One More Story 20




とんとん…と控えめなノックの音がした


しばらくしてからドアが開いた




「あ…あの、アレフがちょっと来て欲しい…って」

真っ赤になったグローシアが言う


「わかった、すぐ行くとアレフに言ってくれ」

イザークはそう言うとドアを閉めた





ドキドキドキ…

胸の動悸が収まらない



西大陸への航海の途中だった


朝食の時に顔を会わしてから
二人の姿を見ていなかった


アレフがイザークを探していたので
じゃあ船室に行ってみる、と言って来たのだけど


素肌にローブをまとっただけの姿で
戸口に現れたイザークの身体とドアの隙間から
ベッドに横たわるノリコの白い背中がみえた



あたしたちの前に現れた時から
ひどく仲のいい二人だった
ずっと同じ部屋で過ごしてたし
当たり前のことだとは思うけど…


今初めて二人の関係を現実として
目の前に見せつけられたような気がした



大人の男と女の関係…


そんな二人が羨ましかった


父の警備隊に雇われたばかりのアレフはまだ十代で
剣の腕を買われ、少年だった兄たちに
剣を教えに住居側に来るようになった

子どもだったあたしを、アレフは可愛がってくれた

そしていまだに彼にとってあたしは小さな女の子なんだ

グローシアはきゅっと下唇をかむ





イザークがやってきてアレフと話している
ラウンジの不埒な客について何か言っているらしい


イザークは年齢的にアレフよりはずっと下で
むしろあたしたちと近い

兄たちと同年齢かしら…


けれど彼はひどく大人っぽくて落ち着いている
兄やバーナダムには年上の立場から話すことが多いアレフが
イザークとは同等に接している

彼はとても強くて
うらやましいほどなんでもできる
容姿の良さは言うまでもない

ノリコはその年にしては無邪気で子どもっぽい
普通の女の子だ

さっき見た光景が、普段の彼女としっくりいかない

ひどく対照的な二人が、なぜあんなにも
強く魅かれ合っているんだろう








ノリコはうっすらと目を覚ました


今朝…朝食後、甲板に出たあたしは
むせ返るような汐の香りに
あの真っ暗な海底を思い出して
こわい…とイザークに言った



そんなあたしを彼は船室へと連れていって

抱いてくれた


いつもよりずっと…時間をかけて…



何度も…何度もあたしは彼にお願いしたのに

「まだ…だめだ」

そう言ってあたしを焦らし続けた



ようやく彼があたしの願いをききとどけてくれると

「感じろ、ノリコ…」

耳元でささやかれた

「もっと強く…おれを感じるんだ」



あたしは、今までになくひどく乱れて
自分がどんな反応を示していたのか覚えていない

たぶん声をあげていたんだろうな
想像するだけで恥ずかしい





イザークは部屋にいなかった

でも…

あたしの身体は、まだ彼を感じ続けている



ドアが開いて汐の香りと一緒にイザークが入って来た

ビクン…

彼の姿を見ただけで、身体が反応する



「気がついたのか…」

そう言ってベッドに腰掛け、あたしを覗き込む

「まだ震えている…」

「あ…」

恥ずかしくて顔をそらした



「ったく、アレフの奴…」

イザークはため息をついて、少し残念そうに言った

「服を着ろ、ノリコ」




「警備員…?」

「ああ…給金がもらえるし、おれの船賃はただ
 他のみんなは割引きだそうだ…」


着替えたイザークは帯の上からベルトを締めると剣を下げた
そしてぎゅっとバンダナを巻いた


「やっぱり、イザークはその方が似合うね」

ニコッとノリコに言われ
イザークは照れて赤くなった


「おれが仕事している間は
 なるべくアレフたちと一緒にいるんだ」


二人はみんながいる甲板へと向かった

「まだ恐いか?」
イザークが聞いた

「ううん、大丈夫…でも」

「でも…?」

「これからは、汐の香りがしたら…」
あたしイザークを感じちゃうかも…

ノリコは赤くなってそう言った


ポンと頭に手が置かれた

「海辺を旅し続けるのも悪くないな…」

「イ、イザークってば…!」

は、とイザークが笑った



「剣士の格好だと、かっこよさに磨きがかかるわね」
ニアナが感心したように言った

「女を口説くにはこっちの方がいいな」
ニコニコ笑いながらアレフが言った

「君も、この格好で告られたの…?」
とノリコに聞いた

ノリコはなぜだかうろたえて答えない


「アレフ…」
イザークは、ため息をつく

「くだらんことを言ってないで…行くぞ 」


さっさとラウンジの無法者に片をつけたイザークは
アレフと一緒に事務室へ行った


アレフさんはイザークにいろいろ押し付けるし
イザークはアレフさんに文句ばかり言ってるけど
なんだかあの二人、結構気が会うんじゃないかしら…



「なに笑ってるの、ノリコ」
グローシアに聞かれて

「あっ、あの…アレフさんとイザークのコンビって
 結構面白いな…なんて」

「あたしも思ってた」
グローシアが言った

「アレフって一見人当たりはいいけど、案外警戒心が強くて
 本心なんてめったに他人に見せないのよ
 でもイザークには、打ち解けちゃってる気がする」

そういうグローシアの表情が切なげだった

ノリコが言った
「グローシアはアレフさんが好きなんだね」

それに答えず、プイとグローシアは海の方を向いた

「アレフさんだって…」



「ノリコたちってさ…」

ノリコの言葉を遮るようにグローシアが言った

「最初から、そんな熱々だったの?」


なにか聞かれたくないわけでもあるんだなぁ…

これ以上その話題にふれるのは止めよう
ノリコはそう思って話し出した


「ううん、ひとりぼっちで途方にくれてたあたしを
 イザークはいろいろ面倒見てくれたんだけど
 でもあたしなんて厄介者でしかなかったから…」

「ザーゴには、身寄りのない女の子たちの施設がいくつかあるわ」

「本当に厄介だと思ってたのなら
 そこに預けることもできたはずよ」

困ったような顔をしたノリコに

「ごめんなさい、変な意味じゃないの…
 ただあなたたちが本当に仲がいいから気になっちゃって」

グローシアが謝った

気にしないで、とノリコは言う

「一度、イザークの知り合いのおばさんの所に
 あたし…置いてかれたんだ」

「まあ、本当? 信じられない…
 でもすぐに取り戻しにきたんでしょ」

今のイザークしか知らないグローシアには
慌てて取って返す彼の姿を想像して笑ってしまう


「イザークは、二度とあたしに会わないつもりだったのよ」

「えっ?」

当時を思い出し、ノリコは暗い顔をした
イザークと出会ってから今までで、一番辛かった瞬間
振りほどかれた手…
小さく消えて行く背中…


急にノリコの目が潤んで、グローシアは困って言った

「辛いことを思い出させてしまったみたいね」


「でも、ジェイダさんたちのおかげでまた会えた」

にこっといつものように、ノリコは笑った


「あたしも、イザークから逃げようとした事があるんだ」

「まあ」

「すぐに追いつかれちゃったけどね」


次から次へと意外な話が出て来る


何か深い事情がありそうです

アレフが一度この二人のことをそう言ってた
ただの仲の良いだけのカップルではなさそうだと…


「いつごろから彼のこと好きになってたの?」
わざと明るくグローシアは聞いた


「旅の途中から…いつのまにか
 彼のことがとても好きになっていたの」

「イザークは?」

「それは…」

イザークはあたしと一緒に過ごしている間に
あたしに魅かれ好きになったと言ってたっけ
いったい、いつころから
あたしのこと好きになっていたんだろう

「たぶん、同じかな」

ふーん、とグローシアが言う

「じゃあ、両思いになったってわけね」

「それが…違うの」

消えそうな声でノリコが言った

「あたし…イザークに好きだって告白したんだけど…」


受け入れてもらえなくて
あきらめてたんだ
傍にいられるだけでそれでいいって…


「なんか、全然信じられない…
 今のイザークから全く想像できないわ」

グローシアが頭を振った



「けど、さっきアレフが訊ねた時、ノリコ妙にうろたえてたわよね」

「えっ」

「なにかわけがあるのかな…って気になったんだけど」

やだ、グローシアったら鋭いんだから

「あ…その…告白された時の彼を、思い出しちゃって…」

つい、言ってから後悔した

「えー、どんなだったの?」

教えてとせがまれて、

「そ…それは」

ノリコが困って言葉に詰まった時


数人の女の子が、きゃぁきゃぁ言いながら歩いてきた


「ホント、見たこともないくらいかっこいいの」
「めちゃくちゃ強いんですって…」
「今、下の事務室にいるらしいわよ」

見に行こぉー、と騒ぎなら通り過ぎて行った



「あらあら、モテるわね」

少し離れたところでドロスと一緒に
チモと遊んでいたニアナが言った

グローシアはノリコがひどく沈んだ顔をしたのを見て

「何やってるのよ…ノリコ」

怒ったように言った

「え」

「イザークはあなたのことしか見えてないのに…
 なんでそんなに不安そうにするの?」

「グローシア…」

「もっと自信持ちなさいよ」

「でも…」

「もう…焦れったい」

行きましょ、と言ってぐいっとノリコの手を引っぱった

「ど…どこに?」

「決まってるでしょ、イザークのところよ」

「何しに…?」

「イザークはあたしのものよ、って言ってやりなさいよ
 あの女たちに…」

「へっ…」

ノリコは慌てる

「む…無理、絶対無理」

「無理じゃない!」









事務室ではアレフと一緒にイザークが事務室長から
給金や船賃の割引のこと(アレフの興味はこれだけだった)
見回り警備の時間、場所なんかの説明を受けていた

「君には部屋を引き払ってもらって、保安室に移ってもらうよ
 見回り以外は、なるべくそこにいるように…」

「保安室があるのに
 なぜ保安員や警備員が乗っていないんですか、この船は」
アレフが聞いた

「いたんだよ、三人も」
少し若い事務員が言った

「けど、物騒な感じの客が結構乗って来たんで
 出航直前に尻尾巻いてドロンさ…
 これから港に着くまで、まだいろいろありそうだぜ…
 まっ頑張ってくれよ、警備員さん」

厭味っぽく言うが、イザークはまったく無関心に聞いていた


「ま…それもそうだが…」
こほんと咳払いして、事務室長が言った

「警備員自らが、風紀を乱すような真似はしないように頼むよ」

「おれが、風紀を乱すと…」
なぜそんなことを…

ノリコを昼間から抱いたことだろうか…
船室内だったし、問題はないはずだが
声が漏れたのか…

考え込んでしまったイザークに

「まさかあれに気づいてないとか言うんじゃないだろうな」

事務員が指を指す

事務室は、廊下から客が事務手続きなどできるように
しきりが下側にあるだけで、上は大きくあいている

そこに今、女たちがきゃあきゃあ言いながら群がっていた


イザークは横目でちらっと見ると、興味無さそうに言った

「おれには関係ない」

「はっ、二枚目さんは贅沢だな」

事務員はさっきから面白くなかった

「兄ちゃん…あんたなぁ、あそこからよりどりみどりで
 いくらでも保安室に引っ張り込めるんだぜ
 保安室に押し掛けて来るのもいるかもな…
 そういうことはするな、と事務室長は言ってるんだよ」

「くだらん」

「なんだと」

まあまあと、アレフが割って入った

「彼にはちゃんと恋人がいますから
 そういう問題はないです。おれが保証します」


「なんだ、あんた女連れか」

「だが、恋人を保安室に連れ込んでもらっても困るよ
 彼女は船室に残ってもらってくれ」

と、事務室長が釘を刺した途端…


がたんと椅子を倒すほどの勢いでイザークが立ち上がった

みんなびっくりして彼を見上げる

しまった…うっかりノリコの話題を出してしまった
ノリコのことになると、こいつは…
アレフは後悔したが、遅かった


「断る…この話はなかったことにしてもらおう」

そう言って立ち去ろうとするイザークを
アレフと事務室長が必死で止めた

「待て、イザーク…冷静になれ」

「わかった…彼女に保安室で休んでもらっても構わん」
事務室長が折れて、そう言った

自分はその場にいなかったが、この男は
ラウンジで不埒な行為をしていた連中をあっという間に黙らせたという
たちの悪そうな客が多い中、少しでも強い警備員を逃す手はない

多少のことは目をつぶろう

「だが、保安室はいつ誰がやってくるかわからないので…
 その…気をつけて欲しい」


「何に気をつけるんだ」

腕を組んで立ったまま、不機嫌そうにイザークが聞いた


くっくっと笑いながら、事務員が解説する

「服は着たまま、ベッドは別にしろってことさ…」


「それも断る」


うっ、とアレフが手で顔を隠した


「なにマジになってるんだよ、兄ちゃん
 ここではいはいって言っといて
 こそこそやってりゃわかりゃしないのによ」

すでに事務員は楽しんでいる

「なぜノリコを抱くのに、こそこそせねばならん」

「おい、まさかおおっぴらにやるもんでもなかろうに…」

「そういう意味じゃない!」

さっきまでえらくクールな態度で癇に障ってたんだが
女の話になった途端、急にムキになった
結構おもしれえ奴だな

事務員は可笑しそうに笑った


話の論点がどんどんずれていって
事務室長は困っている

アレフは顔を隠していたが
身体中を震わせていた





その時

「どきなさいよ」
ドアの方から声が聞こえてきた


「グローシア …」
アレフが 声のする方を見る


ドアが、ばんっと開いて
ノリコが押されたようにつんのめって部屋に入って来た
ドアはまた閉まった


「どうした」
イザークが驚いて聞いた


「あ…あの、あた…し」
ノリコは真っ赤で、言葉が出てこない


「お嬢ちゃん、何か用かい?」
事務室長が、優しく聞いた



女たちの後ろからグローシアが叫んだ
「イザークは私の男よって、ちゃんと言ってやんなさい」


アレフがため息をついて、頭を抱える


「えっ、あんたの彼女?」
事務員がちょっとびっくりして聞いた

 えーっっ、彼女だって
 ガキじゃないの
 うっそぉ、全然似合わなーい
 勝ったわ…

女たちの騒ぎ声が聞こえて来る

事務員が言う

「あんたがやけにムキになるから、
 どんだけいい女なんだ、と期待してたんだがなぁ」
ま、すこし可愛いけどな…

事務室長もこくんとうなずいてから
しまったという顔をした



くすくす
女たちの嘲笑が反響する

 ねえ、今晩保安室に行ってみない
 やだ、大胆…
 あの子いるじゃない
 うふふ、あんなの放り出せば



ノリコはうつむいたまま、 震えていた

アレフは、青くなってイザークを見る

イザークは今にも爆発しそうな怒りを
表情にたたえて周りを睨みつけているが
相手が女たちなので、 躊躇していた



 わざわざ誇示しにくるなんていやな子
 独占欲強いのね
 そりゃあ心配なんでしょ 
 彼も可愛そうよね


多勢を頼んで言いたい放題だ


イザークが怒鳴りつけてやろうと口を開きかけた時


「いい加減にして!」
ノリコが叫んだ


「な…なに勝手なことばかり言ってさ」

「あたしが釣り合わないって…
 そんなことわかってるわよっ」

きっと顔を上げて、ノリコが女たちを睨んだ

「で…でも、こんなあたしに
 彼は好きだって言ってくれたんだもの…」

さっきまでの騒ぎが嘘のように、静かになった

「だ…だから、あたしこれからもずっと彼のそばにいるつもりだからねっ」


両手にぐっと力を入れて
ふるえながら言いきった



「ノリコ…」
アレフがノリコの肩に手を置くと
ぐらっとその身体が傾いで倒れ込んだ


「お…おいっ」


焦ってイザークを見ると
惚けたようにノリコを見て立ちすくしている

「しっかりしろよ」
と言って、ノリコをイザークへ渡した


イザークはノリコの身体を抱きとめると
はっと我にかえってその腕に力を込める

イザークに抱きしめられた途端
うわーんと声をあげてノリコが泣き出した




「なぜ釣り合わないなどと言う…」

イザークはノリコの顔を上に向かせる

涙がぽろぽろこぼれていく頬を
愛おしげに撫でながら言った

「おまえほどいい女を、おれは他に知らん…」

そして静かに唇を重ねた

しんと静まり返ったその場に
イザークの言葉は静かに響き渡った


イザークがやっとノリコを離した時
女たちはもう誰も残っていなかった

満足そうな顔をしたグローシアが
親指を上げて合図をしてきた

そんな彼女をアレフが呆れて見ている

事務室長も事務員も目をそらしている





船室に荷物を取りに行こうとしたイザークは
振り返って言った

「ドアには鍵をかけさせてもらうからな」

そして、キョトンとしたノリコの手を引いて出て行った



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