そのままで…後編


「ここか…」
( 以下、ベートの言葉は英語です)

ベートは、支社長に教えられた建物の前で足を止めると辺りを見渡した

夕闇があたりを覆い尽くしている
街灯の明かりが届かない薄暗い道端に
後部に窓がない黒いバンが駐車しているのが目に留った

つかつかとそのバンに近づくと、運転席の窓を叩いた
一瞬の間を置いてスモークフィルムが貼ってある窓がスルスルと開き
不審気な男の顔がのぞいた


「寒い中、お疲れさん…これ食べてよ…」

ニコニコと笑いながら近くのコンビニで買ってきた
まだ温かいあんまんがいくつか入った袋を差し出した

「…」

じゃあ、と背を向けると手を振りながらベートは
マンションの入り口へと向かった


「…どうします…?報告しますか…」

運転席の男は後部を振り返って
そこにいる上司や同僚たちに袋を渡した

「…知り合いが入っていったとだけ言っとけ…」

上司らしい男がごそごそと袋からあんまんを取り出すと
がぶりとかぶりついた



マンションの入り口のオートロックのドアは
手の中にしのばせたクレジットカード状のものですっと開けた

(インターフォンを鳴らしたところで
 あいつがドアを開けてくれるとは思えないし…)

警察の目の前での犯罪行為は多少気が咎めたが
差し入れしたんだから許してよ…と心の中で密かに詫びる



チャイムを鳴らすとしばらくしてドアが開いた

良かった…在宅か…

「やあ…」

ドアの向こう側に現れたイザークに、ベートは笑いかける

「…」

眉間にしわを寄せ明らかに不愉快そうなイザークに
慣れたもので…ベートはポケットに手を入れ何かを取り出した

「支社長から頼まれたんだよ…」

差し出された新しい携帯をさっと奪い取ると
イザークはそのままドアを閉めようとしたが
ベートはすかさずドアを抑えて阻止する

「伝言があるんだけどね…」

なんだ…と視線で促すイザークに
えーーと、と顎に手を当てて記憶を呼び起こす

「せめて一日一度は留守電とメールをチェック…
 メッセージには必ず返信または折り返し…」

そこまで聞いたイザークが再びドアを閉めかけたところに
今度はするりと無理矢理身体を入り込ませた

「いい匂いがするね…」


その時…
ベートには運良く…イザークには運悪く…
ノリコがひょいとキッチンのドアから顔だけ出す

「イザーク…誰?」


「ノリコ…?」
「え…」

イザークがこいつ…と横目で睨みつけたが気にも止めずに
ベートはノリコに向かってにっこり笑いながら覚えたての日本語を披露した

「ワタシハ ベート デス」


ノリコは玄関にいる知らない外人の男性から親しげに名前を呼ばれて
戸惑ったけれど、きっとイザークの知り合いだろうと思って
ぺこりとお辞儀をした


それが合図と思ったのか…
勝手に靴を脱いで上がろうとするベートの前に
イザークは立ちはだかり侵入を止めようとする

「…」

今度は真正面から睨みつけられて、おやおや…といった表情で
ベートはイザークの肩をポンと叩いた

「何か言いたいことあったらさ…口で言おうね…口で…」

それからさっとイザークの身体をかわすと
ノリコのいる方へと歩いていった…



結局三人で仲良く(?)夕飯となった

「ヘぇ…、京都に行ったんだ…」(←日本語)
「そう…キョート…知り合いと一緒 」(←英語)

英会話が得意でないノリコに
ベートは親切に単語を区切ってわかりやすく話す
イザークは顔を上げて怪訝そうにベートを見た

「知り合い…?」

こいつに日本に知り合いがいたのか…

「ああ…君のおかげでね… 」

面白そうに片目を瞑ってベートが答えた


どうやらあの国土交通省の役人が週末を利用して案内してくれたらしい
彼は仕事があるので昨夜帰ったが、ベートだけのんびりと今日の午後まで滞在し
東京に戻って支社に顔を出したところ、支社長から
携帯をイザークに渡して欲しいと頼まれた…ということだが…

本当のところは、支社長がこれからイザークに携帯を届けに行くというのを
アメリカでは垣間見ることさえできなかったイザークの私生活が
覗けるチャンスとばかりに強引に引き受けたのだ



「ねぇ…イザークは京都に行ったことあるの?」
「いや…おれはまだ…」

そっかぁ…と可愛らしく答えるノリコに
イザークの先ほどからの仏頂面がふっと綻んだ

「おまえは…?」
「…あたしは…あるけど…」

よく覚えていない…とノリコは視線を落としてつぶやいた

高校の修学旅行で行った京都旅行は、ただ皆の後にくっついて歩いて…
お寺も仏像も…記憶が闇の中だった

ノリコの表情が翳ったのを敏感に察したイザークが
ポンと頭に手を置いた

「今度…一緒に行こう」

な…と優しく微笑むイザークをじーと見つめてから
ノリコは嬉しそうにこくんと頷いた


「…」

会話の内容は勿論わからなかったけれど
ノリコにみせる穏やかで優しい態度のイザークの姿が信じられずに
ベートはスプーンを握った手を止めて真面目な顔でノリコをまじまじと見る

「な…何…?」

ドギマギしたノリコの顔が赤くなったのが気に入らないイザークは
怒気を含んだ視線をベートに投げた

「ベート…食ったら、ささっと帰れ…」
「あ…いや、すまん…」

素直に謝るとベートは再び食べ始めた


ごく普通の娘に見えるが…
いったい…彼女のどこが…



「おかわり食べる?」

空になったベートの皿ににっこりと笑ってノリコが手を出した

「貰おうかな…」

言葉は通じなくても意思の疎通は出来て…
ノリコの手に渡そうとした皿を横からイザークが奪った

「おまえは座っていろ…」

立ち上がってすぐ後ろの調理台に向かうイザークの後ろ姿に
ベートは言葉には出さずに訊ねていた


おい…君は…
本当にあの「イザーク」なのか…


ニューヨークの本社では会社の幹部たちが
こいつの機嫌を損なわないよう常に右往左往している

イザークの「機嫌」が何なのか…
おれにはいまいちわかってないが…

派遣された仕事先では…
その完璧な手腕に誰もが言葉を失っていた

どんな危険な状況でも眉ひとつ動かさず
冷静に対処できるクールな男

誰にも心を開かず…
常に周囲に放っておいてくれというオーラをふりまいている奴

相性がいいのか…他の誰とも相容れなかったのか…
彼と組むのはほぼおれになっているのだが
何度組んでも…一度だって…こいつの感情や
ほんの少しの心の動揺すら見たことはなかった

…なかったはずだったが…



「ちょ…ちょっと待って…イザーク…!」

イザークがベートに差し出そうとした皿を
慌ててノリコがつかんで止めた

「…ん?」

なんだ…という顔でイザークがノリコを見る

「ごはんは押し付けたらだめなの…ふんわりと盛るのよ…」
「そ…そうか…」
「それにお皿の縁でしゃもじこすったでしょ」
「上手く取れなかったんだ…」
「しゃもじは水に濡らしてから使うのよ」
「…」
「これ、お客さんに出せないよ…」
「…すまん」

はっ…とノリコはイザークを見ると青くなった

「ご…ごめん…あ…あたしったら、偉そうに…
 イザーク初めてで知らないって…わかってたのに…
 まかせたりしないで、あたしがすればよかったのよね…」
「いや…おれが自分でやると言ったんだ…」
「でも…」


「あの…失礼…」

ベートがおずおずと声をかけて、二人は会話を止めてベートを見た

「…その…おれの皿…」

ベートの皿は、イザークとノリコが両サイドから掴んだままだった

「どうかしたのかな…」

ニコリと笑って首を傾げた


「ノリコはおれのよそい方が
 客に出すのにふさわしくないと言ってる」

コホンと咳払いして、少し赤い顔でイザークが説明する

「今…新しい皿を用意してやる」


ベートは、ぷっ…と吹き出すと…あははと声をあげて笑い出した

赤くなった…あのイザークが
しかも…皿の盛りつけで彼女に怒られて…


ノリコはきょとんと…
イザークは憮然とした面持ちでそんなベートを見ていた


ベートは目を拭いながら、二人から皿を奪う

「おれ…これ食う…いや食わして下さい…
 せっかくイザーク君がよそってくれたんだから…」


会社の上役たちに、この話をしたら信じてもらえるだろうか…

そんな楽しい想像をしながら
ベートは二皿目を味わって食べたのだった



「ベート…」

食事も終えて帰りかけようとするベートに
何やら顎に手をあてて思案顔のイザークが声をかけた

「あんた…いつまで日本にいる…?」
「今週末に帰ろうと思ってるけど…」

イザークが珍しくベートににやりと笑いかけた

「明日の夜、おれたちにつきあえ…」
「…?」

ベートさんを…?

不思議そうな顔で見上げたノリコに
イザークは片目を瞑ってて大丈夫だと頷いた

「…」



「典子…ちょっといいかしら…?」

今日、大学で華ちゃんに頼み事をされたんだ


華ちゃんのおとうさんはとても偉い政治家さんだそうだ
おうちも代々続く旧家で…だから華ちゃんはすっごいお嬢様なのだけど…

実際の華ちゃんは全くそんなことは鼻にかけず誰とでも気さくに接する
ただ気が強くて、物事を遠慮なくずばずば言うところもあって
彼女のことが苦手な人もいるみたいだけど
優柔不断な性格のあたしにはそんな彼女が羨ましく思える

心を閉ざしていた頃のあたしにもごく普通に
いろいろと話しかけてくれた人だった


その華ちゃんが言うには…

今、おとうさんと秘書をしているおにいさんたちは
外遊に出かけていて留守ということだ

そして、新しくきたメイドさんが誰かと携帯で話しているのを
偶然華ちゃんは聞いてしまったそうだ

「そう…すごいチャンスだ…逃す手はないよ…
 じゃあ…火曜日の夜にしよう…水曜には男どもが帰ってくる」

明日…火曜日は、おかあさんも親戚を訪ねて
その夜は屋敷に華ちゃんとそのメイドさんだけになるんだって


彼女はまだ雇って日も浅く…
それに最初から華ちゃんは彼女のことを
どことなく胡散臭く感じていたらしい…



「警察には届けたの…?」
「ううん…だって間違いだったらいやだもの…」
「でも…」

なんであたしにその話をするんだろう…

華の思惑が飲み込めないノリコは小首を傾げて彼女を見た

「警備会社に頼んでも…彼女が気づいて警戒されたらだめでしょう」
「だめって…計画を取りやめてくれたらいいんじゃないの?」
「それがだめなのよ…」

彼女の悪事をこの際現行犯で捕まえたい…と
華はその瞳に力を込めて主張した

うわっ…やっぱり華ちゃんだ…

ノリコは感心して…そんな彼女を眺めた


「それで…典子の彼氏が警備員さんで外国の方だって噂で聞いたんだけど…」
「あ…うん」

もうそんな噂が広まっているんだ…

「うちにはね…先祖代々伝わる骨董品が結構たくさんあるのよ」
「ヘぇ…すごいね」
「でね、もし友達の外国人の彼が興味あるから見たい…って
 家に遊びにくれば彼女も警戒しないかな…って思ったの」
「そ…そうだね…」
「お願いできるかしら…」


もちろん…あたしにいやと言えるわけがなく…
イザークも…どうせ暇だから…と引き受けてくれた

何時になるかわからないので、泊まっていってと誘われたので
両親には華ちゃんに返事をする前に、電話で了解は取ってある
人助けなら…と渋々承知してくれた
ただし寝室は別だぞ…と電話口で言う父親のそばで
あなた…と母親がたしなめているのが聞こえた

イザークがベートを誘ったのは
外国の客人も多い華の家では、家族が普通に英語をしゃべれると聞いて
彼の如才なさ…ソフトなしゃべりでその場の空気を和ませ
人の警戒心を上手に緩めさせる…
その才能が役立つような気がしたからだった





「おお…っ、素晴らしい!」

次から次へと華の家に伝わるものを見せられて
演技なのか…本心なのか…
ベートは感嘆の声を何度もあげていた


イザークは…先ほど見せられた日本刀をずっと目の位置に掲げて
ため息すらついている



「…ああ…友達の彼氏とその友人て言う…外国人だよ
 心配ない…一人は細っこい優男だし…
 もう一人はやけにへらへらしたお調子者だ…
 それにあたしがちゃんと手を打っとくよ…」

メイドが携帯でそんな会話をしていたことは
もちろん誰も知らない…




夕飯後は酒盛りパーティーとなった
若い男女の楽しい集い…といった様相だ


「日本酒…最高!」

酔っぱらったベートさんが杯を掲げて叫んだ


おしゃべりは主にベートさんと華ちゃんが中心だった

華ちゃんたら…ホントにきれいなクイーンズイングリッシュで…
普段はニューヨークの下町訛りでしゃべるベートさんが
仕事仕様の英語を使っているとイザークが可笑しそうに教えてくれた

イザークはいつものように会話にはあまり加わらなかったけれど
あたしのために、二人の会話をずっと耳元で通訳してくれていた

そう…気がつくと、あたしは彼にしっかり抱き寄せられて
彼の手に髪を梳かれたり…身体の線を撫でられたり…
その手は…他の二人には見えない所で、微妙に動いていて…
そして時々、額や頬…耳元にキスを落とされていたりする

すごーく恥ずかしいんですけど…

そんなあたしたちをベートさんは面白そうに見ていたし…

「今日大学ですごい騒がれてたけれど…」
華ちゃんも納得したような顔で頷いていた

そんなこと納得しないで…華ちゃん

なにか釈明したい気になったのだけど
華ちゃんとベートさんがまた何か話し出してしまって出来なかった


ベートさんは、ニューヨークの下町の孤児だったらしい
里親を転々としたり…
時には路上で暮らしたこともあったということだ…

そんな話を全く重さも感じさせず
飄々と話すベートさんにあたしは感心してしまった


イザークの解説によれば…
里親を転々とした時にあいつのあの会話の才能が生まれて
路上暮らしで警備員としての素質が磨かれたんだろう…ということだった

里親を何度も変えたことで彼の人を見る目は結構鋭いとか…

路上での暮らしは…眠っているときでさえ
周囲への警戒を解いてはいけない…
寒い時期には命を守るために建物に侵入し
どこか暖かいところにねぐらを定める

ああ見えても…彼の警戒心は半端無く強いし
大抵の鍵はあっという間に解錠してしまう腕を持っているということだ


いつもにこにこと人当たりのいいベートさんに
そんな過去があるなんて信じられなかった

でも…それを言ったらイザークだって…


この人たちは…自分の辛い過去を踏み台にして
今を築き上げてきたんだな…

あたしは…敬意とも言える…そんな思いで胸が一杯になってくる



しばらくしてから…イザークの合図であたしたちは
静かに目を閉じて眠ったふりをした

本当は…ベートさんは酔っぱらってなんかいなかった

最初に飲み物が運ばれてきた時
杯に鼻を寄せたイザークが首を振った

だからあたしたちは誰も…出された飲み物には手を出さず…
近くの植木に全部捨てていた…

ベートさんたら…おかわりを運んでくるメイドさんに抱きついて
ほっぺにチュっとかして…

やり過ぎ…とか思っちゃったけど…でも…

メイドさんはあたしたちが
ただばか騒ぎをしてるって信じたみたい…

べたべたいちゃついているカップルと
酔っぱらって上機嫌の外国人…

警戒することなんか…全然ないって…



結構長いこと…そうしていたらしい…
…というのは…

あたしったら…こんな非常時にもかかわらず…
イザークの胸に抱かれて目を閉じて…
うっとりと安心して…本当に眠ってしまっていたんだ

この癖…どうにかならないかしら…


「ノリコ…」

彼に呼ばれて…はっと目を覚ました

華ちゃんもベートさんも起き上がっている


やだ…あたしったら…
と思っている間もなくイザークがあたしを身体から離して立ち上がった


「ベート…ノリコを頼む…」

イザークは窓を開けると外に飛び降りた




「二階なのよ…ここは…外は真っ暗闇なのに…」

華が珍しくおろおろしている
自分が予想したとおりの展開になったわけだが
やはりまだ若い女の子で…
いざとなったら…急に不安になったらしい

女の子たちを安心させようとベートが何か言いかけた時


「大丈夫よ…華ちゃん」

ノリコがにこっと安心させるように笑ってみせた

「イザークは強いから…」

それからベートにたどたどしい英語で同じことを言った


ベートは不思議なものを見るようにノリコを見る


イザークは強い…確かにそうだろう…
だがノリコは、彼がどれだけ強いのか…知っているのか…

あいつは自分でその強さをべらべらとしゃべるような真似はしまい…

困っているところを助けられたと言ったな…
暴漢にでも襲われたのだろうか…
だが今のこの状況は…街でチンピラ相手に闘っているわけではない

真っ暗闇の中…
相手がどんな奴らなのか…何人いるのか…
全くわからないのだが…

もしかするとプロの犯罪集団で…
武器だって持っているのかもしれないだろう

昨日知り合ったばかりだが…
ノリコが決して浅はかな娘ではないことはわかっている

だったら…もっと恋人のことを心配してもいいんじゃないか…




カチャ…

ドアが開いてイザークが入ってきた


「イザーク…」

心配そうな声をあげたのは華だった

イザークはそんな華に
手に持っていたスリッパを渡した

「すまん…汚してしまった…」


華は渡されたスリッパを持ってきょとんとするし
ベートは思いっきり拍子抜けして
ノリコはくすっと笑った

「じゃ…じゃあ代わりのスリッパを…」
「いらん…」

慌ててそう言う華を制すると
イザークはやっと状況を説明した…と言っても
かなり簡潔なものだったが…

「裏口で全員倒れている…
 女は殴りたくなかったので縛っておいた…
 蔵の骨董品が目当てだったようだ」

話を聞いたときから、お宝目当てか
娘を誘拐したいのかがわからなかったのだ


「ハナ…警察を呼べ…
 ベート…後は頼むぞ」

ノリコの手を取って帰ろうとするイザークをベートが必死で止めた

「待てよ…後は頼むって…」
「あんたがやったことにしろ
 おれは今、これ以上警察と関わりあいたくないんだ…」
「だが…あいつらの証言と食い違ってしまうよ…」
「おれが姿を見られるほどのんびりとしていたと思うか…」
「でも…メイドはあなたたちがここにいたことを知っているわ」

華も抗議するかのようにイザークに詰め寄った

「大丈夫だ…」

イザークが不敵に笑った

「充分に脅かしておいた」


イザークったら…
メイドさんに何をしたのか…聞かない方がいいみたい…




「どうする…?」

華の家を出てから
しばらくぶらぶら歩いていた二人だった

「…もう両親も寝てるし…」

家に帰って両親を起こしてしまうのは悪い…
などと…言い訳めいたことを言いながら

少し恨めしげにノリコはイザークを上目遣いで見上げた

わかっているくせに…

そう潤んだ目で訴える

お芝居とは言え…
今夜、イザークから…かなり長い時間をかけて…
丹念な愛撫を受けていたノリコの身体は充分に…

イザークはそんなノリコを見てくすっと笑うと
両腕で彼女を抱き抱えた

「イ…イザーク?」
「…少し急がしてもらうぞ」
「えっ…」


ノリコを抱えたまま…イザークは近くの建物の屋上に跳んで上がると
ヒュッヒュッと屋上から屋上へと移動して行った






翌朝…
ノリコはイザークに送られて大学へと向かっていた


これって…もうばればれだよね…

多少恥ずかしくもあったのだが…
嬉しくもあって…頬を染めたままイザークの腕を握っている


門の所に…ベートがいた

「おはよう…!」

「あ…おはよう…ベートさん」
「…」

明るく挨拶されてノリコは挨拶を返したが
イザークは片眉をあげて応えただけだった


「なにをしている…?」

ノリコが校門の中に消えて
いつもの無表情に戻ったイザークにベートはにこっと笑う

「ハナを送ってきただけだよ…」

それから空を見上げて大きくのびをした

「いやぁ…君の言うとおりだね…日本はいい国だ…」

イザークはベートを無視すると
くるっと向きを変えて 帰ろうと歩き始めた

ベートは気にせずイザークの後ろを
スキップするかのように軽い足取りでついてくる

「おれも日本に転勤しようって、今…本気で思ってるから…」


こいつ…ハナとなにかあったのか…?

イザークは密かに訝った


「…?」

いきなり肩をポンッと叩かれて、イザークは 肩に置かれた手を嫌そうに見た


「なんたって…おれたち…最高の相棒だもんな…」


あはは…と高らかに笑うベートを残して
イザークはさっさとその場を去っていった





 

 おまけ



数週間後のニューヨーク…

社長の自宅に幹部が数名集まっている

オフィスは事務員が取り次ぎや事務処理をするだけの場所で
仕事の打ち合わせや会議などはいつもこの家で行われていた

幹部と言っても…社長と副社長(社長の弟)
人事担当者(社長のいとこ)の三人だけだったが…

この会社は創立以来の同族会社だった
規模の小さな会社なので結構それで上手く回っていた


今三人はベートを前に話し合っていた

「しかしだね…イザークに加えて君まで…
 日本にいる必要はないのだがね…」
「けどおれたち、近頃すっかりセットじゃないですか」
「だが…今みたいに彼が仕事ができない時は…
 別の仕事もやって貰わないと…」
「もちろん…仕事があればこちらに長く滞在しますよ
 イザークみたいな我がままは言いませんから…
 アパートも残しておくし…」
「だが…なぜ…」
「え…」
「なぜ…イザークといい…君まで…日本のどこが気に入ったんだ」

そんなこと決まってるじゃないか…

ぽりぽりと頭をかきながらベートは
真面目に訊いてくる幹部たちを少し呆れて眺めた


「食事が最高に美味しいんですよ…」

如才ない笑顔でベートは答えた

確か同じことを奴も言ってたな…


そんなものか…
フムフム…

幹部たちは真面目に協議しているが一向に埒が明かない


はぁ…とため息をついてベートは決心した

よし…とっておきの切り札だ…


「交換条件でいきませんか…」
「交換条件…?」
「君を東京へ行かせる代わりに何かするとでも…」
「ええ…」
「いったい何かな…?」

にこーっと満面の笑顔でベートは爆弾を落とした


「おれ…イザークとの連絡係引き受けますよ
 常時彼と連絡が取れるようにしておきます」


「まさか…そんなことが…」
「不可能だ…今まで誰も成功してないぞ」
「口からでまかせじゃないだろうな…」

幹部たちは口々に不信な言葉を吐き始めた

「試してみますか…」

失礼…と言ってベートは部屋を出て行った
残された幹部たちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている


廊下で何かしていたらしいベートはすぐに 戻ってきた
それと同時に社長の机の電話が鳴った

「あー、今は取り込み中なので…」

電話を取った社長はそう言って切ろうとしたが
受話器から聞こえてきた声に思わず手が止まった

「おれに用事だと聞いたが…」

「イザーク…おまえか…?」

社長の言葉に他の二人もはっと息を潜める

「そうだが…」
「あ…いや…仕事もなくて…どうしているか気になっただけだ」
「特に変わりはない…」
「それは何よりだ…」
「用がないなら切るぞ」

ぷつん…と通話が切れた

「…」

長い沈黙の後…絞り出すような声で社長が訊ねた

「いったい…どんな魔法を使ったんだ…」


あの男にすぐに連絡を取ることなど至難の技だった
いや…今でもそうだ…日本支社長が振り回されているのはわかっている

それに…例え連絡が取れたとしても
彼が速攻で折り返し電話をかけてくることは奇跡に等しい


その奇跡が今、目の前で起こったのだ


「教えられませんよ…これはおれのトップシークレットですからね…」

「…」


ベートの笑顔はイザークの仏頂面と同じ位
感情が読み取れないことに幹部は気づいた



一ヶ月もしないうちに、ベートは東京へと転勤になった



ベートのトップシークレットとは…
ノリコの携帯番号と
ノリコが家で寝ている時と大学へ行っている時以外は
二人は一緒にいるという事実…


例え…一緒にいなかったとしても…
どうやらイザークは仕事用とは別な
ノリコ専用と言ってもいい携帯を持っているらしく
…その番号は最後まで教えてもらえなかったが…
ノリコは常にイザークとコンタクトが取れるらしい…


先ほどもノリコの横にイザークがいた
だが…それにもかかわらず
ベートはイザークに代わろうかというノリコを制して
用件だけ簡単な英語で託すと会話を切った

イザークと直接話したところで、「断る」と言われたらそれで終りだ


「社長さんの所に電話してって…」

ノリコにそう言われたら、多分イザークは逆らわないだろう…
電話をしなければ伝言されたノリコの信用を落とすことになるから

おれもあざといな…

東京に行ったら…ノリコになにかおごってあげよう…
もちろんハナも一緒に…
ああ…絶対あいつもくっついてくるだろうが…


楽しげに口笛を吹きながら、ベートは社長邸を後にした

その後の彼方から
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by 彼方から 幸せ通信