愛慕

彼の唇が身体中に愛の証を結んでいく
抗いもせずに彼女はその全てを受け入れた










典子は変わってしまった…


無差別爆弾が爆発した現場にいた典子は
幸いなことに傷一つその身体に負わず、その場に倒れていた

意識を取り戻したのは三週間ほど経った頃だった
もう二度と目覚めなかったらどうしようかと不安で仕方がなかった我々は
ただ嬉しくて母親など典子に取り縋って泣く始末だった

けれど意識を取り戻した典子は
しばらく声を失ったかのように我々を見て…周りを見回して…
激しく震え出し、急にわけのわからない言葉で泣き叫び始めたのだった

鎮静剤を打たれてがくりと力を失っていく典子が
最後の力を振り絞るように言った

「…イザーク…」



それから数日間…放心状態だった典子だったが
やっと自分を取り戻したようで退院が許された

だが…

再び元の生活に戻って
学校に通い出した典子はもう以前の典子では無かった…

以前はあれ程無邪気に振る舞い
その笑顔で私たちを癒してくれた彼女だったが
そのすべてを失っていた

今では時折…我々を気遣うようにニコリと笑うようになったが
それはひどく痛々しくて
逆にこちらの不安を誘うようなそんな笑顔だ


彼女はただ…頑にその心を暗い闇に閉じ込めているようだ

それが何なのか…我々には漠然とだがわかっていた…



爆弾事件直後…病院の救急科の医師が我々をよんだ
緊張して行ったが医者は安心させるような笑顔で

「心配ありません…お嬢さんはただショックを受けているだけで
 外傷は一切見当たりません…」

ただ…と、医者は少し含みのある表情で我々をみつめた…

こんな場合は全身検査をするらしい…

娘は…性的交渉を持った後だと…
彼女の中にはまだその痕跡が残っていて…

「たぶん初めての交渉だったと思われます」

出血が認められたそうだ

「レイプと認められるような外傷はありませんでした…それに…」

身体中に刻まれている印は…通常は愛し合った証だと…

我々は、ただ呆然と医師の話を聞いていた

あの典子が…
まさか…


見舞いにきた友達にそれとなく訊いてみたが
あの日の典子は普通に授業を受け
よく見る夢の話などしながら弁当を食べ
家へと帰る途中だったそうだ

いったいいつそんなことを…
いったい誰と典子は…

もしそいつが典子を本気で好きでいてくれたのなら
きっと見舞いにきてくれたはずだが…
彼は現れなかった

母親もわからないと首を振るばかりで
彼女の意識が戻ったら訊いてみるしかないだろうということになった


けれど魂が抜けてしまったかのような典子の様子に
なにも訊けず今に至ってしまっている


その他にも小さなことだが変化が見られた

文章を書くのが好きだった典子は毎日日記をつけていた
それがあの事件以来、ぱたりと書くのをやめてしまっている
一度訊ねてみたが、書きたいことなどないと寂しそうな答えが返ってきた

他にも…
典子は小さい頃からずっと髪の毛は肩にとどく前に切っていた
それがなんとなくだが典子のスタイルとして認識していたので
髪が伸びてきたノリコに母親が美容院へ行ったらと勧めたが
いいと断った

事件の後、ほとんど外出というものしなくなった
学校と家との往復以外は友達とどこかに遊びにいくことも
大好きだった母親とのショッピングもやめていたので
髪を切りに行くのもいやなのだろうかと
母親が、わたしが切ってあげるよ…と言った時…

「いやっ…」

事故以来初めてと言える激しい感情をみせて典子は拒絶したのだった


高校を卒業した典子は今、短大の二年生で
卒業後は近くの信用金庫への就職も決まっている

もの静かで内向的な女の子…それが今の典子だった
明るく声をあげて笑うことなどなく
いつも何か遠くを見ているような様子で
現実の世界になんの興味も示していない…

ひとなつっこく
どんな時でもあれほど前向きな子だったのだが…


ゆうべ、典子は縁側に座って夜空を見ながら独り言をつぶやいていた
わたしがすぐ後ろにいることに気づいていなかったのだろう…

「タータ…トエ…、ニーケ……星」

何を言っているのかよくわからなかったが
彼女がぽろぽろと泣いているのがわかった

それはゆうべに限ったことでなく
近頃はだいぶ落ち着いてきたが
以前は頻繁に、突然彼女はそんな風に泣き出すのだ
声を上げることなく…ただその瞳から涙を流して…

あの日…おまえを抱いた男の所為なのか…







それは、イザークが元凶を倒した数日後の朝だった


なんとなくだがイザークの様子がずっとおかしかった
ノリコと一緒に光の世界をみつけて
最大の敵をやっつけたっていうのによ…

まっ…どうせ、ノリコとのことなんだよな

あんだけ強くて…まったく羨ましいぜ
姿形だって、おれなんかは足元にも及べない奴なんだが…

なぜかイザークはノリコのことになると…
このおれが笑ってしまうくらい腑抜けになるんだ

以前…まだ天上鬼ってことをひた隠していた頃は
ホントにガキが好きな子をわざと無視したりする…そんな態度だった
だからからかいがいもあったんだが…

エンナマルナで再会した時は、ノリコとしっくりいっててよ
だが、からかってやろうかと思う間もなく
いろんなことが起こって…


その朝…イザークはそれまでとは打って変わって
晴々とした顔でおれたちの前に現れた
傍らに佇むノリコはやけに恥ずかしげに顔をうつむかせて…

ふん…そういうことか…

おれは、今晩の酒の肴ができたとばかりに喜んだのだが…

ノリコはグローシアやゼーナの弟子の女の子達と一緒に
楽しげにおしゃべりをはじめた
イザークはおれやアゴルと一緒に
そんな彼女たちを見ていたのだが…

他にもガーヤやゼーナ…
ジェイダ左大公一家とその警備兵もその場にいた

イザークとノリコの間の変化に
気づいた人間はおれ一人ではなかったはずだ

ほんとうに穏やかな一日が始まるぞ…
そんな朝だったんだ


それはエンナマルナの城壁のなかの中庭での出来事だった

女の子たちとおしゃべりしていたノリコが
ふと振り返ってイザークを見た

イザークでなくても心が蕩けそうになるような…そんな笑顔で

イザークの奴…さぞや…と思って奴の顔を見たんだ
最初は思ったとおりにやけてたんだが、急に顔が凍り付いて

「ノリコ…!」
今まで聞いたことないほど悲痛な声であいつは叫んだ

おれは慌ててノリコを見た

笑っているノリコの身体が光に包まれて…薄れていって…

消えたんだ…


誰もが言葉もなくその場に立ち尽くした…




イザークは 部屋に閉じこもって誰とも会おうとしなかった

ゼーナやジーナはただ首を振って
ノリコがもとの世界へ戻ってしまったと言った

「冗談じゃないぜ…なにを今さら…」

おれですらあまりの理不尽さに胸がかきむしられているというのに…
イザークはいったいどんな気持ちなんだ


三日後…イザークは姿を現したが
顔から表情が消え
心から感情が消えていた


イザークとアゴル父娘…そしておれは
ザーゴやグゼナ…西大陸の国々を再び正常な政権に戻し東大陸に向かった

以前の彼は、己の感情を抑えようと必死に足掻いていた
そんな様子がおれを戸惑わせたんだ
だが…今の奴は…その感情すらなくしてしまって
まるで生きる屍のようにただやるべきことをこなしている…そんな風情だ

光の力で闇に捕らわれていた政権を立て直している
そんな奴が、今誰よりも闇に捕らわれている…

皮肉な話じゃないか…


そんな奴を見て…
アイビスクのクレアジータという二人の知り合いが気の毒そうに言った

「要の…目覚めを失ってしまったのですね…彼は…」



東大陸での仕事が片についておれたちはまたザーゴの港町へと着いた


おれたちは取り敢えずガーヤのいるグゼナへ向かうつもりだったのだが…

あいつはもう役目は終わったから…
また渡り戦士に戻ると言っておれたちに別れを告げた

「おい…金は一杯あるんだぞ…なにも今さら…」

そう言って止めるおれに
金は好きなように使ってくれとだけ言い残して…


国々を回っている間に、その報酬としてかなりの額の金を受け取っていた
その全てはガーヤに送っていた
一生おれたち全員が遊んで暮らせるほどの額だ


去っていく奴の後ろ姿を見送りながら
もう二度とイザークに会えないような気がした…




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