ノリコの日記in New York 5日目 (前)



「出て来たわ…」
「やだ…本当だったのね…」

一瞬息をのんだ女たちは…久しぶりに見るイザークの姿に
はぁ…っと一斉に甘い溜息を漏らした




それまでの間…
本当にここにイザークがいるのかと散々疑っていて…

「あたしがガセねたを掴んだとも…?」

マフィアのボスの情婦である女が機嫌を損ねたような声で言ったものだった

前日…敵対するボスの息子たちが誘拐事件を起こしたその現場に
イザークがいたらしい…という噂を聞き込んで
早速探索に子分たちを走り回らせた結果…
このホテルで開催されている会議の警備に
イザークがあたっていることを突き止めたのだ

ちなみに、肝心のボスはイザークをかなり恐れているため
自分の女が多少彼と火遊びをしても…
むしろそうすることでいざという時に
少しでも手加減してもらえるのではないか …と歓迎していた

そんなことはイザークの場合…あり得ないのだが…





「マイク…あの女の人たち…」
「言うな…ビリー
 おれ…なんだか見ちゃいけないような気がするんだ」
「あたしも…」


マフィアの情婦をはじめとして…
ブロードウェイのスターダンサー
パリコレの常連モデル
女優の卵…
そして…世界中に(もちろん東京にも)ホテルを展開する某ホテル王の娘

めちゃくち垢抜けたいい女たちが
会議のため…泊まり客と関係者以外は中ヘ入れないので
ホテルの前の道になにやら苛立たしげに腕を組んだり…
腰に手を当てて仁王立ちしたりしながら…
ホテルを睨みつけていた
その場だけ異様な雰囲気でやけに近寄りがたく…
通行人に遠巻きにじろじろ見られても
見られることには慣れているせいか…彼女たちは全く気にも留めていなかった


そんな彼女たちの表情が…
イザークが姿を現した途端…一変したのだった




昨日…ノリコは記憶を取り戻した


あたしは…もっと…イザークのことを好きになる

ぽろぽろと涙をこぼしながら…
それでも微笑んでいたノリコの顔が一日中頭から離れない

ふ…っと、ついほころんでしまう口元をイザークは度々手で隠し
ベートから不審気に見られていることなど全く気にしていなかった
早く彼女と会いたいと思う気持ちが抑えきれずに
仕事が終わると同時にホテルを飛び出した


きゃぁーっという嬌声が彼を包んだ

「元気だった?…イザーク」
「相変わらずいい男っぷりねぇ…」
「ううん…前より素敵になったかも…」
「もうお仕事終わったの?」
「だったら…ねぇ…一緒にごはんでも食べない?」

必死に話しかける女たちを
イザークは足を止めてちらりと見た

「悪いが…急いでいる」

そう言って、タクシー乗り場へと足早に向かった

「え…」

ぽかんとみんなが顔を見合わせているところに
イザークの行動の早さについていけず
そんなにノリコが恋しいのか…などとぶつぶつ呟きながら
慌てて後を追ってきたベートが彼女たちに気づいた


「…ついにやって来たな…」


昔っからイザークとパートナーを組むことが多かったベートは
彼女たちとはすでに顔なじみになっている


住居すら誰も知らなかったニューヨークでのイザークの私生活は
謎に包まれていた

彼に夢中になっていた女たちの一部が彼の動向を探る為に団結したらしい
情報は共有…抜け駆けは許されず…
滅多にないことだったが…イザークがそのうちの誰を選んでも文句は無し…
そういう暗黙の了解がなされていた

いまだ…この5人はタッグを組んでいるようだ

ベートは密かに彼女らを…イザークの美女親衛隊…と呼んでいた

私生活の追求は何度も失敗してあきらめた彼女らは
もっぱら彼の仕事を追っかけていた
個人的な極秘警護ならともかく…
今回のような公的な会議などの警護をすれば彼女らは現れる
彼女たちの情報網のすごさを熟知しているベートにとって
むしろ今まで現れなかった方が不思議なくらいだったのだが…
イザークがニューヨークを去ったので
彼女らも監視を解いたのかと思っていた

それに…

なにしろ初日っからなんだかんだとハプニング続きの毎日で
彼女たちのことなど…つい忘れていたのも事実だが…


ノリコは記憶を取り戻したし…
今日は初めて何事もなく平穏な日だったな…と
しみじみ思っていたところに彼女たちが現れたのだった


「あら…ベート、久しぶり…」

モデルが先ほどイザークに話しかけたのとは全く違う口調で言った

「ねぇ…ベート…イザーク、今どこに泊まっているの?」

半眼開き流し目で女優の卵がベートにしなだれかかった

「あはは…だめですよ…教えられません」

丁重に女優を身体から離すと…にっこりと笑ったベートは
イザークがタクシーに乗り込んだのを見て…失礼…と言いながら走り去った


「ふーん」

再び腕を組んでダンサーが走り去るタクシーを見つめている

「…で?」

女優に目をやると…女優は指でOKマークを作った

「ばっちり…」
「あたしだって、ちゃーんと手配したんだから」

ホテル王の娘も自慢げにそう言った


イザークの乗った車を尾行しても…完全にまかれる
彼に何をしても無駄なことを知っている彼女たちは
過去の反省をもとに今日は策を練っていた…


「それにしても…びっくりよね」

マフィアの女がいまだ信じられずに呆然と目を見開いている

今までどんなに話かけたって完全無視…
またはイザークがその気になった時だけ
黙って誰かの腕をつかんで近くのホテルに連れて行く…
そういう展開だった…

足をとめてこちらを見た…だけでも滅多にないことなのに…
『悪いが…急いでいる』わざわざ断りを入れるなんて…


「彼の声…聞いたの初めてかも…」

残りの女たちも何気に頷いていた




「何をもらってきた…」
「…?」

タクシーの後部座席に並んで座っていた
いつもなら押し黙ったままか…こちらが何か訊ねれば二言三言…
短い返事が返ってくるだけのイザークが
珍しく自分からベートに話しかけた

「もらうって…おれ、何も…」
「右のポケット…」

短く指摘されてベートはスーツのポケットを探る

「あれ…っ」

小型のGPS発信機が出てきた

あの女優だな…

なるほど…イザークではらちがあかないと
おれに仕掛けたというわけか…


窓を開けてそれをぽいっと捨てると、ベートは今さらながら
イザークの勘のよさと…女たちの執念に感じ入った


どっちもどっちだがな…


黙って座っているイザークの横顔を窺い見る


今日もいやに機嫌が良かった
こいつの頭の中は今やノリコでいっぱいなんだ

だが…
このまま彼女たちが大人しくしているとは思えない…


急に楽しそうに口笛を吹き出したベートを
イザークは不審気に横目で睨んだ




今日も朝から観光めぐりをしたノリコと華…ホリーだったが…

どこに行こうが…
華やホリーが何を説明しようが…
まったく上の空のノリコだった


イザーク…今、何してるのかな
お仕事中だから…話かけたら悪いよね…


今朝…仕事に行く彼を見送ってから
ノリコはイザークのことしか考えられない

立派な建物も…
素晴らしい芸術品も…

イザークの存在に比べたら…
どうでもよかった



あきれたホリーが…もう観光はやめて買い物がしたいと言って
ショッピング街へやってきた

これからの季節に向けてカークの服を探しに入った男性用品のお店で
それまで心ここにあらずという様子だったノリコが
急に興味深げに顔を輝かせた


お店を入った正面のスペースに人型のマネキンが
なにやらのシーンのポーズを取っている

ノリコが目を奪われたのは
そのうちの一体が来ている明るい色の丈が長い上着…

それは向こうの世界の服を彷彿させて…


似合う…絶対にこれイザークに似合う…
…お値段どこにも書いてないけど…でも…


きょろきょろとノリコはあたりを見渡し店員の姿を探し始めた


「これは…最近公開された映画のために
 我が社のデザイナーが作った衣装で…」

これがほしいと言ったノリコに
売り物ではないと…店員が笑って言った

「そっかぁ…」

がっくりと肩を落としたノリコの後ろから声が聞こえた

「売り物じゃないんなら、どーしてお店に飾ってあるのよ」
「そうね…ただの自慢だったらちゃんとそう書いてないと迷惑よね」

ホリーと華がノリコを援護するように文句を言う

「お言葉ですが…お客様」

こほんと店員は咳払いをした

「この衣装は…ハリウッドスターが特殊撮影の中で着たもので…
 一般の方が…普通に着ても…とても…」

似合わない…とノリコに言う店員の少し小馬鹿にした口調が
ホリーの癇に障った


「それがどーしたって言うのよ…」

眉をキリッと上げて店員を睨みつける

「あのね…ノリコは彼氏のためにこの服が欲しいって言ってるのよ
 似合う似合わないは…こっちの勝手でしょ
 そもそもね…どーして似合わないなんて
 あんたに決めつける権利があるのさ
 ノリコの彼氏がどんな男だか知ってんの?
 見たこともないノリコの彼氏を透視出来るって言うなら
 どんな男か…姿形だけでなくて…
 性格も言い当てるってくらいの技をみせてよね…技をさっ」
「ホ…ホリー」
「あーんな性格…ぴったり当てたら本当にすごいって尊敬してあげるわよ…」

ノリコが止めようとするが…ホリーはまったく聞かずに
一気に言い募った挙句…文句の方向性が微妙にずれていっている…


「どうかしたのかね…」

騒ぎを聞きつけて店長がやってきた
ホリーの勢いに押されてたじたじになっていた店員が
救われたように店長に経緯を説明する
 

「ふーん」

店長と一緒にやってきた…
少し異様な雰囲気の男性が話を聞いて面白そうな顔をする

「よし…では、こうしよう」

え…と首を傾げるノリコに
その男は自分はこの服のデザイナーだと自己紹介した

「君の彼氏が本当にこの服が似合うと証明できれば
 私は喜んでこの服を君に進呈しよう…」
「証明…?」
「彼氏をここに連れてきたまえ」
「い…いいです…別にそこまでして…」
「面白いわ」
「え…」

遠慮するノリコの言葉を華が遮った

「そうしてもらいましょうよ」
「そうね…」

ホリーも華の隣で頷いている

「…」


イザークの都合がつき次第連絡すると言って
3人はその店を後にした



「本当にいいんですか…あんな約束をして…」

店長がデザイナーに訊ねるが、デザイナーは確信ありげに笑った

「SFファンタジー映画の主人公が着た服だよ…
 映画の舞台ならともかく…普通の日常の中で
 そんなものが似合う人間がいると思うのかい」
「それはまぁ…そうですが…」
「第一そんなものを着たいとは思わんだろう…その男は
 彼女たちも…先ほどはカッカしていたらしいが
 今頃はきっと考え直しているだろうね」
 
連絡なんて来ないよ…
くっくっと笑い声を響かせながら…
デザイナーは店の奥へと立去った



「本当に失礼しちゃうわ…」

ぷんぷんとまだ怒りながら
ホリーが今日の出来事をクロエに話している

自分の所為で…またみんなに迷惑をかけてしまったと
落ち込んでいたノリコが、は…っと顔を上げて立ち上がった

それまでとは全く違う…心から嬉しそうな顔をして…
部屋から駆け出していったノリコの姿に
華やホリー…クロエまでがため息をついた



「イザーク…!」

玄関のドアを開けると…奥の部屋からノリコが飛び出してきた

「会いたかったぁ」

そう言って抱きついたノリコを
イザークはただ黙って…ぎゅっと抱きしめる


おいおい…と突っ込みたいのをこらえて
二人を横目にベートは華のもとへ向かった



「ノリコたちは?」
「…まるで長いこと引き離されていた恋人たちみたいに、抱き合ってますよ」
「まあ…仲が良いのね」

かろうじてクロエがそう言ったが
他のみんなはしーんとしばらく黙って視線を泳がしていた



「…あら、カーク帰ってきた…?」

しばらく今日の出来事などを話していたところに
玄関の方でカークの声が聞こえてきた

「あたしも真似して抱きついてやろうかしら…」
「…もう…ホリーったら」

くすっと華が笑うが…
ホリーは耳をすますとすくっと立ち上がった

「カークが話しているの…ノリコとイザークじゃない…」

てっきりドアを開けたカークがいきなり熱々の二人を見て
なんか文句でも言っているのかと思ったが…
誰か別の女性の声が聞こえて…ホリーは玄関へ向かった




「イザークってば…本当にスーツが嫌いなのね…」

脱いだ上着をせいせいしたようにベッドへ放り投げたイザークに
ノリコが笑って言った


しばらく抱き合っていた二人はやっと身体を離すと
着替えたいと言って…部屋へ向かったイザークにノリコもついてきた


「こういうのは窮屈でたまらん…」

ネクタイをほどきながら…本当にいやそうな顔をするイザークを見ながら
ノリコはイザークが脱ぎ捨てた上着を拾うととハンガーにかける

そんななにげない行為が今のノリコにはたまらなく嬉しかった


少しでも離れたくなくて…くっついてきちゃったけど
今までだったら…遠慮してさ…
居間に行ってイザークの着替えが終わるのを待ってただろうな…

なんかあたし平気で甘えちゃってる…


タンスに服をしまいながらノリコが振り返ってちらりとイザークを見ると
ほどいたネクタイを首にかけたまま
ワイシャツのボタンをはずしているイザークの姿が目に入った


彼の着替えにつきあったのは初めてで…
今まで彼が目の前で服を脱ぐシチュエーションって言ったら…

ああ…いやだ…あたしったら…


かぁーっと赤くなった顔を隠すようにノリコは前を向くと
別の空いているハンガーに手をかける

「そ…それも脱いだら渡して…」

すっと後ろから手が伸びてハンガーが奪われた

「あ…あの」

慌てて今度は身体ごと振り向いたノリコの目の前に
当然ながら…はだけたイザークの胸があって…


「どうした…」

自分の胸に顔をぶつけたまま…
動かなくなったノリコにイザークは声をかけた

「…」
「ノリコ…?」

返事もしないノリコに不審に思ったイザークは
肩に手をあてノリコの身体を離そうとしたが…

「いやっ」

拒む声が小さく聞こえてイザークは手を止めた

「…お願い…少しだけ…」

こうしていたい…

声にならないノリコの願いをイザークは感じ取った…


ハンガーが床に落ちる音がした…
ノリコの身体に両腕をまわしたイザークの低い掠れた声が聞こえてくる

「好きなだけ…そうしていろ」




「だから…住民の情報は勝手に教えられないって…」
「そんな固いこと言わないでよ…」
「そうよ…まるで警官みたい…」

くすっと笑う女の声がした

「おれは警官だっつうの…」
「いやだ…ホントなの…?」
「ハンサムなおまわりさんねぇ…」

「どうしたの…カー…」

玄関先でカークが誰と話しているのか見た途端…
さすがのホリーも一瞬言葉に詰まった

顔もスタイルも…身に纏っているものも…やけにゴージャスな女性達が…
ずらりと並んでカークに詰め寄っている

「ホリー…」

振り向いたカークが助けを求めるように彼女の名を呼んだ

男相手だったら…かなり強面になれるのだが…
若い女性で頓着なくつきあえるのはホリーくらいで…
妙に気を遣ってしまって女性の扱いが苦手なカークだった


ったく…情けないんだから…

「なにか用ですか…?」

カークの後ろから顔を出したホリーにダンサーが艶然と笑う

「お嬢ちゃん…ここにあたしたちのイザークがいるでしょ?」
「あたしたちのイザーク…?」

ダンサーの言葉をおうむ返しに繰り返したホリーは
お嬢ちゃんと言われたのが気に入らなくてむっとしたように訊ねた

「あんたたち…いったい誰よ…?」

「あたしたちはね…」
「イザークの知り合いよ…」
「もうずっと前からね…」


「…3、4、5」

女たちが口々にしゃべってる間…
ホリーは確認するように指を折って数を数える…

「カーク…あたしってやっぱ天才だわ」
「な…なに言ってんだよ…こんな時に」
「だってさ…あん時すっごい適当に言ったのよ…5人って…」
「…は?」

わけがわからず首を傾げるカークから視線を女たちに戻すと
ホリーはにっこりと笑った

「おばさんたち…子供が恋しくなって…
 取り返そうと思ってるのね…」


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by 彼方から 幸せ通信