軌跡 3


セレナグゼナを出てから一週間近くが経った

毎日が嬉しくてたまらないノリコには
時が過ぎて行くのがとても早い




一日中イザークと二人だけの毎日

彼がいつも優しくみつめてくれる

馬に乗っている時も、歩いている時も
あたしたちはどこか触れあっていた
彼があたしの肩を抱いてくれる
手をつなぐ、彼の腕をあたしが掴む… 
そして時々、彼はあたしにキスをする
そっと、優しく…




もう二度と会えないかと思った、あの別れの時
きっと彼には迷惑なんだと思ってしまった再会の瞬間
告白してしまった気持ちを受け入れてもらえないと諦めていた日々

そんな時期があったからこそ、今がどれだけありがたいことか
あたしには、身にしみてよくわかっていた


あたしたちは、また一緒に旅をしている
以前二人で旅していた時とは大きく違う世界
問題は山のように抱えているけれど
それでも毎日が夢のように過ぎていく

もうあれから一週間…?

イザークに好きだと言われたのが、昨日のように感じる

あの時の彼の表情、彼の言葉…そして彼のキス
一生忘れない…





思い出してはうっとりとしているノリコを見て
イザークは少しあきれ顔だ





最初にそんな顔をした時、訊ねてみたら
あの時のおれを思い出していると、嬉しそうに答えていた

そして、そんな表情をしている時が結構頻繁にある
あっさりと忘れられてしまうよりは、ずっとましだが…
必死だった自分を思い浮かべると、やはり恥ずかしい

まあおれも、気づかれてはいないが
あの時のノリコのことを四六時中思い出しているから

お互いさまか…

イザークはふっと笑った


『イザークが好き』

あれほどおれの心を揺さぶったものは他には無い
死ぬまで忘れたりするものか…





ノリコとイザークは小さな村にたどり着いた


まだ午後の早い時間だったが
このまま進んで野宿するよりは、ここでどこか
宿を見つけるほうがいいだろうとイザークは思った

だが、宿屋などありそうもない


通りかかった村人に訊いてみたら
村長の家へ行けと言われた





教えられた家へ向かってみた


そこでは思いの他、歓待された

おれが渡り戦士だと知ると、この辺りを巣食う盗賊の話をはじめた


毎晩のように被害者が出るというので
そいつらを退治しようと請け負ったおれは
日が暮れるまでにはまだ間があったので
根城だという洞窟へ向かった


しかし、教えられた場所には盗賊の気配は全くなかった




『イザーク、助けて…変な所に連れて来られちゃったよ…』

ノリコの声が聞こえた





イザークが家を出た後
与えられた部屋でおとなしく待っていたノリコに
村長の奥さんがお茶を持って来た


「心配だろうね…彼氏のこと」
気遣ってくれているみたい…

「いえ、大丈夫です」
あたしは、頂いたお茶を飲んだ


イザークは強い…とても強い
心配なんかあたしはしていない
ただ、彼が傍にいないので寂しいだけ

だめっ、と自分に言い聞かせる
イザークは皆のため…そしてあたしたちのため
戦いに行っているのだから、我がままを言ってはいけない



なんだか、ふわっと眠くなった
イザークが帰ってくるのを待っているつもりだったのに
疲れが出たのだろうか
だめなあたし…


目が覚めると岩屋のような所に
知らない野蛮そうな男の人たちに囲まれていた

「なんだ、ガキじゃないか」

「まあ、めんこいとも言えるな…」

男たちはノリコを見て
薄ら笑いを浮かべながら勝手なことを言っていた


「どうやら生娘みたいです」
「つれの渡り戦士はなまっちょろい色男だそうですが
 村人の誘導で、全くあさっての方向に
 おれたちの退治に向かったそうですよ…」

「馬鹿なやつだな」


連れて来た男たちが、頭に報告している


「ふっ…たまには、こういう趣向もいいかもな」

上座に座っていた男が手招きして、ノリコは無理矢理その男の横へ座らされた

頭という男がノリコの身体に手をまわし、ぐっと引き寄せる

「や…やだ、さわらないでよ」
ノリコが叫ぶのを、全員が面白そうに笑い飛ばした

「お頭…早くして下さいよ」
「おれ、なんだかその娘、結構趣味かも…」

「おまえたち…ちょっと待ってな」

お頭と呼ばれてる男がノリコを押し倒してのしかかろうとした時


「ノリコにさわるなっ!」

イザークの声が岩屋内に響き渡った


「イザーク」
ノリコがほっとして言った


「なんだ、色男が…」
「やっちまえ」

盗賊たちがいっきにイザークに襲いかかった






「どういうことだか、説明してもらおう」

村長をはじめとする村人たちが床にうなだれて座っている
イザークは腕を組んで立ったまま、その全員を睨みつけていた


村長が申し訳なさそうに話し始めた

「この辺の村落は毎日順番に女をひとりあの盗賊団へ差し出さないと
 ひどい目に遭うんです」


今晩はこの村がその日に当たっていた
同じ女は無理だった
一度差し出された女たちは、その時のことがトラウマになって
二度とそこへいける状態ではなかった

もうあとは、年端も行かない女の子たちしかいなかった

「悪いとは思いましたが
 まさかあんたがあいつらを退治出来るとは到底思えなくて…」

男を追い払って、女を…と


「おれたちを都合良くやってきたまぬけな奴らと思ったんだな…」

イザークの怒りがどんどん膨れ上がってくる

よりによってノリコを…
ノリコをあの男たちに…

「ふざけるな!」

激高したイザークが怒鳴りつけると

すいません…と全員が頭を床にこすりつけてあやまった


「イザーク、もういいよ…
 この人たちは今までずっと苦しんで来たんだよ」


ノリコは、自分がどんな目に合ったかをすでに忘れてしまったようで
村人たちの気の毒な立場にすっかり同情してしまっている

イザークには、ノリコ以外はまったく眼中になかったが
ノリコがそう言うので、渋々怒りの矛先を引いた
だが、沸々とした思いは心の中で渦巻いている


こんなところへ留まるくらいならば、野宿の方がましだと
出て行こうとするイザークを、村の皆が必死で止めた


 怒らせてしまったのは本当に申し訳ない

 けど、あんたはずっと悩まされ続けていた盗賊を退治してくれた
 その礼はちゃんとさせて欲しい
 この辺 から集めたお金が別な村の村長の所に報酬としてある
 明日一緒にわしが行ってそのことを伝え
 あんたがもらえるようにするから、今夜はここに泊まってくれ

と村長が頼むのを、ノリコがニコッと笑顔で受け入れてしまった
その夜は村長の家へ泊まることにした


村を上げて宴会をしたいというのを断って
簡単な食事をした後、ノリコとイザークは与えられた部屋へ入った





「村の人たちにもう心配が無くなってよかったね」

と微笑むノリコに、怒りがまだおさまっていないイザークが訊く

「おまえは、自分があいつらにどういう目にあわされかけたか
 もう忘れたのか」



ノリコはすまなそうな顔をする

「ううん…ごめんイザーク、心配かけちゃって」


「おまえがあやまることじゃない…!」




イザーク、本気で怒ってる
どうしたらいいの…


「あ…あたし、イザークが絶対助けに来てくれるってわかってたから」

恐くなかったよ…と、ノリコはイザークに言った

「少しくらいなら…我慢できると思ったの」



「我慢できるだと…」

イザークがあたしを睨みつけた

やだ、こんなイザーク…初めて見る





「なにが我慢できるだっ!」

思わずおれは怒鳴ってしまった

ノリコが青くなって震えている…


もっと冷静にならなければいけないとわかっているが…

ノリコの気配を必死でたどりながらあの岩屋にたどり着いた
中へ入ったおれの目に飛び込んできたのは
知らない男にのしかかられているノリコの姿だった



あと数分遅れていたら…
何が起こっていた?

怒りがおれを支配して、ノリコに思わず手を伸ばした





イザークあたしをひどく乱暴に引き寄せると
そのままベッドに押し倒した

え…

唇を激しく押し付けられて思わず呻いたすきに
彼の舌があたしの口の中へ入ってきた

やだ…なに…

それまでの唇を優しく重ねるような…そんなキスじゃない
むさぼるように口をつけられ
舌があたしのそれを捕えからめられる


気がつくとあたしの胸は彼の手で覆われていた






「…んっっ」

ノリコが呻いてできた隙間に舌を押し込んだ
そのまま、彼女のそれを探して彷徨わせる

押し倒した彼女の身体を片手で抑えつけ
もう一方の手をその身体に這わせた

柔らかい胸の隆起にその手は止まり
しっかりとそれを包み込んだ




「いやっ、やめて…イザーク」

おれの唇からのがれるように顔をそむけたノリコが叫び
はっと我にかえった


ぽろぽろと涙をこぼしているノリコの顔が目の前にあった
唇をかばうかのように両手をあて、震えている

おれはいったいなにをしたんだ



イザークはノリコから目をそらし、立ち上がると部屋を出て行った




な…何が起こったの?

イザークがいつもの彼でなかった…
口の中に、胸に…彼の感触が残っている



ノリコは身体を起こしてベッドの上に座ると
身じろぎもせずただひたすら、イザークのことを思った




怒りを押さえきれず、本能に身を任せるように彼女を口づけ抱きしめた
彼女は悪くなどないというのに…

彼女の泣き顔が目に浮かぶ…

彼女は傷ついていた…
間違いない、おれはまた彼女を傷つけた

相変わらず、あんな目にあった彼女をいたわる余裕がおれにはないのか
こんな弱い心では彼女をしあわせにすることなど笑止だ




「くっ」

部屋から飛び出したイザークは、館の中庭に立ち
樹の幹にどんと拳を叩き込んだ




どれくらいこうしていたのだろうか

イザークは辺りを見回した
出て来たときは館の屋根に半分隠れていた月が
今では高くのぼっている



おれはまたノリコから逃げようとしている…
弱いなら弱い心のままで、せめてあいつと向き合おう



部屋のドアを開けると
ベッドの上に座っていたノリコと目があった


「まだ、起きていたのか」
そんなことはわかっていたが、何か言わなければと口にしてみた

「うん」
眠れなくて…とノリコが小声で言った



ベッドの横に置かれている椅子に腰をおろし、意味も無く組んだ手を見つめる

「…」

言葉をさがしていると、いつものようにノリコの方が話し始めた

「あ…あのずっと考えていたんだけど…」

顔を上げてノリコを見た
彼女は握りしめた手を口にあてて必死でしゃべりだした

「なぜイザークがあんなに怒ってたのか最初よくわからなくて…
 も…もちろん、あの盗賊に押し倒された時は嫌だったよ
 顔はベタベタに脂ぎって気持ち悪いし…身体もくさくて…
 でも、目をつぶって息をなるべくこらえて我慢しようと思ったの」

「…」

「け…けど、あの人もしかして…
 さっきイザークがしたみたいなことしようとしていたのかな
 とか思ったりして…」





「イザークが来るのが少し遅くなっていたらと
 想像したら気持ち悪くて…恐くなって」

ふと見るとイザークがあたしをじっと見ている

「あ…ごめんなさい、べ…べつにイザークのことが
 気持ち悪かったとかそういう意味じゃないのよ
 あんなことされるの、その…はじめてだったでしょ
 心の準備ができてなかったというか
 び…びっくりしちゃっただけで」

あたしは、なにをいってるんだろう
顔がかぁっと熱くなった


「ノリコ…おまえは…」

イザークが何か言いかけた

「えっ」

「いや…」





まさかノリコは…


「怒鳴ったり、驚かせたことは悪かったと…」

「ううん、あの…いやとかやめてとか言っちゃってごめんね」

「おまえがあやまることではない…」

どう考えたって悪いのはおれだ

ノリコが首を振った

「あたしね…イザークの為ならなんでもでしようと決心したくせに
 いざとなると、怖がっちゃって…」

だめだなぁ…と笑いながら言った

「でも、イザーク遠慮しないでね…これからも何かしたかったら…」

「…」





あれっ、イザークがあたしを見て固まっているような気がする
あたし、またなにか変なこと言っちゃったのかしら

しばらくそうしてあたしを見ていたイザークが訊いた

「おまえは、あの男たちがおまえに何をすると思っていたんだ」

えっ…急にそんな事訊かれても…

「だ…抱きつかれて…最悪キスとか、身体触られたりとか」

「…」

「中学校の近くでそういう事する変態がいたのよ
 あたし恐かったから、いつも自転車飛ばして…」

なんだか焦ってきた…

「それでね、高校のときは電車通学だったんだけど
 ほんとに痴漢が多かったの
 同級生がしょっちゅう被害にあってて
 あたしはガキっぽいせいか、運良く遭ったこと無いんだけど…」

必死でしゃべるあたしを

「もういい…」
とイザークが止めた

彼は片手を額にあててため息をついた
出会った頃、慣れないあたしがドジをする度にそうしていたっけ

またあたし、今度は何をしでかしたんだろう





まいったな…
ノリコは何も知らないんだ…

どうりで見ず知らずのおれに平気でついてきたわけだ
出会って間もないというのに
おれの胸に抱かれて安心して眠った時にはその無防備さに呆れたものだが

そういうことか…


「おまえは何も知らないのか…」


「えっ」

「例えば…子どもがどうしてできるのか、知っているのか」

「し…知ってるよ、学校で習ったもの」
ノリコは答えた


そんなことまで学校で習うのか…
平和な世界だな

おれは少し感心したが…


男性の精子が女性の子宮に入って…どうのと必死で説明しだしたノリコに
どうやって入るんだと訊くと、そんなことは知らないと言う



「あ…でも」
突然ノリコが思い出したように言った

「一度映画館でね…青春映画だと思って観に行ったんだけど」

真っ赤になった
「愛を誓い合った二人が、次のシーンでもう一緒にベッドに寝ていて…」

「それで…」

うっと目をつむって思いきったようにノリコが言った
「な…なんにも着ていなくて…その…二人」

「…」

「それを見た途端、恥ずかしくてずっと目を閉じてたの」



雑誌でもそんな記事が載っているものは読まないようにしていたし
学校でその手の話題は避けていた
オクテだとかネンネだとかからかわれたけど
自分には絶対関係ないと思っていた


「でも、それって愛し合った二人の愛故の行為であって
 あの盗賊とは関係ないでしょ…」

言ってしまってから、あっと気づいた

愛し合った二人の愛故の行為…


顔がこれまでにないくらい熱くなる
「あ…あの、もしかして…イザーク…?」




ブッとイザークが吹き出した
それから、はっ…とお腹を押さえて笑い出す


やだ、そんなに可笑しいの?
あたしは真面目だったのに…

でもそんなふうに笑うイザークは初めてでなんとなく嬉しかった





まいった…いや、本当にまいった

何も知らないノリコをどうしたものかと悩むが
不思議と心が軽い

あせる必要などない
このままで、なりゆきに任せよう




やっと笑いがおさまったイザークが立ち上がって
あたしのベッドに腰をおろす

そして、あたしの頭に手をあてると優しく引き寄せて唇を重ねる

さっきの事があるので、あたしは少しためらってから
口をそぉっと開けてみた

彼の舌がまた入ってきてあたしのそれをからめとる

もうあたしは驚かない…


しばらくそうして、彼は唇を離してあたしを抱きしめた



「遠慮するな…と、言ったな」

「うん」

「だったら…また、一緒に寝てくれるか…」


あれはあたしの為だけに
イザークがしてくれていたことと思ってたのだけど


「夜ごと、この腕におまえがいないのは…寂しい」

え…

赤くなったあたしをイザークがくすっと笑った


「あっ、あたしの反応見て面白がってるでしょう」



はっ!とまたイザークが笑う

悔しいけれどそんな彼の姿がとても嬉しい





「嘘じゃない…」

おれはそう言ってノリコを抱いてベッドに横たわった




あたしは久しぶりにイザークに抱かれて眠りに落ちた





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