ノリコの日記in New York 1


3月X日

イザークの呼ぶ声で目が覚めたあたしは彼の胸の中にいた
一瞬自分がどこにいるのかわからずにぼんやりと周りを見渡すと
華ちゃんは呆れているし…ベートさんは可笑しそうに笑っている…
飛行機が降下し始めたのでシートベルトを着用するように言われた
あたしったら…本当に熟睡していたみたいで…


「初めての飛行機…というわりには緊張感がなかったようだね」

なんだかベートさんてば今回ずっと笑っているみたい…
気のせいかしら


「あたしなんか何度乗ってもよく眠れないのに…」

羨ましいわ…と少し皮肉っぽく華ちゃんが言った


「あ…あたし、安心すると眠っちゃう癖があって…」
「なんで飛行機に乗って安心するのよ…?」

ポンポンと肩を叩かれた華ちゃんがベートさんの方を振り向いた

「飛行機関係ないんじゃないかな…
 確かあの晩もぐっすり眠ってたでしょ
 イザークがそばにいると安心するって言ってるんですよ」

あ…そうか、と華ちゃんは納得しちゃうし…
図星だったのであたしの顔がかぁっと熱くなった
相変わらず可笑しそうにくっくと笑うベートさんを
イザークが横目で睨んでいた


飛行機は無事空港に到着した
ベートさんのアパートに行く華ちゃんたちと別れて
あたしたちはタクシーを拾ってホテルへと向かった





「こら…こら…こらーっ」

黒髪で背の高い警察官が
ホテルの前に車を停めて降りて来た男に怒鳴った

「車を停めたらだめだ…駐車禁止て書いてあるのが読めねーのか」
「ちょっとだけですよ…」

無視してその場を去ろうとする運転手の前に警官が立ちはだかった

「だめっつーてんだろ…このすっとこどっこい!」

警官の剣幕に恐れを抱いた運転手が
それでもぶつぶつ文句を言いながら車に戻って発進した


「カークの奴…荒れてんな…」

同僚のマイクが面白そうにそんなカークを眺める

「…さっきねぇ、ゲイの宿泊客に誘われてたのよ…」

同じく同僚の金髪のビリーが女言葉で答えた

「相変わらず…あいつ…そっち系にももてるな…」


「おい…」

カークと呼ばれた警官が仲間二人にくるっと向き直った

「間違えんなよ…おれが怒ってるのはな…
 どっかのイカれた大バカが酔っぱらってくだらん脅迫電話なんかかけたせーで
 なんでおれたちがセレブのお守りしなきゃいけねぇんだ…ってとこだからなっ」


ホテルは市内でも有数の高級ホテルだった

そこで明後日から始まる国際会議に暗殺だか爆破予告があったため
警備は一段と厳しくなって、市警からも多勢かり出されている


「おれたちはなぁ…市民のための市警なんだぜ…
 こーんな警備は…あいつらに任せときゃいいんだよ」

指差した先には銀髪の連邦捜査官が部下に指示を与えていた


「…ったく…」

面白くなくて足元の小石を蹴ると…
きゃぁ…という小さな叫び声が聞こえた

「え…」

運悪く…小石はたった今タクシーから降りて来た女の子に
当たってしまったようだった


「す」

…まん、と謝る暇もなく…ぐいっと胸ぐらがつかまれた
反射的に相手の身体を突き放そうと繰り出した手も、がしっと捕えられる

全く身動きができなくなったカークは 掴んでいる手の主に目をやった
めちゃくちゃいい男が目の前で殺気を放っている


喧嘩では若い頃から負けたことがない
岩のような大男さえやっつけたこともあったのに…

なんなんだ…こんな細っこいくせに…こいつ…

呆然として固まってしまたカークを
マイクとビリーが戸惑ったように見ていた


「他意はなかったんだ…」

ようやく片手を上げて降参のポーズを取ると
その手が緩んで身体が自由になった

ほっとして、謝ろうと女の子を見ると…
東洋人らしい彼女は口元に握った片手をあてて
困ったような表情を顔に浮かべている


ホリーと全然違うタイプの娘だな…

人並みはずれてお転婆な自分の恋人をカークは思い浮かべた

こんな時…彼女だったら大人しくなんかしちゃいない
おれが動くより前に相手に文句を弾丸のように投げつけただろう…

そんな彼女の姿が目に浮かんで…
口元が緩みそうになるのを…いけね…と慌てて引き締める


「あ…身分証明書を…」

その娘に謝った後…
コホンと咳払いをしてカークが本来の職務に戻った


「そいつは通してもいいぞ…カーク…」
「え…」


声のする方へ振り返ると
銀髪の連邦捜査官…チャールズが男をじっと見ていた


「あんたが来るとはな…」


国家公安部の彼は何度か…自爆テロの時も含めて…
この男と関わりを持ったことがあった


「その娘は…?」

チャールズが娘に顎をしゃくると
彼女はあたふたとかばんに手を入れる

パスポートを探しているのだろう


「おれの婚約者だ…」

男は娘の手を握って止めさせると
そのまま彼女の手を引いて入り口へと向かった

チャールズの眉がくいっと寄せられて
なぜだかひどく狼狽した表情になっている


「お…おい」

カークが慌ててチャールズを見た

ホテルに入る者は全員厳重チェックだ…と
上層部からきつく言い渡されていたのに…



「婚約者だと…」

ホテルへ入っていく二人の後ろ姿を見送りながら
チャールズが信じられないとでも言うように呻いた


「いったい…何者なんだ…?」
「会議の警備員だな…多分…」

カークの問いにそれだけ答えると
くるっと背を向けてチャールズは行ってしまった



「くそぉっ…腹立つな…」

署に戻って制服を着替えながらカークは
ダン…とロッカーに足蹴りを食らわしながら悪態をついている


「…まだ怒ってる…」
「放っときなさいよ…」


腕っ節には自信があるカークは
あんな優男になんの反撃も出来ずにいたことが
悔しくて仕方がないのだ


「… 警備員の分際で、高級ホテルに泊まれるなんていい身分だぜ…
 しかも女連れで仕事かよ…」
 

チャールズはあいつのことを知っていたようだったが
何も教えてはくれなかった…


「…すっごい無愛想だったけど、いい男だったわね…」

カークに聞こえないようにビリーが小声でマイクに囁いた

「ああ…モデルかハリウッドの俳優かと思ったよ…」

いい男ではひけをとらないカークのプライドが
それで傷ついたのだろうか…とマイクはふと考えたが…
そんなことは…絶対カークには言うまいと心に誓った


「それより…カーク…時間は大丈夫なの…?」

はっ…とカークは青くなって時計を見た

「いけね…ホリーの奴にどやされる…」

慌ててカークは飛び出していった


「市警一の暴れん坊も…ホリーには形無しね…」

ビリーが可笑しそうに笑う

「ま…やっと収まるところに収まって良かったよな」


9歳年下のホリーをカークはまだ子供の頃から知っていて…
いろいろあったが、最近やっと恋人としてつきあい出したのだった





ニューヨーク1日目

今日の夕方、ホテルに着いた
ホテルの前でちょっとしたいざこざがあって少し驚いたけど
フロントに行って、一人の予約が二人になった…と伝えた
ホテルは会議のため満室でツインにもダブルにも変えられないと
フロントの人が申し訳無さそうにあたしたちを見た
「構わん…」とイザークが言った時は少し恥ずかしかったな…



結局その日の夕食はルームサービスになった
運んで来てくれたボーイさんが部屋の中まで入りたがったのを
バスローブ姿のイザークがひと睨みで追い返してしまった


イザークは普段とてもきちんとしている
部屋の中はいつもきれいに整頓されていて
食事の後片付けもあたしなんかよりずっと手際がいいくらい

けれどこういう時だけ彼はあまり…構わなくなるみたい…


脱ぎ散らかした服が床に放置されていた

ベッド脇にあるサイドテーブルの上に置かれたお皿には
食べかけのサンドイッチやサラダが散乱している

グラスは倒れてワインが床まで滴り落ちて…


薄暗い照明の中…
ぐったりと彼の胸にもたれているあたしの視界の隅っこに
そんな情景がぼんやりとうつっている


朝までおまえを離す気はない…

部屋に入るなりあたしを抱きしめて彼はそう言ったんだ


一晩中ずっと一緒なのが嬉しくて…
明日も明後日もその次も…夜だけでも一緒にいられるのが嬉しくて
はしゃいでいたあたしは…

離さないで…と答えた


せっかくニューヨークまで来て…
ホテルから一歩も外に出なかったって
華ちゃんが聞いたらきっと呆れるだろうな…

でもね…華ちゃん
観光はイザークがお仕事の時にいくらでも出来るから

今は…こうして…
彼と一緒にいたい…


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by 彼方から 幸せ通信