ノリコの日記in New York 5


ホリー達は気を揉んで待っていたが…

暗くなってから戻ってきたノリコとイザークは
夕飯を取った後テラスへと出て行ってしまった



「どんな話をしているのかしらね…」

居間で編み物をしながらクロエは窓に映る二人の影を窺うように見た


ゆうべは気をきかせて二人っきりにしてあげたのに
イザークは何も話さなかったという

「何か話しにくいことがあるのよ…」

ホリーはきっぱりとそう言った

「そうね…きっと…
 彼は以前はどこかの劇団の看板役者だったんだけど
 ノリコと婚約した所為で金持ちのパトロンのマダムの逆鱗に触れて
 劇団はクビになったのね
 おまけに役者時代は女癖が悪くてあちこちの女に手ぇ出してて
 結婚の約束とかしててさ…隠し子が5人くらいいたんだわ
 それで彼女たちも怒って…子供の世話を押しつけられて…」

「こら…こらっ…」

げんなりとしたカークが遮ろうとするが気にもせずに続ける

「…やっと別な仕事をみつけたのでノリコも安心したのだけど
 あんななまっちろい優男じゃ…警備員としてたかがしれてるでしょ…」

ぷっ…とチャールズは飲みかけていた酒を吹き出した

「日本に帰ったら…婚約者は薄給な上に
 血のつながらない5人の子供の世話がノリコを待ってるのよね…」
「まあ…悲惨ね…」

疑うことを知らないクロエが同情心のこもった顔で相づちをうった

「…うん…でもそう考えると…
 ノリコの為になにもかも棒に振ったイザークって健気よね…」





満天の星…というわけにはいかない
数えられるほどの星だけが瞬いている都会の空だった


そんな星空を黙って見つめているイザーク傍らで
ノリコも一緒に彼の視線の先を見上げていた



プロポーズをした後の帰り道…
彼はあたしの手を握って歩いてくれた

やっぱりほとんど口はきいてくれなかったけど
あたしはもう気にするのをやめた

イザークを信用してついていこうと決めたから

それに…

ずっと傍にいる…

どんな状況でその約束をしたのか
覚えていないあたしだけど…

今も…心からそう思うから

ずっと傍にいたい…

イザークと一緒だったら…
それだけで幸せになれるような…
そんな気がするから…





「タータ…」
「…?」
「…トエ…ニーケ…… 」

唐突にイザークがそう言うと
誘われるようにノリコがぽつりと呟いた

「星…」


あれ…

はっとノリコは両手で口を押さえた

「あたし…しゃべれる」

異世界語でノリコは話し出した

「…英語よりずっと…上手に…」

どうして…

視線を星からイザークへ移すと
自分を振り返って見ているイザークと目が合った


「おれが教えた…」

そうなんだ…ということは…

「イザークの…国の言葉?」
「…ああ」

アメリカの人じゃないんだ…
ここはいろんな人種の人たちがいるからわからなかったけど…

彼の顔立ち…目の色…
どこの国の人なんだろう…


「…あたし、イザークの国へ行ったことがあるの?」

ただ教えてもらっただけで…
こんなに上手にしゃべれるようになれるのだろうか…

「…ああ…ノリコ…だが…」

そう言ってイザークはノリコの方に身体を向けた

「そのことは…決して人には言うな…」


…何か秘密にしなければいけないことがあるんだな…
だから…彼はなかなか話してくれようとしないんだ

「…イザークがそう言うなら…あたし誰にも言わない…」

こくんと頷いてそう約束したノリコに…
イザークはふっと微笑んだ

あ…笑ってくれた…

それが嬉しくて…
ノリコもにっこりと笑った


春先の優しい風が通り過ぎる
庭に植えられた花の甘い香りに酔ってしまいそうなほど…
気持ちがときめいている


「では…ノリコ…」
「…?」

気がつくとイザークはまた真顔に戻っていた


「これを覚えているか…」
「なあに…イザーク?」

小首を傾げて自分を見るノリコはひどく無邪気で…
イザークの顔が一瞬辛そうにゆがんだ


「アジール…デラキエル…」


ドキン…

それを聞いた途端…
胸が痛みすら感じる程…大きく波打った


アジール…目覚め
デラキエル…天上鬼


この言葉に…
どうしてこんなに心が揺さぶられるの …


思い出すのが恐い…
でも…思い出さなくてはいけない…

閉じ込められた記憶が頭の中で暴れ出そうとしている


「ノリコ…」

表情をこわばらせて震え出したノリコを
イザークが両手で抱き寄せようとするが…

触れられた身体がまたビクっと反応して…

「あたしに触らないで…!」

無意識にノリコはイザークの手を振り払っていた


あ…

両手を口元に当てたノリコが青くなってイザークを見た


「ご…ごめんなさい…」

「…」

「あ…あたし…もう寝るね」


くるりと背を向けノリコはばたばたと家の中へ駆け込んだ
おやすみなさい…とホリーたちに慌ただしく言うと部屋を出ていった




「やっぱりね…5人の子供の世話はイヤよね…」
「5人の子供…?」

ノリコの後から入ってきたイザークが怪訝そうに眉をひそめると
ホリーがわけしり顔になった

「これに懲りてあんた…もう女遊びは…んぐっ」

慌ててカークがホリーの口を手で塞ぐと…にかっと笑ってごまかした

「なんか…ノリコが動揺しているように見えたが…
 あんたなにか言ったのか…?」

「…いや」


皆の問いかけるような視線には応えずに
イザークは静かに部屋を出て行った





何があっても…
何が起こっても…
絶対にそばにいたいから…



「いやぁああっっっ」


暗闇に響いたノリコの叫び声に
ホリーはがばっと起き上がって灯りをつけた


「どうしたの…恐い夢でも見たの…?」

隣のベッドを見るとやはり半身起こしたノリコが
ホリーの問いには答えず…
両手で頭を抱えてがたがたと震えている


「ノリコ…どうした」

ひとつ上の階にある彼の部屋までノリコの悲鳴が聞こえて駆けつけたらしい…
ドアの外からイザークの声がした

「イザーク…!」

はっ…と顔を上げたノリコは
ベッドから飛び降りると駆け出してドアを開けた
そこに立っているイザークの姿を見ると
ぽろぽろと涙をこぼし始める


「イザーク…イザーク…」

泣きながら自分の名を呼ぶノリコを
抱き寄せようとしたイザークが
先ほどのことを思い出してふ…と手を止めたが…

どんっ…とノリコが抱きついてきた


「ノリコ…?」
「よかったぁ…」
「…」
「よかっ…た…イザ…ク…」

それ以上言葉にならずに泣きじゃくっているノリコの背中を
イザークが 優しくさすり始めた


しばらくそうしているうちに…少し落ち着いてきたノリコが
くすんくすんと鼻をすすりながら話し出した

「…あ…あのね…夢を見たの…」
「…」
「最初はあたし…走っていて…誰もいない草原みたいな所を…
 イザークに会いたくて…イザークのそばに行きたくて…
 一生懸命走っていたの…だって…イザークが…」

ノリコはそこまで言うと…
恐ろしそうに身体を震わした


「無理に話さなくてもいい…」

イザークはノリコを止めようとしたが…
ううん…大丈夫…とノリコは首を振ると
ぎゅっとイザークにしがみついた

イザークはここにこうしているもの…

「…イザークの身体が何本も
 太い枝みたいなものに貫かれていて…」

うへぇーっ…と、やはり騒ぎを聞いて起きてきたカークが呻いた

「気がついたら…枝はもうなかったんだけど…
 あたしの前に血だらけのイザークが横たわっていて…
 あたし…イザークが死んじゃうんじゃないかって…」

また涙がこぼれはじめてノリコは言葉を途切らせる…


イザークはすがりついているノリコを
そっと自分の身体から離した

「見ろ…ノリコ」

着ているシャツの裾を持ち上げてみせる

「傷などないだろ…」

確かめるようにまじまじとイザークの身体を眺めて
やっと安心したノリコが、その時…
カークやホリーまでが起きているのに初めて気づいた

「ご…ごめんなさい…あ…あたしったら…大声で騒いで…
 あんまりリアルだったので…つい…」

「そんなスプラッター映画でも観たことがあるんじゃねぇの…」

赤くなって謝るノリコにふぁーっと欠伸をしながら…
カークが気にするなと手を振って止めた



「もう休め…」

まだ震えているノリコを
イザークは抱き抱えるようにしてベッドまで連れて行った


丁寧に毛布をかけるイザークの手をノリコがぐっとつかんだ

行かないで…

まだ夢に怯えているのか…ノリコの目がそう訴えている


「おれはここにいるから…」

つかんでいるノリコの手をはずしてイザークはベッドに腰かけた




「ここにいるから…って…」

ベッドの上に座って顎を掌にのせたホリーが
じろっと横目でイザークを見た

「ここにもレディがいるんだけどね…」

「ホリー」

ドアの所でカークがくいっと顔を傾けて
こっちに来いというしぐさをした


「ここにいていいのはノリコが寝るまでだからねっ…」

イザークにしっかりと釘を刺して
ホリーはベッドから降りると部屋を出ていく



「…ごめんね…明日もお仕事があるのに…」
「おれなら…大丈夫だ」

ドアがばたんと閉まった途端に
ノリコは自分がひどい迷惑を皆にかけてしまっている…と後悔し始めていた


でも…
イザークがまた行ってしまう気がして…
もう二度と会えない気がして…

また…?


「イザーク…」

つかんだと思ったら…するりと指の間からすり抜けてしまう
記憶にまるで弄ばれているようで…ひどくもどかしくて…
ノリコは再び身体を起こすとイザークに詰め寄った

「…あたしを置いてイザークが行ってしまったことがあるの…?」
「ノリコ…」
「もう二度とイザークに会えないって…
 あたし…そう思ったことがあるの…?」


ひどく切ない表情がイザークの顔を覆ったのを見て
ノリコは、はっ…と青くなった


いやだ…あたしったら…
イザークが教えてくれるまで待つ…って決めたのに…


話せないあたしたちの過去…
天上鬼と目覚め…

彼だってきっと辛いんだ…
あたし以上に…


「いいよ、イザーク…ごめん…忘れて…」
「…ノリコ…」

彼はあたしを見つめながら手を伸ばすと
指先であたしの髪を梳いた

ビクン…

あ…また身体が熱く反応する
髪に触れられただけなのに…


「おれは二度と会わないつもりで…
 おまえを置いて行ったことがある… 」

やっぱり…

「おれたちは引き離されたこともある…
 その時も…もう二度と会えないと思った」

そんなことがあったんだ

「今は…こうしておまえの記憶がなくなってしまった…」
「でも…」

思わずイザークの話を遮ってしまったノリコは
かぁっ…と赤くなってごめんなさいと呟いた

「でも…?」

イザークの口元が少しだけ微笑んだような気がする

「なにが言いたかった…?」
「あのね…」

やっぱりイザークが微笑ってくれると嬉しい

「話を聞いてると…なんだかあたしたちって
 すごく悲しい運命をたどってきたのかなぁ…て思うんだけど…」

でも…

「今こうして一緒にいるってことは…また会えたんだよね」
「…ああ」

それに…

「あたし記憶なくしちゃったけど…」

照れたように俯いたノリコの顔をイザークは自分の方に向かせ
先を促すような視線を送った


イザークの顔を見ながら…ノリコはおずおずと話し出した

「…今の…あたしにとったら…イザークは…
 昨日初めて会ったばかりの人なの… 」
「…そうだな」
「で…でも…あたし…」


イザークの瞳は優しい…ノリコはそう思った

瞳だけじゃない…
彼の言葉…
握ってくれた手の感触…
近くにいると感じる彼の匂い…
鼓動の音…

…彼の全てを…あたしは…


「イザークのことが…すごく好きになってる…」
「ノリコ…」
「…何度記憶をなくしても…きっと…」


突然ノリコをイザークが荒々しく抱き寄せ…
唇を塞いでしまったので…
そのあとは言葉にならなかった


…何度記憶をなくしても…きっと…
あたしはイザークを好きになる…



何度も音を立てて唇が触れ合っていた


彼に聞こえてしまいそうなほど胸がどきどきと高鳴っている
さっき…手に口づけされた時でさえ
恥ずかしくてたまらなかったのに…
でも…ファーストキス…じゃないんだよね…


やっと解放されたノリコはぼぉっとする意識の中で目を開いた


あ…

濡れるように光っているイザークの瞳を見た途端…
身体の芯が熱くなってきた

あたしは知っている…
…いいえ…あたしの身体が覚えている

彼のこの視線の意味を…
わかる…ただ感じるだけだけど…

彼に触れられる度にあたしの身体はきっと…
記憶をなくしたあたしに訴えていたんだ


この身体はもう彼のものだと…



潤んだ瞳でノリコがおれを見つめていた


頭の中で…まだ早いと…言う声がおれを制している


彼女が記憶を失ったと知ったその時
おれはノリコをどこか二人きりになれる所に連れて行って…全てを話し…
彼女がその事実を受け入れられるまで誰にも会わせないようにしたかった

だが…それは阻まれた

ノリコを保護してくれた人たちは信頼が置けそうだった
だから…彼らにノリコを預け…普通の生活をおくらせて
徐々に記憶を取り戻せばいい…そう考え直したんだ

そしておれは…
ノリコと初めて出会った頃のように…
己を抑えて…彼女と向き合うつもりだった


そうするつもりだったのだが…



ホリーが起き上がった時に灯した小さなサイドランプが
暗い部屋の中にノリコとイザークの姿をほの白く浮き上がらせている


言葉もなく…息すらもひそめて…
お互いの視線を熱く絡み合わせていたノリコとイザークの影が
一つに重なり…ベッドへ崩れ落ちていった


再び重ねられた唇は…さっきのように軽く触れ合うのではなく…
強く押し付けられ、無理矢理開かされた隙間からイザークの舌が侵入してきた

…気がつくと…
寝間着の中に入ってきたイザークの手が身体を弄っている


散々口内を蹂躙し尽くした彼の唇がやっと離れて
今度は耳朶を甘く噛まれた

熱く乱れ始めた息の合間に…ノリコがかろうじて言った

「…ホリー…もど…って…」

ノリコから顔をあげたイザークが
横目でドアを見ると…カチっと鍵がかかった

唇をノリコの耳元に戻したイザークが囁いた

「心配するな…
 カークもそんな簡単に彼女を離すまい…」




へぶしっ…


「カーク…風邪?」

口づけている途中でカークは顔をそらしてくしゃみをした

「ん〜〜?」

本人もよくわからずに言葉を濁す

「…こんな時にさ…」

不満顔のホリーに…ぐす…っとカークは鼻をすすった

「しょーがないだろ…出てくんだから…」
「もーっっ、カークったら…ちっともロマンチックじゃないんだから…」

そーゆーのをおれに期待するな…とぼやくカークの胸に
こてんと頭を寄せてホリーが呟いた

「やっぱ…変よね…」
「なにが…」
「イザークよ…」
「…」

昨日からホリーの頭の中はあの二人のことで一杯で…
カークは少しうんざりし始めている

「大体さ…身体中を串刺しにされた人間が生きているわけないでしょ…」
「…ああ」
「なんで身体見せてさ…傷がないなんてこと確かめさせるのよ…?」
「うーん…なんでだろーな」
「そんなことあるわけないって言えばいいだけじゃない…」
「まあな…」
「それなのにあの人ったらね…一度もノリコの夢を否定しなかったのよ」

「ホリー」

カークの声色が変わったのに気づいたホリーが顔を上げると
少し怒ったようなカークの顔があった

「…あいつらのことは…もうほっとけ…」
「…でも」
「おれのことだけ…考えてろ」

口づけが再開されて…ホリーはそれ以上反論できなかった





彼はあたしの全てを知っている
そう確信できるほど…
イザークが触れる度に
甘く狂おしいほどの感覚が身体を駆け巡り
恥ずかし気もなく声をあげる自分がいた

朦朧としていく意識の中で
イザークの声が耳を掠めた


「身体は…記憶を失っていないんだな…」



舌を這わせ…指で翻弄すれば…
ノリコは以前と変わらず…
甘く喘ぎ…
身体を震わせ…
乱れていった

そして…
なんの躊躇もなく身体を開きおれを受け入れたんだ



ノリコが高みに駆け上がる瞬間だった

『イザーク…!』

彼女は…いつものようにおれの名を叫んだ

おれの心に…


『ノリコ…』

意識を手放してしまったノリコには
俺の声は届かなかった…


Next
その後の彼方から
Topにもどる


by 彼方から 幸せ通信