ノリコの日記in New York 5日目 後編

『女は何度も抱いたことがある…
 名前も…顔すらも覚えていないが…』

そうやって女性を抱いているイザークが
そしてそんな彼に抱かれている彼女たちが

あたしは…なぜかひどく切なく思えて…






「の…典子…」
「うわ…っ」

驚いた華とカークが口をあけたまま固まっている
ベートは額を手で押さえてうつむいてしまった

「…動けなくなるんじゃなかったの…」

ぼそりと呟いたホリーは
上目遣いに不審げな顔をイザークに向けた



「きれいなひとたちだね…」

誰…と小首を傾げて問いかけるノリコの瞳に応えて
ああ…とイザークは自嘲するように片方だけ口の端を上げる


「以前…おれが関係した女たちだ…」

「…関係した女たち…」

ノリコはその言葉を噛み砕くように口の中で言うと
はっ…と顔色が変わった


『おいおい…』
『イ…イザークってば…』
『この大あほ…っ!』
『…デリカシー…まったく欠如男…』


せっかくの努力をイザークにあっさりと台無しにされてしまい
華やベートは焦って、ホリーとカークは憤ったりしているが
ノリコや女たちを前に罵りたいのを懸命にこらえていた


知ってしまったのはもう仕様がないとしても…
ノリコを彼女たちと対峙させるのはまずい…

すごくまずい…

ホリーはあくまでも第三者として言い合っていたが
ノリコは当事者だ…それにホリーほど気も強くない
どれだけ彼女たちの言葉で傷ついてしまうか…


「おれたちはこれから出かけ…」


一筋縄ではいかない女たちの気性を良く知っているベートが
ノリコのことを案じていたところに…
外出するとイザーク言い出したので
ほっと胸を撫で下ろしたのだったが…



「だめっ」


それまで心許なさそうに女たちを見ていたはずのノリコが
急に眉をきっと上げるとイザークの言葉を遮るように叫んだ

イザークだけではなく…
その場の全員がぽかんと彼女を見つめる



「せっかくイザークに会いにきてくれたんだよ…」
「…ん?」

ノリコはイザークの片方の腕を両手でしっかりと掴むと
部屋の中へと引きずるように連れていって女たちの正面に座らせた

そして自分は少し離れた所にちょこんと座ると
イザークに向かって促すような視線を送る

「ちゃんと…おしゃべりくらいしないと…」


「え…」
「お…しゃ…べり…?」

それまでイザークと現れたノリコを
この娘はいったい誰かと訝しげに見ていた女たちだったが…

おしゃべりという…これまでのイザークと自分たちとの関係からは
考えられない行為に誘われて戸惑いを隠せないでいる


「…」
「…」
「…」


さっき程まではあんなに饒舌だった女たちが…
急に静かになって…息すらも潜めている



その場を支配していた沈黙を破ったのはノリコだった

「イザーク…」

呼びかけられたので
イザークがちらっとそちらに目をやると…

相変わらず眉を上げたまま
じーっと自分を見ているノリコの視線に
イザークがぎくっとした…ようにみえた


そんなイザークを見て…

信じられずにぽかんとしている者がいると思えば…
笑い出しそうになるのをこらえている若干一名…
ホリーなどはパイが手元にないことを激しく後悔している始末だった



仕方なさそうにため息をつくと…
いつもの無表情に戻ったイザークは窓の外を見上げた


「いい天気だな…」


「へ…?」
「う…」
「…」

まさか…あんな女の子に言われたくらいで…
イザークが口をきいてくれるとは信じていなかったため
女たちは驚きのあまり一瞬…言葉を詰まらせると…
慌てて全員が一斉に窓の外を眺めた


「ほ…ほんとねぇ…いいお天気」
「いやだ…言われるまで…き…気づかなかったわ」
「なんか…えーと…気持ちが晴れやかになると言うか…」
「で…でも…もう陽が沈んじゃうわね」
「きっと…夜は星が…うん…星がいっぱい見れるわよ」

各々が精一杯イザークの言葉に応えようと懸命に努力をし始める


「明日も…晴れるといいが…」

「もちろん…絶対晴れるわ!」

二度目のイザークの発言に応えて
五人の声が重なって部屋中に響き渡った


堪えきれずにベートが吹き出した
他の三人はなんだか呆れたように瞠っている

ただ…ノリコだけはひどく切なそうに…
そんな彼女たちを見ていた



麗美さんもそうだった…
イザークが好きっていう想いはあたしと同じ…

それなのに…あたしだけがイザークに受け入れられている

それはすごく嬉しいことなんだけど…

もし…自分があの中のひとりだったら…
あたしはきっと絶えられない…



「気にしちゃだめよ…ノリコ…」

ノリコの様子に気がついた華は
女性たちの存在にノリコが心を痛めていると思ったらしく…
ノリコを宥める

「あ…違うの華ちゃん…」

慌ててノリコは誤解を解くように、にこっと笑ってみせた



「あの娘っ子は誰…イザーク?」

五人の中では一番若いホテル王の娘が
華に微笑んでいるノリコを見ながら…
先ほどから気になっていたことを思い切って訊ねた


「ノリコは娘っ子ではない…」

イザークは穏やかに訂正する

「立派な大人の女性だ…」

「…でも…」

ちなみにこの娘はノリコより年下だった


どうみてもさっき自分たちに噛み付いていた小癪な娘と
同じ年か…いや、むしろ年下にしか見えない

東洋系の顔立ちからイザークの親類では無さそうだけど
知り合いの娘か…それとも彼に対してあの強気な態度は…
今彼が個人的に請け負っている警護対象なのかも…

女たちはノリコのことを…それぞれ考えあぐねていた



「だが…」

イザークは言葉を続ける


一見か弱い女の子のノリコだが…

ノリコの中にある芯の強さ…
何ごとでも受け入れられる心の深さ…

そんなノリコにおれがどれだけ支えられてきたか…

ノリコは…ここにいる誰よりも大人なのではないのか

現に…今だって…


「…大人なノリコを知っているのは…
 おれだけかもしれないな…」


「!」
「…!」
「…」


もちろんイザークが考えていることなど…
誰にもわかるはずがなくて…

イザークの言葉は…
そこにいた者には全く別な意味で捉えられてしまったようだった


「なにしれっと…恥ずかしいこと言ってんのよ…」

真っ赤になったホリーが我慢できずに叫んだ

「よせ…」
「この…」

カークが慌ててホリーの肩をつかんで止めようとする…

「むっつりすけべ…!」


「はぁ…?」
「あたしたちのイザークになに言ってんのさ…お嬢ちゃん」

相変わらず女たちはホリーには容赦ない

「この娘がイザークとそういう関係だって話だけじゃないの…」

面白く無さそうにマフィアの女が言った



『ホリー…今口をはさむんじゃない…』

つかんだホリーの肩をぐいっとカークが抱き寄せ…耳元で囁く

『ただでさえややこしい時に
 これ以上ややこしくさせるな 』
「…」



ノリコを好きだと言う男を…
おれは…拒絶することしか出来なかった…

けれど…

ノリコは…おれを好きだと言う女を…
いともあっさりと受け入れてしまう

彼女たちの気持ちに共感して…
悲しそうにすらしていた…


ノリコから視線を移して…
イザークは女たちをまっすぐに見据えた

そんな風にイザークから見られるのは初めてで…
彼女たちは顔を赤らめどぎまぎしている


「以前…あんたたちには…ひどい態度をとった」


え…

信じられない…と言った表情で…
女たちは…凍りついたように動けなくなる


「すまない…と思っている」


「そ…んなぁ」

女たちはなんだか照れてしまったのか…
はすっぱな調子でイザークに気遣い無用よと言った

「あたしたち…割り切ってたんだから」
「たまに相手してくれてさ…それだけで良かったのよ」
「こっちだって…イザーク一筋ってわけじゃないし…」

ねぇ…と女優が言って
皆がうんうんと頷いていた



これでいいか…

イザークはノリコを見るが…


彼女たちのイザークを想う心が…ノリコにはわかっているらしい…
ノリコはその瞳から…ぽろぽろと涙をこぼしている

華やホリーはそんなノリコを懸命に慰めている…


きっと…おれの過去のことで…ノリコが傷ついたと
いまだ誤解しているのだろう

…ったく、まいったな…

く…っ、とイザークは口の端で笑いながら席を立った



「もう時間がない…店が閉まるぞ…」

いきなりイザークの声がすぐ傍で聞こえて…
ノリコがはっと顔を上げる

彼女の頬につたう涙を
イザークは指先でそっとぬぐった


「店…?」

怪訝そうに首を傾げた華に
鼻をすすりながらノリコが思い出して言った

「ほら…昼間の服…イザークが試しに着てもいいって…」


立ち上がったノリコの手を取ると…
イザークは部屋を出て行こうとする


「待って…」

ダンサーが…どうしても訊きたいことがあって… 声をかける…
イザークは怪訝そうに振り返った


「彼女はいったい…何者なの…あなたにとって…」

女たちは誰もがその答えを聞きたいと
固唾を飲んで見守っている


「ノリコは…おれにとって」

イザークはノリコ以外にはめったに見せない
優しい表情で…それに答えた

「世界で一番…大切なひとだ」

「…」





「あれは…いったい…」
「…」

店長は呆然と目をみはった
ふだん物事にほとんど動じないはずのデザイナーも言葉を失っている


「これから行くからね〜!」

ホリーから電話があったので
仕方なく待っていたのだったが…



閉店間際の店の前に停車した三台の車から
わらわらと人間が降りてきた


「あれは…」

デザイナーが思わず呟いた

その中の一人は…自分のコレクション程度には
とても出てもらえないような有名モデルだった


この辺りを牛耳る顔役の情婦が混じっているのに気づいた店長も
う…っと、おののいている


その他にもマスメディアでお騒がせな某ホテル王の娘
売り出し中の女優の卵や…
ブロードウェイで引っ張りだこのダンサーの姿も見えた



「大丈夫…?」

タクシーを降りてきたベートが
ひどく疲れているようで…華が声をかけた

「大丈夫じゃ…ありませんよ」

珍しく…ベートが泣き言を言う


カークが運転する車には助手席にホリー
後部席にはモデル、女優とホテル王の娘が座った…

残りは二台のタクシーに3人ずつ分乗したのだったが…


「あの時…びっくりしちゃった」

タクシーの中で…
皆で出かけると決まった途端…立ち上がった女たちをノリコは思い出す

「みんなきれいなだけでなくって…
 身長もあるし…スタイルすっごくいいんだもの…」
「そうか…」
「足なんかさ…信じられないくらい細くて…長くて…」

なぜ…自分の車には…男が二名と…
どこにでもいそうな東洋系の女の子が乗ったのかと…不満だった運転手は
別の車に乗った女たちを思い浮かべてうんうんと頷いていた


「あーんな素敵なひとたちと…
 イザークつきあってたんだね…んんっ…」

多分…下らないことは言うな…と言う代わりに口を塞いだのだろうが…

唇の立てる音が繰り返し響く車内で…
運転手はバックミラー越しにしょっちゅう後ろを見ていたが…

ベートは意識すまいと…窓の外をずっと眺めていたのだった




「これって…あの映画の衣装じゃないの」

女優がマネキンを見て言う

「変かな…」

自信なげにノリコが訊ねた

「変も何も…SFファンタジー映画なのよ」
「あなた…これをイザークに着せようっていうの…」
「これ着て街を歩いたら…笑い者ね…」
「イザークに似合うと思ったんだけど…」

別にノリコをいじめようとか…そういう気はないらしい…
思ったままを口にする女たちにノリコも普通に話している…

彼女たちを会わせてはいけないと砕身していた自分たちが滑稽なほどだと
ベートは感心していた


「着させてもらおうか…」

イザークにぽぉっとなっていた店員が
慌ててマネキンから服を脱がせた


シュルッ…

イザークは上着をはおった…



「…素敵」

ホテル王の娘がぽつりと言った
あとの皆は声が出せずに頷いている…


「似合う…似合うよイザーク…」

ノリコが嬉しそうに手を叩く…
誰もそれに反論できる者はいなかった


「約束らしいので…これはもらおう…」
「待ちたまえ」

ちゃっかりそう言って…
立去りかけたイザークをデザイナーが止めた

「きみ…モデルになる気はないかね」
「…ん?」

「これほど…わたしのデザインした服が似合うとは…」

これは運命だ…とひとり悦に入っているデザイナーに
おれはそんなものにはならん…と言い捨ててイザークは店を後にした…




「あのね…イザークとこれからごはん食べにいくのよ」

女たちと別れた後…ノリコが嬉しそうに言った


ニューヨークに来て以来…
イザークと外食したことは一度もなくて…

ノリコははしゃいでいた…


「みんなも一緒に…行こうよ」

にこっと笑ってノリコは誘う


ノリコの傍らに背を向けて立っていたイザークが…
静かに顔だけ振りかえった



「…せっかくだけど…おれたち…今日もう予定があって…」
「ホリーとおれ…み…見たい映画があるんだよ…な…」

ベートとカークがなぜだか必死な様子でそう言う

「えーそうなの?」

華とホリーもただこくりと頷く


残念だね…とノリコはイザークの腕を取って
二人はその場を去っていった



「な…なによ…いつもは…あーんなに無口なくせに…」
「あはは…昔っから彼はああでしたよ…」

憤っているホリーをベートは取りなす


振り返ったイザークの目はかなり雄弁に…
ついてくるな…と語っていたのだった



長い上着の裾をひらりとひるがえすイザークとノリコの後ろ姿が
ニューヨークの雑踏の中に小さく消えていった…

Next
その後の彼方から
Topにもどる


by 彼方から 幸せ通信