coming of age


「寒くないか…」

映画を観にいった帰り道
彼はあたしの肩を抱いて自分の方へぐいっと寄せると
寒さからあたしを庇うように歩いてくれた

「あったかい…」

彼の優しさが嬉しかったあたしは
少し甘えて彼にしがみついてみる
そうすると歩きにくくなるけど
こうして彼を感じられることに比べたら
そんなことはどうでもよかった


年が明けてまだ間もない日の夕方
肌を刺すような冷たい風が吹いていたけど
あたしは口から溢れる白い息ですら楽しくて
子供のようにはしゃいでいた


マンションの近くまで来ると彼はコートの中に
あたしをすっぽりと覆い隠す

「警察の人…まだいるの?」
「ああ…」

さっさと終わりにしたいものだ…

彼がそうつぶやいたのを
彼の暖かさに包まれ、ぼぉっとした頭で聞いていた



夕飯にパスタとサラダを作ってみた

まだ慣れない手つきで慎重に包丁を使う
彼が時々(…というかしょっちゅう) 様子を見に来るのが申し訳なくて…
早く彼に安心してもらえるようになりたいと思った


美味しいって言ってくれるのはわかっているけど
やっぱり気になって、食べている彼のことをじーっと見てしまう

「おまえも食えよ…」

彼は口元に苦笑を浮かべてあたしにそう言うと一口食べる

「美味いぞ…」
「…」

やっぱり…
絶対にまずいなんて言わないんだよね…

少し複雑な気持ちで、自分でも食べてみる

うん…結構いけるかも…

美味しそうにパクパク食べ出したあたしを
今度は可笑しそうな顔をして彼が見ていた


あたしたちの間にかけがえのない時間が
眩しいほど輝いて存在している

それがたまらなく嬉しくて…



後片付けをしようとすると
背中から腕がまわされて、耳元に彼の息がかかった

「片付けは…後でおれがやる…」
「…」

あたしが重ねたお皿をまた机の上に戻すと
身体をくるりとまわされ、あっという間に唇が捕らえられる
しばらくそうして…パスタのソースの味をお互いに味わっていた




「随分…感じやすくなったな」

乱れたシーツの上に、片手で頭を支えてこちらを見ている彼が
あたしの脇腹につーっと指を這わせた

「やだ…っ…イザーク…」

すでに一度…
彼に高みへ連れて行かれた身体はいつもよりずっと敏感で…
ほんのちょっとした刺激に、びくんと震えてしまう


イザーク…面白がってる…


彼と何度も肌を重ねていくうちに
あたしの身体はだんだん違う反応を示すようになってきた

今も…悔しいけれど
口ではいやって言いながら
身体は拒んでいなかった

時々自分が自分でなくなってしまいそうで…
恥ずかしいし…それよりも恐ろしくなる

あたしの身体はどうなっていくんだろう…



彼の手の動きはもう控えめになっている
それ以上…先へ進める気はないみたい


ちらりと目を向けた先にある置き時計
ここで過ごす事が多くなってから、買った物のひとつ…

本当はこんなもの欲しくない…
いっそ投げ捨ててしまいたかった


門限に間に合うよう帰るには
十五分後には起き上がらなくてはいけない

帰りたくない…なんて我がままを言ってはいけないのは
わかっているけど…



あたしは時々切なくなる
彼はたった一人の夜を、ここでどう過ごしているのだろう

あたしに会うためだけにこの世界へ来てくれたのに…
両親と暮らすあたしでさえ彼と別れた後はとても寂しいのに…

一緒にいてあげられない自分が悲しくて
おとうさんのことをちょっぴり恨んだこともある



けれど…

両親に会わせたすぐ後のこと…

「苦しんでいるおまえをただ見守る事しか出来なかったおまえの両親も
 充分辛い思いをしたのだろう 」

おとうさんに殴られた時、それがわかった…と彼は言った

「彼らがそれで納得するというなら…おれは一年待とうと思う」

不本意だがな…

微笑んでくれてはいたけど…
低くつぶやいた声はどこか憂いを含んでいたんだ




こてん…と彼の胸に頭をつけて彼の鼓動を聞いた
あたしが一番大好きな音…


「イザークは大人だなぁ…」

あたしの髪を梳いてくれる彼の手の優しい感触を
目を瞑ってうっとりと堪能する


「…あたしのせいなんだよね…」

自分の悲しみだけに振り回されて、周りを顧みる余裕がなくて
両親を散々心配させ…
その責任を、結局彼に負わせて迷惑をかけている… 

なのに…彼はあたしを責めはしない…

「あたし…甘えてばかり」


年齢はそんなに違わないのに…出会った最初から彼はひどく大人だった
誰にも甘えられず…たった一人で重い運命を背負って生きていく中で
そうならざるを得なかったんだろうな



「おれもそうだ…」

え…

意外な彼の言葉に胸から顔を上げて彼を見た


「バラゴや…アゴル親子、ガーヤやゼーナたち…」

全てを拒絶したおれの…そんな態度を黙って見守ってくれた
彼らの気持ちはありがたいものだったが…
それに応えることはあの時のおれには出来なかった

おれの正体を知りながらもおれを受け入れてくれた…仲間たち…

「おれも…どこかでそんな彼らに甘えていたのかもしれん…」

天井の一点を凝視している彼の視線の先には
懐かしい仲間たちの姿が浮かんでいるのだろう…

「あたしたち…迷惑かけちゃったんだね…」

もう会えない…その人たちの思い出はひどく優しくて
目の前がだんだん滲んでくる
あたしったら…相変わらず泣き虫で…


「!」

突然イザークはあたしをその腕に捉えるときつく抱きしめ
掠れた声で静かにささやいた

「幸せに…なろう…な」

それが…おまえの家族や…彼らの気持ちに
おれたちが報いることが出来る唯一の形なんだ…と

「…うん…」

強く押し付けられてしまったから…
顔をそむけることが出来ずに、涙が彼の胸を濡らしていった


あたしはやっぱり我がままだ…

おとうさんやおかあさんのために…
ガーヤおばさんや…みんなのために…
 
…それも…もちろんあるけど


イザークとあたしのために…

あたしは幸せになりたかった

だめかな…?
…なんて、訊かなくても答えはわかっている


…ああ…もちろんだ…ノリコ…

彼は微笑ってそう言ってくれる…



彼とあたしの間には…
こちらの世界の人には言えない「過去」があって
向こうの世界の人には伝えられない「未来」がある

二人だけで分かち合ってこれからも生きていくんだね…
ずっと…一緒に…




「ノリコ…」
彼はあたしを胸に抱いたまま身体を起こすと
促すようにその手を緩めた

「うん」

ベッドから降りて床に落ちていた服をひろい、身につける

朝まで一緒にいたいけど…
もう…少しくらいのことは我慢する…


イザークに追いつくことは出来なくても
あたしも…少しずついろいろなところで大人になっていきたいなぁ…

だって明日は…


「…明日か」
ノリコのつぶやきを耳にしたイザークは嫌そうに眉をひそめた





イザークに再び出会うまでは全くそんな気分になれなかったノリコだったが
急遽成人式に出席することに決めた

その日を両親が楽しみに待っていたことに気づいたから…



けれど…それを彼に告げた時…


「成人式…?」

最初、イザークは何のことかわからないようだった

「うん、成人になったお祝いをするのよ…」
唄を歌ったり…偉い人がお話ししたり…

面白い習慣だな…
イザークはそう言ってノリコの話を聞いていたのだが…


「本当は、お式より小学校や中学の時のお友達に会えるのがね…楽しみなの」
ノリコは嬉しそうに笑った

「確か…中学校までは共学だったはずだが…」
「だ…だって、地元の公立校だったもの…」

嫌な予感がして、イザークの顔を窺うと…
案の定、表情が少し曇っている

「…お友達は、女の子しかいなかったから…」
「『憧れた』やつはいないのか…」
「あ…あれは先輩だから…今年は来ないよ…」

もう…まだ気にしてるの…

「式にはおれが付き添う…」

ふん…と鼻を鳴らして不機嫌そうなイザークに
ノリコはうつむいて消え入りそうな声で答える

「あ…あのね、会場が狭いから…保護者の方はご遠慮ください…って」

苦虫を噛み潰した…ってこういう表情を言うのだろうか…

「わかった…だが会場までは送って …」
「そ…それがね…おとうさんが」

晴れ姿のノリコを送るのは楽しみだな…

「…って嬉しそうに言ってたんだ」
「…」


すごーく長い沈黙の後…
たまらなくなったノリコが話し出した

「あのね…あたし…成人式にはね…
 両親にあたしが大人になったことを喜んでもらいたい…って
 感謝の気持ちから出席しようと思ったの…」

でも…イザークがいやなら…

「いや…構わん…」

あからさまに不満気なイザークだったが
どうせ、数時間のことだろ…と自分に言い聞かせるようにつぶやく


「そ…それでね…」
「なんだ…」

まだ何かあるのか…と問いかけるようにノリコを見るイザークに
振り袖を着ることになった…と覚悟を決めたノリコが必死な顔で言った

「おかあさんが、いつか機会があるかも…って作っておいてくれたのよ」
「…振り袖…キモノか…」
「そう…それでね…着付けに美容院も予約したの」
「…?」
「髪もね…結ってもらおうって…」

ノリコは上目遣いで…そぉっと彼を見た

「結う…?」
「うん…」

その意味に気づいたイザークの眉間にピキっとしわが寄った

「…ノリコ」
「わかってる…わかってるけど…おかあさんが…」

髪は下ろしたままで…って言ったんだけど
全然取り合ってくれなくて…

一生懸命に、そう言うノリコは
久しぶりにイザークの盛大なため息を聞いたのだった





成人式当日…

式が終わった後も…懐かしい旧友たちと
会場の外ですっかり話し込んでしまった

同じ中学校だったひろみと利恵ちゃんもいて…
あの爆破事件の後、すっかり変わってしまったノリコを
高校の卒業式で見たのが最後だったせいか…

「典子…元気そうになったね…」
「あの頃の…またおとぼけものの典子に戻ったんだ…」
「えっー、ひどい…!」
「でも、良かったよ…」
「うん…なんかきれいになったね」

みんな、明るくなったノリコのことを喜んでくれた


「そうだね…立木さん…本当にきれいになった」

え…?

なんとなく顔を覚えていた中学生の時の同級生の男の子が立っていた

「おれ、中学の時…立木さんのこと結構気になっていたんだよ」

ハンサムな人で、そんなセリフがスラスラ出てくるところをみると
慣れているんだろうか…

「良かったら…これからお茶でも飲まない?」
「…おとうさんがお迎えにくるんで…」

きっぱり断ったら悪い気がして遠慮がちに言ったノリコに
おとうさんなんか断ってよ…と笑う

「で…でも、あたしつきあっている人がいるから…」
「へえ…典子、彼氏いるんだ…」
「ふーん、奥手だと思ってたのに…」
「いいじゃん…迎えにも来てくれない奴のことなんか、放っておけよ…」
「え…」

意外そうな顔をした友人たちの前で
自惚れ屋の彼は逆に対抗心を燃やしたらしく
ノリコの手を握るとぐいぐいと引っぱっていこうとした

「そんな奴をふって、おれの方を向かせてやるよ…」
自信満々なセリフにカチンときた


カフェに連れて行かれたら
イザークを呼んで来てもらおうかと思ったけれど…

しっかりしろ…ノリコ
いつもイザークに頼ってばかりじゃだめなんだ

あたしだって、もう子供じゃない…


きっ…とノリコはその人を睨んだ

「それは絶対無理!」

そう叫んでノリコは渾身の力を込めて手を振りほどいた

「え…」
ノリコの剣幕に、その人だけでなく…
友人たちも驚いたように見ている

「イザークのことふるなんて…あり得ないもの…!」

「典子…」

どこかぬけてて緊迫感がなく
こんな時はずるずると黙って引きずられてしまうノリコだったのに…

「…彼氏のこと本当に好きなんだね…」

友人たちにはノリコが立ち直ったわけがわかったような気がした



「おいっ、せっかく誘ってやってるのに…」

かっと赤くなったその人が怒ったようにノリコを捉えようと
再び伸ばした手が…ガッと掴まれた

「なに?」
「あれっ…なんで…?」

突然現れたイザークに驚いてきょとんとしたノリコに
友人たちがきゃぁきゃぁ言いながら、彼…?と訊ねる


無表情にイザークに睨まれたその人は掴まれた手を振り払うと
『負けた…』と口の中で言いながら
くるりと背を向けて立去っていった

『おれはやつには勝てない…』


運が良かったな…

イザークはその後ろ姿を見送った

最初にノリコの手を握った時は
その場に叩きのめしてやろうと思ったのだが…

思いがけないノリコの言動にイザークは動きを止めて
しばらく様子を見ていたのだった


「イザーク…?」

ノリコの肩にかかっているショールをさり気なくずらしてうなじを隠すと
今度はノリコの手を掴んでイザークは歩き出した…

「でも…おとうさんが…」
迎えにきてどこかで待っているはずだった

「話はつけた…」


イザークったら…

おとうさんとどんな交渉をしたのか…
それは訊かないほうがいいかも…


「お夕飯まで会えないと思ってたのに」
「ああ…どうする」

夕飯はレストランでお祝いをすることになっていて
イザークも招待されていたから
その時に振り袖姿を披露するつもりだった

「ちょっと休みたいかも…」

イザークとこうしてぶらぶらするのもいいけど
やっぱり慣れない格好はしんどくて、草履で歩き続けるのも辛かった

「おれのところに来るか…?」
「う…ん」

煮え切らない返事をしたノリコは立ち止まって視線を下に向けると
人差し指でイザークの胸をつんつんと突っつきながら消え入りそうな声を出す

「…だめ…だ…よ…」
「ん?」
「だから… 」

赤くなった顔をぱっと上げると、早口で言う

「今日は、脱がしたらだめだからね…」

う…とやはり赤くなったイザークが、わかったと短く答えた


成人式が一生に一度でありがたいな…

イザークがため息まじりにつぶやいた言葉はノリコの耳には届かず…
イザークの腕にノリコが嬉しそうにしがみついて二人はまた歩き出した


柔らかな冬の午後の日が二人を包むように輝いていた


mママさまの素敵なイラストは コチラ

その後の彼方から
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彼方から 幸せ通信
by 彼方から 幸せ通信