ノリコの日記 in New York 2


ニューヨーク2日目

ニューヨークは晴天…そして…
イザークのキスで目覚めたあたしの胸の中は
窓の外で輝く太陽に負けないくらい光に満ち溢れていた
明日から始まる会議の警備で今日はいろいろ打ち合わせがあるらしい
華ちゃんがベートさんと一緒にホテルにやって来て
あたしたちは街へと繰り出した



「何かあったら…おれを呼べよ…」

ホテルのロビーで気をつけるよう何度も念押ししたイザークが
最後にそう言ってノリコの肩をつかんでいた手を離した

「うん…じゃあ行ってくるね…イザークお仕事頑張ってね」

ひどく心配そうにノリコたちを見送るイザークを
反対の掌で肘を支えた手を口に当てたベートが可笑しそうに見ている


「過保護だねぇ…」

散々言われ慣れた言葉にプイッとイザークは背中を向けた

「そんなに心配ならくっついて行けば…」


そんなことをすれば…自分が一緒に来た所為で…と
ひどく申し訳なさそうにするノリコの姿が目の前に見えるようだった


「行けるものなら、とっくに行ってる」

不機嫌そうな声がイザークの肩越しに聞こえて来てベートはにやりと笑った

「ヘぇ…やはりノリコよりは仕事が大事なわけなんだな…」
「下らんことを言うな…ベート…」

イザークは振り返りながら忌々し気に言う

「こんな仕事…ノリコに比べて大事なわけが…」

ノリコに気を取られて普段の彼らしくなく
注意が散漫になっていたイザークが、うっ…と言葉に詰まった


「こんな仕事…」

ベートの横に仕事の打ち合わせにきた会社の幹部と
警備責任者らしい男…昨日も会った銀髪の連邦捜査官が並んで立っていた


「…すまん」

ベートにのせられたとは言え…
うっかり失言してしまったイザークは口元を手で覆い顔を赤らめる

二人は信じられないものでも見たかのように呆然と立ちつくし
ベートはお腹を押さえて笑っていた





「…ゴメンね…華ちゃん…」

シュンとなったノリコが情けなさそうに首をすくめた


移動は地下鉄かバスで…と考えていたノリコだったが
華はホテルを出た途端…さっとタクシーを止めたのだった

有名な観光個所をいろいろ案内してくれた華が
お昼時だから…と入ろうとしたレストランは
昼間からシャンパンを飲んでいる人たちがいるようなところで…


いつも気さくに接してくれているから…つい忘れてたんだけど
華ちゃんてすっごいお嬢様だったんだよね…

おうちには住み込みのメイドさんがいるし…
大学にお迎えの車が来るくらいだもんね…
運転手が灰島さんだったので…
つい知り合いが迎えに来てくれている…みたいに思ってたけど


「あら…気にしないで…こういうのも新鮮だわ」

落ち込んでいるノリコに華は明るく笑った

二人は公園のベンチに座って
屋台で買ったホットドッグを食べていた


これを使え…とイザークが結構な額のお金を渡してくれたが…
それはやっぱり緊急の時しか使いたくなかった




「…イザークって本当にノリコが好きなんだね…」

唐突にそう言われて…
え…とノリコは隣で慣れないホットドッグを食べている華を見た


イザークがあたしを束縛しているとか
どうしていつもイザークの言いなりになるの…とか
華ちゃんから責めるように言われたことは何度かあったけど…


不思議そうに自分を見ているノリコに華は静かに微笑んだ

「…飛行機の中で彼ったら…あなたしか見てなかったわよ」

本当に大事そうに…
心から愛しげに…
なのに…なぜか切なそうに…

眠ってしまったノリコを
イザークはその腕の中に抱きしめていたんだ


「切なそう…?」

ノリコは一瞬…それは何かの間違いではないかと首を傾げたが
はっ…と思い至ることがあって胸の奥に僅かに痛みがはしった


優しく微笑んでくれたり…ふざけてあたしを怒らせたりして
あたしの不安をいつのまにか消してしまうイザークだったから
いつもあたしはすがりつくばかりで…

彼だって不安に思うことはあるに決まっているけど
一度もあたしにそんな顔を見せやしない

あの世界で彼は辛い運命を全部一人で背負い込んでいた…って
イザークがそういう人だ…って、あたし知っていたはずなのに…


「大丈夫…?」

物思いにふけっていたノリコは
華が目の前で手を振っているのに気づいた


「あ…うん、なんでもない…」

ニコリと笑いながらノリコは…
ホテルに帰ったらイザークになんて言おうかと
必死に考えていた




「あそこで訊いてくるから、ちょっと待ってて…」

華はすたすたと近くのお店の中に入っていった

中心地から数十分…郊外へとバスで向かったところは
もう高層ビルは姿を消して 一戸建ての家が並んでいた
バス停で降り目指す場所へと歩き出したが道に迷ってしまったのだった


あたしの所為だ…
華ちゃんはいつもタクシーで移動しているんだもの…
ここでバスに乗ったのは初めて…とはしゃいでくれてたんだけど…


またどーんと落ち込んで来たノリコを、二人の少年がじっと見ていた


やっぱり、イザークのお金でタクシー代を割り勘にした方が…
などと思い悩むノリコは隙だらけで…


「きゃっ…」

ドンっと体当たりされて、二人の少年がバックを奪って逃げていく

やだ…パスポートもお財布も入っているのに…

慌てたノリコが少年たちを追いかけて走り出した


「あら…?」

お店から出て来た華は
ノリコの姿を探してきょろきょろと辺りを見回した




「よしよし…」

家の裏の路地で、お皿に入れたミルクをぴちゃぴちゃと子猫が舐めるのを
地面にしゃがみ込んでホリーは嬉しそうに眺める

親からはぐれた子猫は、小さい頃の自分を思い出させて…放っておけない



この前の夏にハイスクールを卒業したホリーだったが
将来どうするか決めきれなくて…
今は養い親のクロエの下宿屋を手伝ったり
近くの食料品店にバイトに行ったりしている


周りにそういう職業の人間が多くて
警察学校に入って婦人警官になろうかと思ったこともあったが…


「だめだ」

恋人のカークにきっぱりと言い渡された


「なんでよ…!」

「ただでさえ…平気で危険なことに首突っ込みたがるくせに…
 警官なんかになったら、危なっかしすぎて見てらんねぇだろ…」

自分はどうなの…とあまりにも独断的な言い様に
きっ…と睨んで言い返したホリーだったが…

いつになく真面目な顔でカークがホリーの肩を抱いた

「おまえになにかあったら…きっとおれは耐えられん…」
「…」
「頼む…ホリー」


次の秋から大学に行って小学校の先生になろうと
ホリーは今やっと決めかけている

黒髪の背の高い人がずっと側にいてくれたらいいな…っていう
一番望んでいた将来はもう手に入れることができた…
だからあたしは頑張れる…そんな気がする

ホリーは子猫を見ながら幸せそうに微笑んでいた



「!」

不穏な気配に、ホリーは顔を上げ眉をキュッと寄せる


界隈で有名な悪ガキが全速力で走っている
後ろから…東洋人の女の子が真っ青になって追いかけていた

悪ガキの一人が手に女物のバッグを持っているところを見ると…


一瞬にして状況を理解したホリーが
近くに転がっていた空き缶を少年の一人に投げつけた

その少年がこけて…つられるようにもう一人の少年が倒れた

「やっぱ…あたしって天才なんだわ…」


少年の手からバッグを取り戻したホリーだったが
追いかけて来た女の子まで
巻き込まれて転んでしまったのは想定外だった




「ホントに…おまえは厄介ごとに首を突っ込むのが好きなんだな…」

ムっとしたホリーが睨みつけて何かを言いかけたが
わかったとカークが手のひらを見せて押し止めた


散々文句を言った所為か…いつものパトロールにもどったカークの携帯に
ホリーから連絡があった

任務中だ…というカークに
事件よ…とホリーが叫んで彼女の家にカークが駆けつけたのだった

ちなみに、彼女の家は下宿屋で…カークも店子の一人であったが…



「女の子が転んだってのか…
 怪我したんなら医者に連れてけばいーだろうが」
「怪我はしてないんだったら…」
「じゃぁ…なんだって…」

話しながら居間のドアを開けたカークが座っているノリコと目が合った

「あれっ…あんた…」
「?」





イザークの様子が変だ…

ベートは前を歩くイザークの背中をじっと見つめた


ホテルの警備主任に案内されて建物の中を見回っている時に
通気口の中に巧妙に隠されていた爆弾をイザークが見つけた


「ここは何度もチェックしたのだが…」

さすがだな…と一緒にいた連邦捜査官も賞賛したのだったが…

解体処理の最中、イザークの手がビクンと震えて一瞬ひやりとしたものだった

幸いなことに無事解体できた爆弾をやってきた処理班に任せて
見回りを再開したが、イザークは上の空だ…

ここまでやつの集中力がなくなるとは…
ノリコを一緒に連れて来たのは失敗だったのか…



「すまん…少し、休ませてくれ…」
「え…」

とうとうイザークはロビーの椅子に腰掛けると
膝に肘をつき、その両腕で頭を抱えてしまった

「おい…」

そんなイザークの姿は見ていられなくて…ベートはひどく狼狽える




『ノリコ…頼む…返事をしてくれ…』

祈るような気持ちでイザークはノリコに呼びかけていた

爆弾を解体処理している最中にノリコの気が乱れたのを感じ
動揺したイザークは危うく自分を吹き飛ばすところだった

それ以来…ずっと呼びかけているのに…ノリコは応えない


しばらくじっとしていたイザークが青ざめた顔を上げた


「ハナは…携帯を持っているのか…」
「…ああ」
「連絡してみてくれ…」

いったい何が…と訊きかけたがイザークの真剣な表情に気圧され
ベートは黙って携帯を取り出した…その時…


「ベート…イザーク…」

青い顔をした華が外から駆け込んで来た


道を尋ねようと店に入ったほんの数分でノリコの姿が見えなくなった…
どこを探しても見つからないので取り敢えずホテルに来てみた…

華の説明を聞いたイザークが立ちあがって出口に向かおうとする

「どこへ行くつもりだ…?」
「ノリコを探しに…」

ベートがイザークの手をつかんで止めようとした

「待て…やみくもに探したってなんにもならんぞ…」
「そうよ…ここで連絡を待ちましょうよ」

気配なら感じられる…


「イザーク…」

つかまれた手を振りほどいて駆け出そうとするイザークに
チャールズがつかつかと近づいて来た


「君の婚約者が、おれの家にいる…」
「!」


倒れた時、ほんの一瞬意識を失ったらしい…
怪我はしていない…

チャールズも詳しいことは知らないようだった


ではなぜ…
ノリコはおれの呼びかけに応えないんだ…

いやな胸騒ぎがする…


渋滞の中をのろのろと進んで行くタクシーに歯痒い憤りを感じて
イザークは膝の上でぎゅっと拳を握りしめた

早くノリコの無事な姿を見たかった




両親が遺してくれた館で下宿屋を営むクロエは
幼い頃、親を亡くしたホリーを引き取って一緒に暮らしていた
そのクロエにその界隈の有力者が言い寄り
断られると嫌がらせをして店子たちを全員追い出し
経済的に追い詰めてクロエを館諸共手に入れようとしたが…

ひょんなことから知り合ったカーク・マイク・ビリーの三人組…
それから事件がきっかけで再会したクロエの幼なじみのチャールズと一緒に
その有力者と…ついでにその背後にいたギャングまでやっつけてしまったのは
九年前のこと…ホリーはまだ八つだった



玄関のドアを開けたのはカークだった

何かを話そうとするカークを脇に押しのけイザークは館の中へ入ると
ノリコの気配のする部屋へと足早に向かった


「待て…こらっ…人の話を聞けって…」

慌てて追いかけようとするカークを後から来たベートが止めた

「今の彼に何を言っても無駄ですよ」

ノリコがみつかって安心した華も少し皮肉っぽく笑う

「もう典子しか見えてないんだから…」


そんな能天気な二人の様子に
髪の毛を掻きむしりながらカークが頭を振った

「あーあ…おれ知らんからな…」
「?」



「ノリコ…」

部屋に入ると、元気そうな様子で座っているノリコの姿が目に入った
ほっとして駆け寄ろうとしたイザークだったが…その足がぴたっと止まった

ノリコが不思議そうに首を傾げて自分を見ている…


「あなたは誰…?」


Next
その後の彼方から
Topにもどる


by 彼方から 幸せ通信