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「あたし…本当に一人でやっていくから
 もう…イザークは必要ない!
 もう…そばにいなくていい!!」



少女は青年を両手で尽き飛ばすと駆け出していった
青年は…言葉もなく…ただ呆然と立ち尽くしていた






「今まで本当にありがとう」

ノリコはぺこりとお辞儀をした

「本当にひとりで行っちゃうのかい」
「うん…あたしもうこれ以上みんなに迷惑かけたくない…」

ガーヤが何度も自分たちと一緒に行動するように説得しても
ノリコは頑として首を縦にふらなかった


目覚めのあたし…
もう散々迷惑をかけている…
白霧の森でも黙面からも…
いつも狙われるあたしを守って闘うのはこの人たち…

そして…

自分を犠牲にしてまであたしを守ってくれた人…
その彼の手をふりほどいてしまったあたしが
この人たちと一緒にいるなんて虫がよすぎる


「おれ…ノリコを守りたい…迷惑だなんて思っていないよ」
「ありがとう…バーナダム」

寂しそうに言うバーナダムにノリコはにこりと笑った

最後にもう一度…みんなに「ありがとう」の言葉と笑顔を残して
ノリコは去っていった



セレナグゼナの町は占者の館の爆破事件でもちきりだった
ノリコが捕らわれていったところを見ていた人たちがいるかもしれない…
少しでも早くこの町を出ていかなければ…


とことこ… ノリコは歩き出した…
ただ…頭に浮かぶのはイザークのことばかり…


今頃どうしているんだろう…
今朝具合が悪かったのに…
あたしのこと助けに来てくれた…

大丈夫かな…また倒れていなければいいけれど…

天上鬼か…


ノリコはそっとため息をつく


そしてあたしは天上鬼を「目覚めさせる者」
そんなあたしと一緒にいてはいけないのに…
ずっと傍にいて守ってくれた優しい人

みんなが話していた時はすっごく怖い化物かと思っていたのに…
あんな優しい人をあたしは知らない

イザーク…

う…っと泣きたくなる気持ちをノリコは必死で抑える


くよくよしたって仕方がないもの…
今出来ることを頑張ってすればいい…


ノリコはきっと眉を上げて前を向くと歩き出した…




「暗くなってきた…」

次の町までたどり着く前に日が陰ってきた
この世界は日が落ちれば真っ暗闇で…

イザークもそんな暗闇では
特別な理由がないかぎり移動しようとはしなかったっけ…


「うーんと」

ノリコは額に人差し指つけるとしばらく周りを見渡し…
びしっと指差した

「あそこ…!」


イザークだったらきっとここで野宿していた…
そんな木立の中の平らな場所を今日のねぐらと決めた…


枯れた枝を集めて火をつけようとする

ガーヤがノリコの旅のために用意してくれた品物の中に
火打石らしきものがあった

この世界に来てから半年ほどたつが…
ノリコは自分で火をつけたことなど一度もなかった

いくら叩いても…こすり合わせても…
火花の一つもとんでこない…

「…」

辺りはもう…真っ暗闇になっている
こんな時に限って…雲が出ているらしい…
月も星も見えない空…

しゅん…とノリコは肩を落とす…


今夜は携帯食だけ食べて…
このまま寝てしまおうか…


諦めかけたノリコだったが…
これで最後…と思いながら火打石を思いっきり叩いた

バチッ…
炎が急に燃え盛るのをノリコはちょっと感心して見る


やれば出来るじゃないの…


うん…とノリコは嬉しそうに頷いた


寝具の用意をした
それはいつもあたしの役目だった

「終わったよ」と言っても…
イザークはいつも「もう寝ろ」とだけ言って
たき火の傍に座ってたっけ

彼はきっとあたしより…
睡眠時間が少なくても大丈夫だったのかもしれない
夜中にうとうとしながら目を覚ますと…
たき火の前に座っている彼の後ろ姿が見えたものだった


イザーク…

会いたいという気持ちが込み上げてくる


だめだよ…
もう決めたんだから…


夜具の中でノリコはぎゅっと目をつぶった


彼とはもう二度と会わないんだから…
もう二度と…あたしの為に犠牲になって欲しくないんだから…


ウオォーン…

必死でイザークへの想いを振り切ろうとするノリコの耳に
獣の鳴き声が聞こえてきた




「あれ…いつの間に寝ちゃったんだろう」

朝陽がうっそうと繁る木々の間から射し込んでいる
小鳥たち声がやけにうるさく聞こえる

夕べははじめて一人で野宿したせいか…ひどく不安で
どこからか妙な獣の泣き声みたいのが聞こえてくるし…
毛布をかぶって震えていたのに…

「でも…しっかり寝ちゃうなんて…
 あたしったら意外とお気軽なのかなぁ」

ひとり言をぶつぶつ呟きながら寝具をたたんでかばんにしまう


そうだ…

最初は怖かったけれど…
焚き火のはぜる音になんだかイザークと過ごした夜が思い出されて…
目をつぶればすぐ傍にイザークがいるような気がして…
そしたら安心して寝てしまったんだ…

焚き火を見ると火が消えていた

「いつの間にか…消えちゃったんだ…」

寝てる間は別に寒くなかったような気がするから
明け方だろうか…

火をつけるだけでなく…
火の始末もいっつもイザークにまかせっきりだったしな…


イザーク…会いたいな


イザークを思い出してしょんぼりと肩を落としたノリコだったが
がばっと顔を上げた


ああ…もう何度も…あたしったら…
決心したのよ、あたし…もうイザークに頼らないって…
一人で生きていくって…

両手をしっかりと握り締めてポーズを取ると
ノリコは町に向かってとことこと歩き出した



「何だろう…?」

しばらく歩いていると…
道の脇にある大きな木の枝に橙色の実がついているのが見えた

「オレンジ…みたい」

傍に行けば柑橘系の清々しい香りが漂っている
果物が大好きなノリコののどが鳴るが…
手を伸ばしてもはるか上の方にそれはあって…

「届かない…」

イザークがいたらな…

ああん…だめ…
すぐ…イザークが…イザークが…って…

ぶる…っと思いを振り払うように頭を振ったノリコは
木の根もとの近くに大きな岩があるのに気づいた

よし…あれに乗って…

「届くかな…」

岩の上から手を伸ばそうとするが…
あともうちょっとで届かない

「よし…」

爪先立つと指の先が実にふれた…と思った途端…

すてん…
岩の上で大きく足を滑らしたノリコは頭から地面に落ちていく

だめだ…もう…
打撃と痛みを覚悟して…ノリコは目をぎゅっと瞑った

ポワン…ドサッ…

え…

お尻から着地したのか…気がつくと…草の上にへたり込んでいた
落ちる途中で回転したらしい…


運が良かったのは…良かったのだが…

「あたしってば…ほんとに何にも出来ないんだな…」

落ち込んでしまったノリコはなかなか立ち上がろうとしなかった
泣かない…って決めたのに…目頭が熱くなってくる


項垂れたまま座り込んでいたノリコの膝にぽとりと実が落ちてきた

「え…?」

慌てて上を見上げる…
実が鈴なりになっている重そうな枝があった


熟した実がひとりでに落ちてきたんだ…
それとも…
この木にも朝湯気の木のように精霊がいて…
あんまりあたしが情けないから落としてくれたのかしら…

そう思うとなんだか元気が出てきたノリコは
その実をおいしく食べるとまた歩き出した



パカッパカッ…

馬の蹄の音が聞こえたのでノリコは振り返った
人を乗せた馬が二匹…こちらに向かってくるのが見えたので
邪魔にならないようにと道の脇に身を寄せる

ノリコの横を通り過ぎた馬が急に止まると
回れ右してゆっくりとノリコの方へ戻ってくる


なんだろ…

嫌な予感がしてノリコは二三歩…後ろに下がった


「おじょうちゃん…ひとり…?」

やっぱり…

馬上からへらへらと男が笑いかけてきた…

「どこ行くの?」
「町まで…」

なるべく顔を見ないようにノリコは下を向いて答える

「やだなぁ…下を向いていたんじゃカワイイ顔が見れないよ」
「おいで…乗せてってあげるからさ」

男の一人が手を差し出してくる…

「結構です…歩いていきます」
「何言ってんの…馬のほうがずっと早いよ」
「それにひとりで歩いてたら…悪いやつらに捕まっちゃうぞ」

ひっひっひ…と下品な笑いをしながら無理やりノリコの手を掴もうとする

悪いやつら…ってあんたたちのことじゃないの…

心の中で悪態をつきながら…
ノリコはその手を振り払うように走り出したが
すぐに追いつかれて腕を掴まれてしまった

「いやっ…放して…」

男の手は意外と力強くて…ノリコは馬上に引き上げられそうになる

「うわっ…」

ドサっと音がしてノリコの手が自由になった…
ノリコの手を引いた途端…バランスを崩したらしい
男が馬から落ちて地面に横たわっている

乗っていた馬は勢いで駆け出していってしまった

「おいっ…大丈夫か」

気絶してしまった男を
もう一人の男が慌てて馬から下りて介抱している


な…なんだかわからないけど…今のうちに

ノリコは急いでその場を後にした




やっぱ一人旅って大変だなぁ…

ようやく町についたノリコはベンチに座ると疲れたようにため息をついた
今までどれだけイザークに守られてきたのか…つくづくわかる…

あたしこれから大丈夫かな…

あんな大きな岩の上から落っこちて
どこも打たずに怪我もしないなんて…運が良かったけどさ
これからはもっと気をつけなくちゃ
果実がひとりでに落ちてきてくれたけど…
長い棒とか見つけて枝を揺らせば良かったのに…
そんなことも後から思い浮かぶんだよね…
怖い男の人がいつも馬から落ちてくれるとは限らないし…

ため息が止まらない…



「仕事…探してるのか…」
「え…」

顔を上げるとひげのおじさんがじろじろと自分をみている

「ま…ちょいっと色気がないけど…使えねぇこたぁねえ…」
「あ…あの…」
「ほれ…ついてきな」

腕を引っぱられて仕方なくノリコはついて行った


お宿に泊まるとお金かかるし…
別れる時ガーヤおばさんがいくらか持たせてくれたけど…
使っていったらいつかは無くなる…
仕事紹介してくれるみたいだけど…
住み込みでお金ももらえるのかな
あたしも一人で生活するんだったら…
出来ることでお金稼がなきゃいけないものね


ノリコはこれも運がよいのだろう…とひどく前向きに考えた


連れて行かれたのは3階建ての古い建物…
表の方がお店になっているみたい…
裏口から入っていって…そのお店の主人に引き合わされた

口入れやの人がなにやらこそこそ主人の耳元で話していて
主人はノリコを見ながらにやりと嫌らしい笑いを浮かべる


…なんか…やだな…
やっぱり…断ろうかな…

ノリコがどうしようかと迷っているうちに…
話がついたのか…主人からお金をもらった口入れ屋が
頑張れよ…とでも言うようにノリコのかたをポンと叩くと館を出て行った


中年の女の人が呼ばれてやってきた

「今日は、服はあのままで…化粧もさせなくていい」

そんなことを主人がその人に言って…
すぐに合点したように女は頷くとノリコを三階へ連れて行った
白粉や香水の匂いでむっとするような部屋に
鏡が並べてられて化粧品が所狭しと置かれている…
ハンガーラックに剥き出しのまま派手な衣装がずらっとぶら下がっていた

「荷物はそこに置いて…」

言われたままかばんを置くとノリコは再び下へ連れて行かれた

お店は…上の部屋みたいに女たちの白粉や香水の匂いと一緒に
ノリコの世界で「葉巻」と呼ばれていたモノによく似たタバコの匂い…
男たちの体臭も混じっていた
ざわめきや女たちの嬌声… 酒がつがれたグラスの立てる音も聞こえる


「あの…あたし何をしたら…」
「そこに座ってりゃいいんだよ」

女がつっけんどんな態度で店の一角を指差した

すでにそこには…胸が開いた服を着て…
けばけばしく飾り立てた女たちが座っていてじろりとノリコを睨む

う…
ノリコは怯んだが…仕方なく長椅子の端っこにちょこんと腰掛けた…


なんだろう…ここ…
あたし場違いだ…
やっぱり断った方がいいのかな…


ひどく肩身の狭い思いがして…
ノリコは首を竦ませていたので…
店の中の出来事に気づかなかった

店の中のざわめきや…女たちの嬌声が…し…んと静まり返った
それは…ほんの数分続いたが…またゆっくりと元の状態に戻って行く…
その内に主人が一人の男を連れて店に入ってきた
恰幅もよく…いかにも金持ちといった風情の男がノリコの前に立った


「どうです…」
「ふむ…また違った趣向だの…」
「生娘です…あたしの目に狂いはありません…」
「ほう…それは…」
「お値段ですがね…」

そんなやり取りが交わされているのをノリコはもちろん知らない

「ほら…」

肩をつかまれてノリコが顔を上げると
先ほどの主人と太った知らない男の人が
にやにやしながら自分を見ている

誰…?


中年の女がまた来てノリコを今度は二階へと連れて行く
なにがなんだかわからなかったノリコだったが…
連れて行かれたその部屋は大きなベッドがあるだけで…


まさか…

「あ…あの…こ…こは…」

必死で中年女の服をつかんで…
訊ねようとするが上手く言葉が出てこないノリコに
ああ…と女は言い聞かすように話す

「あの旦那はねこの町一番の金持ちの商人だ
 気に入ってもらえたら…常連になってくれるから頑張るんだよ…」


やだ…それって…


慌ててノリコはその女に言った

「あたし…いいです」
「…?」
「仕事…断ります」

その顔に女は初めて表情らしいものを浮かべ…
呆れたようにノリコを見た

「あんた…何言ってるんだい」
「あたし…こんなつもりじゃなかったので…」
「馬鹿も休み休みお言い…あんたはもう逃げられないんだよ」
「ど…どうして」
「売られたんだよ…あの口入れ屋に…結構な金を払わされたらしいよ」
「そんな…あ…あたし知りません…」
「逃げようたって無駄だからね…
 用心棒たちが目を光らせているからすぐに引き戻される…」

気の毒だが諦めな…と女は言って部屋を出て行った


ベッドにうずくまるように座ったノリコの身体が絶望に震え出した


どうしよう…
イザーク…呼んだら来てくれるかな…

だめだ…もう時間がない

あたし…一人で生きていくなんて…簡単に考えて…
なにをやったって全然ダメで…
結局…こんな事態に陥ってしまって…
なんだかんだ言って…いっつも困るとイザークに頼ろうとして…

いやだ…


先ほど目にした脂ぎった男を思い出す


あんな人となんて…絶対いやだ


どうしよう…


部屋の窓は高いところにあって…とても届かない…
ドアの外には屈強な用心棒がいる…
無理だ…逃げられやしない


「なんにもないのが一番なんだけどね…
 女の子の一人旅は何が起こるかわからない…」

いつも身につけときな…と言いながらガーヤが渡してくれた小剣が
帯の中にあるのをノリコは思い出して取り出した


これであのおじさんを…

ううん…あのおじさんは悪くない…
それにそんなことしたって逃げ切れやしない


ぽろぽろと涙が溢れ出す


ごめんね…イザーク…
一人でやってく…だなんて…エラそうなこと言って…
あなたが必要ないだなんて言って
本当は一緒にいたかった…
でも…あたしの存在はあなたにとって
望まない運命をもたらせてしまうだけだと思ったんだもの

でも…最後にもう一度だけ言わせて…


『イザーク…』

ノリコはイザークに語りかける

『イザークが好き…大好きだよ』


小剣を首に当てノリコは目を閉じた

廊下が急に騒がしくなり用心棒がなにか叫んでいる
部屋のドアが乱暴に開かれた


怯むなノリコ…
早くしろ…でないとあたしはあの男に…


ぐっと力を込めた手から小剣がはたかれたように空を飛んだ

「いやだ…」

慌てて剣を拾いにいこうとするノリコの腕が掴まれた

「放して…!」
「何をする気だった…」
「え…」

振り返ったノリコの目に…ひどく怒った顔のイザークが映った

「イザーク…?」





「ノリコはちゃんとやってるかねぇ…」

ガーヤはノリコに思いを馳せる

「女の子の一人旅だなんて…心配で仕方がないよ
 やっぱり無理矢理でも引き止めれば良かった…」
「そうだよな…」

ガーヤのため息に同調するようにバーナダムもぽつりと呟く


「おれは…心配いらねぇと思うけどよ…」

そう言ったバラゴを不思議そうにガーヤは見る

「どういうことだい…?」

バラゴは答えずに…ぽりぽりと頭を掻いている

「ノリコはきっと…ひとりなんかじゃないな…」
「え…」

代わりに面白そうな顔をしたアゴルがそう言うと
横でジーナがくすりと笑った


ガーヤはノリコのイザークへの思いは一方的なもので…
人と関わることが嫌いなイザークが目覚めだから…と
仕方なくノリコの面倒をみていたんだと思っている

自分の家に来たときも…白霧の森でも…態度はひどく冷たかった
そしてゼーナの家ではもううんざりしていたのか…最悪だった…
攫われた時はさすがに助けに行ったが…
天上鬼と目覚めであることがノリコに知られて
もうこれ以上面倒をみる必要もないと…
さっさと離れていってしまったんだ…思っていた


けれど…バラゴとアゴル親子は
ノリコが怪我の養生をしていた間…長いこと一緒にいたため
もういい加減にしろ…と罵りたいほど
ノリコの世話を焼くイザークを見ていた


「態度は冷てぇんだがよ…あいつ…えれぇ過保護だぜ…」
「あのイザークがノリコを一人で旅をさせる…なんて考えられんな…」
「大丈夫だよ…ガーヤおばさん…
 きっとノリコお姉ちゃんのこと守ってる…」

「そ…そうかい…あたしゃてっきり…
 イザークはノリコから離れたもんだとばかり…」

戸惑うように言うガーヤに
バラゴたちは首を振りながら心配ないと笑った

「あいつもよぉ…もうちーっと素直に想いを態度に出してたら
 ノリコも安心してくっついて行ったのになぁ」
「ああ…全くだ…」

その後は好奇心おう盛なガーヤが二人から
どれだけイザークがノリコに過保護だったかを聞き出し始め…
旅の雰囲気は一気に明るくなったものだった…






「本当にあんた…ノリコを置いて行っちゃうのかい」
「ノリコはもうおれと一緒にいたくない…と言っている」

ノリコより少し早くゼーナの家に戻ったイザークは
荷物だけ取ると早々に出ていってしまった

あまりにもあっけなさ過ぎて
ガーヤは不満に思ったものだったが…




…ったく

たき火の火をつけっ放しで毛布をかぶってしまったノリコを
ため息をつきながらイザークは見下ろしていた

近くの繁みにはノリコを襲おうとした人を食う獣が倒れている

しょうがないので…座って火の番をする

しばらくすると毛布の中からいつもの健やかなノリコの寝息が聞こえて来て
イザークの表情が綻んだ

日が昇り…気温も上がってきたので
イザークは火を消すとその身を隠した

起き上がったノリコがしばらくしょんぼりしていたと思ったら
がばっと顔を上げ両手を握りしめたポーズを取ると…
胸を張って歩き出したのを木陰から見ていたイザークは
笑い出したくなる口元を手で押さえた



他に方法があるだろう…

果実を取ろうと…いかにも滑りやすそうな苔むした岩に
つま先立ちしているノリコを呆れて見る
案の定…つるんと滑ったノリコに気を放ってゆっくりと尻から着地させた

落ち込んだように座り続けているノリコに果実をひとつ落としてやると
急に元気を出して美味しそうに食べ始めた

く…っと、再び可笑しさが込み上げてくる



ノリコ…
おれから逃げようとしてもだめだからな
もうおれは決めたんだ…たとえおまえが拒絶しても…
おまえの傍にいて…おまえを守ると…



ノリコを攫おうとした馬上の奴には
軽く遠当てをして馬から落とした…


こんな輩がどれほどたくさんいるか…
わかっているのか…ノリコ…
おまえみたいな女の子が一人で旅をすることがどれほど危険か…

逃げるようにその場を駆け出して行った
ノリコの後ろ姿を見ながら…イザークは首を振った


「あ…あんた、ちょっと助けてくれ…」

その場を通り過ぎようとすると…
気絶した友人を介抱している男から声をかけられたが


その程度ですんだだけで…ありがたく思えよ…

口には出さない思いを視線に込め
イザークはじろ…っと睨むとそのまま行ってしまった



口入れ屋に手を引かれてついていったノリコを見て…
イザークはもう何度目か数えるのもいやになったため息をついたものだった


予想外の大金を手にしてホクホクしながら娼館から出てきた口入れ屋は
自分の前に立った人影に気づき顔を上げた

「世間知らずの女の子を騙して楽しいか…」

このめちゃくちゃいい男が今娼館に売り飛ばした娘のことを
言っているのだと口入れ屋は気づいた

「何言ってんだい…あんちゃん、こっちは商売なんだよ…おわっ」

胸ぐらを掴んで身体を宙に浮かせた口入れ屋を
覗き込んだイザークの瞳が細く瞬く

ひ…っとそれまでのへらへら笑いが消えた口入れ屋の顔が真っ青になり
身体はがたがた震え出している

「二度とこんな真似はするな…」

それだけ言うとイザークは口入れ屋を道端へ放り投げた


娼館に入ると店の中がし…んと静まり返った
こんないい男がなぜここに…客も娼婦も不思議そうにイザークを見ている

ノリコはけばけばしく着飾った娼婦たちの横で
肩を落として座っていたのでこちらに気づきもしない…


…ったく

歯噛みしながらイザークは酒を頼む

しばらくすると店の主人が
やけにでっぷりとした金持ちらしい男を連れてきてノリコを見せている


ふん…そういうことか


ノリコはどこかに連れて行かれ…
その男はにやにやと嬉しそうに酒を飲んでいた


しばらくするとグラスを空けた男が立ち上がって
中年女の案内で店の奥の階段へと向かう


ノリコの気がひどく乱れ始めた…
やっと状況を理解したらしい…


イザークも立ち上がると…
つかつかとその男に近寄り肩を掴む

「悪いが…」

振り返った男は何ごとか…とイザークを睨んだ

「あの娘のことは諦めてくれ」
「…?」
「てめぇ…なに言ってんだ…」

そう怒鳴りながらかかってきた用心棒を軽くかわしていると
ノリコの声が聞こえてきてイザークは動きを止める


『イザーク…』


何度呼びかけても心を閉ざしていたノリコが…
何故…今おれに話しかける?


『イザークが好き…大好きだよ』


「しまった…!」

イザークの顔色が変わった


こんな男に関わらずなぜまっすぐノリコの元へ行かなかった?
いや…店に座っていたノリコを連れ出せば良かっただけじゃないか…
おれを拒んだノリコを少し懲らしめようなどと思ったのか…おれは…


イザークはものすごい勢いで階段を駆け上がり…
ノリコのいる部屋を目指す
二階にいた用心棒たちがかかってきたが
手加減する余裕がイザークにはなかった


ドアを開けると…ノリコは小剣を首にあてがっていて
今にもそれを突こうとしている
イザークは気を放って小剣をはたき飛ばした

小剣を拾おうとするノリコの腕を掴む手が…
いや…手だけじゃない…
全身が不安から震えていることにイザークは気づいた


「何をする気だった…」

涙で潤んだノリコの瞳がイザークを捉えた

「イザーク…?」


部屋の外が騒がしくなった
イザークは…ち…っと舌打ちするとノリコの腕を引いて部屋を出て行く

かかってくる輩を追い散らして館を出ると…
これ以上の騒ぎはごめんだ…と急いでその町を後にした



さっきからイザーク…ひと言もしゃべっていない…
でも…しっかりと繋がれている手がただ温かかった…

一人で旅したのは…たった一日だけだというのに…
イザークの存在がこんなにも有り難いって身に染みてわかった…

傍にいてくれるだけで…
もう…なにも気に病むことなどない…
ただ安心できる…ううん…それだけじゃない…

彼の元から去った時から心の中にぽっかりあいていた空洞が
今…満たされている…

でも…

…イザーク、たまたま居合わせたわけじゃ無さそうだし
あたしを心配して来てくれたのかな…

また…迷惑かけちゃったな…


嬉しいながらも…落ち込んでいくノリコだった



結局…その夜も野宿になってしまった


「わかっただろう…」

たき火の前にノリコと並んで座ったイザークが重い口を開いた

「女が一人で旅をする事が…どれほど危険か」

「も…もう…仕事紹介してくれるって言われてもついて行かない」

ノリコは項垂れて自分に言い聞かせるように言う


わかってないな…

先ほどノリコを永遠に失ってしまうかもしれない…と
思った時の動揺を思い出した

あんな思いは二度とごめんだ…


隣でノリコは抱えている膝の上に額をつけている
落ち込んだ時にいつもするノリコのポーズ…

ノリコには…
出来ればいつも笑っていて欲しいのに…



『イザークが好き…大好き』

もう最後だと思っておれに語りかけてきたノリコ…

グゼナの国境で同じことを言われた時…
おれはどうしていいかわからなかった
だが…今は…その言葉に応えてもいいのだろうか


「ノリコ…」
「…ん?」

伏せていた顔を上げてノリコはイザークを見る

「もう…どこにも行くな…おれと一緒にいろ」

な…とノリコに笑いかけてみる
一瞬…嬉しそうな顔をしたノリコだったが…
すぐに頭をふるふると振った

「だめだったら…もうイザークに迷惑かけたくないもの…」
「迷惑なんかではない…」
「だって…あたしは目覚めだよ…」

あなたを天上鬼へと目覚めさせる者…
それがあたしの運命なんだ…


「それがなんだ…?」

イザークはそう言うけれど…ノリコは黙って再び頭を振った…
相変わらずイザークが義務感からそう言っているのだと思っている


イザークは一時固く目を瞑る…
それから何かを決心したように目を開けた…

隣にいるノリコの肩に手を置いて引き寄せようとしたが
急なことで驚いたノリコのバランスが崩れ…
その場に寝転んでしまった

ダン…ッ

ノリコの顔の両脇に手をついたイザークが顔を傾けると唇を重ねた

え…

目を閉じることも忘れて…
ノリコは今…何が起こっているのかわからずに
ただイザークの口づけを受けている


「あんたが好きだ…うそじゃない」


やっと唇をを離してくれたイザークを
信じられない思いでノリコは見つめた

ずっと好きだった…
でもその気持ちには応えてもらえないと思っていたから

彼があたしと一緒にいたのは…
優しい彼が…あんなことを言ったあたしを突き放せなかったから…
目覚めのあたしを放っておけなかったから…
そう思っていたのに…


一緒に運命を…未来を変えて行こうと…彼は言う

あたしを守りたい…と…
あたしになにかあるくらいなら化物になった方がましだと…彼は言う


イザーク…

涙が止まらない…
うん…きっと変えられるよ…あたしたちの運命を
あたしたちの未来は一緒にあると信じていいよね…



「一緒にいてくれノリコ…」

ノリコは自分の上に覆い被さってそう言う彼の首に手を廻した

「うん…あたしそばにいる」

何があっても…
何が起こっても…

絶対に傍にいる…


少し涙ぐんでいるように見える彼の唇がまた降りてきて…
今度はもっと深いキスを交わす


どれだけそうしていたんだろう…

イザークが唇を離すと…初めての口づけに酔ってしまったのか
少しぐったりとしたノリコは静かに微笑んでから
目を閉じて寝息を立て始めた


安心したんだな…


そんなノリコを見るイザークもひどく穏やかな表情をしている

「おやすみ…ノリコ」

額にもう一度短いキスを落とすと…
イザークは寝具を用意し…ノリコをそこに寝かせた





あれ…またあたしったら…いつの間に…


ノリコは目を覚まして起き上がると辺りをみる

夜明けにはまだ間があるらしい…
薄暗い中にたき火のはぜる音が聞こえる…

そこに目を向けると…イザークの後ろ姿が見えて
ひどく安心するとともに…
ゆうべの出来事が思い返されて…
ノリコの胸がドキン…とときめいた

夢じゃなかったんだ…


「イザーク…まだ寝ないの…?」

寝ぼけ眼でノリコは訊いた
イザークが振り返ってノリコをみる

「起きたのか…」
「うん…」

目をこすりながら答えるノリコの姿が愛らしくて…
イザークは手を伸ばすと肩を抱き寄せ口づけた

唇を離すと真っ赤になったノリコが
もじもじしながらもイザークを気遣う

「イザークも少し寝なくちゃだめだよ…」
「ノリコ…」
「?」

何かを言い聞かそうとするようなイザークの口調に
不思議そうにノリコは顔を傾げる


「ゆうべのようなこともあるし…
 ノリコも知っておいたほうがいい…」

ゆうべ…?

「火をつけっ放しで寝るのは言語道断だ…ノリコ」

え…

「風向きが変わってどこに火が飛ぶかわからん…
 自分に火の粉が飛ぶこともあり得る…」

なんで…知ってるの…


「それに…女一人の野宿はやめろ…夜盗でなくとも…男の気を引く」

ゆうべ…たき火の灯りに導かれた旅人が
一人でいるノリコに近寄ろうとしたのを…
ひと睨みで阻止したイザークだった

「人を襲う獣も夜になると出てくることがある…」
「ちょっと待って…イザーク」

ノリコは急激に目が覚めたようにイザークを遮った


「もしかして…ゆうべっからずっと見ていたの…?」
「危なっかしくて見ていられなかったが…」

何度も落ち込んでは頑張ろうとしていたノリコの姿を思い出して
イザークはく…っと口元で笑う

「火をつけることも出来ないのに…
 一人で野宿など無謀すぎるぞ…ノリコ」
「…イザークが火…つけてくれたの…?」

ノリコの問いは無視して…イザークは続ける

「いくら果実が欲しいからといって…
 あのように滑りやすい岩に昇るとはな…
 頭を打ったらどうするつもりだったんだ」

「…」


滑った時…不自然なほど穏やかに着地できたのも
あの時落ちてきた実も…
ああ…そうだ、あの人が馬から落っこちたのも…

みんなイザークだったんだ


今さらながらノリコはそう思い至った


一人旅を始めたあたしを気遣って…気配をたどりながら
あの娼館に来てくれたわけじゃなかったんだ
最初っから彼は…あたしのすぐ傍にいた

それはそれで…嬉しいことは嬉しいんだけれど…



「イザーク…あたしのこと…つけてたの…?」
「ああ…」

当たり前のような顔で答えたイザークに
ノリコの眉がき…っと上がった

「黙って後をつけるなんて…ひどいよ…」
「あんたがそばにいなくていいと言ったから…
 嫌がると思って姿を隠したんだ」
「で…でも…知らないで…ずっと見られてたなんて…
 すっごくいやなんだから」
「だが…」
「なによ…」

ふくれっつらで自分を見るノリコにイザークは思わず苦笑する

「無防備なノリコは…可愛かったな…」
「!」

カチン…そんな音がノリコの頭の中で響いた

「イザーク…それ…ストーカって言ってね
 あたしの世界じゃ犯罪なのよ…」
「すとぉかぁ…?」
「もう…やめてね…」
「やめるもなにも…これからはずっと傍にいるんだろ」

なんだか怒りが静まらないノリコはき…っとイザークを睨んだ

「やっぱり…あたし一人でやってく…」
「…」


そう思わず言い切ってしまってから…ノリコは少し後悔した
気遣ってくれたイザークのことを非難してしまった…

結局はイザークがいないと何もできない…
それはもういやというほど思い知らされたのに…

でも…

イザークの顔をそっと見上げると…
可笑しそうに笑っている…

『好きにしろ…ノリコ
 おれも好きにするから…』

そんな…イザークの声が聞こえた




今日もノリコは胸を張って一人でズンズンと歩いていく

お天気はよし…
体調もよし…

そして…

気分は最高!


しばらく楽しそうに歩いていたノリコが
いきなりクル…っと振り返った

「もーおー…ついてこないでったら…イザーク」
「おれは…ただ歩いているだけだ…」

ツン…としてノリコは前を向くとまた歩き出す
けれどその表情はひどく幸せそうに笑っている


姿を隠してついて行かれるのはいやだと言い
こうして堂々と後ろを歩けばついてくるな…と言う

…ったく

イザークも幸せそうにため息をついた




短編

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