軌跡 1

ぱちぱちとたき火がはぜる音が洞穴に響く



あたしは膝を抱えて座り
炎をじっとみつめていた


イザークが好きだと言ってくれた


今日、あたしの世界は大きく変わった


イザークが天上鬼
あたしは目覚め…


イザークはあたしを消す為に、あの日樹海に来たんだ
それなのにあたしを助けて、面倒まで見てくれて…

本当に彼らしい…

彼の気持ちが切なくて
彼の気持ちが嬉しくて


気がつくと涙が頬を伝わっている

イザークに気づかれないように顔をうつむけた





炎が一瞬高く燃え上がった

心の中でくすぶり続けた想いが
一気にはじけたあの瞬間を思い出す


本当に良かったのだろうか…

感情に突き動かされるまま
おれから逃げようとするノリコを押し止めた


あれからノリコは口数も少なく
笑顔もみせない…

あんな約束をさせてしまって
おれはおまえに重荷を負わせてしまったのか…


ノリコは何かを考えているのか下を向いている
気のせいか肩が震えている

手を伸ばせばすぐそこにあるそれを
どうしても抱いてやる事ができない

なぜためらうのだろう
ずっと平気でこの胸に彼女を抱いてきたのに…

相変わらず彼女に優しい言葉ひとつかけてやれない
おれってやつは…情けない







あんなにも犠牲を払ってくれたイザークのために
あたしは何ができるんだろう
彼の傍にいる…ほんとうにそれだけでいいのかしら

あたしには何の力もない…



その時ふと思い出した

カルコの町で、イザークの姿がみえなくて
不安でたまらなかったあたしには
みんなが気遣ってくれる気持ちがとても嬉しかった

あの時あたしは思ったんだ

お日さましてるのっていいな
あたしもそうでありたいな
何の力もないあたしでも
そんな事ならできるかな…


長い事、その気持ちを忘れていた

想いが通じなくて、悲しくて…
イザークには暗い顔ばかりしていたかも…


これからあたしは、イザークのお日さまになろう…
彼の気持ちが少しでも明るくなればそれでいい





「イザーク…」

黙りこくっていたノリコが突然おれを呼んだ
目が合うと、にっこりとおれを見て笑う


「…」


ふいをつかれて、焦ってしまった

そう言えば出会った頃…よく同じようなことがあったな
思いがけない時、思いがけない笑顔をノリコはおれにくれた

いつしかおれはそれを待ち望むようになっていたんだが
おれがノリコの思いに応えてやれずにいたら
彼女の顔からそれは消えていったんだ




「身体は大丈夫?
 今朝、発作で倒れたばかりなのに…」

「いや…なんともない」

「でも占者の館で暴れちゃったし、疲れたでしょ…もう寝ようか」


明るくノリコが言った


「ああ…そうだな」


彼女のこの笑顔を手に入れるためなら
おれはどんな事でもしてやる

そんな思いがこみあげてきた






イザークが火の始末をしている間に
ノリコが寝具の支度をする



「イザーク…あの」

「なんだ」

振り向いてノリコはイザークを見た

「寝具、もうひとつ…用意しようか?」



彼はずっとあたしの面倒を見て来てくれた
何もわからないあたしに一からいろいろと教えてくれた

抱いて寝てくれていたのは
異世界に飛ばされたあたしの不安な思いを
少しでも癒そうと考えてくれたからだ

でも、もう今までとは違う

あたしたちはこれから並んで歩いて行くんだもの
いつまでも彼に頼ってばかりではだめなんだ


あたしはそう決心した





もうおれの胸で寝たくないのか、と一瞬思ったが

違う…


時々ノリコは、意外な気の強さをみせる
何かを決心したように
きっ、と眉を上げて

彼女は今、そんな表情でおれを見ている

何を考えている…?



「おまえがそうしたいのなら…」

なぜだかおれは少しほっとして、そう言った









「見て…今日もすっごいお天気」

起きたばかりだというのに、ノリコは元気だ



「暑くなりそうだね」

どれを着ようかな…♪

服を選びながら陽気にはしゃいでいる



「目覚めはさすがに目覚めがいいな…」



「へ…?」

も…もしかして今、イザーク…冗談とか言った?





起き上がったおれはノリコに言った

「こんど町にいったら、もっと夏服を買ってやろう」



「ええっ…もうこれで充分だよ、イザーク」

彼女は笑う

「夏は、もうすぐ終わるでしょ…」

それからはっと気づいて嬉しそうな顔をした

「もしかしてここでもバーゲンとかあるの?」
 
そして…

「あ、でも来年用にたくさん買い込んでも…荷物になるだけだものね」

ちょっとしおれて言った




ほんとうに表情がくるくる変わる
こいつは前からそうだったが
今はじめて、そんな彼女を心から楽しめる



受け入れる事を激しく拒絶してきた
だから受け入れるには勇気がいった

だが…

受け入れてしまったら…こんなにも心が軽い


なんなんだ…
生まれて初めて感じるこの感情は…


しあわせだと…このおれが思っているのか





なんだかイザークの顔が赤い気がする
気のせいかしら…


彼と思いが通じ合って初めて迎えた朝は
気持ちがいいほど、澄んだ空を見せている

あたしはただそれが嬉しくてはしゃいでいた




でも今日もまた暑くなるんだろうな…
暑いのは苦手だけど、イザークが一緒だから頑張れる…



イザークがまた手を握ってくれて
あたしたちは、歩き出した






「どうした…ノリコ」


ノリコの様子がおかしい
じっとりと汗をかいて、息が苦しそうだ…

日にあてられすぎたのか…

まわりを見回したがそこは草原で木陰がない

「くっ…」

おれはノリコを抱えて走り出した





耳元で水が流れる清々しい音がして
ノリコは意識を取り戻した

どうやら傍に小川が流れる木立に寝かされているらしい

水面が近くにあるせいか
涼やかな空気が気持ちよかった

「気がついたか…」

イザークが心配そうにあたしの顔を覗き込む
冷たい水をしぼった布が、あたしの額に置かれていた

歩いている途中で気分が悪くなってきたけど
イザークを心配させてはいけないと無理してしまって
かえって迷惑をかけちゃったみたい


ごめんなさい、と言おうとしたら…


「すまん…ノリコ」
イザークが先にあやまった


ノリコはおれとは違う…
ただの普通の女の子だ

それに彼女が前にいた世界は
一日中徒歩での移動など考えられないらしい

以前の旅でも、気がつくと
彼女は肩で息をしながら、必死におれの後をついて来ていた

それから随分日が経っていたので、すっかり忘れて
彼女の手を握って普通に歩いてしまった

我がままも、文句も、ノリコはおれに言わない

もっと甘えてくれてもいいんだが…





「町へ行ったら、馬を手に入れよう」
イザークが言った


イザークに馬なんかいらない…
あたしはいつも迷惑ばかりかけてしまう


すまなさそうな顔をするノリコに

「馬がいれば…多少荷物が増えても大丈夫だろ…」

イザークが微笑って言った

「ばあげんで夏服が買える…」



もしかして、また冗談言ってる?
今朝聞いたときは、半ば信じられずに受け流しちゃったけど…

あたしはくすっと笑った


「元気になったようだな」
彼の眼差しが優しい


こんな優しい表情のできる人だったんだ

ううん…違う、これが本当の彼の姿なんだと思う
彼が背負ってきた運命の重さが彼に冷たい態度をとらせていたんだ
辛かっただろう
苦しかったに違いない


あたしは手を伸ばして彼の顔に触れてみた
彼は少し戸惑ったようだったが、そっとその手を握ってくれた

あたしたちはしばらくそうしてみつめ合っていた





「イザーク、あたしもう大丈夫…」

「無理はしない方がいい…
 それに日が暮れる前まで次の町に着きたいんだ」


あたしをおぶってイザークは歩き出した

次の町へは、そんなに距離はない
普通に歩いても、夕方までにはたどり着ける…




この人はいつも優しい
どんな時でもあたしのことを考えていてくれる

こんな優しい人をあたしは他に知らない…

そしてその彼が、あたしを思ってくれる

幸せでたまらなくなり
涙があふれて止まらなくなってしまった

やだ…あたしったら
いつも彼のために笑っていようと決めたばかりなのに



「なぜ泣く…」

背中から静かな嗚咽が聞こえて、イザークが訊いたが
答えはかえってこなかった…


ノリコはなぜ泣いている…?

おれが無理をさせているのか



その時ノリコの声が聞こえた


『イザークが好き…』

おれの肩にまわした手に力がこもった

『大好き…』




イザークは黙ってノリコをおぶって歩きつづけた





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