ノリコの日記in New York 5日目 中編




「子供ぉ…?」
「おばさん…?」

女たちのそれまで余裕綽々だった表情が
急に眉がピクリと上がって険しくなっていった

「お嬢ちゃん…いったい何言ってんのさ」

「だから…あんたたちイザークに怒って…子供の世話を…」
「ホリー!」

カークが手を伸ばしてホリーの口を塞ぐと同時に肩をつかんだ

「…っむむ…」


「何やってんだ…おまえら…」

暴れるホリーを腕の中に抑え込んだカークが
女たちに愛想笑いをしている所にチャールズが帰って来た


会議の警備が始まって以来…
毎日なにかしらごたごたしていた

久しぶりに今日は何ごともなかった…
今晩はクロエを連れて外食でもしようか…

などと暢気に考えていたチャールズだったのだが…


「あーら…今度は銀髪の渋いハンサムさん…」
「この家…イケメン度がスゴいわね」

女たちが流し目を送り初めて
チャールズは怪訝そうに眉をひそめる

「いったい…誰なんだ…この女性たちは…?」
「どうかしたんですか…?」

一方家の中からは、ホリーたちが一向に戻ってこないので
様子を見にきたベートが声をかけた

そのベートは女たちを見るとぎょっとした顔で立ち止まった

「き…君たち…どうやって」

「あーら、ベート…また会ったわね」
「よくもあたしのGPS発信器…捨ててくれたわね」

じろりと女優がベートを睨むが…
モデルが片手で彼女をを制するとカークに確信したように笑った

「ベート…あなたがいるってことは…
 やっぱりここにイザークがいるのね」
「…」





「困ったことになったな…」

仕方がないので…ベート曰く「美女親衛隊」を家の中に通した
飲み物の用意など…と言いながら、彼女らを居間に残して
ベートが全員をキッチンに集めたのだった


「あら…そうかしら…ゆうべ話したこと…」

ホリーはわくわくして目を輝かせている

「ノリコを怒らせるか…悲しませればイザークが慌てるって…
 これは千載一遇のチャンスよ…」

イザークの元カノの集団が現れたら…絶対にノリコは怒るか悲しむ…
そして…イザークはノリコと女たちを前にして慌てるに違いない
ホリーは自信ありげに胸を張ったが…

「あほ…っ」

カークが怒鳴ってホリーを睨みつける

「本当にノリコを悲しませてどーすんだよ」
「そうね…」

華も憂えたように頷くと
彼女には珍しく…縋るような瞳でベートを見る
ノリコのことを心配しているのだ…

ベートはそんな華の肩を抱くと安心させるように笑った

「昨日の話では…我々がお芝居を打ってノリコを怒らせる…
 けれどそれは一時的なことで…イザークを慌てさせたらすぐに
 彼女に事実を告げるということだったですね」
「そりゃ…まぁ…そうだけど」
「…だから…やめましょう、ノリコを本当に悲しませることは…」


華は昨日…記憶を失ったことよりも
イザークを忘れてしまった自分を責めていたノリコの姿を思い浮かべる

イザークが大好きで…
イザークのことでいっぱいなノリコ…

もし彼女が…あの女性たちのことを知ったら…

「典子と彼女たちを会わせたら絶対だめよ…」
「…それに彼女たちにもノリコの存在を知られない方がいいな…」

顎に手を当てて考え込んでいるベートに
カークは居間の方をうんざりしたように見て言う

「だけどよ…彼女たち…
 イザークと会うまで帰りそうもないけどな…」
「…どうするの…」

ホリーは少し反省して…殊勝にベートに訊ねる

「そりゃあ…やっぱり…これはイザークの問題なので
 彼女たちには彼が対応するべきでしょう …」
「そうだな…」

それまで黙って聞いていたチャールズが同意の呟きを漏らしながら
ふぅ…っとため息をついて首を横に振る


くだらん茶番だ…
まったく…あの男と関わるとろくなことはない…
何だって…こう、やっかいごとが次から次へと…

ホリーの言い分ではないが…
一度くらいあの男の狼狽えた姿を見せてもらっても良いくらいだ


この場は若い者に任せると…
チャールズはクロエを連れて出かけてしまった


「イザークだけをここに連れてくるってこと…?」
「今…ノリコをイザークから離すのは難しいわよ」

一日中ずっと上の空で…イザークが帰って来た途端…
顔を輝かせていたノリコを女の子たちは思い浮かべ…
どんな口実を作り上げたところでそれは無理だと感じていた


「大丈夫ですよ…」

ほら…とベートは片目をつぶった

「着替えだけだったら…とっくにもうここに来ているはずだから…」


「!」
「…」
「…」


しばらく沈黙が続いた後…
少しだけ赤くなったホリーがぼそっとつぶやいた

「…ノリコはいつも…動けなくなる…」

その通り…というようにベートはにっこりと笑った

「しばらくしたら…イザークだけ呼びにいきましょう…」




「イザークはどうしたのよ…?」

コーヒーとお菓子を運んで居間に入った途端…
マフィアの女が高飛車に訊ねてムッとしたホリーは眉を上げた


「もうすぐ…来ると思いますよ…」

ベートが人当たりよく微笑いながら言うそばでホリーが口を開いた

「おばさんたちさ…」

ダンサーの額にぴきっと青筋が浮かんだ

「あのね…あたしはまだ22なの…
 おばさん扱いはやめてちょうだい」
「あたしなんか…まだ19よ」

ホテル王の娘が少し自慢げに言うのを聞いて
ホリーはわざと驚いたように目を見開いてみせる

「へぇーっ、そのわりには随分老けてんのね…」

「あんたねぇ…さっきからおばさんだの…子供だの…」
「なにか…あたしたちに恨みでもあんの?」


人一倍整った顔立ちは…怒りにゆがむと人一倍恐ろしい形相になるのだと
ベートは感心したように女たちを眺めている


「あんたたちには恨みはないんだけどね…」
「じゃあ、なんだって言うのよ…」

「うーん…ちょっと不思議で訊いてみたくて…」
「なにを…?」

ホリーはぽりぽりと額を指でかきながら
イザークの姿を思い浮かべる

「あーんな無表情男の…どこがいいのさ…?」


そりゃぁまあね…

「やっぱ…カッコいいから…?」

それは認めるけどさ…



「お嬢ちゃん…」

くすっと女優が少し前のめりになってホリーを見ると
馬鹿にしたように笑った

「子供にはわからないのよ…彼の魅力は…
 ただカッコいいから…ってだけじゃないのよ」
「そうよ…男はね、へらへらしてればいいってものでもないしね」

そう言ったダンサーがちらりとベートを見る

「あのクールさがたまらないの…」

マフィアの女が思い出しただけで身を捩らせているのを
ホリーは瞼を半分閉じて呆れていたが…まだ納得はいっていない


「でも…彼って態度がすごーく傲岸でしょ…」

必要最低限の言葉しか話さない…
いつも仏頂面と言ってもいいほどの無表情…
他の人にどう思われようとまるで関心がないみたい

ノリコとは少しは会話しているみたいだけど…
彼女に向かって短く言う言葉は大抵が命令形だし…

それに…


「そのくせやったら人を束縛したがるし…
 あんたたちさ…あんなんで我慢できたの…?」

「はぁ…?」

ホリーの言葉に女たちは声を揃えて反応した

「お嬢ちゃん…何言ってんの…?」
「束縛するって…どういうことよ?」

だから…とホリーはベートから聞いた話を思い出しながら言った

「行き先がわかるようにGPSつけられたり…
 出かけている先から30分ごとに連絡しろって命令されたりね…」


眉間にしわを寄せたモデルがホリーを睨みつける

「いったい誰の話してるのさ…」
「イザークに決まっているでしょ」
「あんた…あたしたちをからかってるの?」
「からかってなんかいないわよ」


「まあまあ…」

時間つぶしにホリーに話をさせればいいかと思っていたベートが
雰囲気が険悪になってきたので割って入ったのだったが…

「ベートは黙ってて…!」

六人の女性から同時に怒鳴られてしまった

「…」





「あたし…甘えてるね…」

なかなか自分の胸から顔を離そうとしないノリコを
イザークはそのまま抱え上げるとベッドの端に腰を下ろした

イザークの膝の上に横抱きにされて座ったノリコは
恥ずかしそうにそう言ったのだった


「甘えてはいけない理由があるのか…」

まるでノリコを全身で閉じ込めてしまうかのように
イザークは顎をそっと彼女の頭の上にのせる

「…だって…イザーク、迷惑じゃない?」
「…迷惑…?」

頭の上から聞こえてくるイザークの声が
可笑しそうな響きに変わった

「迷惑とは…不快なもののはずだが…
 その迷惑にこれほど心躍るとは思わなかったな」





「お嬢ちゃんさぁ…さっきから人のことおばさん呼ばわりしたり
 子供だの…束縛だの…GPSだのわけの分からないこと言って…」

ここ大丈夫…?
自分の頭を指差して
女優が再び小馬鹿にしたように笑った


他の女性たちは怒りを露骨に現しているのに…
さすがに女優だけのことはあるな…

カークはなんだか感心してしまったが…
腕を組んで女たちを眺めているホリーを見て…
くっと口の端を持ち上げる


華やベートは心配そうにしているが…
しばらく静観しようとカークは思った



「ところでさ…」

ふん…と女優の挑発を一蹴するようにホリーは鼻で笑った

「彼ってば五股かけてたの…
 それとも微妙に時期がずれていたのかしら…」

挑発することにかけても…
ホリーの方が一歩上らしい…


「あのね…
 あんたみたいな小娘には…わからないかもしれないけどね…」

ダンサーがホリーを睨みつけながらも
ぎりぎりのところで踏みとどまったのか意外と理性的に話し始めた

「あたしたちはそんなことどうでも良かったの…」
「そんなことって…彼が他の女性と付き合ってもかまわないってこと?」
「イザークとあたしたちはね…割り切った…大人の関係だったのよ」
「大人の関係…?」

そう繰り返すホリーにマフィアの女が蔑むように言い放つ

「そこらにうようよいるバカップルとは違うの…」





「ゆうべは…抱いてくれなかったね…」

自分の胸に顔を埋めているノリコがそう訊ねる声はくぐもっている

赤くなっているノリコの顔が目に見えるようで
イザークは口の端をく…っと持ち上げた

「一晩中…おれはおまえを抱いていたが…」

もう…わかってるくせに…とノリコは不満そうな声で呟く


ゆうべ中庭のベンチで唇を激しく奪われたノリコは意識が霞んでいく中で…
気がつくとイザークに抱き上げられて部屋まで運ばれていた

けれどそのままベッドに寝かされて…
彼に抱きしめられたまま…眠ってしまったのだ


「おれは…」

もうなにもノリコに隠す必要はない…

イザークは静かに語った
ゆうべの自分の想いを…


もっと…もっと…あたしはイザークのことを好きになる

その言葉が嬉しくて
ノリコを思う気持ちが強すぎて…

そんな自分が恐かった

ゆうべ…ノリコを抱いたら…
めちゃくちゃに…壊してしまいそうな自分がいた


「だから…我慢したの…」

おれの胸からやっと顔を上げて…
あどけない瞳でおれに問いかけるノリコ…

愛しいという気持ちは抑えようもなく
おれの中で暴れ出す


「…我慢したわけではない」

イザークは優しくノリコに微笑みかけた

「おまえがおれの腕の中にいるだけで…
 ゆうべはそれだけで良かったんだ」

それ以上は…なにも望まなかった


イザークは、ふ…っと口元を緩め…少し悪戯な笑顔になる

「それとも…おまえはおれに抱いて欲しかったのか…?」


「うん…」

彼女は…その瞳に恥じらいをみせて頷いた


いままで…
彼があたしを欲しいと言われる度にあたしは彼に応えてきた

だって…あたしは…
彼にそう言われる度…ひどく嬉しかったから…

だったら…あたしも素直に言ったら…
彼は喜んでくれるのだろうか…


「あたしは…いつだって…イザークに抱いて欲しい」

ノリコはイザークをまっすぐ見上げると
そう言ってにっこりと笑った


「そ…そうか…」

イザークは一瞬、う…と言葉に詰まった後…
かろうじて短い言葉を返した


あれっ…?

イザーク…赤くなった…
照れてるんだ…


「イザーク…可愛い」

うぷぷ…と可笑しそうにノリコはふきだした





「あたし思うんだけどさ…」
「なによ…」

マフィアの女は苛立たしげにバッグを開けると
シガレットケースとライターを取り出したが
ベートが彼女と目を合わせ…ニコリと笑いながら
指を振って止めさせた


イザークの態度はアレだけど…
廊下でキスしたり…
人目も気にせず抱き合ったり…
ゆうべもぐったりしたノリコを両手に抱えたイザークが
中庭から入ってきて…先に休む…とだけ言って部屋を出て行った時
あたしたちはもうそれについて何も話す気が起こらなかった



「バカップルって言ったら…イザークとノリ…」
「わぁーーーっ」
「ホリー!」

カークと華が叫んで…
は…っとホリーは口元に手を当ててしまったという表情をする

ノリコのことは内緒だったんだ


えへへ…と舌を出してホリーは笑ったが…
理性の糸がぷつんと切れたようにダンサーが立ち上がって怒鳴った

「イザークがバカップル…てどういうことなの」

答え次第では許さないよ…とでも言うような鋭い視線で睨みつける

「えーっと、その…ちょっとした言葉のあやだったら…」

「さっきから…わけの分からないことばかり…」
「もう我慢が出来ないわ」

モデルやホテル王の娘も立ち上がって
ホリーに顎をくいっとしゃくった

宣戦布告…

しょうがないわね…
ホリーが受けて立とうとした時…


「イザークの奴…何してるんだろうな」
「…!」

ベートのひとり言に…
女たちの気持ちが一気にイザークへと引き戻された

「おれ…ちょっと見てきますよ」

あはは…と笑いながらベートが部屋を出て行った

「…」




「…イザーク」

ドア越しにベートの声がして…
イザークはノリコからそっと身体を離した


「なんだ…」
「…ちょっと下に…来てくれないかな」

一瞬…間を置いてイザークの答える声が聞こえた

「着替えたら…行く」


着替えたらね…

はいはい…とベートはその場を後にした



「あんた…いい加減にしないと張り倒すわよ…」
「面白いわね…やってみてよ」

イザークがくるかもしれないというので
女たちは取り敢えず…おしとやかさを装おって座り直したが
言葉での応酬はまだ続いていた


「あたしの旦那は…ニューヨークでも指折りの顔役なんだよ」

マフィアの女がにやりと笑うとホリーを脅かした

「へぇーっ、誰さ…それ」

まったく動じないで言い返すホリーにむかっとする

「…あんたみたいな娘っ子のね一人や二人…」


うぉっっほん…とカークが咳払いをして女ははっと言葉を止めた


そういや…この人警官だったっけ

マフィアの女はいけない…と口おさえる


「言っとくけどな…」

カークがため息をつきながら話し出した

「おれはニューヨーク市警だけど…ここの家の主は連邦調査官で…」
「そんなの関係ないもん…」
「は…?」

ホリーの身の危険を察して
援護しようとしたカークを遮ったのは…

ホリーだった

「八つの時にMr.ブルーをやっつけたのよ…あたしは…」

「え…」

ピシッ…と女たちが硬直する

9年前…この街を影ながら支配し
人々を恐怖におとしいれていたMr.ブルーの話は
今でも語りぐさになっている

「あ…あの」

急にしどろもどろになったマフィアの女が何かを言いかけた時…



「なるほど…」

イザークの声が聞こえて
しーんとその場が一気に静まった


「…騒がしいと思っていたが…こういうことだったのか」

居間の入り口に立っているイザークの姿に
女たちはそれまでとは打って変わって蕩けたような表情になる


「タクシーの運転手だな…」

確信したようにイザークはそう言った


ホテル前に待っているタクシーの運転手たちに
イザークの容姿を説明して…行き先を教えてくれたら報酬を出すと
ホテル王の娘が頼んでいたのだ


「気づいていたのか…」
「ああ…挙動が不審だった」

だったら…途中で乗り換えるか…
別な場所で降りるとか…
いくらでも妨げる手段は会ったはずだが…

なぜ…と不審げなベートに、ふ…っとイザークは笑った

「隠すことでもあるまい…」


あれほど私生活を極秘にしていたイザークなのに…

信じられないようにイザークを見るベートを横に
女たちはもうホリーのことを忘れたかのようにはしゃいでいた

「イザーク…」
「私服も素敵ね…」

今までイザークの仕事着(スーツ姿)しか見たことない彼女たちは
濃い色の薄地のセータを着て同色のジーンズをはいているイザークに
うっとりと視線を送った

「ごめんなさいね…邪魔する気はなかったのだけど」
「久しぶりで…つい嬉しくて…追っかけちゃったのよ」

先ほどまでとはがらりと態度を変えた女たちに
ホリーは呆れていたが…

ま…いいわ、あとはイザークに任せれば…

そう思った矢先…



「あれ…」

イザークの横からひょこっ…とノリコが顔を出した

「イザークの知り合い?」

Next
その後の彼方から
Topにもどる


by 彼方から 幸せ通信