出会い その後 父の想い2


「ふっっじおみぃーーーー」
豪法寺の叫びが聞こえた

「どうした」
いつものように冷静に功が答える

「志野原が…」
相変わらずこいつは千津美を旧姓で呼ぶ

「もうすぐ産まれるぞ」

功の表情が変わった




まだ学生のうち妊娠してしまった千津美はもちろん就職していない

専業主婦だ

生活の糧は全て功の収入だった

それを申し訳なく思っているので
千津美も結構、彼女なりに倹約家になっていた


豪法寺に数年前に子どもを産んだ従姉がいると聞いて
ベビーベッドを貰い受ける約束を取り付けていた

そして今日、豪法寺は仕事のついでにそれを千津美の所に運んだのだが…


チャイムを鳴らすと
きゃあとか言う叫びが聞こえて豪法寺は慌ててドアを開けた

幸いなことに鍵はかかっていなかった

まったく不用心な…と思ったが、それは一瞬のうちに忘れ去る


玄関に座り込んでいる千津美がいた

インターフォンを取ろうとして転んだのか…
こんな時に、くそっ…

「ご…豪法寺くん…」
泣きそうな顔で豪法寺を見た

「ど…どうした」

「今…タクシー呼ぼうと…」
苦し気な顔をした

「志野原…おまえ?」

「もうすぐ…」

産まれるかも…と言われて、豪法寺の理性がぶっとんだ



そのまま千津美を抱えるとエレベーターへ向かおうとする

「ま…待って」
慌てて千津美が叫んで立ち止まった

「かばんと…ドアに鍵…」
豪法寺は千津美を抱いたままUターンして部屋へ戻ると
入院用に用意していたかばんを取って、ドアに鍵をかけた

「い…いいの?豪放寺くん、お仕事中じゃあ」

と言った時、また陣痛が襲って来て千津美はうっと顔をしかめた





痛がっている志野原を抱えて、車の後部座席へ寝かせた

何かあったら…
おれは藤臣に会わせる顔がない…

いや違う…
志野原には何も起きて欲しくない


小室のように彼女に恋心を抱いたのではない
だがらと言ってまったく関心がなかったわけでもなかった

ちまっとして、どじばっかりで…

藤臣はそんな彼女を懸命にかばおうとしていたが
こいつは、自分に責任があるとかなんとか言って
おれを怖がりながら…ひるみながらも 
あきらめずに話しかけてきた

そんな女の子は初めてだった

ばかが付くくらい真正直で、いつも一生懸命で
ドジっぷりに呆れながらも、なんだかかばいたくなっちまうんだ


そんな志野原が、後部座席でうっ…とか苦しそうな声をあげている


少しくらいのスピード違反も、ちょっとした信号無視も
彼女の為だったら構わなかった

藤臣の…そして小室のそれとも違う…
たぶん妹とかいたら…そんな感情を抱くのだろうか…


志野原から言われた産院へ着いた


看護師たちは慣れたふうに志野原を車いすへ乗せるとどこかへ運んでいく
呆然としているおれに

「なにしてるんです? さあ旦那さまも一緒に…」


その時はじめておれは、藤臣に連絡しなければということに思い至った


だが、藤臣の連絡先は自宅と志野原の携帯以外知らなかった

どこの署だったか、覚えていない
警視庁まで電話してみたが、教えられないと断られた
小室の携帯にかけたが、仕事中なのか通じなかった

藤臣の実家の番号など知らん…

ふと、だいぶ前に用があったら連絡してくれと
携帯番号を教えてくれた志野原の友達を思い出した

確か…三浦だったか…
探してみたら、番号が保存されていた


彼女は藤臣の勤務先を知っていた



やっと、 無愛想な藤臣の声が聞こえた時
ありがたくて、おれは叫んでしまっていた





珍しいな…隣の席の先輩が功を見た
あいつの顔色が変わった

さっき電話に出たら耳が痛くなるようながなりたてる大声で
「ふじおみぃー」
と誰かが叫んでいるから、藤臣に受話器を渡した

「おい…」

受話器を握ったまま呆然としている奴に声をかけた

「えっ…」

わかっているのか、いないのか…心ここにあらずといった表情だ

「何かあったのか…」

藤臣は、はっとすると
「きょ…今日はもう失礼する…」

トイレに行っているのか…席にいない課長を無視して
藤臣は上着を片手に飛び出して行った
完璧な職務違反だ…


「おや、藤臣は…?」

戻ってきた課長が訊いた

「なんでも密告者から緊急連絡があったらしく…」

なぜおれがあいつをかばう?

「そうか…」
それ以上課長は言わなかった
どうやら藤臣は信頼されているらしい…




受付で教えられたところへ行くと
廊下で豪法寺が情けなさそうな顔で立っていた

功の顔を見ると救われたように言った
「良かった…」

なんでも千津美は結構ぎりぎりまで我慢していたらしく
亭主と間違われた豪法寺は激しく看護師たちから非難されたらしい

「もう産まれるのは時間の問題だと…」
疲れ果てた表情でそう言うと、豪法寺は仕事へと戻って行った


功は分娩室のドアをノックした


「いったい、こんな時にだれ…?」
怒ったような看護師がドアを開けて功を見た

「あの…おれ…」

その時、ほぎゃあほぎゃあと泣き声が聞こえ


「ちょっと…あなた」

止める看護師に構わず功は部屋へ押し入った


千津美と目があう

「こ…功く…ん」
ぐったりとした様子で千津美が言う

「すまん、遅くなった…」


ううん…千津美が微笑んで言う

「あたしたちの…赤ちゃん」

ああ…、とおれは千津美に微笑って答えた

千津美は安心したような顔をした


「ご主人だったのね」

だったら最初っからそう言ってくれれば…と言いながら
おくるみに包んだ赤ん坊をぽんと渡された

え…


うろたえている功を見て、千津美がくすっと笑った


産まれたのは功そっくりな男の子だった


千津美の胸にのせられた赤ん坊が、懸命にお乳を吸おうとする様子二人で眺めた
何も言わなかったけれど、お互いの心が読めるように理解できた


そのうち疲れたのか千津美と赤ん坊は眠ってしまった


「名前は…?」
と看護師から訊かれた


名前か…
うっかりしてた

「あらあら、考えていなかったの…お父さんたら」
お父さんと呼ばれてひどく照れくさい

「ご自分で考えられないのならどなたかに頼めば、あなたのお父さんとか…」

とうさんか…
小さい頃から自分の始末は自分でつけろと言われてきた
なんだか頼みにくい…

「だったら知り合いに姓名判断できる人か、文筆業の人とかいないの?」

「!」



疲れて眠ってる千津美を横目で見た
あと数時間は寝ていそうだ

功は病院を飛び出した




典子の家へ行くと居間に通された
そこにはなぜかイザークが座っていて目があった

「…」

気のせいかイザークがおれを睨んだようなきがした




「えっ、イザーク居ないの」
産まれたと聞いてアレフとバーナダムがやってきた

「ああ、なんだか知らんがさっきシンクロしてどっかへ行っちまった」
「めずらしいね、こんな時にノリコと子どもを置いて」
「まあ、今ふたりとも寝てるしな…」

「でもさぁ」
バーナダムが嬉しそうに言う
「ノリコ似の女の子なんて、先が楽しみだよな…」

「…」

三人がじっと バーナダムを見た

「な…なんだよぉ、なんでそんなふうに見るんだよ」

ふっとアレフがため息をついた
「バーナダム君、きみは確かに一本気でまっすぐな性格だけど…」

「相変わらず無鉄砲だな…」
「単純とも言える」



「あん時だってよ…」

それはほんの数年前の出来事だったが、もう遠い昔のように思える

「おまえとノリコ以外は、全員気づいてたぜ」
「な…なにを?」

「イザークがノリコに惚れてるってことをよ…」

なあ、とバラゴがアゴルを見た

「ああ、イザークは再会してからノリコの心配しかしてなかったな」
懐かしそうにアゴルが言った

「おれは白霧の森であのふたりの近くを歩いていたけど、イザークときたら
 俺から離れるなとか、足元に気をつけろとか、えれぇ過保護でよ
 これがナーダの城で十七人相手に楽勝した奴かと信じられなかったぜ…」

「直前まで倒れて動けなかったくせに
 ノリコのいどころがわかった途端
 みんなが止めるのも聞かず走り出したしな…」


くっとバラゴが笑う
「あの花束…賭けてもいいぜ
 薬草なんか入っていてもほんの葉っぱが2・3枚だったって」

「あんなきれいな花を咲かせる薬草があるなんて
 おれも初めて聞いたな、と思ってたんだ」
アゴルも楽しそうだ


「そういう奴だった、てことよ…」
バラゴはそう言うと、バーナダムを見た


「ちょっと待てよ、あいつ…あんな冷たい態度取っていて
 はっきり言葉にしてなくても
 あんたたちにはわかってたっていうのかよ」

ちっちっとバラゴが指を振る
「少し考えればわかることだ」
「イザークは最初っからノリコが好きだと行動で示してたんだが…」


「君に欠けるの想像力ですよ…」
ポンとアレフがバーナダムの肩に手をおいた

「でもそれがいったいノリコの赤ん坊とどんな関係が…」


「考えてもみたまえ…ノリコ似の女の子だよ
 十数年後の惨状がもう目に見えるような…」

アレフが言葉とは裏腹に楽し気に言った


「あんたも甘いぜ…アレフ」
「えっ…」

アゴルとバラゴが頭を振った

「まさか…」

「ああ…」
「もう始まっている…」

「…」

「しかもジーナが…」
バラゴに睨まれて、アゴルがしまったと言う顔をした

「ジーナがどうしたんだい?」
「いや…なんでもない」





功は 用件を伝えると、イザークの横に座った
イザークの服装は向こうのもので、剣を腰に下げたままだ
そんな姿をこちらで見るのは初めてだった

よっぽどあわてて来たのだろうか…
それに…やはりイザークの視線が冷たいような気がする

「典子が無事産んだんだな」と訊いてみた

「千津美もそうなんだろう」
イザークは目をそらしてそう言った

「おとこのこか…」

「ああ…」

「おまえににているんだな…」

なぜ知っている?




その頃、典子の父親は書斎でため息をついていた
イザークどころか功までやってきた

うちの二人の子どもの名前をみてくれればわかるだろう…
一人目は久雄、二人目は典子…ちなみにおれの名前が久典だ…
おれの命名なんて、結局その程度だぞ

小説で登場人物に名前をつける時は
命名辞典を適当に開いてつけているくらいだ
今もそうしようかと、本棚にある命名辞典を手に取った

窓の外を見ると
日が暮れかかり、夕焼けが空を染めている
明日もまた暑い一日なんだろうか…

けれど開けていた窓から涼しい風が入り込んできて気持ちよかった





ノリコたちの子どもが産まれた時に遡る


赤ん坊の泣き声が聞こえて、アゴルたちは慌てて二階へ駆け上った
もうイザークの姿は廊下に無かった
さすがに部屋には入れずにドアの前で立ち尽くしていた

泣き声が突然消えてしばらくすると
イザークが慣れない手つきですやすやと眠っている赤ん坊を抱えて外に出てきた

「おっ」

「女の子だ…ノリコに似ている」
イザークがそう言った

「そ…そうかぁ、まだくしゃくしゃの顔でおれにはよくわからねぇが
 産婆やガーヤにはわかるんだろうな…」

「なぜ、わからん?」
イザークに冷たく問われて、バラゴは焦った


「さ…さっきまで泣いてたのに…眠ったんだな」

「ああ、ノリコの胸の上に置いたら…」
その時のことを思い出したのか、ひどく愛おし気にイザークが赤ん坊を見た

「ああ、もうノリコのおっぱいを吸ったんだな」
アゴルがそう言うと、イザークがじろっと睨む

「えっ、おれ別に変な意味で」
アゴルはあたふたと口を抑えた

「おいおいイザーク、そんな顔しねぇで…おれにも抱かせろよ…」

バラゴの伸ばした手から赤ん坊を護るかのように身体を廻すとイザークは言った
「断る」

おれのむすめを抱かせろだと…ふざけるな

声にはならなかったが、イザークの背中からそんな言葉が聞こえてきた

「…」



「イザーク…赤ちゃんにさわっていい?」
ジーナが訊いた

「ああ、もちろんだ」
打って変わりイザークは優しく言うと
かがんでジーナの手を取り赤ん坊の頭に触れさせた


もう片方の手で占石を握りしめてジーナは目をつぶった

「見えるよ…優しいおとうさんとおかあさん、しあわせな毎日…
 あ…小さな兄弟たち…ノリコはまだ子どもを産むんだね…」

「そ…そうか」
イザークは少し赤くなって言った

「明るい未来…それに…」
ふっとジーナは口をつぐんだ

「それに、なんだ…ジーナ?」

イザークは訊くがジーナは答えない

「ジーナ…」
「悪いことじゃないの…ただ」
「ただ?」

ジーナは困ったような顔をした

「おれは何を聞いても驚かないから…」
頼む…と言われて渋々ジーナは言った

「大きくなった彼女が、男の人と一緒に歩いている姿が見えたの」

「歩いている…?
 おれとノリコみたいに旅をするということか」

「違う…人生を…一緒に」


「あはは、恋人とか旦那って意味だろ」
「イザーク、そんな顔をするな…
 女の子だったらいずれそういう男をみつける
 一生誰もいない方が問題だろうがよ…」

イザークはひどく複雑な顔をしていた

「でも珍しいな、ジーナに生まれたての赤ん坊の将来が
 そこまではっきり見えるなんて」
アゴルが言った


「それは…その人の顔が知っている人にそっくりだからだと思うよ」
「そっくり…誰だ?」

「あの…黒髪で男らしくて…背の高い、かっこいい人…」


「なんだ、イザークか…」
「良かったなイザーク、むすめの好みは父さんらしいぜ」

ううん、とジーナが頭を振った

「前にここにいた…千津美おねえちゃんの彼氏…功っていう人に」
そっくりなの…とジーナは言った

「…」


その話は、それ以上は誰にも言わないとイザークに約束させられた





やはりイザークの様子が変だ…功はそう思った
なんだか出会ってすぐの
おれたちのことを厄介だと思っていた頃の彼を思い出す

だがその後、剣を習っていくうちに彼は態度を変えた
おれたちをあちらの世界へ連れて行って面倒をみてくれさえした

こっちへ戻ってきた後も
千津美が妊娠した頃
潜入調査を依頼されて困っていた時
おれがイザークと間違われた時も
イザークは嫌がりもせずにおれを助けてくれた…

ノリコがいつか
「イザークがこれだけ他人を気にかけるのはめずらしいのよ
 功を弟みたいにおもっているのかもね…」
と笑って言っていた

それなのに…どうしたんだ?





おれがむすめと一緒にこっちへ こなければ…
そして功たちをあっちへ連れて行かなければ
ふたりは会うことはないだろう…

いや、そうじゃない…
魅かれ合う二人は結局は出会う運命なんだ

ノリコがおれの世界へ飛ばされてきたように…



「功!」
いきなりイザークは立ち上がると功の胸ぐらつかむ

突然なことで功は驚いた顔をした

「むすこをりっぱなおとこにそだてろ」

「え…」

「おまえいじょうのりっぱなおとこにだぞ…」

イザークは真剣だった

「わかったか…」
「ああ…」

イザークが功を離すと同時に、ノリコの父親がやってきた




「イザーク…むすめの名はユミだ…」
「ユミ…?」
「ああ、夕焼けが美しいと書く…美しい夕焼けは明日の好天気のしるしだ…」
「…」
「すなわち、明るい未来の象徴とも言える…」

イザークはちらっと窓の外の夕焼けを見た



「それから、功くん」
「はい」
「息子の名は涼…」
「涼…」
「暑い日中に吹く涼やかな風のような、そんな男になってほしい」

それだけ言うと、父親はまた居間を出て行った


イザークと功は顔を見合わせた



病院へ戻ると言う功を送ると言ってイザークがシンクロした

いつものイザークだ…
さっきのあれはなんだったんだろう…

イザークが千津美の部屋には赤ん坊以外誰もいないと言うので
そのまま部屋へとんだ


千津美は起きていて赤ん坊に授乳していた
突然現れたイザークと功に驚きもせずに、にこりと笑う

いつもの千津美なはずだが
彼女から、すでに母親の余裕のようなものが漂っていて
二人の新米の父親は圧倒されてしまう


「典子似の女の子…」

うわーっと嬉しそうに言った

「この子と、仲良くなれるかなぁ」
胸に抱いている子を見る

「ああ…、まちがいなく」
イザークはそう言うと、その子の頭に手をおいた

おれの娘を頼む…

「今度はノリコと娘を連れてくる」
そう言って、イザークはシュンと消えて行った


「どうしたの?」
千津美が功に訊いた

「なんだか、イザークが」
「イザークが…?」

最後には、涼に微笑んでいた
気のせいだろう…

「いや、なんでもない」
功は言った





「イザーク…」
ノリコが嬉しそうに笑う

「いったいどこへ行っちゃったのかと思ってたのよ」

ノリコの胸には愛しいむすめがいた

「見て…産まれたばかりなのに、もうこんなに力強くおっぱいを飲んでて…」

そんな二人の姿がイザークにはひどく眩しい



「え…ユミ?」

「夕焼けが美しいと書くそうだ…」

少し複雑な顔でノリコが訊いた

「ねえ…イザーク
 もしかして、その時夕焼け出ていた?」

「ああ」


そっかあ…と肩を落としたノリコをイザークが片手で抱きしめた

「いい名前だ…」

ユミ・キア・タージ…
イザークとあたしの可愛らしいむすめ…


「そうだね…」
ノリコがニコッと笑った


「ノリコ…」


言うべきか言うまいか随分悩んだ
けれど、何でも言うと約束させたのはおれだった

それにノリコはそういうことに
おれよりずっと冷静に対処できる気がした


「どうしたの、イザーク?」

「ジーナが占った…」

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