One More Story 18






「なぜここで働いている?」

女をベッドに押し付けたままイザークが聞いた


「あ…あんた、いったい…」


「金がいるのか」

さっきからのイザークの言動が女には全く理解出来なかった
けれどあまりにも真剣なイザークの顔が目の前にあって
つい答えてしまう

「お金なんて…」
いっくら働いても1ゾルだって貰えないよ

「あたしの亭主は結構羽振りが良かったんだ」
それが、いつからか急に様子がおかしくなって
ある日いきなりここへ連れて来られた

返せないほどの借金の代わりだそうだ

ここで働いている女はみんなそうだよ

良家のお嬢さんだった娘もいる
父親の借金のかたにされていたらしい

「どのくらいの借金か知らないけど…
 わかってるのはもう二度と元の生活には戻れないってことさ」


病気になったり、年取って客が取れなくなった女たちは
突然姿を消す
彼女たちがどこに行ったのか、生きているのか
誰も知らない、聞くことも許されない

「あたしも歳だし…もうそろそろかねぇと思ってる」

あんたが選んでくれた時は嬉しかったよ
最後に神様が褒美をくれたのかなぁ、なんてさ





「自由にしてやる」


「えっ?」


「あんたをここから自由にしてやる…約束する」



「約束だなんて…」
客と娼婦の約束なんてさぁ、その場限りの睦言なんだよね


「おれは信用していい」

女はあっけにとられてイザークを見た

「逃げ出したって無理さ。ここの主は街の上役や保安隊とは昵懇だから
 すぐに見つかって連れ戻される
 そして見せしめに半殺しか…いや本当に殺されちまうよ」

「大丈夫だ、そんな目にはあわせない」
相変わらず真顔で言う


女はなんだかこの人の言葉を信じていいような気になった…


「教えて欲しいことがある…」


「この店には、あんたが言ってた街の上役や保安隊隊長など
 他にも偉い奴らが毎晩のように来ると聞いた
 そいつらもこうやって二階で女と寝ているのか」


客とこんな会話をしたと知れたら
命はない

でもイザークを信用しようと女は決心して言った



「あの人たちは、二階へは上がらない
 店の奥の、階段とは別な側にドアがあっただろう
 来るといつもまっすぐ、あのドアの中へ入って行くよ」


「そのドアの向こうには何があるんだ」


「あたしは知らない
 あたしたちはあのドアの中に入っちゃいけないことになっている」

「では女はそいつらの相手はしないのか…」


ううん、と首を振って
「若くてきれいな娘たちが、そっちの専用さ
 でも彼女たちとは話してはいけないんだよ
 いつかうっかり話しかけた娘がさ、ひどいめにあって」


思い出しただけで恐ろしくなったのか
女はぶるっと震えた


「なるほど、あのドアの中へ行けばいいんだな」

イザークが立ち上がって、部屋の外へ出ようとするのを女は止めた


「ちょっと、お兄さん。どこへ行くつもりだい
 まさかあそこへ行く気かい」


「いけないのか」


「いけないに決まってるだろう
 あのドアの向こうには店の主の部屋もあるし
 ここの用心棒たちが何人もいるんだよ」

「普通の強さじゃない…能力者たちばかり集めてるんだ
 あっというまにやられちまうよ」



「あんたはここにいろ」

とだけ言ってイザークは出ていった






ドアがばんっと開いた

「な…なんだおまえは!」




そこは小さなホールのようになっていて
その向こうに裏口と他にまたドアが二つあった

何人かの用心棒とおぼしき男たちが
イザークに向かってくるのをはね飛ばす



「なんの騒ぎだ」
ドアの一つが開いて、男が出てきた


アレフから聞いた容貌とそっくりだった

「おまえがここの主か」

イザークが聞いた

「そして、その部屋で薬とやらを作ってるらしいな…」
男が出てきたドアを指す

「なんだと」
主の顔色が変わった

「そしてこっちでは」
もう一つのドアを開けようとすると


「無理だ、そこは鍵がかかっているから開けられん」
はは、と用心棒の一人が笑った


しかし、ドアは簡単に開いてイザークは中をのぞくと
すぐに閉めた

「こういうことか…」


「きさまぁ、二度とここから生きて出れると思うなよ」

やっちまえ、と主が言い
用心棒たちが飛びかかってきた









夜明けまで、まだ間がある
アレフは宿には戻らず、娼館の傍に立っていた

ノリコの、あたしは構わない
と言った時のひどく痛々しい様子が頭から離れない

おれは、なんてことをしたのだろう
ノリコの前でイザークに他の女を抱けと言ったんだ

あの時は、あいつの悪行のことで頭がいっぱいだったので
深く考えていなかった
イザークは女にもてるし、とても強い
他の誰より彼が行くのが一番いいと思っていた

けれど、彼女を傷つけてしまった
いくら正義のためだと言っても
平気なわけがない


イザークをここに連れて来て
のこのことノリコがいる宿に戻り
彼の帰りを待つなど出来なかった



娼館の裏口が開いて、イザークの声がした

「そこにいるんだろ、アレフ」



「入ってこい」

「でも、おれは…」

「もう大丈夫だ」



小さなホールに男たちが倒れていた


「こいつか…」
ひとりの男をイザークが指差す

「ああ」
アレフ顔を覗き込み答えた


「殺したのか」

「当分動けなくしただけだ」

「しかし、それではまた…」

「大丈夫だ、充分おどしてやった」

イザークがにやっと笑った






そいつを痛めつけた後、イザークは胸ぐらを掴んで言った

「いいか…二度とこんな真似をするな
 もし、またやったら…」

「おれが来る…」

近づいたイザークの顔を主が見た


瞳は線のように細くなり
口から牙がみえた


「ひっっ、化物…」
と叫んで、そいつは気を失った








「残っていた薬と、女たちの借金の証書は全部焼き捨てた」

「上にいた客は全員追い出したし
 女たちは今荷物をまとめてここを出る準備をしているはずだ」


「ひゃーっ、速いね…仕事が
 今日は情報収集だけでいいつもりだったのに」


「おれはこんなところに何度も来るつもりはない」

憮然とイザークが言う



「それよりも、問題はこれだ…」
と、もう一つのドアを指す


中をのぞいたアレフが頭を抱えた


まだ薬で別世界にいる男たちが女と絡み合ってる



「まあ、この人たちも運が悪かったとはいえ
 いい大人なんだから、後始末は自分でしもらおうね」

あとは、この街に任せよう









「あ…あの」

館を出て行こうとするイザークに
あの娼婦が声をかけた


「なんだ」


「名前を…教えてもらっていいかい」


カイザックと言おうとしたが


この女に助けられたな…


「イザーク」
と答えた


立ち去るイザークの背中に

「ありがとう、イザーク」

と彼女が言った




イザークは振り返ると、口の端を持ち上げて笑った




「笑ってくれた…」

ここへ来た時から、ひどく機嫌が悪く
部屋でいろいろ聞かれた時も、恐ろしく無愛想だった

でもあたしを自由にしてやるという
約束を守ってくれた

最後に笑ってくれた



「ありがとう」


イザーク…










娼館を出たイザークがアレフに

「悪い…先に戻る」


ダーンっと、走り出しあっという間にその姿が見えなくなった


「底知れぬ能力者だな、あいつは」

アレフが呆れたように言った










ノリコはベッドの上に座っていた
イザークの心は完全に閉ざされている
何が起きているか、あたしに知らせないようにしているんだ


「人助けだもの、仕方ないよ
 あたしは構わない」

そうだ、たくさんの困っている人を助けるためなんだ
きっとこの街だってもっと平和になれる
仕方がない…
構わない…



でも

イザークとの二人旅の道中
そういう女の人たちを見てきた

綺麗にお化粧をして
あたしなんかと違う
大人で魅力的な身体付きの女の人たち…

そういう女の人と
今、イザークは…


いやだ…
いやだよぉっ

さっきから涙が止まらない…





ドアが開いた


「ノリコ…」


イザークが現れた


「起きていたのか」


「おまえの心が見えなかったので、てっきり寝ている…」

隣に座ったイザークが言葉を切った


ノリコはふいっと顔を背けたが
すぐにイザークにその顔をもどされる


「泣いていたのか…」




ひとりぼっちでここに一晩中泣きながら座っていたのか
おれを想って…
その悲しみをおれに知られまいと必死に心を閉ざして…



「すまん」
と言ってイザークはノリコを抱きしめた

「な…なに言ってるの。イザークは全然悪くないよ」

「だが、おまえに辛い思いをさせた…」

「イ…イザークは悪くない。あ…たしが…望んだ…から」

と言いながらもこみあげてくる涙で、声がつまる





「おまえは、おれが他の女を抱くなどと
 本気で思っていたのか」


「で…でも、じゃあどうっやって…」


イザークはまっすぐとノリコを見て言う


「約束したんだ、自由にしてやると」


あ、とノリコはイザークを見た



あの女の人たちに
すごく偏見を持っていたと今気づいた
あの人たちだって普通の女の人なのに
とても辛い生活を送っているのに
あたしったら、一方的に…彼女たちを敵視して

イザークにはわかるんだ
彼は人の心の痛みを感じることが出来る
優しい…本当に優しい人だから




「今夜女を抱くのは、これが…最初だ」

優しくイザークはノリコをベッドに横たえた


ノリコも静かにイザークの想いにこたえた







イザークにかなり遅れて宿に着いたアレフが
他の皆を起こし、荷物をまとめさせた


夜があければ、騒ぎになるのは目に見えている

娼館の女たちや他の客に、イザークは見られている


こちらも追われている身で、これ以上関わりたくない
早々に旅立つことにした


馬車の準備が整った頃にやっと
イザークがノリコを抱えて現れた


そのままイザークは荷車に座り
その腕から彼女を離そうとしない


ノリコは寝ているようだった


誰もが、今回のことでノリコに対して
すまない気持ちでいっぱいだったから

何も言えずに二人を見ていた




「一晩中、起きていたようだ…」

イザークが愛おしそうにノリコをみる

「安心して、眠ってしまった」




「安心…?」

グローシアが問い返す







「おれは、あそこで女を抱いてなどない」


ぼそっとイザークがつぶやく




イザークの胸ですやすやと寝息を立てるノリコは
朝陽に包まれて、幸せそうに輝いていた




「行きましょうか」

アレフが笑って、馬車を進めた




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