再会…そして5



ぱたぱた…とノリコが階段を慌てて降りてきた

「おはよう…典子」
台所から母親が挨拶するのを横目に和室へと向かう

「イザークさんなら居間よ…」

母親の言葉に、ぴたっと典子が立ち止まった

「早起きなのね…わたしが起きた時はもう布団もきれいにたたんであって…」
「あ…うん…長いこと…ひとりで旅してきたから…」

野宿の時…気がつくとイザークはもう起きていて
今日はお天気がいいなぁ…などと
あたしがぼんやりと寝ぼけた頭で考えているうちに
さっさと寝具をたたんで仕舞ってしまっていたっけ…

あたしがたまに早く目覚めても…
虹がきれいなんてはしゃいでいるうちに
後から起きたイザークが結局…

あ…

あの頃を懐かしく思い出している自分に気づいた
そのことが無性に嬉しかった


居間をのぞくと父親と話しているイザークの姿が見えた
両手を膝の間で組んで、少し前屈みに長い足を持て余すかのように
ソファに座っている

ドキン…胸が痛みすら感じるように高鳴る


ゆうべはイザークに抱かれたまま寝てしまったらしい
目が覚めたらベッドの中で…
また夢をみたのかと不安になって慌てて起きたんだ

でも…イザークはここにいてくれた


もう…とっくにノリコが起きてきているのに気づいていたイザークは
ドアの所に立っているノリコに微笑んだ

『早く朝食を食え…』
『…うん』


「では…君はとあるご夫人がヨーロッパで買い物などをする際
 警護についていたわけか…」
「ああ…」

父親がやっとエスコートなどという下らない考えを捨てて
彼の仕事について質問しているところだった

「一人でか…?」
「いや…もう一人…」
「ふたりがかりとは…ご大層な事だ…余程の人物なのだろうな」
「誰かということは重要ではない…
 誰であろうとそいつの安全を保障するのがおれの仕事だ…」

イザークは具体的な名前や場所は言わない
守秘義務があるのだろう…

「東京に来る前はアメリカにいたのか」
「ニューヨークに…本社がある」

ふぅん…と父親が意味有りげに彼を見たので
イザークが怪訝な顔で、なんだ…と言うように見返した

「ああ…その…あちらには、さぞかし…きれいな女性がずらりと…」
「…?」
「君はさぞかし女性にもてるのだろうな」
「だから…どうだと…?」

否定しないのか…

しらじらしい嘘をつかれても腹が立つが…
あっさりと肯定されてもあまりいい気持ちにはなれない
だからと言って娘の彼氏が女にもてない奴だというのも嬉しくないが…
いったい自分がこの男に何を望んでいるのか…
もはや判然としなくなっている

なんでこんなことを聞くのだろうか…我ながら不思議に思うのだが
この混沌とした思考の所為で止めることができず
つい下世話な質問をしてしまった

「他の女性とつきあった事くらいはあるのだろう…?」
「ない…」

今度は躊躇なく否定した…

「信じられないな…君みたいな…」
いい男が…と最後の所は口の中で言葉にならなかったが…

「他の女を抱きはしたが…
 ずっと一緒にいて欲しいと思ったのはノリコだけだ」
「き…君は…」

父親が非難するかのようにあげた声を、イザークが遮った

「ノリコと…二度と会えないと思っていた時のことだ…」

「君は…」
今度は声を落として呻くように繰り返した

「正直なのも…ほどがあるだろう…」



警察に行くイザークがタクシーを呼んで
大学まで送るから一緒に乗れとノリコに言った

「遠回りになるよ…」
「構わん…経費で落としてやる…」
遠慮するノリコに微笑って言う

イザークとノリコの乗ったタクシーが走り去るのを見送った両親は
ふたり揃って盛大なため息をついた


娘の彼氏が挨拶に来ると知ってから
ある程度の覚悟はしていたのだが…

やってきたのはなんだかとんでもない男で
しかもちゃっかりうちに泊まっていった…
警察が待ち構えている…というのは本当だったのだろうか…

なんでこんなことになったのだか…

妻は…とみると、何故かポーっとしている

「どうした…」
「だって…」

少し赤くなった頬を両手で押さえて
決まりが悪そうに…照れている

「あんな素敵なひとが家の中にいると…緊張しちゃって…」
「…おまえもか…」

まったく…女性にもてるかと訊いたら否定しないわけだな…

「わたしは…もっと平凡な男で良かったのだがな」
「仕方がないわよ…恋してしまったんだから…」
「…一年もつかな…?」
「あなたったら…」

わたしの考えなどお見通しだと言うように妻は屈託なく笑う
その朗らかさに嫉妬すら覚えて、少し意地の悪い気持ちになった

「三年もの間…典子を苦しめてきた男だぞ…
 おまえはなんの抵抗もなく受け入れられるのか…」
「あなた…」

妻は急に真顔になってわたしの顔をまっすぐと見た

「約束の場所に現れなかったのは典子なんですよ…」

彼にしてみれば…典子は裏切ったも同然なのに
憎まれても仕方がないのに、会いに来てくれて…

「おかげで、典子もまた明るさを取り戻してくれた」

そうして妻はふたりの車が去って行った方角を向くと
その姿が見えているかのように目を細めた

「わたしは感謝こそすれ…恨んではいません」







「どうだったの…典子?」

さっそく待ち構えていた友人達につかまった

「どうって…」
「ご両親に気に入ってもらえたの…カレシ?」
「えーと…つきあうのは構わないって…だけど…」
「良かったじゃないの…他になにか問題でも?」
「お父さんが…まだ早いって…」
「早いって…結婚?」
「うん」
「でも…昨日は紹介だけだって言ってたよね」
「それが…成り行きで…」
「結婚の話になったのね…」

こくりとノリコは頷いた

「そりゃ…早いわよ…」
「先週出会ったばっかりなんでしょ…」

両親には違うってばれちゃったんだけど…

「ところでさ…なんて言われたのよ…」
「え…?」
「プ ロ ポ ー ズ」

きょとんとノリコが皆を見た

「典子だって…昨日、 結婚するって言ってたものね」
「…ということは、会ったその日に申し込まれたの?」
「べ…別に申し込まれてなんかないよ…」
「…」

今度は友人達がきょとんとする番だった

「え…と」
さすがにノリコも、自分が言っていることがおかしいと気づいて慌てた

「そ…そばにいてくれ…って言われたんだ」
「それだけ…?」
「一緒にいてくれ…とも…」
「それで…あんたはなんて答えたの?」
「絶対…そばにいる…って」

もう何年か前のイザークの姿が目の前に鮮やかに浮かび上がってきて
ノリコの頬が紅く染まるが
友人達はノリコが照れているものだとばかり思っていた


「…ちょっと違う気もするけど…」
ポリポリと雅美が額をかきながら首を傾げている

「結婚…て言葉が出てないじゃない」
博子も不満げな顔で言った

「ま…でもお互いそう言う気持ちなんだから…」
いいんじゃないの…と江利ちゃんが笑って言ってくれて
ノリコはほっと息をついた





「おれが一体何をしたと言うんだ…」
憮然とした面持ちで、イザークはそこに顔を揃えている面々を睨みつけた


「今回は運が良かったけどね…」

眼鏡をかけた偉そうな態度の奴は、警視庁の特殊部隊の責任者らしい
ハイジャックに関してのノウハウは外国仕込みと自己紹介をしていた…

「君が特殊な訓練を受けていて、強いことはわかった
 だが飛行中の機内でことを起こすのは無謀というものだ」


ふらっと現れたイザークだったが
それでも結構な顔ぶれが揃っているようだ


「発砲されて、機体や機器に損傷でも起こしたら…墜落だってあり得たのだよ」

言い聞かすような態度が気に入らない

「そんな隙は与えなかったが…」

やれやれ…と物わかりの悪い子供に接したかのように、そいつは首を振った
「犯人が倒れた時に銃が暴発する可能性は考えてなかったようだね…」

その一瞬、気を犯人達の銃のまわりにめぐらせて
たとえ発砲しても弾がどこにも飛ばないようにしていたのだが…

「攻撃するにしても先ず機体を着地させるべきなんだ」

ぷいっとイザークは横を向いた
誤りを指摘されて不貞腐れたように見えたのだろう

「まあ…それでも君のおかげで大事に至らなかったわけだし…
 君には感謝状を贈呈する予定だから…」
別な幹部が温厚そうな顔で宥めるように言ったが

「そんなモノはいらん…」
即座にイザークに断られてむっとした表情に切り替わった


「機長からも苦情が申し立てられている…」
国土交通省の担当官が淡々と話し出した

「飛行中の機内で… 機長に行く先を指示することなど言語同断だ…」

「おれはただ予定通りに目的地に行くように頼んだだけだ」

大事な約束が会ったからな…


「頼んだね…」
面白そうに彼は笑った

「機長はそう言ってはいなかったが…」

ただ…と、その担当官は仏頂面のイザークを見ると納得したように頷いた

「君の友人が言っていたが…君のその態度は平常だそうだね…
 特に威嚇や脅しの意志はなかったと…」

あいつはおれの友人ではない…というのも面倒くさいので
黙ったままイザークはくっくっと笑っているその男を横目で見ていた

「…今回は君の功績に免じて、機長の誤解だったことにするよ」

こいつは絶対楽しんでる…
おれの友人と称している奴と同類だ
さぞかし馬があって意気投合したことだろうな…


「だが…彼は空港で警察官を投げ飛ばしたんだぞ…完全な公務執行妨害だ…」

空港警察署から来たという奴が額に青筋を立ててイザークを指差した
本庁からの依頼でイザークのところに
事情徴収の同行を求めに来た仲間の事を言っているのだろう

「おれの腕をつかんだので払っただけだ…」

なにを…といきり立つ彼を、まあまあと公安部の担当者が宥め
それからイザークに向き直ると

「ハイジャック犯が属するテログループがね…
 君を標的にしたって噂が流れているんだよ」

そのひと言でその場に緊張が走り、しんと静まりかえった
そのグループは世界でも恐れられているテロ集団のひとつである

「君の身柄はこれから我々の監視下に…」
「いらん…必要ない」

きっぱりと断ったイザークに公安部の者が眉をひそめた
「君は…状況を理解していないのか…」

「テロリストだかなんだか知らんが…」
口の端を上げてイザークは不敵に笑った


「そんな奴らは…おれが退治してやる…」


そう言うと、ほんの瞬間周りを睨みつけてイザークは部屋を出て行った


パタンとドアが閉まった途端…
呆然としていた面々は、はっとなったり…ため息をついたり…

「な…なんだ、あいつは…何が退治してやるだ…桃太郎じゃあるまいし…」
「めっぽう強いらしいが…危機意識がずれとる…
 要人警護を職業とする者として如何なものか…」
非難とも…罵声ともつかぬ声が部屋のあちらこちらで上がった

公安の担当者が外にいる部下に無線で指示を出していた
「奴が今出て行った…目を離すな…」

無線を切ると、周りを見渡し重々しく言い放つ
「国内で爆弾テロを起こされる可能性もある
 あの男が何と言おうと…公安の威信にかけて監視下に置く」

だが数分後…部下からイザークを見失ったという連絡で
威信は地に落ちてしまうのだった…




結婚かぁ…

今日最後の講義中だった
ノリコは講義など頭に入らずにぽぉーっと考え込んでいる

そんな話はしたことなかったけれど…
結婚する気か…と訊かれたから
否定などできるわけなく…そうだと答えたまでで…


窓の外を眺めながら、ふたりっきりの旅を見守るように
いつも頭上に広がっていたあの世界の空を思い出していた

あの頃はずっと一緒だったから…
結婚なんか意識したことなかったな

あたしったら…
今日はなんだかあの世界のことばかり思い出して…

懐かしいのかな…
帰りたいって思ってる…?

帰るって…変だよね、ここがあたしの世界なのに…

それに、せっかくイザークがここで
あたしと生きていくって言ってくれたのだから…

そうだ…イザークがいてくれる
どこにいようとそれだけでもう充分だ

それだけでいい…



「…ん?」

ノリコは、はっと目を見開いた

イザークだ…
彼が近くにいる…

話しかけてこないのは…勉強の邪魔をしない為…?


そわそわと落ち着かなくなったノリコは講義が終わると
友人達への挨拶もそこそこに猛ダッシュで校門へと向かった




短大の校門付近は人待ち顔の男の子たちがあちらこちらに立っていて
路肩には路上駐車の車がずらっと並んでいる
自分には関係ないことだと思っていた…いつもの光景

けれど、今日は…

街路樹に寄りかかって立っているイザークの姿が見えた

今朝は警察へ行くというのでスーツ姿だったけど
着替えたのか…黒のハイネックのセータに濃い色のジーンズ
はおっている明るめのコートは今朝着ていたかっちりしたのではなくて
少し着古した感があるけどそれがすごくしっくりしている
丈は相変わらず長めで、それが背の高い彼には似合って…

思わず足を止めて、ノリコはイザークにすっかり魅入ってしまった

気がつくと周りの女の子達もみんな彼を見ている
女子大生は誰もおしゃれで、流りの服にきれいにお化粧していて…

あたしは…
放ったらかしで伸ばした髪にスッピン…
洋服は…学校帰りに駅ビルでぱぱっと買った安物…
それでも、どこかあっちの世界でイザークが買ってくれた服を意識して
流行に関係なく長めのスカート、ウエストはいつも絞って…
襟首は鎖骨が見えないくらいの高い位置のもの…

イザークはあんなにカッコいいのに…
あたしったらひどく野暮ったい …

そう思った途端、なんだか前に歩き出せなくなった


『何をしてる…?』
イザークがノリコに不審そうに訊ねてきた

『…なんでもない…』
『ずっとそこに突っ立ってるのなら、おれがそっちへ行くぞ…』

学内は部外者立ち入り禁止だけど
イザークだったら平気で入ってきそう…

イザークはあたしのためだったら、なんでもしてくれるのに…
なぜ…こんな気持ちになるのだろう…

いけない…イザークが心配してる


「イザーク…」

戸惑う気持ちを振り払うようにノリコは頭を振ると
笑顔で駆け出した



立ち止まって動かなくなったノリコから不安な思いが伝わってきて
何ごとかと気を張りつめたイザークだった

けれど…笑顔で自分に向かってくるノリコを見ると
顔に穏やかな微笑みを浮かべて彼女を迎える


イザークの前で立ち止まったノリコは肩で息をしながら訊いた
「ごめん…イザーク、待った?」

イザークは答えずにくすりと笑うと、ポンとノリコの頭に手を置いた
「なぜ…全速力で駈けてくる…?」
「だって…」

恥じらっているのか…頬を染めてじっと見上げるノリコに
イザークはぎりぎり顔がくっつきそうな位置まで身をかがめた

「さっきは何を考えていた…?」
「え…」

イザークの端正な顔のどアップにドキドキしてしまうノリコは
誤摩化す事などできず…

「あ…あたしも、もっとおしゃれしなくちゃ…とか、イザークの為にね…」
「おしゃれ…?」
「だって、みんなきれいでしょ…」

ほら…と、ノリコは周りを見渡した
つられて顔を上げて周りを見たイザークは
視線をそらしながらもそれとなくこちらを窺っているらしい
女子大生たちの姿に初めて気づいた

確かに彼女達はノリコよりずっと派手に着飾ってはいるが…


ここにきてからずっとノリコの気配だけをたどって
ノリコが視界に現れてからは彼女しか見えていなかった

ノリコ以外まったく眼中にないイザークに取って
彼女達がどれだけきれいかなどとはどうでもいいことだった
けれど「イザークの為」と言ってくれたノリコの言葉を無下にする気もなく…


周りの視線を振り切るように、イザークはノリコの腕を取ると歩き出した

「おしゃれとは…いったい何がしたい?」
「えーと、お化粧したりとか…」
「…化粧か…」

うんざりしたようにイザークがつぶやいた

あちらの世界で纏わりついてきた女たちのむせかえるような脂粉の匂い…
記憶にだけあるニューヨークの女たちの
素顔が全く判断できないほど濃く縁取った目元や赤くべったりと塗られた唇…


「あとね…少し雑誌とかで勉強して…流行の服も着てみようかな…」

言っていることは可愛らしいのだが…
深く開いた襟元の服や短いタイトなスカートなど
ノリコが纏っている姿を想像してしまう

「ノリコ…新しい服が欲しいのなら…おれが買ってやる」
「えっ…いいよ、自分で買うよ…」
「だめだ…」
「イ…イザーク?」

イザークの機嫌が悪くなったような気がしてノリコは首を傾けると
横を歩くイザークを見上げた

決してノリコに似合わないというわけではない
むしろ似合う…かもしれん…
だが…そのような服装の少し大人びたノリコの姿を
自分以外の誰かの目に晒すことなど…我慢ができない


「絶対に一人で買うなよ」

眉間にしわを寄せてそう言うイザークに、ノリコはこくりと頷いた












女の子の流行の服など全く疎いイザークにはニューヨーク時代の女性たちの服装が頭に浮かんでいます。
彼女らの衣装はもちろんセクシー系で…敢えて言えば「女の子は余裕!」の友美のお姉さんのような…あんな感じ…


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