軌跡 6


イザークがあたしを受け入れてくれたあの日から…
ずっと考えていた

彼の為に、あたしに何ができるのだろうと…





昂りがまだ身体にくすぶっている

自分の感情を抑える事など簡単なことだった
ずっとそうしてやって来た
だからなのか…
感情にとらわれて行動してしまうと、ひどく落ち着かない…

ノリコが用意をした寝具に横たわり夜空を見た
満天の星を見てもノリコほどの感動はない

家を出てから数えきれないほどの夜
ひとり横たわるとそれが目に入ってきた
おれを押しつぶそうとする不安と戦いながら
いつも星空を見ていたような気がする

ノリコがなかなかこちらへ来ようとしない
先ほどの事をやはり気にしているのだろうか…

なんのこだわりも見せずに彼女に声をかけてみた
あいつも普通に、今行くと答えた

心と身体を静めて、いつものように彼女をこの腕に抱いて寝ようと思った




「!」

隣に横たわったノリコを抱きしめようとしたイザークは
ガバッと半身を起こして彼女を見た

ノリコは何の迷いもなく彼を見る
もう観念したような様子はなかった


ノリコがそっと伸ばした手を
指を絡めるようにしてイザークは握った

嬉しい…
手を握られてノリコは微笑んだ

「ノリコ…」


穏やかな風が静かに二人の間を通り抜けた
そこにはもう恐れも、不安も、戸惑いさえもなかった





イザークは彼女の肩まで毛布をかけてやってから彼女の顔を覗き込んだ
はらりと彼の髪がノリコの顔にかかった


「まだおまえに言っていない事がある…」

「なあに…?」

ひどく落ち着いている自分にノリコは驚いていた


イザークは少しためらったが…

「女は…最初は…痛むらしい…」

え…

意外な気がした
愛し合う行為だから…多少恥ずかしいけれど甘いものかと思っていた

「すごく…?」
少し不安気にノリコは訊く

「さあ…詳しくは知らんが…」

「だから、さっき途中で止めたの…?」

それだけじゃない…とイザークは微笑んだ

「おまえが…無理しているような気がした」
今も、おれのために我慢しているんだろう…とイザークは訊いた


「ち…ちがうのよ」
ノリコは握られた手をぎゅっと握り返した

「無理してるとか…我慢しているとか、そういうんじゃないの」

さっきは急な展開で
ちょっと焦ってしまった自分を落ち着かせて
観念してイザークを受け入れる決心をしたんだった

イザークにはそれがわかってしまうんだ


「いやじゃないのよ…イザーク
 痛くても構わない…」
 

今、あたしが差し伸べる手にイザークは応えてくれる

でも…

どんなに足掻いても未来を変えることなどできずに
運命のまま彼は天上鬼へと目覚め
こんな風に二人で過ごせる日々が突然終わってしまうかもしれない

だからあたしは後悔したくなかった


あたしはイザークの首に手をまわした

「お願い…」





降伏する…というのだろうか、このおれの感情は


彼女がこの世界に飛ばされ途方に暮れていたのはつかの間だった
何かを決心したかのようにこのおれについてきた
疑う事なく …ただ一途に

醜い姿のおれを見てすらも…それは揺らがなかった


そして今…
彼女はなんのためらいもなくおれの前にその身体をさらしている
さっきはあんなに恥ずかしがっていたと言うのに…

腹を括ったんだな…

か弱い普通の女の子なのに
そんな時のノリコの意志は頑固なほどゆるがない


それに比べて、おれってやつは…
ノリコにここまで言わしている自分がひどく腹立たしい

おれはもう一生ノリコに頭が上がらないな…
そう思った

一生…

その言葉がおれの心にひどく狂おしく響く

それがたまらなく欲しかった…
彼女と死ぬまで一緒にいられる未来が…





彼はあたしの手をつかむと自分の首から離し
そっとその手にキスをした
視線をあたしの目から離すことなく

あたしをみつめる彼の瞳の奥が静かに燃えているような気がした


彼は身体を起こすと服を脱いだ

毛布を取るとあたしの頭の両脇に手をついて顔を寄せた
唇があわされ舌をからめとられた
そして身体が静かに重ねられた

あたしたちはお互い一糸もまとわない姿で抱き合っている
でももう恥ずかしくなんかなかった

彼の唇が首筋をたどって下りていく
さっきよりも激しくキスを繰り返し、手が肌を弄る

そうして散々あたしの身体を探り尽くして
彼はまたあたしの上に覆い被さった



あ…

身体の芯が引き裂かれそうな痛みがはしった
いやっ…と思わず叫びそうになったけど、その声を必死で抑えた


彼の肩越しに見える星空が、だんだんと涙で曇っていって見えなくなった

代わりに 出会ってからの彼の姿が走馬灯のように駆け巡る

あたしが抱きついて驚いた顔のイザーク
なんだか困ったような顔をしてため息をついているイザーク
病で苦しみながらも戦っていたイザーク

数えきれないほどの彼の姿を思い浮かべることができる
それがとても嬉しかった…


痛みのその奥に、あたしの中にいる彼を感じられる

彼の言葉が頭の中に蘇ってきた

『…身体を重ねればつながれる…ひとつになれるんだ…』

あたしに今やっとその意味が分かった


イザーク…あたしたちはひとつになれたんだね…


ああ…そうだ、ノリコ…

彼が答えてくれるのが聞こえた…





ノリコは懸命にこらえていたが
ひどく痛がっているのがおれに伝わってきた

だがもう止める事はできなかった

ノリコの中に身を沈めた瞬間…

彼女の全てを手にした歓びに
おれはふるえるような幸福感を味わっていた


そんな時、彼女の声が聞こえてきた

喜んでくれているのか…そんなに辛そうにしていて
こんな苦痛を与えているおれを許してくれるのか…


ようやく想いを遂げた後、おれは身体を離して彼女の隣に横たわった
彼女の頭を抱き寄せると、おれの胸に暖かいものが流れ落ちていく


そのうち彼女は、小さな寝息をたてて眠ってしまった


異世界からおれのもとへ飛ばされてきた女の子
その彼女がおれにすべてを与え、おれのすべてを支えている

ノリコ…

おまえがいなくなったら、おれはどうなるのだろう

彼女の髪にキスを落とした


なかなか寝付かれずに空を見上げた
見慣れているはずの星空が、やけにきれいに見えた





翌朝、目が覚めたらイザークはいなかった
あたしはきちんと服を着て寝ていた

あれは夢だったんだろうか…

違う…
身体の隅々にゆうべの余韻があった
起き上がろうとして動いたら、ずきんとそこに痛みがはしった



ザザッと音がして、彼が戻ってきた
手に薬草を持っている

「目が覚めたのか…すまん、ひとりにしてしまって…」

そう謝ってくれたけど、イザークのことだからあたしに何かあれば
気配ですぐ飛んで来てくれるのはわかっていた


「服…着せてくれたの?」
「誰が通りかかるかわからんからな…」

「…」

あたしったら赤ん坊みたいに服を着せられても、何も気づかずに寝ていて…

恥ずかしくって赤くなったあたしの頭にイザークは手をポンと置く
彼を見るといつものように優しく微笑んでいた

…いつものように…
もうそれが当たり前になっているのがとても嬉しかった


「飲め」
今取ってきた薬草を煮出した杯を渡してくれた

「?」

不思議そうな顔をしたあたしにイザークが言った

「痛み止めに炎症を押さえるのと…止血効果のある薬草が入っている」

「!」


「まだ痛むか…?」

真顔で問われて、あたしはどう答えていいのかわからない


でも…止血って…

そう言えばさっきから気になっていたものがある

視界の片隅にある木の枝に洗われた敷布が干されていた

そして、はっとあたしは気づく
月のモノが来る時に使う布があてられている…


かろうじて薬を飲み干したあたしは、今度は青くなって下を向く


「どうした…ノリコ」
「ごめん…なさい」
「?」
「もうやだっっ…、恥ずかしい…」

そう叫ぶとあたしは地面にうつ伏せた


「何が恥ずかしい…?」

冷静なイザークの声が聞こえた

「だって…イ…イザークに全部やらせてしまって…
 あ…あたしったら、ただ眠りこけて…」


イザークは地面にうつ伏せているあたしを抱き起こすと
そのまま彼の膝にのせた

彼の片手が頭の後ろに当てられ、胸元に押し付けられる


「ノリコはゆうべ、 大事なものをおれにくれた…」

ドキン…
胸が大きく脈打った

「おれは、そんなおまえにどう応えていいのかわからないんだ」


イザーク…

この世に飛ばされてきたあたしを ずっと護ってくれた人
あたしが目覚めだと知りながら…
本当に心の優しい人

あなたがいなくなったら、あたしはどうすればいいの…

そのまま身動きもせずにあたしは彼に抱かれていた



どのくらい時間が経ったのかあたしにはわからなかった
お日様を見れば、もう朝も遅い時間だとわかった


「イザーク…」

「ああ…」
とイザークが答えて、あたしたちやっとは身体を離した




馬に乗ろうとした時、あたしは少し戸惑った
イザークは先に馬にまたがると手を差し出した

彼の手を握るとぐいっと引き上げられて
あたしは彼の前に横座りになっていた
彼の片腕がしっかりとあたしを支えている

そのまま進みだした

「イ…イザーク…」
あたしはあせって彼を見る

「まだ、痛むんだろ…」
「で…でも…イザークの腕が…」

彼は可笑しそうな顔をして言う

「おまえの身体は、羽のように軽すぎる…」

こうしていないとどこかへ飛んでいってしまいそうだからな…

「…」

彼はどこまで本気なんだろうか…
あたしには、よくわからなかった…


夏の終わりを告げるような涼しげな風が吹いていた







おれは、はっとして目覚めた

朝か…

窓のカーテンの隙間から、明るい日が差し込んでいる
隣に眠るノリコが起きないように、そっとベッドから降りた

ノリコをはじめて抱いた夜からもう数日が経っていた


床にはゆうべ脱ぎ捨てた服がちらばっている

そして…


落ちていた剣を拾った






そのひとは、とてもきれいなひとだった
年齢はイザークと同じ位だろうな…

宿の主の娘というそのひとは、あたしたちがその宿に入った時から
イザークから目を離さない…

一緒にいるあたしのことなどまるで目に入らないように…

でもそれは、別に初めての事ではなかった…
以前の旅でも、彼はいつでも女の人からそんなふうに見られていた


ストレートな黒髪で清楚な感じ
それでいて落ち着いたおとなの雰囲気
あたしが背伸びしても届かない世界の人…

宿帳に記入するイザークと彼女が寄り添っている
ひどく似合って…
絵になるようで…

あたしは少し離れたところから、そんな二人をみつめていた…


「すぐに、お茶をお持ちしますわ…」

そう言ってイザークに投げかけた視線に
ぞくっとするほどの彼女の想いを感じた


部屋に入ってからもずっと黙っているあたしを
イザークは不審げに見ている

彼の気持ちを疑っているわけではなかった

ただ…



彼女がお茶を持ってきてくれた
イザークに優しい笑顔で話しかける

「渡り戦士の方なら…」

いい仕事があると言う

「せっかくだが断る」

その仕事が三日はかかると聞いて、イザークははっきりと言った

以前の旅では、そのくらいの仕事は請け負っていた
宿で待つ事にあたしは慣れている

「イザーク、あたしなら…」
「おまえは黙っていろ…ノリコ」

彼があたしのことを気遣っているのがわかる

正体のわからぬ追っ手…
以前とは違う旅…

だから…あたしのために…
すべては…あたしの所為…



「どうした…」

彼女が部屋を出て行って、イザークがあたしに問いかけた

「素敵な人だよね…」

「…?」

「イザークとお似合いかなって…」

「それがなんだ…」

彼があたしの身体を後ろから抱きしめた
首筋に唇を這わされて、あたしの身体はゾクリと粟立つ

イザークに始めて抱かれた夜から、もう幾晩も彼が求めるままに応えてきた
抱かれるたびにあたしの身体は少しずつ違う反応をする

なんだろう…これは…
この感覚は…





この宿に入った時から、ノリコがの様子が変だったので訊いてみた
理由は 笑い出しそうなものだった…

素敵な人…?
おれと似合いだと…

おれは顔すらまともに見ていないと言うのに…

なぜそんなことを気にするのだろう
なぜそんなに不安そうな顔をする

おれがどれほどおまえを想っているか、わかっているはずなのだが

彼女の首筋に唇を這わすと
抱きしめた両腕から彼女の身体が反応するのがわかった

三日間の仕事だと…
一時でもノリコを離したくないというのに


彼女をそのままベッドへ押し倒した

「なぜ他の女の事など憂う?」
 おれがおまえ以外の女に心を奪われるとでも思っているのか…

彼女の身体に手を這わす

「ちがうの…でも…」

ノリコが欲しい…

「でも…?」

服を脱がすのももどかしい…



「だって…あのひとは目覚めじゃない」


その言葉に不意をつかれ手が止まった

「普通の女のひとだもの…」

ノリコの声が頭の中に響き渡った






イザークは動きを止めてあたしを見た

「あのひとは…目覚めじゃない…普通の女のひとだもの…」

彼は身体を離すとあたしの隣に座った


さっきイザークとあのひとが寄り添っているのを見た時
お似合いだなと思った時
あたしのなかに暗い思いがよぎった



ずっと傍にいる…

それは彼のためだけにした約束ではなかった
あたしもそれを必死で願っていた

そうしたいと祈るような思いでずっといたから…

願いが叶ったあたしは すごく幸せだった
イザークに優しくされて…愛されて有頂天になっていた

そしてすっかり忘れていた…?
違う…忘れたふりをしようとしていたんだ

イザークを天上鬼へと目覚めさせるあたし…

あのひとが羨ましかった
あたしも普通の女の子になって、彼の傍にいたかった…

彼を化物へと変えてしまう自分の存在がたまらなくいやだった
彼が何と言おうが、あたしなんか傍にいないほうがいいんだ

もう彼に優しく愛された…思い残すことはないんじゃないの?

そう考えたら涙がこぼれおちてきて、止められなかった





ノリコが何を考えているのか、手に取るようにわかる
一緒にいることが幸せすぎて
現実から目をそらしてきたことに気づいたのだろう

おれも実際そうだったのだから…

今朝、床に落ちている剣を拾った時に気がついた
恐ろしいほどノリコに溺れている自分に…


ノリコが泣いている…
おれたちの運命の重さに耐えきれずに…





「ノリコ…」

彼はあたしの名を呼ぶとつぶやいた

「辛いな…」

「ごめんなさい…」
「謝るな…ノリコ」

起き上がったあたしの肩を、彼は優しく抱いてくれた

「おまえは何も間違ったことは言っていない」
「でも…約束したのに…今さらあんなことを言って…」

彼の胸に頭を寄せた
ずっとここにいたかった

「約束のことは忘れろ、ノリコ」

え…とあたしは彼の顔を見上げる

「おまえが望まぬのなら、一緒にいなくてもいい…」

「イ…イザーク…、あたしは…」

そんなことはない、一緒にいたい…
そう言いたかったのに言えなかった
ひどく恐ろしくなって…
あたしがあんなことを言ったから
彼はもうあたしがいやになったのだろうか…


「少し考えるんだな…」

「イザーク、どこへ行くの」

ベッドからおりて部屋を出て行こうとするイザークにあたしは慌てて訊いた

「あの仕事を受けてみようと思う」

「イザーク!」
そう叫んだあたしに彼が振り向いた

そこには辛さも苦しみも…悲しみさえ押し殺したような…
以前の彼がいつも見せていたあの表情があった




予感はしなかった…
何か大きな厄災が起こる前には必ずするいやな感じはない
三日くらいならひとりにしていても大丈夫だろう…

久しぶりに自分の感情を抑えてみたが
ドアを閉める手が震えていた

部屋に戻って冗談だと笑って言ってやりたい
そしてもう一度、彼女をこの腕に抱きしめたかった

長いことドアに両手と頭をつけ、彼女の気配を感じ取っていた


「ノリコ…すまん」
おれは彼女に聞かれないようにつぶやいた







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