軌跡 4



翌朝、イザークとノリコは村長と数人の村人たちと一緒に
報酬を受け取る為に別な村へと向かっていた


村長をはじめみんなは目のやり場に困っている


昨日村へ来た時、男はひどくクールな態度で
傍らでニコニコしている娘とはひどく対照的だった
さりげなく二人の関係を聞いてみると
家族を失って途方にくれた島の娘が
たまたま通りかかった彼にくっついてきたということらしい

男はめったにお目にかかれないほどのいい男で
娘が彼のことを一方的に慕っているように見えた

女房はあの娘は男を知らないと言った
あいつの見る目は確かだ
男は娘には興味はないが
可哀想だから面倒を見てやってるのだとそう思った

彼女を盗賊たちへ差し出しても
彼はあまり構わないのではないかとすら考えた


けれど…
昨夜の彼の怒りはすざましかった
たかが二十歳の若者でしかないのに
村人たちを充分に恐怖で震え上がらせた


今、男は馬上で…その娘を絶対離すまいとでもいうように
しっかりと抱きしめている

娘が囀ようなおしゃべりをして
男は時折短い相打ちをしながら、愛おしそうに彼女をみる 

なんてこった
惚れ抜いているのは男の方だ…

なぜ昨日はそれに気づかなかったのだろう





イザークは変わった…
今までそんな面をみせなかったというだけだろうか

昨夜、イザークが出て行った後
一人で部屋に居ると、色々な考えが頭を巡っていった


イザークがあたしにひどいことなんてするはずがない

あれはきっと、あたしを心配したあまり怒りにとらえられた彼が
心の制御を失って…

そう…それまで制御していたものを抑えられなくなった結果なのだ

ということはイザークは…それを望んでいたの?


彼がそれを望むなら…
イザークの為に出来ることならなんでもしたい
そう決心したんだった

よしっ、これから絶対泣いたりしない
いやだなんて言わない


それに…
いやじゃない…

泣いてしまったのは怒ったイザークの乱暴な行為にショックを受けただけ

あの後また口づけられた
久しぶりに彼に抱かれて寝た
彼の手があたしの身体をそっと撫でまわした
それは泣いている子どもをあやす母親の手のように優しかった

いやじゃなかった…

イザークにだったら何をされても全然いやじゃない



イザークを待っている間に
あたしは盗賊に押し倒された時のことを思い返していた

もしあの男にイザークにされたみたいに
身体を触られ口づけなんかされたら…
そう考えたらぞっとした

そんなの 我慢出来ない
その場で舌を噛んで死んでしまったほうがましだ


『なにが我慢できるだっ!』

彼が怒鳴った理由がやっとわかった
あたしったら、何も知らないで…


そんなことを思っていたら、イザークが戻って来た


嬉しかったけど、彼が何を考えているのか見当がつかず
いつもの癖で、ペラペラとしゃべり出してしまう

子どもの作り方だなんて…
昔、保健体育の授業で習ったことを、思い出して一生懸命話した
本当はあの時も恥ずかしくて半分もちゃんと聞いてなかったのだけど…

なんだかイザークが複雑な顔をしていたので
思いきって、映画の話をしてみた

一緒に見た友達が、「赤ちゃんできちゃうよねぇ」
とか言っていたような覚えがあったから…

それはきっと愛し合った二人の行為だと何気に認識していた

愛し合った二人…?

イザークとあたし…

考えたら急に恥ずかしくなった



イザークが吹き出した

おなかをかかえて、声を出して笑って
涙まで流してるかも…


なにがそんなにおかしいのか、よくわからなかったけれど
でも、いい…すごくいい



あたしが腕にいないのが寂しいだなんて…
たとえ冗談でも、そんなことを言う人ではなかったのに

いつも何かを言いかけて、口を閉ざすイザークだった
「いや…なんでもない」そんな言葉が彼の口癖だったけど
もうそれを聞くことがないのではないかと思った

それくらい彼の態度は変わった




イザーク…
あたしはあなたの全てを受け入れるよ
だって、こんなにもあなたのことが好きなんだもの





ノリコの表情が…言動が可笑しくて、気がついたら笑っていた…
物心ついた頃からこんなに笑った覚えはなかった

おれの中でなにかがはじけ
いつもおれの心を抑え続けてきたものが消えていったような気がする

欲しい物は欲しいと今なら言える
ノリコを抱きしめることをもう恐れはしない
その結果がどうなろうと、それはおれが望んで手に入れた運命なんだ


まっさらな存在でおれの手の中にある彼女を
おれの色に染めてやる

ノリコはおれのものだ





今朝、馬に乗ったあたしの身体を
後ろに座ったイザークがぐいっと引き寄せた

えっ…

昨日まではあたしの身体を片手で優しく支えてくれていただけなのに

今、彼の息づかいが耳元で聞こえるほど
ぴったりとあたしたちはくっついている

村長さんや村の人が見ているのに

なんだか恥ずかしくて…
そういう時の癖でまたペラペラとおしゃべりするあたしを
イザークは優しく見ていた





「ほんとうにこの兄ちゃんが…?」

「ああ、ちゃんと岩屋まで確認に行ったが、全員ぶっ倒れていた
 村の医者が言うには、数週間は動けんだろうと…」

「町の保安隊まで知らせをやったから、今頃囚人城に送られているはずだ」

「ったく、盗賊退治をいくらお願いしてもちっとも動かなかったくせによぉ…」

「あいつらと結託してた隊の上層部の奴ら…青くなってるだろうな」
 
でもやっと平和になった…とみんな嬉しそうだ





「あんたたち…」

不機嫌な顔でイザークが言った
彼はまだ、彼らのことを許してない

「おしゃべりはいいかげんにしてほしい…」


イザークは貰うものを貰ってさっさとここを去りたかった


「あん?なんだその言い方は…」
血気盛んな若者であるその村の村長の息子が面白くなさそうに言った

確かに盗賊をやっつけたのはすげぇと思うが
金をもらって仕事をするたかが渡り戦士じゃねえか

イザークがその息子をじろっと睨んだ

「な…なんだよ、おれたちがあんたに金払ってやるんだぞ」

「おまえ…よせ」

父親から怒られて面白くない

けれど一番気に入らないのは…
さっきから村の女たちが集まって、遠巻きにイザークのことを見ている
密かに思いを寄せている娘もそこにいて、ぽぉっと赤くなっている

その息子は筋骨隆々とした体躯で、力自慢であった
村で彼に勝てる者はいない

細っこい外見のイザークを見て
(本当にやつが盗賊どもをやったのか…)
なにか裏でもあるのではないかと思った

みんなが自分を見ている…
特に彼女が見ている前で引く気はなかった

「生意気だぞ…たかが渡り戦士のくせに」

イザークの胸ぐらを掴むと、思いっきり彼の顔を殴りつけた



「イザーク…」
青くなってノリコが彼の名を呼んだ

口の奥が切れて出た血をぺっとイザークが吐き捨てる

そして言った
「報酬は…?」


はっと村長の息子が笑った
こんな男が退治出来たのならなぜおれたちが行かなかった?


給金を受け取ったイザークがノリコを連れてその場を去って行った


有頂天の村長の息子と
複雑な顔をした村の人々を後に残して…





村を出てからずっと黙っていたノリコがおれに訊ねた

「なぜ…イザーク」

「あんなやつに殴られるくらい、おれはかまわん」


今までだったら、あの男を殴りつけていたかもしれない
報酬などいらん、と去って行っただろう

もちろん、殴られる前に手を掴んで止めることも
避けることだって、おれには簡単に出来た

だが不思議とあの瞬間
くだらんプライドに振り回されている奴が滑稽なほど哀れに見えて
殴られてやってもいいなと思えた

おれの心に少し余裕ができたのだろうか…

いや、そうじゃない…

「イザークは優しいんだね」
振り向いてニコッと笑ったノリコの額にキスをした

「おれは優しくなんかない…」

ただ…おれは
ノリコ以外のことはもうどうでも良くなってしまったんだ

手綱を握ったまま、彼女を抱きしめた







数日後の夜、ノリコが宿の風呂へ行くと先客がいた


確か、夕食の時に隣に座っていた中年夫婦の奥さんだ
なんだかあたしたちのこと、結構じろじろ見てたっけ…

ノリコは会釈して、湯船につかった

やっぱり見てる、遠慮のない視線で…
あたしは恥ずかしくなって、下を向いた


「ねえ、あんた…」
おばさんが話しかけてきた

「は…はい」

「あんたと彼って…恋人かい?」

あ…まただ、なんだか近頃よく訊かれる…

「はい」
少し照れて答えた

ふーん、とまだあたしを見てる

「あ…あの、なにか?」
おばさんの視線が我慢できなくなって、あたしは訊ねた

「ああ…ごめんよ、じろじろ見ちゃって」
あはは、とおばさんは笑う

「ちょっと気になってさ…」
「なにが気になるんですか」
「うん…夕飯食べてる時も思ったんだけどさ
 今、こうしてあんたの身体を見ると確信してね…」

か…身体って、いったい何を言いたいの…

「あんたたち、まだ出来てないよね…」

「で…出来てない…」
意味がわからない

ガーヤおばさんも同じようなこと訊いていたっけ

「あんた、まだ生娘だろ…彼に愛されたことないんだね」

「?」

「二人っきりで旅してるのにさ…」
なんだか不思議そうな顔で言った


のぼせちゃったよ、と言いながらおばさんはあがっていった

あたしは彼に愛されてないの…?

一人取り残されたあたしは、湯船の縁に腕をかけて考えてみたけれど
やっぱりわけがわからないので、イザークに訊いてみようと思った



「え?」

イザークがあたしを見て…また固まってしまった





ノリコはおれの何倍も時間をかけて風呂に入る

いつものように先にあがったおれは
ノリコが風呂から上がるのを廊下で待っていた
そんなに大きくない宿だが、やはり風呂上がりのノリコを
一人で部屋まで歩かせるのは気にかかる

途中で中年の女が出て来て、おれの顔を意味深に見ると
くっくっと笑って去って行った

「?」


「あ…イザーク、ごめん」
ノリコが出て来て、おれを見るとそう言った

「別にあやまらなくていい…」

ノリコは風呂が好きだ
野宿の時もそうだが、泊まるにしても風呂のない宿の方が多い
だからこうして入れる時はもっとゆっくり入っても構わないのだが…



「おれが待ってる所為で、急かしてしまったな」

ううん…とノリコが笑う
「イザークが待ってるってわかってたのに…
 でも気持ちよくってのんびりつかっちゃって…」

そう言うノリコと並んで部屋まで歩き出した
濡れてる彼女の髪からいい香りが漂う
自然と手が伸びてノリコを抱き寄せようとした時

「ねえイザーク、できてる…ってどういう意味?」
ノリコがおれに訊いた

「え?」

「それに…あたしって生娘なの?」

「…」





イザークはしばらく立ち止まって、あたしを見ていたけど
赤くなって顔をそらしたままあたしの腕を取って部屋まで歩いていった

何か変なこと訊いちゃったのかなぁ



まただ…

部屋に入ったあたしは、ベッドの上にぼすっと座った
イザークはベッドの端に腰掛けて何か考えて込んでいる


数日前も同じようなシチュエーションだったのよね
あの時、あたしが何かぺらぺらしゃべっていたら
なんだか急にイザークが考え込んだだっけ


あたしったら、イザークを困らせてばかりいるのかしら


「ごめん、イザ…」
「ノリコ…」

あたしたちは同時に言った





数日前、ノリコが何も知らないんだとわかった時
いつか彼女に教えてやらなければと思った


今がその時なのだろうか
だが…どうしたものか


ふっと思い出してノリコに訊いてみた

「おまえが観た『えいが』では、二人は何をしていた?」

えっ、とノリコは驚いたようにおれを見たが

「だから、何も身につけないでベッドに寝てたの…」
恥ずかし気に言った

「寝てただけか…」
「そう…並んで」

なんでも胸の上までシーツがかけられた状態だったようだ


ため息がでそうになったが
仕方がないと腹を括ってノリコに言った

「男女の下半身の違いは知っているんだろうな…」

「知ってるよ」
以外とあっさりとノリコが答えた

「おとうさんやお兄ちゃんとは小さい頃一緒にお風呂に入ってたし…」
あたしにそれがついてないって、よくお兄ちゃんにからかわれた

「そうか…」





「男と女の身体は違う…」
イザークはそう言った

「うん」
イザークが真顔なので、恥ずかしかったけど相づちを打った

「だから、ノリコ…身体を重ねればつながれる…ひとつになれるんだ」

それを聞いて顔がかあっと熱くなった

「 そうして結ばれた男女のことを『できてる』と言い
 そういう経験のない娘は『生娘』と呼ばれる…」

わかったか…とイザークは言った

「うん…」

本当はまだよくわからなかったけど
何も身に付けてない男女が身体を重ねてると想像しただけで
恥ずかしくってそれ以上何も言えない



「あ…あのね」
それでも、一番気になったことを訊いてみることにした

「あたしはイザークから愛されてないの…?」

イザークは少し可笑しそうな顔をした

「愛し合った二人の愛故の行為…」
あ、あたしが言った言葉だ

「そのとおりだ、ノリコ」
「…」

「気持ちだけではなくその行為のことも愛し合うと呼び
 女は男に愛されたと言う…」

「男の人は…男の人は女の人に愛されたって言わないの?」

「あまり言わんな…」

「どうして…?」

うっ、と一瞬イザークはつまった
「そ、それは…行為の性格上、どうしても女は受動的だから…」





ノリコがよくわからないと言った顔をした
それ以上彼女が質問しないうちに、おれはノリコの肩をがっと掴み
彼女の顔を覗き込む

「だが、ノリコ…これだけはよく覚えておけ」

「…」

「愛し合っていない男女でも、その行為をすることはある
 それを『愛し合う』とは呼ばないが…」

それどころか…

「男が無理矢理力づくで女にそれを強要することもある
 あの岩屋であいつらがおまえにしようとしたことはそれだ」

「あ…」


青くなって震え出したノリコを引き寄せて
しっかりと抱きしめた

「心配するな…あの時は油断したが、おまえはおれが護る」

二度とあんな目には会わせてたまるものか…


「だが、おまえも充分注意しろ…」





あたしったら…本当に何も知らないで
あの盗賊たちに裸の身体を重ねられている自分を想像したら
がたがたと震えてきた
口づけだの身体を触られるなんてレベルじゃない…


でもイザークに抱きしめられて少し落ち着いた



「注意って…」

「おれから離れるな…」
たとえ町中でもひとりでうろつくな
おれが留守の間は部屋に鍵をかけていろ

そう彼は言った
でもそれは…

以前旅していた時、イザークは仕事に行く時には鍵を渡して
自分か宿の女将さん以外には決してドアを開けるなと言った
言葉が通じなかった時は身振り手振りで必死にわからせてくれた

あたしは意味はわからなかったけど、彼に従った

そして、それ以外の時はいつも彼は傍にいてくれた
あたしを決してひとりにはしなかった

お風呂から上がるのを待ってくれているのも、きっとそうなんだ


彼はずっと…そうしてあたしを護ってくれていたんだ
あたしったら、全然気づいていないで…


彼の優しさが、またじわじわとしみてきた
もうこれで何度目になるのかわからない


「それに…」
くすっと笑った気がして顔を上げて彼を見た


「初めて会った男にのこのこついて行くな…」

いたずらっぽい表情をしている

「よく知らん男に抱かれて寝るなんて言語道断だぞ…」

やだ、それって…

「イザークってば」
真面目に話していたと思ったら、ふざけるんだから…


けれど、ふと思った
あの時あたしがついていったのがイザークでなかったら
あたしはどうなっていたんだろう


「でも、イザークはあたしに
 無理矢理…そ、そんなことしなかったもの…」

「おれは臆病者だからな…」

イザークはそう言って微笑んだ


イザークは…もしかして…





「臆病者だなんて…イザークは優しいだけなのに」
「いや、おれはひどく臆病だ」

おまえに関しては…



ノリコがおれの顔をじっと見ている

「どうした…」



彼女はぽっと赤くなった
なんだか彼女の考えていることがわかって
おれも恥ずかしくなった

そのことについて随分と話したが
肝心なことには何一つふれていない…



あたしはイザークに…



おれはノリコを…



お互いにひどく照れていた…と思うけど
なぜだか絡んだ視線をはずすことができなくて
黙ったまましばらくみつめ合っていた

ひどく静かで彼とあたしの鼓動の音が溶け合うように聞こえてくる



「ノリ…」
「きゃあ!!」

突然イザークが声を出したので、焦って叫んでしまった


彼はそんなあたしを一瞬呆然と見たけど
ぷっと吹き出した





おれが笑い出すと、ノリコは赤くなって
恥ずかしいのか怒っているのかわからない表情をした

おれを心から笑わせてくれる唯一の存在…


このままノリコを…という気にもなりかけたが
もうそんなことはどうでもよくなった



「愛している…おまえをもう絶対に離したくない…」



そんな言葉がためらいもなく口から出てきた

ノリコが愛おしくて抱いている腕に力を込める




イザークがあたしを愛していると言ってくれた

あのおばさんは間違っている…あたしは愛されている…
気持ちとか、身体とかなんて関係ない
あたしはイザークに愛されている

もうそれだけでいい
後はなにもいらない…


彼の胸の中であたしはしあわせだった





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