再会…そして9


「素敵ねぇ…」

ノリコはイザークに買ってもらった服を居間の床に広げて母親にみせている



からん…と氷の音が響いた

ウィスキーグラスを口に運びながら
父親は向かい側のソファに座ったイザークをそれとなく眺めている

冷酷な殺人者…
破壊の化物…

頭の中に飯沢の声が何度も繰り返し聞こえてきた…



「うん…でも着る機会ないからって、言ったのよ…」

ちらっとノリコが投げかけた視線に気づいたのか…
手元のグラスを見つめたままイザークがつぶやいた

「機会ならおれが作ってやる…」

あら、いいわね…と母親が羨ましそうに言った
頬を染めたノリコが恥ずかしさをごまかすかのように
次の服を見せて、これはね…などと話し始めた



かなりの高給取りだと飯沢が言っていたな…
典子の服を買うくらいなんでもないのだろうが…

親としては…まだ嫁にもやっていない娘のものを
買ってもらうのは少々心外だった…

典子も典子だと思う…
いくらつきあっているとはいえ
当たり前のように服を買わせるとは…

「イザークに、お洋服買ってもらったのよ」

帰って来た途端、嬉しそうに報告する典子に
養ってもらっているわけではないのだから
少しは遠慮したらどうかと釘を刺したのだが…


「え…」

ノリコは何を言われたのかわからないと言う顔で
しばらくきょとんと父親を見ていたが…
はっ…と気がつくとかぁぁっと赤くなった

「そ…そうだよね…おとうさんの言うとおりだね… 
 あ…あの…あたしったら…なにやってんだろう…」

焦った時の癖で…ノリコはペラペラと口走り始めた

「イザークに選んでもらって、あたしが払えば良かったんだ…
 で…でも、なんだか…つい、あっちにいた時」
「ノリコ」

イザークに遮られてノリコのおしゃべりがぴたっと止まった


「あっちにいた時…?」

母親がノリコの言葉を聞き咎めて、不思議そうに首を傾げた

父親は、なぜノリコの服をあいつが選ばなくてはいけないのかと
そこのところがひっかかっている

「え…えーと…ほらっ、あっちって…お…お店にいた時なんだけど…」
「お店にいた時…なにかあったの…?」
「う…うん、そうなの…店員さんが変なこと言い出しちゃってね
 それ…で、だから…つい…全部買うとか…」

こんどは青くなって冷や汗をかきながら
しどろもどろに説明し始めるが全く要領を得ない

「…気にしなくていい…おれが買ってやりたかったんだ…」

イザークがいつもの冷静な口調できっぱりと言って
その話はそのままになったのだった



食事も終えて居間でくつろぎながら
今は屈託もなく、ノリコがその服を披露しているところだった


いったいこの男は典子にどんな服を着せたいというのか…
気になった父親が興味ないふりを装いながらも
ちらりとそちらに顔を向けた

ファッションのことなどよくわからなかったが
今時の女子大生が着る服にしてはどれもおとなし目な気がする
襟元は高めでスカートの裾も膝より長い…
ウェストがしぼってあるデザインは
典子がいつも着ているものとあまり代わり映えがしないような服だが…

ニューヨークの女たちが(たぶん)着ていたような派手で扇情的な服を想像して
そんな服返して来い…と文句のひとつも言ってやりたかった父親は
拍子抜けしてしまい、またイザークの方に向き直った

昼間飯沢に聞いた話と目の前にいる男とを重ねてみようとしたら
視線に気づいて顔を上げたイザークと目が合ってしまった


「あ…その…ふ…服だが…」
「…?」

父親は思わずそう言ってしまってから
その先をどう続けていいか考えあぐね
困って頭をぽりぽりとかき始めた

「い…いや…君のセンスは…まあ、なんと言うか…
 上品な感じが…わ…悪くはないかと…あはは
 そう言えば…この前来ていたスーツは…かなり上等なものに見えたが…」

めちゃくちゃだな…

言葉を発しながらすでに後悔していた
ノリコが慌てた時にあらぬことを口走るのは
どうやら父親から受け継いだらしい…


「あれは仕事着だ…」

気にする風も無く…イザークは酒のグラスを持ち上げた

「会社指定の仕立て屋が作ったんだ…」


仕立て屋と言う言葉に飯沢の例え話が思い出された

こいつが何気に仕立て屋と呼ぶ店は
きっとかなり高級な店なのだろう…

今日の彼はTシャツの上に黒い綿のシャツをボタンも留めずにはおって
ジーンズと言うひどくラフな格好をしている

男っぷりは相変わらずだが…



飯沢から聞いた話をそれとなく確かめてみたくなった

「◯国王妃のようなセレブの警護をするくらいだから
 会社としても下手な格好はさせられないということか…」


イザークはグラスを口につけた状態で手を止め
訝しげに目を細めると父親を窺った


おれのことを調べたのか…

仕事の内容は極秘事項のはずだが…
支社長すら知らないことを、なぜ…


「なるほど…日本の小説家と言うのは大したものだな…」

しばらく胡散臭そうに父親を見ていたイザークだったが
感心したとも皮肉とも言える口調でそう言って
ごくりとグラスの酒を飲み干した

「警護対象の身分など…おれは興味がない」


ったく…こいつは…

不遜とも言えるようなイザークの態度に
面白くない父親は厭味のひとつも言いたくなる

「… 王妃や…王子…か…やたら王家と関わり合いがあるんだな…」

イザークの眉がほんの少しひそめられた


そうだった…
この男にとって王家とは
忌まわしい過去を思い出させるのものなのだ

「すまない…王家の話など不愉快になるだけだったか…」
余計なことを言ったと、父親は素直に反省して謝った


「いや…そんなことはない」

意外なことに…否定したイザークの表情が、気のせいかふっと綻んだ


「王女がいた…」


「王女…?」
「あら…王女様の警護もしたの…?」

ノリコの服を見終わった母親が
父親の隣に腰掛けて好奇心旺盛な様子で訊ねる

「…その王女に…君は好感を持ったとでもいうのか…?」

王妃や…王子、そして王女まで出てきて
君はお伽噺の世界にいるのか…
父親はそう突っ込みたくってたまらなかったのだが…
娘とつきあっている男がどこぞの王女に特別な思いを抱いたというのは
聞き捨てならない…
茶化してはいかんと自分に言い聞かせた



「一生の忠誠を誓ったんだ…」

イザークは 口の端を上げるとにやりと笑った


「あ…あた…し、こっ…これ…しまってくるから…」

皆に背を向けて服をたたんでいたノリコが
突然、それを両腕に抱きしめるとすくっと立ち上がり
顔を見せないまま、二階の部屋へとぱたぱたと駆け出していった

「…?」


彼が王女に忠誠を誓った話など
典子は聞きたくないのだろうか…

それにしても…忠誠だと…?
時代錯誤も甚だしいことこの上ない


「ふざけているのか…君は?」
「ふざけてなんかいない…」

ノリコがいなくなったにもかかわらず
その後ろ姿を見送ったイザークが
可笑しそうに表情をくずしているのが珍しくて…
母親が、まさかとは思いながら…遠慮がちに訊いてみた

「…あの…その王女様って…」

ああ…と、イザークは顔を両親の方へ向けた

「おれにとっては、ノリコは王女様だからな…」

はっ…と 声を出して笑ったイザークの姿を初めて見た両親は
あっけにとられてぽかんと見ていた


「…やはり、からかっているんだな」
しばらくして我にかえった父親がイザークを睨んだ

「からかってない…本気で言ったんだ」
「だが…笑っているじゃないか…」
「笑っているが、本気だ…」
「…」


本気だとはとても思えない…

女とは一時の関係…ただの欲情処理…しか持てない
孤独が好きな男…なはずだろう…




「なぜ…典子なんだ…」


父親がぽつりと訊ねた



別に飯沢の話しを聞くまでもない…
どう見たって…不釣り合いじゃないか…

典子は…
ごく普通の女の子だ…

だが…この男は…

人並みはずれた容姿…
超人と言っていいほどの身体能力…
現実とは信じられない生い立ち…

どこをとっても「普通」など存在しない

彼には彼にふさわしい女性がいるのではないか…
典子がいないと生きていけないほどに
典子を想っているというのは本当だろうか…



「なぜ…?」

いつもの無表情に戻ったイザークが父親の投げかけた言葉を繰り返した


なぜ…

ノリコが目覚めだったから…
おれ達は出会った

だが…それはきっかけにすぎない


イザークは目を閉じて出会った頃のノリコの姿を思い浮かべた

いきなりおれに抱きついたな…

知らない世界へ飛ばされて
戸惑い…怯えて…泣いていたのは…ほんの僅かな間だった

必死な顔で通じないとわかっていながら話しかけてきた
疑うことなくおれを信じてついてきた

そして…
ノリコを拒絶し冷たい態度しかとれないおれに笑顔をくれたんだ



イザークは目を開けると、父親をまっすぐとみつめる

「人を好きになるのに理由がいるのか…?」



「そもそも、君は典子とどうして知り合ったのだ…?」
はぐらかされたような気がした父親は質問を変えた


「ノリコが襲われたところをおれが助けたんだ」

なるほど…彼にふさわしい出会いだな…

「そこでお互い一目惚れしたとでも…?」
「…いや…」

そうだろうな…
典子が彼に一目惚れ…ならわかるような気もするが
彼が典子に…それはあり得ん


「おれの気持ちは最初の頃から傾いていた…」
「は…?」
「ノリコはおれを信頼してくれたが…そういう気持ちではなかったと思う」
「ちょっと待て…」

父親はうーんと唸ると髪の毛をかきむしり始める

「まさか…君の方が先に好きになったとでも言うのか…?」

イザークは、そうだと言うように静かに頷いた

「ただ…あの頃のおれは心を閉ざしていて…
 そんな自分の気持ちが恐くてノリコには冷たく当たってしまった」


その時のことを思い出しているのか
どこか遠くを見るような目をイザークはしている


「では…なぜ…君たちはつきあい出したのだ…」

好きという感情は持てなかったノリコと
心を閉ざしたイザーク…

わけがわからん…とばかりに
だんだん乱暴にがしがしと髪の毛をかきまぜる父親を
あなた…と母親がたしなめた…


「…来たばかりで…生活習慣がわからなかった…」

ふ…とイザークは視線を下にそらした

「言葉も出来なかったからな…」

イザークが主語を抜いてしゃべっていることに
両親はもちろん気づいていない

「では…助けてもらったお礼に、典子が君に言葉を教え
 日本の生活に慣れる手助けをしたということか…」

「…ああ」

顔を半分片手で覆い隠しているイザークは
ノリコみたいな高校生に自分の面倒をみさせたことを照れているのかと
そう思われたようだった


「それで…そのうち典子も君のことを…」
「告白したのはノリコが先だった…
 だが、おれはそれを受け入れられなかった」

「どうして…?」

それまで黙って聞いていた母親が唐突に訊ねた

「どうして…典子を受け入れられなかったの…?」

イザークは母親の顔へと視線を移した

「おれの運命にノリコを巻き込みたくなかったんだ」

「…」

母親は両手で口を抑えるとひどく悲しげな視線をイザークに送った


「勝手じゃないか…」

苦々しげに父親がイザークに向かって投げつけるように言葉を放った

「巻き込みたくないと言う気持ちがあったのなら
 最初から典子を突き放して姿を消してしまえばよかっただけではないのか
 その方がよっぽど典子の為になったはずだが…」

悲しそうに声も出さずにぽろぽろと涙を流していた典子の姿が
脳裏に浮かび上がって来て…
やはりこいつは許せんという思いがこみ上げて来た


「おれはそうしたかったが…できなかった…」


「君の態度はあいまい過ぎる…好きなくせに冷たい態度で
 典子の気持ちを受け入れらず…だが突き放せない
 典子にしてみればどれだけ…」

「それは…」

父親の言葉を遮るように母親が言葉を挟んだ

「あなたも苦しんでいたということなのね…」

「結局…おれはノリコから逃げることをやめて…
 一緒にいてほしいと頼んだ」

母親の問いには答えずに、イザークはそう言って締め括った

イザークの相変わらず表情のない無愛想な顔を見ながら
母親はその下に隠されているノリコへの想いが感じられたような気がした


「イザークさんと出会って恋に落ちたことは
 典子にとってかけがえのないことだったと思うわ
 あれだけ苦しんだのは典子の想いが強かった証拠なのね」

当然…父親は母親の言葉には納得などできない

「私は…典子にそんな苦しい恋などして欲しくなかった…
 もっと平凡な幸せで充分じゃないか」

「あなた…典子は今、とても幸せですよ…
 ごく普通の女の子として…それでよしとしましょう」

宥めるように微笑む母親から
ふんと鼻を鳴らして父親は拗ねたように顔をそむけた


「ノリコにもう二度とあんな思いはさせない…約束する」

イザークは自分自身に誓うように、そう言った


「ええ…お願いします」
「…」

父親は未だ不満げな表情をしていたが、その時…


「きゃああ…」
悲鳴とともにドサッドサッっと何かが落ちていく音が聞こえた

「ノリコ!」
間髪入れずにイザークは立ち上がるとそちらへ駈け出していった

「…」


「いやぁーん、もう…!」
「大丈夫か…」

情け無さそうなノリコの声と
心配するイザークの声が重なって聞こえて来た

「イ…イザークにね…小さい頃の写真…見せてあげようかなぁ…って思って」
「それより…おまえ、どこかぶつけていないか…」

どうやら、アルバムや写真が入った箱を抱えて階段を下りて来たノリコが
足を滑らして全てをばら蒔いてしまったらしい

「いいよ…イザーク、あたしが拾うから…」
「おまえはそこに座っていろ」
「で…でも」
「おれの言うことを聞け」


くすっと母親が笑った

イザークの言葉遣いはぶっきらぼうで
確かに「命令形」で話すことが多いのだけど…
その内には…優しさが溢れている


「典子は、大丈夫ですよ…」

ひどく嬉しそうに母親はそう言うと
あたしにも一口下さい…と父親のグラスから少しお酒を飲んだ

父親は相変わらず納得していないような…
複雑な顔をしていたが…


「見て見て…!これ覚えてる…?」

ノリコが部屋に駆け込んで、まだ幼いノリコと父親の写った一枚を見せた時には
すっかり機嫌が直ってしまった

「ああ…これは確か…」


アルバムと写真の山を抱えたイザークが入ってきて
その晩は写真を見ながら思い出に話しが弾み
一部のノリコの写真にイザークが若干眉をひそめたことを除けば
楽しい一夜になった


イザークが帰った後
テロリストのことを訊ねるのを忘れたことに父親は気づいたが
もうそれはどうでもよくなってしまっていた


本当にあいつは典子が好きなのだろうか…

寝床に横になった父親はまだ考えを巡らしていた

飯沢の話しを聞くかぎり、女に甘い男ではないはずだ

自分を裏切った典子を恨んでいるとは考えられないだろうか…
女にふられることなど考えられなさそうな男だから
裏切られたことを許せなくて…
だからわざわざ日本にやって来て…
再び典子を誘惑して…

復讐しようとしているのか

それならば…典子に対する態度も納得できる


…いや、考えすぎだな
想像を膨らませてしまうのは作家の職業病なのかもしれない


ふっ…と自嘲するかのように笑った口元がまた引き締まった

妻は疑うことなくあいつの気持ちを信じているが…
そんなに単純なものだろうか…

上手く説明できないが…何かが私の中でひっかかっていた
二人の間に何かもっと違うものがあるような気がする…

そういう気がするだけなのだが…


『イザーク…』
典子はあいつの名前を呼びながら
本当に幸せそうに微笑む…

それでいいのではないか…

あいつだって…典子を見るあの表情…
あれが偽りだと言うなら…たいした役者だが…


「ふん…」
面白く無さそうに父親は鼻を鳴らした


だが…おれはまだ…あいつを認めたわけではないからな…

そう自分に言い聞かせながら父親は眠りについたのだった


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