おとうさんに愛をこめて…



「…熱いな…」
「そお?…大丈夫よ…」

今朝…起きてきたノリコが少しぼぉ…っとしているのを
目ざとく気づいたイザークが典子の額に手を当てた


「こんなの…たいしたことないったら…」

体温計を差し出しながら笑うノリコを抱え上げると
イザークは有無を言わせずベッドへ寝かせた

「…」



気持ちがいいほど晴れ上がった6月の日曜日…
窓から見える青空にノリコはため息をつく


今日は一日…外出など許してくれそうにない…
それはもうわかっていたけれど…
それでも小さな抵抗を試みる…


「おうちだったら行ってもいいよね…」

けれど…イザークは頑として首を縦に振ろうとしない

「だめだ…」
「だってぇ…」
「熱が上がったらどうする…」
「でも…」
「大人しく寝てろ…」


しゅんとなってしまったノリコを見て少しきつく言い過ぎたかと
イザークは慌てて優しく言い直した

「家なら熱が下がってから行けばいい…」

「今日じゃないと意味ないんだったら…」

イザークに掛けられた毛布から
恨めしそうな目だけ出したノリコが訳を説明する

「今日は父の日なのよ…
 おとうさんにありがとうって言いたいの…」
「…電話で言えばいいだろ…」
「あのね…」


三年もの間…心を閉ざしていたノリコは
誕生日やクリスマス…もちろん母の日や父の日…
あらゆるイベントから…
その身を隠すように遠ざかっていた

そんなノリコを心配しながらも…
両親は何も言わずに暖かく見守ってくれていたのだった


「…三年分の感謝をおとうさんに伝えたいのよ…」
「伝える…?
 ありがとうと言うだけではないのか…」

そっか…
ノリコはその時のことを思い出して…納得したように頷いた

「…母の日にイザークいなかったもんね…」


母の日には…
洗濯や掃除といった家事をノリコがすべて引き受けた

「…だが、父親の仕事は物書きだろう…
 どうやって…それを引き受ける…?」

「おとうさんは、日曜日には庭仕事をするのよ…
 すべては無理だけど…一緒にお手伝いしようと思ってたの…」

普段なかなか一緒にいられない母親と
肩など揉みながらおしゃべりをして過ごした

「おとうさん…長時間パソコンの前に座っているから…
 結構肩こりひどいんだよね」

夕飯はおかあさんが大好きなちらし寿司を作った

「そりゃぁ…おかあさんの味にはかなわなかったけど…
 すごく喜んでくれたもの…」

一緒にお風呂に入って…背中を流した

「…おとうさんにはこれは出来ないけどね…」

くすりと笑うノリコを
イザークは愛おしげに見つめる


最後に…心配かけてごめんなさい…と
今までありがとう…と伝えた

「おかあさんたら…泣いちゃってね…
 『ノリコが幸せになって…本当に嬉しい』って言ってくれたの」

その時のことを思い出したのか…
ノリコの目にじわ…っと涙が溢れてきて
イザークは心中狼狽える…


「いっつもおとうさんには無理ばっかり言ってるし…
 今日くらい親孝行してあげたいの…」

お願い…と縋るようにノリコはイザークを見つめた

「…」





お昼過ぎにノリコの実家にイザークがやってきた

「典子は病気なのか…」
「…熱がある」
「だったら…傍にいてやらないといかんだろう…」
「おれもそうしたかった…」
「?」


イザークはきれいにラッピングされた包みを父親に差し出した

「これは…?」
「父の日のプレゼントだそうだ」

開けるとこれからの季節にぴったりの涼しそうな麻のシャツが出てきて…
ほう…と父親の顔がほころんでいく

「わざわざ届けてくれたのか…すまなかったな」

相好を崩した父親の顔を
相変わらず無表情なイザークがじ…っと見ている

「な…なにか…」

なぜだか焦って…赤くなった父親が訊ねた

「日曜の午後は庭仕事をすると聞いたが…」

鋭い視線と尋問口調のイザークに
父親はひどく戸惑って…

「は…?」

間抜けな返答をしてしまった

「違うのか…」
「い…いや…こ…これからしようと思っていたところだが…」

「手伝おう…」
「…」



「余計なのを引っこ抜いてくれ…」

なんだかよくわからないままに…
庭に一緒にやってきたイザークに父親がそう言った

「余計な…?」
「…ああ、芝以外は全部…」

そう言って芝生を指差すと、父親は庭木の剪定にとりかかった


「これは…繋がっているが…もとから…引っこ抜くのか…」
「え…」


この奇妙な状況はいったいなんだ…と
考え込んでいた父親がイザークの言葉に我にかえって振り向くと
芝生の真ん中に埋め込んであったスプリンクラーを
配管ごと持ち上げているイザークが目に入った

「…」


配管をもとに戻し…
裏返ってしまった芝生を敷き直した後…
庭仕事は今日はこれまで…と疲れたように父親は言った



「…ノリコに大事するよう伝えてくれ…」

自分に背を向けて…
書斎へ行こうとする父親の襟首をイザークが掴んだ

「…くぇっ…」

妙な声をあげた父親の身体を自分の方に向かせると…
イザークはすでに決定事項であるがの如く…言い放った

「悪いが…今日はおれと過ごしてもらう…」
「…?」



「…」
「…」


居間のソファにイザークと父親がお互いひどく居心地が悪そうに…
向かい合って座っていた


ノリコから事の真相を電話で知らされていた母親は
飲み物を運びながら…笑いを堪えていた


「…君はいったい何をしたいんだね…」

耐え切れずに…父親はイザークに訊ねた

「おしゃべりだ…」
「…へ…?」

父親の腑抜けた返答は無視して…
イザークは窓の外を見上げた

大抵のことはそつなくこなす…
かつてグローシアから「なんでもできる」と羨ましがられたイザークだったが
それでも苦手なものは幾つもある…

その筆頭が…「たわいもないおしゃべり」
いつもはぺらぺらしゃべるノリコに時折相づちを打てばよかった
けれど今は…父親は訝しそうな視線を寄越すだけで
しゃべってくれそうにはなかった

仕様がなく出てくる言葉はいつも同じ…


「…いい天気だな…」
「…ああ…」

もう日暮れが近いというのに何を言っているんだ…
父親はイザークの真意を図りかねてうろんな視線を送ってくる


「明日も晴れるといいが…」
「わたしは別に雨でも構わないがな…」

自宅で仕事をする父親が率直な意見を述べた


「…」
「…」


それ以上…言葉が繋げずに…

眉間に皺を寄せ…黙ったまま座っていたイザークがやおら立ち上がったので
やっと帰る気になったか…とほっと息をついた父親だったが…

イザークが自分の後ろに立ったことに気づいて振り返った

「肩を揉もう…」
「え…いやあ…だが…その…」

ひどく戸惑って…
意味不明な返事をする父親の首筋から肩にかけて…
イザークが 揉みほぐしていく

「…」


先ほどからの彼の行動と病気のノリコ…
プレゼントなどを考え合わせて
父親はやっと結論に達したらしい…


「あー、もしかして…これは父の日のサービスなのかな…」
「サービスではない…親孝行だ…」
「わたしはまだ君の親ではないぞ…」

少しムッとなって父親が言う…

「あんたの娘の代役だ…」
「典子の代役にしては可愛げがないな…」
「…悪かったな」

淡々と答えるイザークに
父親はせっかくこうして気を遣ってもらっているにも関わらず
嫌味っぽいことを言ってしまったか…と少し後ろめたくなり
素直に好意を受けようと肩を揉むイザークに身を任せた



「…上手いじゃないか…」
「…」
「ツボを捉えてるな…どこかで習ったのか…」

別にお世辞ではなく…本当に気持ちがいいので…
人懐っこく笑いながら父親が言った

「ツボ…?」
「…ああ、そうか…君はツボを知らないんだな…」

ツボとは東洋医学の…と父親が講釈し始める


「ツボ…は初めて聞いたが…」

一通りツボについて聞き終わったイザークが
何かを思い浮かべたようにぽつりと言った

「急所なら…昔、教わったことがある…」
「急所…?」

今度は父親が訊きかえした

「…ああ…例えば…」

揉んでいた手を肩から離して…
イザークは父親の首の後ろに指先を当てた

「ここを…切れば…」
「…?」

「…即死だ」
「!」


冷酷な殺人者…
破壊の化物…

急に父親の頭の中に飯沢の声が響いた


「うわぁぁ…」

父親は突然叫ぶと…身体を翻してイザークから距離を取った

「何を驚いている…」

バクバクする心臓を手で押さえている父親を見て
イザークは心外そうに片眉を上げた

「別にあんたを殺す気はない…」
「当たり前だ…親孝行のついでに殺されてたまるか…」


まるで敵対しているかのように二人が睨み合った…その時
イザークは窓から差し込む日差しが傾いていることに気づいた

「酒だな…」
「は…?」


『あたしがお料理している間にね…
 イザークにはおとうさんと飲んでいて欲しかったの…』

ネットでリサーチしたらしいノリコは
「成人した子供と一緒に酒を飲む」が
おとうさんたちの希望の上位にあると言った

自分はお酒が弱いから…
代わりにイザークと飲んでもらおう…
そう思っていたらしい


酒ならしょっちゅう一緒に飲んでいるのだが…

父の日だからと一緒に飲むことにどんな価値があるのか
イザークにはよくわからなかったが…
取り敢えず持参したお酒をグラスに注いだ



カチン…とグラスが触れあった


「典子はどんな具合なんだ…? 」

もう沈黙はこりごりだとばかりに父親が話し始める

「朝起きた時だるそうにしていた…熱が高かった」

もし実家にいれば…きちんと看病できたものを…

いまだノリコがイザークの所にいることを
心良く思っていない父親が責めるように言う

「君は…そんな典子を置いてきたのか…」
「ノリコがどうしてもあんたに感謝を伝えたいと言ったんだ」

別にそんな無理して…伝えられても
嬉しいのか嬉しくないのか…父親にはよくわからない

「一人で家にいて大丈夫なのか…」
「昼飯は食べさせた…あまり食欲はなかったようだが」
「それはまずいんじゃないか…」
「薬は様子を見て…飲ませようかと思っている」
「起き上がれるのか…何か欲しい時などどうするんだ」
「喉が渇いた時の為に水やジュース…
 腹が空いたらと考えて…サンドイッチと果物を枕元に置いてきた…」
「そ…そうか…完璧だな…」
「具合が悪くなったらすぐに連絡するように言っている…」

イザークは形だけ…
ポケットの携帯を叩いてみせた

「いざという時は救急車を呼べるように…」
「の…典子は…」

不安になったのか…父親の声が上擦っている

「ただの風邪ではないのか…」
「知らん…だが…今日は動かさない方がいいと思ったんだ…」

だからおれが来た…
一人で寝ているノリコを思い浮かべているのだろうか…
最後の所は…ほとんど声になっていなかった…


「君は…」

父親が心持ち…呆れたように笑った

「ノリコの願いなら…何でも聞くんだな…」

ちらり…と刺すような視線をイザークは上目遣いで父親に送る

「病人に…無用な心配をさせたくない…」


病人と言う言葉に…
父親の想いは再び典子に戻った…

「熱が高かったと言ったな…医者に行かせなくていいのか…」
「もっと上がるようであれば…連れて行くつもりだ」
「いったい何度あったんだ…?」
「…37,3度」
「…」


バチッ…

父親はグラスをやや乱暴にテーブルに置いた
グラスを握る手が…気のせいか…わなわなと震えている

「…?」

イザークは不思議そうに首を傾げた


「…それは…平熱…ではないのか…」

父親はこめかみを親指と人差し指で押さえながら…
懸命に何かを抑えている

「ノリコの平均体温は37度前後だそうだ…」
「…誤差範囲だろう…」
「平均体温より高ければ高熱だ…」


く…っと父親が両手を握りしめた時に

「あなた…お風呂が沸きましたから夕食前に入って下さい」

母親が明るく声をかけた


「では…わたしはこれで…」

言いたいことを飲み込んで…父親は立ち上がった

「背中を流そう…」

イザークも一緒に立ち上がった


「結構だ!」

「…?」


怪訝そうな顔のイザークに
ぜぇぜぇと肩で息をしながら父親がかろうじて言う

「…し…心配なので…ノリコの傍へ戻ってくれ…」
「そうか…」

あっさりとイザークはその提案を受け入れた


「では…」
「…?」

「えー…っとだな…」

コホンと咳払いをするイザークの表情がなんだかひどく照れている

「今まで心配かけた…」
「君が…?」

きょとんとした顔で父親が問い返した…

「ノリコだ…」

赤くなってイザークは訂正をする


先ほどまでの仏頂面とのギャップがひどく可笑しくて…

「それは申し訳ないと思うが…感謝をしている…」
「…」
「これからも迷惑をかけると思うが…宜しく頼む」

ほぼ棒読みのイザークの言葉に
父親はいまや…目に涙をためながら…
懸命に笑いを堪えようとしていた

「いや…こちらこそ…宜しくお願いするよ」




「安静にしていたか…」
「うん…一日寝てたから…熱も下がった…」

母親から託された…おかゆやら…消化が良くて栄養のあるおかずを
キッチンで暖め直しているイザークの後ろ姿を
ノリコは食卓に座ったまま…うっとりと見つめ…

幸せをかみしめていた…


「おとうさんに…ちゃんと言ってくれた?」
「ああ…」

お礼の言葉だけは電話でもいいから
自分で言おうかと思ったが…
その他のことを自分に代わってしてくれるというイザークに
すべてを託してみたくて…ノリコは頼んだのだった


「おとうさん…なにか言ってた?」
「こちらこそ…宜しくお願いすると…」
「それだけ…?」

イザークはその時のことを頭に思い浮かべる…

「それ以上言葉はなかったが…目に涙をためていたな…」
「…!」


ドンっ…

突然イザークの背中にノリコが抱きついた…

「ノリコ…まだあまり激しく動かない方が…」

イザークは心配そうに振り返って言う…


ノリコは言葉にできない想いを腕に込めて
ぎゅっとイザークの腰を抱いた

「ありがとう…イザーク」


腰にしがみついているノリコの手を取って身体から離し…
イザークは身体の向きを変えると…

ノリコをいたわるようにそっと優しく抱いた

「おまえが望むなら…何度でもやってやる」




「どうしたんですか…?」

食事をしていた父親がぶるっと震えたのを見た母親が心配そうに訊ねた

「いや…なんだか悪寒が…」
「あら…典子のがうつったのかしら…」

典子は病気なんかではない…と父親は力なく呟いた


「とにかく…
 来年の父の日には典子に元気でいてもらいたいもんだ」

そうぼやく父親に母親はくすっと笑って言う

「あら…でも来年は…」
「…なんだ…?」

楽しそうな母親の様子に…
おまえは典子に祝ってもらって良かったな…と
父親は…妬ましいような気持ちすらこみ上げてきた


「あなたと彼は…もう正式な親子でしょ…
 典子とは関係なく…『親孝行』してもらえますよ…」
「…」


父の日の最後の数時間…
父親は盛大なため息を何度もついて過ごした


その後の彼方から
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by 彼方から 幸せ通信