコを送り出した後…
首を傾げている母親に父親が訊ねた

「…なんだか、典子の様子が変で…」
「変…?」
「いつもは…イザークさんが帰って来る日は
 もっと嬉しそうにしているのですけどね…」
「…喧嘩でもしたのか…?」
「…さぁ…」

「それなら…うちに帰ってくればいいだけの話ではないか…」

ふん…と鼻を鳴らしながら父親が平然と言う

「 イザークさんと会えば…
 きっとまた典子らしく明るく笑うわ」

母親は確信気に頷いた





やはり…

玄関のドアを開けたイザークは、その秀麗な眉を顰めた


二日ほど前から…ノリコから妙な気配がした
訊いてみれば…当り障りのない返答がくる

遠くにいるせいで…それ以上は突き止められずに…
苛立たしく思っていたのだった


いつもであれば…屈託のない笑顔を満面に…
「おかえりなさい」とおれを出迎えてくれるノリコが… 

「ごめん…イザーク…今手が離せなくて…」

キッチンから声だけが聞こえてきた…


手が離せない…?

十日ぶりに帰ったおれに…
その顔が見せられないのか…

なにがあった…ノリコ…?


「ノリコ…」

キッチンヘ入ったイザークに背を向けたまま
こちらを見ようとしないノリコに声をかけると
やっと振り返ってぎこちなさそうに微笑んだ

そんなノリコを軽く抱きしめて…その唇にキスを落としてから…
着替えると言って…イザークは寝室へ去った

「…」

残されたノリコの表情に…再び憂いが覆った




ばさっ…

腹立たしさをぶつけるかのようにイザークは上着をベッドに投げ捨て
今にも引き千切りそうな勢いでネクタイをはずした

ほんの二三日の時もあれば…今回のように十日も離れることもある
そんな仕事が終わって帰れば…離れがたいのか…
着替えているイザークの横で…
あんなことがあった…
こんなことをした…
まるでそれまで塞き止められた奔流が一気に流れ出すごとく
楽しそうにおしゃべりをするノリコの姿が…
今はそこになかった



まあいい…

何が原因なのか知らんが…
ノリコがずっと自分に黙っていられるとは思えない

自分から話すまで待っていよう…


そう決心したイザークはノリコのいるキッチンへと向かった




ぱしゃん…
水滴が落ちて水面に輪が広がっていく…

どうしよう…

湯船の中でノリコは抱えている膝に顔を伏せている


お夕飯はなんとか当り障りのない話をして過ごせた
いつもならば…仕事から戻った時は特に…一緒にお風呂に入るのに…
片付けものがあるからと言って…先に入ってもらった

今頃彼はきっと荷物整理をしながら…
あたしを待っている


イザークはとっくに気づいているはずなのに…
…何も訊ねようとしない


あたしが彼を疑うことが出来ないように
彼もあたしを信じているんだ

あたしが嘘や隠し事をしないと…

ノリコは膝から顔を上げるとキッと眉を上げた


言わなくちゃ…
たとえどんなに言いにくいことでも…
あたしを信頼してくれているイザークに全てを話そう…


ざぶん…と音を立ててノリコは立ち上がった



寝室へ入るとベッドの端に腰を下ろしているイザークと目が合った


「やっと話す気に…なったみたいだな」

必死の覚悟をしているかのようなノリコの様子に
フッ…と口の端を上げてイザークが笑う

こっちへ来い…というように差し出された手に導かれて
ノリコはイザークの膝の上に座った



「イザーク…」

震えているノリコの声に…イザークの心が痛んだ


「言いたくないのなら…無理するな」

両腕でしっかりとノリコの身体を抱えると
イザークはそう囁いた

ううん…とノリコは首を振って…
絞り出すような声で言った



「あたし…イザークの子供…産みたかった…」

「…」




あれ…

勇気を振り絞って言ったにも拘らず…
何も言ってくれないイザークを…
ノリコは顔をそお…っと上げて恐る恐る見る


眉間にしわを寄せて自分を見ているイザークの顔…
なんだか久しぶりに見たような気がノリコはした

「あ…あの…イザーク…?」



「すまないが…おまえが何を言いたいのか…
 おれには…さっぱりわからん」

ノリコの言葉をイザークは真剣に考えていたらしい
額に汗すら浮かんでいる…


いつもは饒舌なくせに…
今日に限ってやけに言葉足らずだったことにノリコは気づいた

「だからね…あたし…イザークとね
 子供いっぱいつくりたかったの…」

イザークに家族を作ってあげたかったのに…

「でも…無理かも…」

そう言った途端…じわっと涙が込み上げてきたので…
思わず再びノリコが顔を埋めて…イザークのシャツを濡らした



「ノリコ…頼むから…」

イザークはノリコの肩を掴むと自分の身体から離した
涙の滲んだ瞳でノリコが自分を見上げて…
イザークは少しだけ狼狽える

「なぜそんなことを考えているのか…説明してくれ…」


嗚咽をこらえながらノリコが話し出した…

「イザークは一度も避妊したことないでしょ…」

再会してから…もう半年近く経っている
その間…数え切れないほどイザークと身体を重ねてきた
なのに…全くその兆候が現れないのは…

「きっと…あたし…子供が産めない身体なんだね…」

こらえ切れなくなったように涙がぽろぽろ…と
ノリコの瞳から…こぼれ始めた


「…ノリコは子供が欲しいのか…」

イザークの声には戸惑ったような響きがあった

「当たり前だよ…
 イザークの子供だったら欲しいに決まっているよ…」
「おれが訊いているのは…今…欲しいのか…だ」
「え…」

ぽかん…と自分を見上げるノリコの頬につたう涙を
イザークは指でそっと…ぬぐう

「おまえはまだ学生だから…それに…結婚もしていないので…
 子供はまだ早いと思っていたが…」

「ちょ…ちょっと待って…」

驚いて大きく目を見開いたノリコがイザークの言葉を遮った

「も…もしかして…イザーク…まさか?」

イザークは真顔で頷く

「避妊なら…いつもしていた…」
「で…でも…」
「この世界の避妊具は好きではないからな…」
「…?」

イザークは手を伸ばすとサイドテーブルに
飾りのように置いてあった小物入れを掴んだ

蓋を開けると芥子粒のような実がたくさん入っていた

「これを2・3粒飲めば…
 半日くらいは女に子供を作らせることは出来ない」

「それ…持ってきたの…?」

ああ…と、イザークは自嘲の色を顔に浮かべる

「…向こうで旅していた時…」

そこで言葉を途切らしたが…
ノリコの瞳から目をそらすようなことはしなかった…


そうか…
旅の間に女の人を何度か抱いたって言ってたっけ…
それはそれで…理解は出来るけど…



「イザーク…ひどいっ」

ノリコの口から思わず…
イザークを咎める言葉が飛び出してくる

「あたし…おとといからずっと…悩んでたんだよ…」

眉を上げているノリコをイザークは軽く睨むと
逆にほんのちょっとだけ…責めるように言う

「なぜ…すぐにおれに言わなかった…」
「だって…口に出すのは…勇気がいったんだもの」

「…たとえ…おまえが子供の出来ない身体だったとして…」

それがなんだ…とイザークは言うけれど…
あたしにとったら大問題だったんだから…

「イザークってば …」

ノリコは本当に腹が立ってきて口調がきつくなってくる

「子供を作るかどうか…二人の問題でしょ…
 どうしてイザークが一人で決めるの…」
「…それは…」
「それ…おかしいよ…」
「…すまん」

イザークが素直に謝れば…ノリコの怒りは長続きしない


イザークは無責任なことはせずに
あたしのことをちゃんと考えてくれていたんだ

そう思うと…今度はなんだか胸の中があったかくなってきて…
ううん…とノリコは首を振った


「あたしこそ…怒っちゃってごめ…んんっ」

怒りの矛先をやっとおさめたノリコにイザークは口づけながら…
そっとベッドに横たえ…手を服の中に侵入させる
10日ぶりに彼の指に触れられた身体は敏感に反応して…
ノリコの息が乱れてきた

「…イ…ザーク…あれ…は?」

さっきイザークが見せてくれた木の実が入った小物入れに
ノリコが視線を向けた

「…もうとっくに飲んでる…」
「とっく…って…」
「おまえと会う前は…いつも…」

ノリコの服を器用に脱がしながら…
耳朶を甘噛みしながら囁くイザークにノリコはなんとなく訊ねた

「家に帰る前に…?」
「…ああ…念のためにな…」
「…」


そういや…帰ってきたイザークに玄関で「お帰り」って言った途端…
そのまま抱き抱えられて…寝室へ連れていかれたこともあった
せっかく作っていた料理が台無しになって…
それ以来「玄関から寝室直行」は禁止ってことにしているけど…
いまだに…時々…それは守ってもらえない…

イザークってば…そんなことまで想定してるの…


彼の愛撫に身を任せながら…
ノリコはなんだか…そんなことを考えていて…


待って…と言うことは…


「!」

ビクン…と突然ノリコは身体を張りつめ
イザークを押しのけるように身を起こすと毛布で胸を隠す

「…どうした」

イザークも起き上がって膝をついて座り
不思議そうにノリコを見る

「イザーク、その実…いっつも持ち歩いているの…?」
「…そうだが…」



『あたしの元カレ…いっつもアレを財布に入れてたのよ』

いつでも…ナンパできるようにね…そう言うクラスメートに
最低…って誰か言ってた


『彼の浮気とかさぁ…心配じゃない…?』
『出張先で…なにしているかわからないじゃない…』

クラスメートの言葉が頭の中に蘇ってくる…



「…それって出張先で必要だから…?」
「どういう意味だ…ノリコ」
「だって…あたしの為だけだったら…
 ここに置いとけばいいじゃない…」
「これは…習慣なんだ」
「しゅ…習慣…?」
「だから…前に旅をしていた時の…」
「…いざって言う時の為の用心?」
「くだらないことを考えるな…」
「くだらないことじゃないもん…」

「…ノリコは…おれを疑っているのか…」

語気鋭くイザークから問われて…
ノリコは、は…っと青くなった

あれほどイザークを疑うことなんか出来ないって思っていたくせに…
いつのまにかクラスメートの言葉に踊らされていた自分に気づく


ば…っと毛布を頭からかぶると
ノリコはベッドに丸くなって屈み込んだ

「ノ…リコ…?」
「いや…っ!見ないで」

毛布を剥がそうとするイザークを制するようにノリコが叫んだ

恥ずかしい…
あたし…イザークに会わせる顔がないよ…


うっ…ひっく…

ノリコのくぐもった泣き声が聞こえ…
身体を覆った毛布が震えている…


イザークは遣る瀬なくため息をついた


ノリコがおれを疑うことなど考えられないのだが…

この二日のあまり…
悩み続けて気持ちが弱くなったのだろうか…


イザークは大きく息を吐くと…
ノリコの身体を毛布ごと腕に抱きしめた


「すまなかった…」

え…

「おれがなにも言ってなかった所為で…
 ノリコに辛い思いをさせた…」


「あ…謝らないで…イザーク」

慌てて…ノリコが毛布から顔だけ出した

「あたしってば…イザークのこと…
 一瞬だったけど…疑ったのよ…」

ごめんなさい…と今度はノリコがしゅんとしながら謝った


「おまえは悪くない…」

震えるノリコの肩にイザークは両腕を置いて
彼女の瞳をまっすぐと見る

「おれが疑わせるような真似をした…」
「違うってば…」

あたしは…ただ…クラスメートの言葉に流されてしまった

「情けないよね…そんなことくらいで…
 イザークのこと疑うなんて…」

「それは、おれがノリコに…
 寂しい思いをさせている所為だろう…」
「…?」


とっくに気づいていた…
笑顔でおれを送り出すノリコの瞳の奥に翳る影を…


「寂しい時は寂しいと言ったほうがいい…」

ニューヨークで記憶を失った時もそうだったな…と思い出して
イザークは切なげな微笑みをその顔に浮かべた

「おまえは…いつもそうやって我慢する…」


あ…

ノリコはなんだか胸のつかえが取れたような…
そんな気がした



『…ううん、社会人だよ
 出張が多い仕事で…不在がちなんだ…』


そうだ…

お仕事だから仕方がないとか
あたしは恵まれているのだから感謝しなくちゃいけないとか
平気なふりをしていたけど…
本当はイザークがいないと寂しくて…我慢していたんだ


そんなあたしの心に出来た隙間にクラスメートの言葉が
忍び込んでしまった…

イザークにはそれがわかってしまうんだ


寂しさに引きずられない…強い心でいたいと頑張ってきたけど
そんなことはするなと…イザークはそう言っている



「でも…寂しいなんて言ったら…」

優しい人だから…
困ってしまうに決まっている

「あたし…イザークを困らせたくないもの」

そう言うノリコの額を…わかってないな…と呟きながら
イザークは指でツン…と軽く押した

「毎回…嬉しそうに見送られるおれの身にもなってみろ…」
「え…?」

きょとん…とノリコは一瞬目を瞠ったが…
すぐに…かぁーっと赤くなって首を振る

「ち…ちがう…イザーク…あたしそんなつもりで…」

く…とイザークの口の端が上がった…

「…!」


からかわれたのか…とノリコは一瞬思ったが…
イザークがいつもわざとノリコを怒らせて
彼女の不安を払拭してしまうことを思い出した…

今回もそうなのだろうか…
それとも…

先ほど見せたイザークの切ない表情…


それは…もしかすると…


「イザークもあたしと会えないと…寂しい?」

自分の腕の中で…潤んだ瞳で問いかけるノリコを見て
愛おしいという思いがイザークの胸に込み上げて…抑えられない

「寂しいに決まっているだろう…」


この人は…なんて優しい目をしているんだろう…

イザークの瞳に魅入りながら…ノリコはぽつりと呟く

「じゃあ…イザークは
 あたしより…ずっと…強いんだね」

結局寂しさに負けてしまった自分をノリコは恨めしく思う


「おれは…強くなんかない…」

…辛そうにそう言うイザークに
ノリコはひどく切なくなって…何か言おうとするが…

「でも……きゃぁっ…」

胸元で毛布を押さえていたノリコの両腕を
イザークはつかんで広げるとそのままベッドに押し倒した

「おまえと会えない時のおれは…気が狂いそうなんだ…」





「…それって最低…」

今日も昼食の休憩時…
クラスメートのそういう声が聞こえてきた

「なんか…それだけみたいで…やだよねー」
「少しはイチャイチャするもんだよ…」
「やっぱ…そう?」

可哀想に…と気づかうのか…軽蔑しているのか…
よくわからない会話をクラスメートがしていた


あたしは…もうこの人たちの言葉に惑わされない…

イザークの優しさに触れて…
ノリコはしっかりと心を決めていた…つもりだったが…


「典子はどう思う…?」
「え…」
「聞いていなかったの…?」
「…ごめん」

謝るノリコを気にもとめずに…彼女たちはノリコに話し出す


「この子の彼氏さ…」

一人の子を指差した子が肩をすくめて言った

「すぐ…ぐーすか 寝ちゃうんだって…」
「え…」

狼狽えた時の癖で…ノリコは握った片手を口元に当てる


「それって…すっごく頭こない? 」
「やっぱ…終わった後に抱きしめられたり…キスくらいしなきゃね 」
「男とか…女とか…関係ないよ…さっさと寝ちゃうのは…」

最低よね〜

クラスメートの声が重なった…


「あれ…どうしたの…典子、顔が青いよ…」
「気分悪いの…?」




「…ん?」

久しぶりの休日に
のんびりと書棚を整理していたイザークの手が止まった

ノリコの気配が…またひどく乱れている…


は…っと、大きくイザークはため息をついた



その後の彼方から
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by 彼方から 幸せ通信