雨物語




昨夜…彼に翻弄されて
意識が遠くなりそうになったその時…
雨音が聞こえた




今日は出かけられそうにないな…
窓際に佇んで外を見ながら彼はそう言った

湿った空気が部屋の中に忍び込んでいる

あたしはまだベッドの中に横になったまま
目を閉じて雨音を聞いていた

小さい頃…同じピアノの先生に習っていた友達と
弾いた連弾を思い出す
下手くそな不協和音を響かせながら
それでも楽しくて…
ピアノのキイを叩き続けた無邪気なあたし


彼がベッドに腰掛けて
なかなか起き上がろうとしないあたしの長く伸びた髪を指で梳いた

彼は何も訊ねない
あたしの様子からもうわかってしまったんだろう
前の世界を懐かしく思い出しているのを



雨音は、色とりどりのきれいな傘をあたしの目の前に広げた
この世界にはない雨具…


「雨が突然降りだすと…
 おかあさんが学校までお迎えにきてくれたの…」

ふと口ずさみたくなる懐かしい童謡…

アメアメフレフレ
カアサンガ…


「嬉しかったな…」

ぽろぽろと涙がこぼれてきた
彼はあたしを抱き起こすと
その胸にしっかりと抱きしめてくれた


会いたいよ…
みんなに…


ここに…
彼の傍に残ったことを後悔したことは一度もない

ずっと一緒にいたい
迷わずそう言えたもの…


彼は全てをわかってくれているから…

だから、あたしは遠慮もせずに
時々こうして、彼の前で
自分の世界を思って泣くことができる…

彼の優しさに甘えて…




お昼を過ぎても雨は止みそうになかった
彼は宿にもう一晩泊まると伝えた


宿のひとが用意してくれたお昼ごはん食べて部屋に戻った後
あたしたちは、どちらともなく身体を寄せ合い…愛を交わした

ゆうべのように翻弄することもなく
彼はあたしを静かに抱いて
尽きることない愛を与えてくれる

あたしは…雨の中に浮かぶ小舟に乗っているようで…
雨音に包まれて、ゆらゆらと優しく揺れながら
小舟は白くけぶる世界へと旅立っていく

彼との連弾には不協和音などひとつも響かない
調和のとれた旋律にあたしは高みへと誘われていく

ゆらゆらと…
優しく揺られながら…



「雨…止まないね」

彼の胸の中で目を覚ました
まだ夕方まで間がある時刻…

一日中こうしているのも悪くないな…

元凶は倒したけれど、いまだに危険な目に会ったり
彼が戦わなければならないこともある
旅から旅の毎日の中で
ふと訪れた穏やかな一日…

「天がプレゼントをくれたんだね…」



彼と出会った最初から
雨が降ると雨宿りして待つのが当たり前だった

雨の中を出て行くことなどあり得なかった

だから、あたしはそれがこの世界では
当たり前のように思っていたんだった


どこだったか、最初の旅をしていた頃…
頼まれた仕事をしに彼は宿から出て行った

そして雨が降ってきた

雨が止むまで彼は帰ってこない…
そう思っていたあたしは
宿のおばさんが
この雨はきっと数日降り続けるねぇ…と言ったので
なんだか寂しくなってしまい、しょんぼりとベッドに座っていた

突然ドアが開いて、濡れ鼠の彼が帰って来た時は
びっくりして…嬉しくて…


「…びしょ濡れ…」

心配そうな顔をあたしがすると
彼はあたしの目を見ようともせず、ぶっきらぼうに
おれは丈夫だから…と言った

おれは丈夫…?

病気とか…しないってことかな
怪我がすぐなおるのは知っているけど…
あの発作は…別な原因で…

頭の中で、彼の言葉を一生懸命理解しようとしたら
はっと気がついた

おれは丈夫…
雨に濡れたくらい何ともないってこと…

じゃあ…
あたしの為なんだ…

風邪から気管支炎や肺炎を起こしても
抗生物質などない…この世界

彼には降り出す前に雨が来るのがわかるらしい
いつもどこか雨にあたらないような場所にあたしを連れていって…
雨が止むのをじっと待つ

あたしの為に…


衝立の向こう側で濡れた服を脱ぎ捨て着替えた彼は
まだ濡れている髪を布で拭っている

この人はいつもそうだ…
何も言わず…無愛想な表情で…

…でも、すごく優しい…

一緒にいればいるほど…
彼の優しさが、心に染み入ってくる


あたしは黙ってその布をつかんだ
不思議そうな顔をした彼に椅子を指差す
断られるかと思ったけれど…彼はそこに座ってくれた

彼の髪を丁寧にあたしは拭った
感謝を込めて…
その頃芽生え始めた…密やかな想いを込めて…


あたしは…最初から大事に護られていたのだった

そんな…雨の日の…
ひとつの…
大切な思い出…




「あたしの世界ではね… 」
彼の胸の中で、あたしはひとりでペラペラとしゃべりだした

そんなあたしの話を、彼は興味を持ったように聞いていた


あたしの世界、この世界…
雨の日の過ごし方ひとつとっても
大きく違う…

戸惑いながらも、あたしがどうにかやってこれたのは
彼がいてくれたから…
二つの世界を通じて一番大切なものを
あたしは手に入れることができたんだね


イザーク…あなただよ…



いつか…二人でおまえの世界へ行けたらいいな
彼はそう静かにつぶやいた


二人で…

その言葉を聞いた途端…また涙が滲んできてしまって
彼は少し慌てている…

嬉しかった…

二人で…

どこでも…
いつまでも…


ずっと一緒にいてくれると…
そう彼は言ってくれたんだ



いつか本当に行けるかもしれないね…

そうしたら大きな傘を買おう
その傘をさして、彼と一緒に雨がけぶる街を歩きたい



短編

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