雪の夜に


「やぁ…まいった…何度滑りそうになったか…」

その男は何の前ぶれもなしに、いきなり玄関先に現れた


低気圧の発生で寒気団が押し下げられたということで
昨日はこの地域では珍しいほどの大雪だった

一旦上がった気温がまた下がって雪は氷と化し…
道路はスケートリンク状になり、首都圏の交通網は混乱し
足を滑らした怪我人が病院に詰めかけていると言うニュースを聞きながら
父親は、自分が在宅でできる仕事を持っている事に感謝していたのだが…


お客さんですよ…と妻に呼ばれたが
誰かが訪ねてくる予定はないのだが…と不思議に思いながら玄関へ行くと…


「この前はご馳走になったな…」

妻に土産を渡している飯沢の姿があった


「たまたまこの近くに用があって…
 そう言えばあんたの家が近くだった…と思い出したんだ…」

せめて来る前に連絡くらいしてくれ…
責めるように言う父親に飯沢はやけに爽やかに笑ってみせる…


…おかしい…
こんなキャラじゃないぞ…こいつは…

何か嫌な予感がして、父親は眉をひそめた

近くに来たからとふらっと立ち寄るなど
そんな無計画な真似をするような男だろうか…

それは口実に過ぎず…
何か他に目的があるのではないか…


胡散臭そうに自分を眺める父親に気づいて
飯沢は、まあまあ…と宥めるような視線を送った


「こんな寒い日に…ようこそいらっしゃいました」

母親は屈託なく笑って、彼を居間へ通した

「お夕飯、一緒に召し上がって下さいね」


全く…夕飯前にいきなり来るとはな…
いい根性してるじゃないか…

飯沢の突然の訪問が気に入らない父親が、皮肉な思いを胸に後に続いた



「お気遣いなく…」

この男には今更お茶やコーヒーでもないだろうと
父親が酒の用意をして、母親も有り合わせのつまみを運んで来た


「随分と上等なやつを飲んでるんだな…」

父親が取り出して来たウィスキーのボトルを見て、感心したように飯沢が言った

「なに…貰い物だ…」
「…ところで、そのイザークという男だが…」

グラスに琥珀色の液体が満たされていくのを
満足そうに見ている飯沢に呆れていた父親だったが
彼の言葉にビクッと驚いてその手を止めた

「なぜ…知っている?」
「…は?」

これはイザークから貰った酒だと知っているのか…と
誤解した父親の言葉に飯沢がきょとんとした顔で応えた

「…あ、いや…なんでもない…彼がどうかしたのか…」


結局…この前の話の続きか…

自分の勘違いに気づいた父親は少し顔を赤らめるが
イザークのことで彼が来たのだとわかると
憂鬱な影が表情を覆った


いろいろ教えてもらえたのはありがたかったが
イザークとの関係を聞かれた時に、なぜだか本当の事が言えなくて
知り合い(娘)の知り合い(恋人)で、連絡先など知らない(嘘ではない)
少し興味があったので聞いてみた…とごまかしてしまったのだった


「書きたいんだよ…」
「?」
「あんたの依頼で彼の事を調べたわけだが…
 知ってしまったら…放っておけなくなってしまった」


子供の頃から冷酷な殺人者として育て上げられ…
その世界から抜け出した今では伝説のボディガード
女と関係は持っても決して心を開かない…孤独を愛する男

話を創作する必要などない…
この男こそ真のハードボイルド…
おれの小説の世界ぴったりじゃないか…


美味しそうにグラスの酒を飲みながら…
飯沢は期待に目を輝かしている


それで…我慢ができずに
この天気にも関わらず押し掛けて来たというわけか…


「紹介してくれ…」
「…だから、連絡先は知らないのだと…」
「あんたの知り合いは知っているのだろう…訊いてくれよ」
「それは…」


答えに窮した父親が困って視線を彷徨わせているところに
玄関のドアが開いて、どさりと何かが下ろされた音がした



「んーーーっもうっ!!!」
ノリコの怒ったような声がした

「ひどいよっ…全然っっ聞いてくれないんだもの!」
「だが…」

イザークの声も聞こえてきて父親はがくりと肩を落とした


このタイミングで…

そう言えば今朝、今日は冷えるから鍋にしようか…と
母親とノリコが話していたのを思い出した


近頃、イザークのところで料理をしているらしいノリコだったが
週に何度かは家でも食事をとる
もちろんイザークも一緒だ

毎日のようにノリコの大学が終わると二人は一緒にいる

よく飽きないものだな…

それだけ一緒にいたらそのうちお互い顔を見るのもイヤになるのではないかと
父親は口にこそ出さないが、少し期待をしているのだったが…



「何度足を滑らしたのか…気が気でなかった」
「だからって…なにも肩にかつがなくったっていいじゃない…」
「荷物があったから、両腕では無理だったんだ…」
「そういう意味じゃないってば!」
「なにが問題なんだ…」
「小学生には指をさされるし…角のおばさんなんか吹き出してたのよ…!」



何ともなしに聞こえてくる会話に、飯沢が物問いたげに父親を見た
 
「いや…娘が帰ってきたようだ…
語尾はほとんど消えかけていく

「お嬢さんと…彼氏かな?」

返事はせずに、あはは…と笑いでごまかした



帰り道、イザークの腕にはつかまっていたが
それでも何度もノリコは足を滑らして
その度にイザークが両手で彼女を受け止めていた

けれど買い物をしてお店を出た途端またもや滑りそうになったノリコに
片手で荷物を抱えたイザークはため息をついて…
いきなり肩にかついで歩き出したのだった

「やだっ…イザーク、やめてったら…おろして…」
「うるさいぞ…」

焦ったノリコが懸命に頼んだのだが、一蹴されてしまった

「は…恥ずかしいよ、みんな見てるってば…」
「だからなんだ…? おまえが怪我するよりましだろ」
「で…でも…」
「大声を出している方がよっぽど目立つ…」
「…」

その後、小声で何度もおろしてという頼みは聞き入られることなく
玄関の中に入ってようやくイザークはノリコを肩からおろした



「なに大声で騒いでいるの…」
母親が二人を出迎えたようだ

「おかあさん…聞いてよ…」
ノリコが何か言いかけたが、母親の驚いたような声が遮った

「まあ…瓶ビールを半ダース入りの箱で…?
 缶ビール2・3本でよかったのに…」
「だって…お父さん…
 ビールはやはり瓶でなくては…っていつも言ってるでしょ」
「助かったわ…ちょうど切らしちゃって…
 酒屋さん、今日はこの天気だから配達はできないって言うし…」
「これも…」

イザークが何かを渡したらしい…ビニール袋がかさかさとたてる音が響いた

「ありがとう…近頃腰の調子が悪くて…
 お大根とか白菜なんか持って帰るのがしんどいのよね」
「いつでも遠慮なく言ってくれ」



「いやぁ…羨ましいよ…
 おれの娘の彼氏など、うちには寄りつかん…顔も知らないんだからな」

なかなか気さくそうな青年じゃないか…と飯沢は笑って言う

「いや…かなり無愛想な奴なんだが…」

ぽつりと父親が諦めきった顔でつぶやいた



「あれっ…お客さん?」

居間をのぞいたノリコが来客に始めて気づいて
飯沢のところにとことこ歩いてくるとぺこりとおじぎをした

「こんばんは…」
「娘の典子だ…こちらは作家仲間の…」

紹介する父親の声を聞きながら飯沢はノリコに挨拶すると
その背後に立った男に目をやった

「…」

ビールの箱と大根やら白菜の入った袋を抱えて
肩に娘を担いでいる屈強な大男を想像していたのだったが…

背は高いが身体つきは細っこくて…
モデル並み…いや…それ以上の容姿を持つイザークの姿に飯沢は瞠目する

一瞬息を飲んだが…それでも外国人と接する機会の多い飯沢は
慣れたように自分の名前を言いながら手を差し出した

その手を握り返してイザークも名乗った

「イザーク・キア・タージ」


ピキンっ…と凍りつくような音が聞こえた気がした

「…?」

イザークの手を握ったまま固まってしまった飯沢と
その後ろで頭を抱えている父親を
ノリコとイザークは不思議そうに眺めていた



なかなか離そうとしない飯沢の手を
イザークが空いている方の手でつかんで引きはがして
はっと飯沢は我にかえった

鍋の仕度ができたと母親がみんなを呼びに来た



「そうか…警備の仕事を…」


外から持ち帰ったばかりのビールは充分に冷えていて美味しかった
母親やノリコも小さなグラスについでもらっている
鍋を囲んで夕飯は楽しい雰囲気で始まり
飯沢が、お仕事は…などと白々しくイザークに訊ねている


「では… 年末年始などは仕事で忙しかっただろうね…」

それとなく探るかのように質問を重ねる

「いや…仕事はなかった」
「ほう…何故かな…」

知っているくせに…と父親が横目でじろっと睨んだが
飯沢は気がつかない風を装っている

「知らん…会社が仕事をまわしてこない」

興味も無さそうな顔でイザークがビールを飲み干すと
ノリコがトクトクとおかわりをつぐ

「…仕事がなくては困るだろう…」
「そんなことはない…」

ビールをつぎ終わったノリコに顔を向けると微笑いかけた

「おかげで、ノリコと一緒にいられる…」

「…」

ノリコもニコッと笑みを返して…
しばし見つめ合った二人を…両親はもう慣れたのか黙々と食事を続けていたが
飯沢は箸を持つ手を止めてぽかんと見ていた


「そう言えば…典子は近頃バイトに行かないな…」

急に思い出したように父親が訊ねた
確か駅前のファーストフードの店で週に何度か働いていたはずだが…

店の外から働いているノリコを見ていたことがある
例の痛々しい笑顔で接客しているノリコの姿に心が痛んだ


「うん…辞めたの…イザークが…あの…」


こいつの所為なんだな…

ずっと引きこもりがちだったノリコに少しでも外の世界に接してほしいと
両親が勧めて始めたバイトだった
こうして奴のおかげで明るさを取り戻したのだから
それはそれで構わないのだが…

やはりなんだか面白くない…


赤くなってもじもじし始めたノリコに代わってイザークが続けた

「ノリコの笑顔を無料で売るなど…論外だ」

そういうことか…
はぁっと父親は呆れたようにため息をついた

「あれは…売り物でなくてサービスだろう…」
「どちらにしても…なぜノリコが笑顔をふりまかなければならん?」
「典子は誰にだって笑顔で接するぞ…」
(君の所為で心を閉ざしていた時期は別だが…)
「それは…別の話だ…」

しれっとイザークがそう言った時…

はっ…と何かに気づいたように父親は腰を椅子から浮かせると
イザークに向かってのめり込むように身体を前に出した

「も…もしかして、君が典子の就職を辞めさせたのか…?」

信用金庫に就職が決まっていたノリコだったが
年が明けてすぐに取り消した

小さな子供が好きで保育士になりたいという夢を…漠然とだが…
ノリコは中学生くらいの頃から持っていた
けれど大学受験の頃は、何もかもやる気が失せていて…
手近な短大に何の目的も持たずに入学し
同様に就職も勧められるままに決めたのだった

イザークと再び出会った後
ノリコがあの頃の夢を追って頑張りたい…と打ち明けた時は
両親は一も二もなく賛成したのだ
良かった…とさえ思えた
我がままを言ってごめんなさい…と恐縮するノリコの背中を押して
就職を断りに行かせ、保育士の専門学校の資料も取り寄せ入学を決めた


「窓口に座って客に笑顔をふりまくなど…けしからんとか言って…」
「…ん?」
「君は…典子を束縛しているのか…!」

今にもイザークの胸ぐらを掴み掛からんとばかりの勢いだった

「あなた…」
母親が驚いて止めようとする

「違うったら…!」
ノリコも慌てて父親に向かって叫んだ

「あたしが保育士になりたい…って言った時に
 イザークは賛成してくれただけだから…
 それにバイトだって…辞めろとは言われてないの…」

必死な顔のノリコに父親が動きを止めた

「イザークが気に入らないことはしたくなかったし…
 少しでも一緒にいたかったから…自分で決めたのよ」

それから情け無さそうに視線を落とすと、ごめんなさい…と謝った

「さっき…ちゃんとあたしが説明しなかったから…」

「い…いや、私こそ…すまなかった」

赤い顔で照れたように片手で後頭部をぽりぽりとかいて謝る父親を
イザークが手をあげて止めた

「おれも誤解させるようなことを言った…」

それに …と口の端を上げて笑う

「ノリコが自分で辞めると言っていなければ…おれが辞めさせていた」

「…」

「あんたの言ったことは間違いではない…
 ノリコが毎日男の客に愛想を振りまくなど …おれは我慢ができない」

客は男ばかりではないのだが…

イザークが自分の先ほどの行為を庇ってくれているのか
それとも挑発されているのか…
父親は悶々とする心を抑え、イザークに倣ってにやりと笑った

「なるほど…保育士ならば仕事の相手は子供、同僚は女性ばかり…」
「お迎えも母親だしな…」
「父親だって行くだろう…」
「既婚者ばかりだろ…」
「いや…近頃はシングルファザーが多いと聞くが…」
「…」
「冗談だ… 」

一瞬眉をひそめたイザークに
父親はしてやったりとほくそ笑んだ


最近わかってきたことだが…
ひどくクールなようで…弱点をつくと動揺することもある
意外とからかいがいのある奴なのかもしれない…

そして、その弱点とは…典子だ



「お鍋の中が煮え切っちゃいますよ…」

母親に言われて、おう…と父親は楽しそうに再び箸を握った



ハードボイルドホームドラマじゃないか…

先ほどから飯沢が声もなく…呆然と眺めていたことに
気づいたものは誰もいなかった



食事が終わって後片付けをしようとした母親をイザークが押し止めた

「おれがする…」
「え…でも…」
「気にしなくていい…家ではいつもおれがしている」

そうなの…と母親に見られて
ノリコは照れたようにえへへ…と笑った

「そうか…ノリコが料理をしてイザークさんが片付けるっていう
 役割分担なのね…」
「…う…うん」

本当の理由は違うんだけど…

誤解はそのままにしておこう…とノリコは母親から顔をそらし…
食器を重ね始めた



シャツの袖をまくって皿洗いを始めたイザークの後ろ姿を見ながら
父親と飯沢は居間へと再び向かった


「あいつは、本当に …あの男なのか…?」

ウィスキーが再び注がれる時間をも惜しむように
座った途端…飯沢が父親に訊ねた

「…わたしにわかるか…」

拗ねたように答える父親の姿を、冷静さを取り戻した飯沢が
ふむ…と顎を手でこすりながら興味深そうな顔で眺めた

「娘がつきあっている男が…破壊の化物だったわけだな…」

くっ…と父親の顔が引きつって恨めしそうな顔で飯沢を睨んだ

「悪かったな…そうと知っていれば、あそこまで教えなかったのだが…」

女との関係のことを言っているのだろうか…

「そうだろうと思ったから、言わなかったんだ」
「そうか…」

しかし…と、ここからは見えないにも関わらず台所の方へ視線をやった

「こう言ってはなんだが…彼は本気なのかな…」

そんなことは…すでに何度も自問していた
わからないのか…それとも認めたくないのか
答えはまだ出ていない…

出ていないが…

他人から指摘されると面白くない父親であった

「普通の女子大生の手に負える男じゃないぞ」
「あんたも見ていただろう…あいつは娘にべた惚れだが…」

認めたくないと思っていたことをうっかり口にしてしまい
父親は悔しい気持ちを押し殺し、複雑な表情になっている

そんな父親を飯沢は同情するように見た

「ひどく…独占欲が強そうじゃないか…」
「あ…あれは、焼きもちを妬いているだけだろう」

いや…と飯沢は頭を横に振る

「あの手の男はな…
 なんでも自分の思い通りにしないと気がすまないんだよ」

それから少し考え込むと、そうかと一人納得したように頷いた

「お嬢さんは、大人しそうで素直な子だから…
 彼に取ったら…恰好な存在なんだろう」

「そ…うだろうか…」

だんだん飯沢に押されて来た父親が弱気になったところに
畳み掛けるように話し出した

「バイトや就職にまで口を出しているじゃないか…」
「だが…あれは典子が自分で決めたのだと…」

ちちち…と指を振って、甘いな…と飯沢はつぶやいた

「洗脳されているんだ…
 自分でそう決めたと思い込まされているのだろう…」

典子はイザークの嫌がることはしない…

「一から十まで…全てを束縛されるのは時間の問題だぜ…」

服装や髪型まであいつの好みに合わせている…
あいつは毎日大学まで迎えに行き…家に送ってくる…
今の典子に一人で自由に使える時間などない

「小説の題材としては面白い男だが…恋人としてはどうかな…」

だが…



「イザークってば…」

明るいノリコの笑い声が聞こえて、はっ…と父親は顔を上げた
片付けが終わった二人が部屋に入ってきたのだった


「楽しそうだな…」
「う…うん…」

ノリコは赤くなった顔を照れたようにうつむかせる


何か…イザークに言われたのだろうか…
あいつはあんな顔をして
時々聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことを平気で言う


イザークからさり気なく背に手を当てられたノリコが
すっとその場に腰を下ろし、二人は仲良く並んで座った


ここに座れということなのだろう…
彼がノリコの一挙一動に気を配っているとも
またはその全てをコントロールしようとしているとも言えなくない

だが…

それを束縛と呼ぶのだろうか…



「飲むか…」
「…頂こう」

父親は新しいグラスをイザークに渡し酒をつぐ

就職をして家を出て行った息子は、勉強や友達付き合いに忙しく
あまり私と酒を飲むことはなかった

イザークとは…夕飯を食べた後や…
典子を送って来た時、たまに家に上がらせて
往々に杯を傾ける …

無口な彼は自分から話し出すことは滅多にないが
私が話せば耳を傾け相づちを打ち
なにか訊けば大抵のことは正直に答えてくれる

時々、ただ黙って飲んでいることもある

そんなひと時を…決して嫌がっていない自分に気づいていた



ノリコの顔が赤かったのは
恥ずかしかった所為だけではなかったらしい…

「あたし…ちょっと酔っぱらっちゃったかなぁ…」

夕飯に飲んだビールが回って来たようで
眠たげに瞼が半分閉じられている

そのうちに、こてんとイザークの肩に頭をのせると
すーっと寝入ってしまった

イザークはノリコの頭をそっと抱えると身体をずらして膝にのせた


「あらあら…寝ちゃったの…?」
おつまみを運んで来た母親が、今度は毛布を持って来てノリコにかけてやった


眠っているノリコの髪を指で撫でているイザークの瞳は
切なげな光を帯びている


あいつは…いつかも典子の寝顔をやはりあんな目で見ていた…

典子が起きている時には決して見せないそれは…
普段、あの無表情な仮面の下に隠されているあいつの心の一部なのだろうか


『苦しんでいたのはイザークだって一緒なの…』

典子の言葉が蘇ってきた

再び失うことを恐れているのか…
あからさまな独占欲はそんな不安の現れなのかもしれん…




「…イザークさんも典子の部屋でいいかしら…」

「はぁ…? どういうことだ…」

しばらく物思いに浸っていた父親が急に現実に引き戻され
母親に向かって目を剥いた


「明日は今日より冷えるみたいで…危ないからって
 イザークさんが典子を朝、迎えに来て大学まで送るって言うから…
 だったらいっそ泊まって貰った方がいいでしょう…」
「だが…なぜ典子の部屋なんだ…」
「だってねぇ…」

ちらりと母親はイザークの方を見たが、イザークはふっと顔をそらした


大晦日の夜も泊まったのだが
元旦の朝は、やはりイザークが一番の早起きで…
ノリコはなかなか起きてこなかった

もうすでにたたまれていた布団をしまおうとした時…
それが使われていないことに母親は気づいたのだった


「私も腰が辛いから… 」
「だったら…彼が自分で…」


「心配しなくていい…ノリコの眠りの邪魔はしない…」

イザークは立ち上がってノリコを両腕に抱えると
父親が何か言う前にさっさと部屋を出て行った

「…」


いかん…あいつのペースにはまって流されそうになってしまった
 
あいつは典子を苦しめて来た奴なんだぞ…

それなのに…我が物顔で典子を抱えて…
まだ…認めたわけではないというのに…


こぶしをぎゅっと握って父親は自分に言い聞かせる

期間が短かぎる…
あいつが真に信頼に値する男かどうか…
じっくりと時間をかけて見極めなければ…



飯沢が、気の毒そうな顔で
まぁ頑張れや…と肩を叩いて出て行ったことにも気づかなかった




また降り出した雪がしんしんと降り積もっていく
雪は、暗い闇の中に白く輝く光を紡ぎ出していた

イザークの心の闇を照らしたノリコの存在そのもののように…


その後の彼方から
Topにもどる


by 彼方から 幸せ通信