出会い その後 父の想い1

「ん…?」

隊員たちに剣の指南をしていたイザークが、急に動きを止めた
指南の補助をしていたアゴルとバラゴが隊員たちと一緒にそんなイザークを見る

イザークがうろたえているような気がした

「後を頼む」
そう言い残して、イザークは慌てて走り去っていった

「ノリコか…」
「だろうな…」


人気がない所まで来るとイザークはチモを呼んでシンクロした
ここでは普段の移動にチモを使うことはめったにないことであった


『イザーク…痛い、助けて』
ノリコの声が聞こえたのだ




家に戻ると居間の長椅子にノリコが苦しそうに臥せっている

「ノリコっ」
イザークはノリコに駆け寄った

「ごめんなさい、イザーク…仕事中に呼んじゃって」
「そんなことは構わん…どうした」

「ま…まだ大丈夫だと思ってたんだけど…急に周期が短くなって」

おなかを押さえてノリコが言った

「それに…水が…」


イザークにノリコの言葉をちゃんと理解する余裕はまったくなかった

ノリコを抱えて二階のベッドへ運ぶと
そのままシンクロして町の産婆の所へ行く


急がなくても大丈夫だよ…
と笑う産婆を無理矢理家へ連れて帰った



「破水してるね…」
ノリコを診た産婆が言う

「あ…あとどれくらいで…」

「そんなのわからないよ…」

苦しそうなノリコの様子におろおろしているイザークに

「あんた…お湯を沸かしておいてくれ」
産婆が呆れてそう言うと、部屋から追い出した




「ノリコが、とうとうかい」
産婆の家の者に頼んで使いをやったガーヤがやってきた


「ガーヤ」

台所でお湯の沸かし方すら忘れたように呆然と突っ立っていたイザークが
ほっとして駆け寄った

「お…おれはいったいどうしたら…」

初めて見る情けない様子のイザークにガーヤが吹き出した

「あんたはお湯でも沸かしてな」

産婆と同じことを言って、ガーヤは二階へ上がって行った



『…痛っ…、あ…』
ノリコが痛がっているのがわかる

『イザーク…』

ノリコがおれを呼んでいる
ノリコの傍へ行ってやるべきなんだろうか

どうしていいのかわからず、玄関に立ち尽くしていると
アゴルやバラゴたちがやってきた

「おいっ、ノリコが…」
最後まで言わせずイザークがアゴルの肩をがしっと掴んだ


「おれはどうしたらいい…」
少なくともアゴルは経験があるはずだ
恐ろしいほど真剣な顔でイザークはアゴルの顔を覗き込んだ

「あ…あんたは…おゆ…」

「お湯はバラゴが沸かす!」
そう叫んでバラゴを睨みつける

バラゴははじかれたように台所へ駆け込んだ

「ノリコが痛がっている…おれは傍にいるべきなのか」

アゴルの肩をつかんだ手に力がこもる

「い…痛いぞイザーク…」

アゴルが顔をしかめ、ジーナがくすっと笑った



結局ジーナの、お姉ちゃんの手を握ってあげて
という言葉に従いイザークはノリコの枕元に座っている

汗をかいて苦しそうにうめくノリコの姿が
エンナマルナでラチェフに拉致され
ひとりシンクロして倒れた時を思い出させた


『違うよ…イザーク』
話すのが辛いのだろう、ノリコが呼びかけてきた

『痛いけど…あっ』
陣痛がきたのかノリコの顔が苦し気にゆがんだ

「ノリコ…」

『そんな顔しないで…あの時とは違うの
 あたしは今すごくしあわせなんだから…』

苦しそうに息をしながら、ノリコは微笑んだ

おれが気を使わせているのか
いない方がいいのだろうか

握った手を離そうとすると
ノリコがぎゅっとその手を掴んだ

『痛がってごめんね…でもお願い、ここにいて』

『なぜおまえがあやまる』
『だってイザーク、辛そうな顔…』

はっとしたイザークは、自分がなんだかひどく情けなくなったが

「おれはここにいる…」

そう言って微笑むと、ノリコは嬉しそうな顔をした


「ああ、それでいいよ…」
産婆が笑った

「ったく、さっきみたいなうろたえぶりで傍にいられたんじゃあ
 かえってノリコ負担になると思ったからね」
ガーヤもほっとしたように言った

言ってくれればよかったのに、と言うイザークに

「あんたは肝心な時はいつも
 あたしの言うことなんか耳にはいらないじゃないか」

厭味っぽく言い返されてイザークは少し赤くなる

そんな様子を見て
ノリコが苦しそうな息をしながらも、可笑しそうに笑った

「ほら、あんたが気を抜けばノリコもリラックスできる…」

ガーヤにぱんぱんと背中を叩かれて

「ああ」
イザークは素直に頷いた


「がんばれよ…」
ノリコの手を両手で包み込むように握ってイザークが言った

「うん」





「おれさ…」
お湯を沸かしているバラゴの横で、浮かない顔のアゴルが言った

「なんだ」
バラゴはありったけの容器に沸かしたお湯を注ぎ込んでいる

「さっきイザークに訊かれた時、少し焦ったんだよな」
「なんだよ、おめえは傍にいてやらなかったのか?」
「そういうんじゃないんだ…」

ちらっと居間にいるジーナを見た
ジーナは占石を握りしめ、目を閉じて何かを見ていた

「おれの妻はジーナを産んですぐに亡くなったんだ」

「それは…残念だったな」
バラゴは気の毒そうに言った

「いや、もう昔のことだから…」
気にするなというように、アゴルは首を振った

「けど、ノリコの赤ん坊は無事産まれるとジーナが占ったんだろう」
「ジーナが占ったのは赤ん坊だけだ…ノリコのことは見えないんだ」
「ああ…そうだったな」
「ノリコは大丈夫だと思うけど…おれのことなんかを頼りにしているイザークが
 そのことを知ったらと思うと、気が重くて…」
「おめえが悪いんじゃない…イザークだって気にしねぇぜ」

わかっているが…
「なんだか自分が疫病神みたいで、ここに居ていいんだろうかと…」

「なに言ってんだてめぇ」
バラゴがアゴルの胸ぐらを掴んだ

「ノリコとイザークを心配して来てんだろ、その気持ちの方が大事だろーが」


「そうだよ、おとうさん」
いつの間にかジーナが台所にいた

バラゴははっとして掴んでいた手を離した

「ジーナ、聞いていたのか…」
アゴルが心配そうに言う

「うん…ちょっとだけ」

アゴルがジーナを抱き上げた

「あのね、ノリコおねえちゃんは大丈夫だよ」
「おまえ、ノリコが見えたのか」
「ううん、でもこの家を見てたの」
「この家を…」
「うん」

にこっとジーナが笑う

「すごくしあわせな色に包まれてたの、明日も明後日も…ずっと先まで」

「おう、それは良かったぜ」
バラゴが嬉しそうに言った

「だが…」
ジーナには母親は病気で死んだと言ってある
どこまで話を聞いていたのだろう

「おとうさん、あたしおかあさんがどうして死んだか知ってるよ」
「ジーナ…いったい誰から」
おれの母親だろうか…それ以外に心当たりはなかった
けれど母がそんなことをジーナにしゃべるとは思えなかった

「おかあさんだよ」
「!」

「ジーナが最初に見えたのはおかあさん、それは言ったよね」
「ああ…」

妻の形見の占石を握りしめた幼いジーナが
女の人が見えると言い出した時の驚きは、いまも忘れられない
目が見えないはずのジーナが何かを見ている
それに彼女が説明するその女性は間違いなく死んだ妻だった

「だが、何も言わずに微笑んでいただけだと…」
「その時はね…」
「?」
「黙っててごめんなさい…おかあさんあの後も時々来てくれるの
 そしていろいろなことを教えてくれたんだ」
「ジーナ」
「おかあさんはあたしを産んだ所為で死んだのかもしれないけど
 それはおかあさんが自分で決めた運命だからって言ってた」
「自分で…決めた運命…」

ゼーナがいつか似たようなことを言っていた

「おかあさんは、知っていたんだな」
当たり前だ、彼女も力のある占者だった

「うん、でもおとうさんが知ったらきっと相談しなかったことで
 傷つくだろうからって…」


すでにアゴルはどんと落ち込んでいた
その背中をばんとバラゴが叩いた

「なっっ?」
「いい加減にしろ、おめえもイザークなみだな
 娘と死んだ女房にまで気を使わせてどうすんだよ」

「イザークなみって、なんだ?」
「どうせ女房のことになると、周りが見えなくなっちまうんだろ」

「おまえジーナの前で、なにをっ!」

「子どもは諦めろって言われたと思う、っておかあさん言ってた」
「ジーナ」
「おとうさんは優しすぎるから…辛い選択をさせたくなかったって」

アゴルがうるうるとしてきて
バラゴがやれやれと頭を振った

「おれは…」
「いいの、その頃はあたしいなかったし… 今は一番大事にしてくれるし」

それに…
「おかあさんが死んでもいいから産めって言うおとうさんはきらい」

うっっとアゴルは呻くと、ジーナを抱きしめる

おとうさん…泣いてる




「随分物騒な話をしてるようだな…」

台所の入り口にイザークが立っていた



「す…すまん」
あっとアゴルが赤くなってあやまった
ジーナまでばつが悪そうにうつむいてる


イザークはジーナの頭にぽんと手を置くと
「ジーナのおかげでノリコの手を握ってやれた…ありがとう」
微笑んで言った

「なんだ、もう産まれたのか…」
「いや…だが、もうすぐらしい…」

これから先はいない方がいいと部屋を追い出された



「アゴル…」

イザークに呼ばれてアゴルは少しどきっとした

「あんたは大変だったんだな…」

「えっ、いやおれなんかあんたの過去に比べれば…」

言ってからうわっと口を押さえた

くすっとイザークが笑った
「比べることなどできん…」

誰もが辛くて悲しい過去を持っているのかもしれない
おれが知らないだけで、バラゴやガーヤだって…

だが、おれにはもう…
勝手に負わされた運命に翻弄され続けた日々はもう遠い出来事だった
おれは今生まれてくる子どもとノリコとの未来にしか関心がない


ぽんぽんとアゴルの背中を叩いて
イザークはお湯の入った大きな盥を持って二階へと上がって行った

「なんかあいつ変わったな…」
「父親になるんで、自覚とか出て来たんだろうか…」

今までイザークは他人の過去や未来などに
あまり関心を示したことはないのだが…



寝室のドアの前でイザークは盥を床に置くと
目を閉じてノリコの苦痛を感じ取っていた
彼の眉間には久しぶりに深いしわが刻まれている




どれくらいそうしていただろうか…

ほぎゃあほぎゃあという元気な泣き声が聞こえて来た



あっ…


入っていいものかどうか迷っていると
ドアが開いて満面笑顔をのガーヤが現れた


「イザーク!! 元気な可愛い女の子だよ」
「ノリコは…」
「ああ大丈夫だ、行っておあげ」



汗ばんでぐったりとしたノリコがイザークを見て微笑んだ
「イザーク…あたしたちの…赤ちゃん」


その時までは、イザークはただノリコのことだけを想っていたのだったが…


「ほら」

きれいに洗われておくるみに包まれた赤ん坊を渡された瞬間
イザークの世界にまた一人、愛する者が加わった








「えっ…そうですか、残念ですわ」

社長秘書が受話器を置くと、社長室のドアをノックした


「なんだね…」
その出版社の社長が秘書に訊ねた


「急な用事で、今日のパーティーに立木先生はご欠席だということです」

出版社の創立27周年だった
25年とか30年ならばもっと大きく祝うのだが
それでも毎年創立記念日には代々の功労者などを呼んで
パーティーを開催していた

立木久典は、この決して大手とは言えない出版社の歴史の中で
最大のベストセラーを出してくれた作家だった

「彼方から」はティーンズ向けのファンタジー小説として出版されたが
今や世代を超えて愛されている


「それは残念だな」

彼は売れっ子作家になっても、決して傲慢になどなることなく
最初に彼の作品を評価し賞を与えたこの出版社には律儀に接してくれていた

その彼が断るんだ、きっとやむをえない事情があるんだろうと
社長は納得した






出版社のパーティーへ行こうと準備していたところに
急にイザークが現れた


典子がまだ小さい頃からずっと思っていたことがある
それはたぶん娘を持つ父親の共通の想いなのかもしれない

いずれ彼女は誰か愛する男性をみつけるだろうと
その覚悟はしていたものの
いざとなったら物わかりのいい父親でいられるか、自信はなかった

幸いなことに典子はひどく奥手で
高校生になっても彼氏の一人できなかった
そのため、少し安心していた
典子は両親に反抗することなど考えられないような
素直な前向きな娘だった

いつもニコニコと笑って
彼女の笑顔を見たら仕事での鬱屈など忘れてしまいそうな
そんな自慢の娘だった


だが、そんな典子がいきなり姿を消した

死体がなければ死んだという証拠はない…

ひたすら家族と自分にそう言い聞かせ来た
典子はどこかで生きていると…



数年して典子から日記が届いた



やはり典子は生きていた…
嬉しかったが、そこに書かれていたことは
SF作家の自分でさえ信じられないような出来事ばかりだった

いろいろ辛いこともあったようだが
イザークと言う青年に愛されてしあわせだと
典子は書いていた

さて、どこまで信用していいものか…

けれど、その日記をもとに書いた小説はベストセラーとなった

その後何度か日記が届き…

そしてある日突然典子は
そのイザークと言う青年と一緒に帰ってきた


彼は…イザークという青年は、典子の日記によれば
暗い過去を持ち、天上鬼と言う化物を身体に宿した超人らしい

だが私たちには、彼はただのひとりの若者でしかなかった

その容姿は典子にはもったいないほどのものだったが
間違いなく彼は娘の典子に惚れ抜いている


知らない世界に飛ばされ、言葉も生活習慣もわからない典子を
彼が護り…掌中の珠と慈しんでくれたのだと
疑いなく信ずることができた



その彼が今、目の前にいた
典子を連れずに来たのは初めてだった



「おんなのこ、のりこににている」


「そうか…無事産まれたか」
ノリコの家族は嬉しそうに言った


「おとうさん…」

イザークがひどく真剣な顔でノリコの父に言った

「なまえ、かんがえて…ほしい」



「…」



イザークの世界では長男長女には
父親の両親の名前を付けるそうだ
次男次女には母親の…

けれどイザークは自分の娘に母親の名など
つけることはしたくなかった

したくはなかったが…ではどんな名前をつけていいのかわからなかった

いっそノリコに日本の名前を付けてもらおうと思ったが
ふと考えて
「ガーヤ、少し頼む」
そう言ってこっちへやって来た


ノリコの父親に頼めばいい…


それまでは出版社のパーティーへ出るつもりだったのを
急にキャンセルして、ノリコの父親は書斎へ引きこもった

さて、どうしたものかな…



ノリコの父親にしてみてもイザークが頼ってきてくれたことは嬉しかった
だが、名前か…






その頃、もう一人の父親が誕生していた


「藤臣、電話だぞ」

功が受話器を取った


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