初夏



ノリコの傷は思いのほか深く
当分は動かさないほうが良さそうだったので
国境の近くに家を借りた




「なんの用だ…」

ノリコの寝室にいたバーナダムにイザークが言った


「用って…ただノリコの様子をみにきただけだよ」


「ノリコはけが人だ…あまり煩わせるな…」


「なんだと…」

いけないのか…
第一なんであんたにそんなふうに責める権利がある…

つっかかってきたバーナダムを無視して

「ノリコ、これを…」

薬草を煮出した杯を差し出した



毎日、イザークはあたしの世話をしてくれる
あたしの怪我が、自分の責任でもあるかのように…
時々ひどく切なそうにあたしを見る

気にしなくてもいいのに…
イザークは悪くない


それよりも…

以前と比べて、イザークとあたしの間はひどくぎくしゃくしていた

あんな事、言わなければよかったのだろうか…



田舎に大人数で固まっているよりは…

ということで、明日ジェイダ左大公たち一行は
先にセレナグゼダへと旅立つ予定だった


無理してでも、いっしょに行こうと行った奴を
イザークはひと睨みで黙らせた…



「これでいいだろう…」

ガーヤおばさんが、あたしの怪我に湿布をあてながらそう言った


「うん…ありがとう、おばさん」

「明日からはもう世話が出来なくなる…」

「あたし、もう大丈夫」

「最初の応急手当が良かったからね」

「ほんとうに、ありがとう…おばさんのおかげ」

「なに言ってるの、あたしじゃなくてイザークだよ」

「えっ?」

「あたしゃ、あんたの怪我の現場にいなかったんだから…」


え、え…えーーーーーーっ




おばさんは、可笑しそうに笑っていたけど…
そ…それが何を意味するのか
あたしはなるべく考えないようにした


これ以上、イザークの顔から目を背ける必要はなかったから…




彼の顔がまともにみれない

どう思っているのだろう
あたしの言ったこと
あたしのやったこと

彼はあれから何も言ってくれない







ノリコはおれの顔をみようとしない
それまでは、あんなにまっすぐな笑顔を向けてきてくれていたのに
おれが…おれのこの態度が、彼女をそうさせているんだ



イザークが好き…

ノリコの言葉が頭の中で何度も反響する


醜いおれの姿を見ながら
それでもノリコはそう言った

おれはひどく動揺していて
どうしたらいいのかわからない…





ガーヤたちが去った日の夕食だった

ノリコはまだベッドから出るのが辛そうなので
部屋まで食事を持って行った


部屋に入ったおれに、一瞬目を合わせたノリコは
びくっとして顔をそむける


ひどく切ない気持ちがしたが

「食えるか…」
食事をベッドの傍らに置いて聞いた


「うん、大丈夫…」
目をそらしたまま、ノリコが答えた


ノリコ…
おれを見ろ
いつものように、あの笑顔をおれにくれ

おれは刹那に願ったが
それは、言葉にはならなかった…




季節は静かに夏へと移っていく


ノリコがここへ飛ばされて、初めての夏…


アゴル父娘が、町まで買い物に行くというので
ノリコの夏服を買ってくれと頼んだ

「あはは…その頼みはきけないな…」
あんたが自分で買えと、アゴルは笑って断った


出会ってからずっと、ノリコのものは全ておれが買っている
自分で選べと言っても、いつも困ったようにおれを見た




「あたし、優柔不断なので…」
ここへ来た時、けが人だから好きな部屋をと問われ
困ったようにノリコはそう言った


「自分の服も選べないくらい…
 いつもイザークがさっさと決めてくれる」


それを聞いた、ガーヤやアゴルたちは面白そうにおれを見た




その優柔不断なノリコが、おれを好きだとはっきりと言い
おれは何も決められずに悩んでいるというわけか…

皮肉な話だな…


店で女物の服を選ぶおれは
それまでとは違い、ひどく気恥ずかしい気持ちがした

それをまとう彼女の姿を思い浮かべようとすると
あの日、暮れかけた中でもはっきりと見えた
彼女の白い肌が頭をよぎった


すまん…ノリコ

心の中で謝りながら、 服を剥ぎ応急手当をした
彼女はそのことをどう思っているのだろうか…



買ってきた服をノリコに渡した

「あ…ありがとう、イザーク」

久しぶりに彼女はおれを見て、笑った
かなうならば、その場で彼女を抱きしめたかった


 イザークが好き…
 ずっとそばにいてね


もうとっくに気づいていた

いつだってノリコのことを思っていた
どんな姿でもいいと、おれが好きだと言われて
どれほど嬉しかったか


ノリコが…ノリコのことがたまらなく愛おしかった


けれど彼女は…目覚めなんだ
そしておれは…

天上鬼だ

おれたちは一緒にいてはいけないんだ



ノリコはもう目をそらすことはなくなったが
時々おれの顔を伺うように見ることがある

おれの答えを求めているのだろう
そしておれは相変わらず何も決められずに彼女を悩ませる
そんな自分がひどくいやだった


ノリコから逃れるように家を出て
珍しい薬草が時々見つかるという草原を訪れてみた
けれど、彼女のことがずっと頭から離れず
その美しい風景を見ても
ただノリコに見せてやりたいと…それだけを思った





もう暑くなるから、と言って
イザークが夏服を数枚くれた

買い出しはアゴルさんたちが担当なのに
これを買うためにわざわざ町まで行ってくれたのかしら

申し訳ないという気持ちと
嬉しい気持ちが同時に胸に押し寄せて
気がついたらイザークの目を見てお礼を言っていた
恥ずかしくてずっと避けていた
彼の視線がなんだか懐かしかった

彼は相変わらず無表情にあたしのことをしばらく見てから
プイと顔をそらして部屋を出て行った

なぜか彼が苦しんでいるような気がした

あたしが、あんなこと言ったせい…?



ずっと彼が好きだった

その想いをあの時打ち明けてしまった
でも彼は答えてくれない

困っているんだ
優しい人だから無下に断れずに
ほんとうはあたしなんか、またどこかに置いて行きたいのに
あんなこと言われたから、それも出来ずに…



イザークが連れて行ってくれた草原の美しさに、心が癒された
薬草だと言いながら渡してくれた花束の香りに泣きそうになった

ああ、あたしは本当にこの人が好きなんだ
心からそう思った…

ごめんね、イザーク
あなたを困らせているのはわかるけど

でも…

やっぱりあたしはあなたの傍にいたい、このままずっと
お願い…もうあたしを置いて行かないで…



相変わらずぎくしゃくしながらも
明日はセレナグゼナに向けて出発と言う日を迎えた

あたしは突然襲われた






薬草を探してくると言って、ノリコたちと離れた

一度訪れたことがあるその草原は
どこになにがあるかは、もうよく知っていた

きれいで良い香りのする花を摘む…


薬草なんかくそくらえだ…


ノリコにその花の美しさを、その良い香りを贈りたいと
それだけ考えていた


その花束を持って行ったけれど
おれは、おれをみつめるノリコの視線に
応えることはできなかった


「薬草がいくつかみつかった…」




明日は、セレナグゼナに出発するという日…
ノリコが襲われた





あの後、ずっとイザークは何か考え込んでいる

「どうした…?」

もう二人をからかうことをやめたバラゴが
イザークに訊いた



「あいつらは…突然消えた」

イザークが言う

「ああ、まったく正体不明な奴らだよな…」


黙面…とか言う奴がノリコを求めている…?
なぜだ…



「突然消えたということは
 突然現れることも出来るかもしれん…」



そう言ってイザークは部屋を出て行った






「ノリコ…開けるぞ」

イザークの声がした




最後にイザークに抱かれて寝たのは
白霧の森の前だった

それから…化物に襲われてあたしは怪我をして
そしてイザークに、今までの想いを告白して…

それ以来…
イザークはあたしから距離を置こうとしていた


もう、とうにあきらめていた
イザークはただ親切心でそうしてきただけで
今は、あたしにあんなことを言われて困っているんだと…
本当はあたしをどこかに厄介払いしたいんだと…



「イザーク?」

さっき、おやすみと言って別れたのに
とつぜん部屋に現れたイザークにあたしは戸惑った



「ノリコ…」


真顔でみつめられた


「あいつらがまた来るかもしれん」

イザークは剣をはずして、あたしの枕元へ置く


ドキン


上衣を脱ぐとあたしの隣に横たわった


ドキン…


「おまえはもう寝ろ…」

おれが傍にいるから、安心して…




なんだか暖かいものがおれの胸を濡らした

泣いているのか…ノリコ







ごめん、イザーク
あたしは厄介者かもしれないけれど

でも、こうしてまた抱いてくれていると嬉しい


また、あなたの優しさに甘えてしまう…


ほんとうに久しぶりに彼の胸であたしは眠った
なにもかも、憂うべきことは全て忘れて…

彼の胸の暖かさが
鼓動の音が
そっと抱きしめてくれる腕の感触が

全てが有り難すぎて涙が止まらなかった

どうでもいいよ…イザーク
あたしを誰が狙っていようと

あなたがこうして傍にいてくれる…
それで、もう充分だよ


そうしてあたしは深く眠った







さんざん声を殺して泣いた後
ノリコは眠りについた


おまえを好きだと言えたら
その身体を抱きしめ、その唇を奪えたら…


おれは自分の自制心をこれまで呪ったことはなかった



おれはただ、ノリコを胸に抱き
そして静かに目を閉じた…





「ノリコに会えなかったから寂しかったっていったんだ」



こいつは何を言ってるんだ…?

バーナダムはまっすぐな視線をおれに向けた



おれとは違う
欲しい物は欲しいと、なんの躊躇もなしに言えるやつ



ノリコが不安そうにおれを見た
けれど、おれは何も言ってやれない…

黙って目をそらした



ノリコをだれにも渡したくないと
ノリコはおれのものだと…
心の中で思うしかおれには許されないんだ



あいつが投げかけるまっすぐな視線を
おれはそんな想いを込めて睨みつけた



「あんたに何がわかる!!」

バーナダムから激しく責められたが
どれだけ悩もうとも、結論など出て来ない

ノリコを受け入れられない
ノリコを離したくない

いつもより早く訪れた発作に倒れたおれを
そんな思いが苦しめる


心が二つに裂けそうだ…




そしてノリコがさらわれた



生贄だと…
生き血だと…

それまでのおれは、天上鬼のエネルギーをひたすら押さえて
人の目から避けるように生きて来た



けれど、今のおれにはそれはどうでも良かった

ノリコのことしかもう考えられなかった


そして、おれはおれの中の天上鬼を解放した…





あたしが目覚め…?
イザークが天上鬼…


ああ…だから彼はあんなに苦しそうだったんだ

彼はどれだけのものを、今まで一人で背負い込んできたの…



その事実はあたしを打ちのめしはしたけれど
やっとイザークの気持ちを理解できた


彼から離れよう…
もうこれ以上、あたしの犠牲にならないで…


逃げようとするあたしを、彼が追ってきた





夏はゆっくりと過ぎていく



今、あたしの手はしっかりと彼に握られて、一緒に歩いている

なんだか信じられない…




絶対にそばにいる…


あたしには何の力もない
けれど、この約束だけは何があってもまもろうと心に誓った





ノリコがおれから逃れようとした時に
おれは始めて悟った

おれにとって一番大事なものを…


ノリコになにかあったら
彼女を失うくらいだったら
化物になった方がまだましだ…


ノリコとおれの運命を、ゼーナの言葉に賭けてみよう
未来は変えられると…



絶対にそばにいる

ノリコはおれに言ってくれた



ずっと望んでいたものをやっと手にいれることができた


この先、何が待ち構えているのかわからんが
これだけは決して離したくないと
ノリコの手を握って歩き出した




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