会いたい…

何があっても
何が起こっても
絶対にそばにいたいから…







暗い海底から少しずつ浮かび上がるように
周囲が徐々に明るくなり意識が戻っていった

ピッピッピ…
聞き慣れない電子音がする…

はっきりとしていく視界の先には点滴がぶらさがっている
管が下に垂れて…あたしの腕に…?

「典子…っ!」
「気がついたか!」
懐かしい声がして、父親の顔が見えた
母親はあたしに縋って泣き出したみたい…


状況が理解できるまで…そう時間はかからなかった

「やだ…!あたし…」
戻ってきたんだ…たった一人で…

「いやぁ…っ」

取り乱した典子が起き上がろうとした勢いで
点滴のぶら下がっている棒が大きく揺れて倒れそうになった
ベッドから降りようともがいたが、駆けつけた看護師たちに阻まれた

「帰る…っ!帰らせて…お願いだから…」
そばにいるって…一緒にいたいって言ったのに…

押さえる手を振り払おうと暴れるノリコの腕に
ちくりと 痛みがはしった

「イザーク…!」

愛しいひとの顔が目の前に浮かび上がって
ノリコは彼の名を叫ぶと意識を手放した




もう…会えないのかな…

しばらくして目を覚ましたノリコは
病室の白い天井をじっとみつめながら
絶望という名の海に溺れそうになっていた

こんなに悲しくて…辛いのに…
薬のせいか妙に落ち着いて…
逆に何が起こったのか、これからどうなるのか
イヤになるくらいはっきりと理解できる


イザークが光の力を手に入れて
あたしのあの世界での使命は終わったんだ…

最後に優しい思い出をもらえたから
それでよしとしなければいけないのかもしれない…


でも…とノリコは目をつぶった

いやだ…
いやだよ…イザーク…

抱いてくれなくても
優しくしてくれなくてもいいから…
傍にいたい…

あなたに会いたい…

ただぽろぽろと声も出さずに涙を流す娘を
どうすることもできずに傍らに立ち尽くしている両親の存在すら
ノリコには目に入らなかった



翌日、やっとノリコはぽつりぽつりと
両親と会話するようになった


「…あたし…爆破事件のあとずっとここにいたの?」

え…と驚いた顔をしたノリコをなるべく刺激しないように気をつけながら
母親は静かな口調で話した

「そうよ…ずっと意識を失っていて…三週間も…」

たった三週間…?

「…制服…かばんは…?」

なぜ、そんなこと気にするのか…両親は怪訝な顔をした

「制服は破れてしまった所もあるから…新しいものを買った方がいいわね
 かばんは飛んでしまっていたけれど、大丈夫よ…」

うそ…かばんは投げ出さないで持っていた…
それを両方ともイザークが捨てたはずなのに…


じゃあ…あれはいったい何だったのだろう…

夢…?
違う…!
決して…夢なんかじゃない!

けれど…あれが現実だったと証明するものが
何も無いことに気づいた

長く伸ばしていた髪の毛すらも…
数日前に切ってしまっていたんだ


『おれ達が出会った頃の髪の長さになったな』

そう言ったイザークの優しい微笑みを覚えている

…なんて皮肉なの…

もう…何も残されていないの…?
心と身体に刻まれた思い出以外は…

ああ…まだ言葉があったな…

今ではかなり流暢にしゃべれるようになった…と思う
イザークが根気よくあたしに教えてくれた言葉…

思い出と一緒で、誰も理解できない言葉など何の証明にもならない
でも…それでいいと思った

誰かにわかってもらったところで
帰れるわけではないんだもの…

あたし一人で…大事にしていれば…

もう…


また黙って考え込んでしまったノリコを
両親は心配そうに見守る以外のことはできなかった

彼らは…ノリコに問い質したいことがあった…
けれども悲壮な様子の娘に向かって
それを口にすることがどうしても出来なかった


数日間…あの世界での…イザークとの思い出の中を
ノリコは彷徨い続けた

イザークを忘れることも、諦めることなどできやしないと
そうわかった…

あたしの心は彼と一緒にあるから…
もうそれでいい…


ノリコはやっと現実に戻ってきたが
以前の彼女には戻れなかった…


退院を許されて…不安に包まれながらまた学校に通い出して
普通の生活を送り出したけど
心はそこにはなくて…

何を見ても…イザークのことしか考えられない…
そして涙が止まらなくなる…


両親も友達も…みんながすごく気をつかってくれたので
頑張ってなんとか微笑んでみせる
今のあたしに出来ることは、もうそれくらいしかなかったから…

あの世界へ飛ばされた時は
今自分に出来ることを精一杯頑張ってきたんだ

イザークと別れた時も辛かったけれど
また会えると信じてそうしてきた

けれど… 今は再びイザークに会うことはきっと出来ない…


微笑むあたしに返ってくるのは
ただ痛ましそうな表情だけだった





それからノリコにとって残酷な月日がゆっくりと過ぎていった

まだ17歳の時にイザークと一緒に未来を変えられるかもしれないと
自分の運命に対して挑む決心をしたノリコだった
その結果が…今の自分で…
もう…これ以上未来に何も期待することはできなかった

少なくともイザークは
天上鬼にならなかったんだから…よかったんだよね

そう思うのが精一杯で…


辛過ぎる毎日の中でいっそ何もかも
終りにしてしまいたいと何度思っただろう…
けれど、心配して…何も言わずに見守ってくれる家族の為に
どうしてもそれは出来なかった…

心を閉じて…息を潜めて…
一日一日をただひっそりとやり過ごすように生きていった



「つきあってくれませんか…」

え…
ノリコはその人の顔を見た

初めて見る男性だった


短大生になったが
サークルに入る気もしないし
合コンのお誘いも全て断ったのだが
どうしても人数が足りないと無理矢理連れて行かれた時に出会ったそうだ

まったく覚えていなかった

軽い言葉の応酬が耳を素通りしていって
途中で気分が悪いからと退席して家に帰った

殻に閉じこもったノリコの風情は
余所目には憂いを秘めているように見えるらしい…

彼に限らず、ノリコはよく声をかけられたり誘われたりした

あんな暗い子なのにねーっ、とやっかみ半分で厭味を言われたこともあるが
本人はまったく気にも止めていなかった


「ごめんなさい…」
「ちょ…っと待って…」

頭を下げてそのまま立去ろうとしたノリコの手が掴まれた

「触らないで…!」

急に形相を変えて叫んだノリコに
彼は怯んで手を放した…

「な…なんだよ…」

「ごめんなさい…」

もう一度謝って駆け出すノリコを、呆然とその人は見送った


男のひとがあたしのことを少しでも触れるとひどく嫌がって
場合によっては投げ飛ばしていたイザークだった

過保護だと…よくからかわれたけれど
あたしは嬉しかった

護られて…
愛されていたんだな…

あの頃の私は…


未だこうしてイザークを思うと泣きたくなるのを懸命にこらえる



イザークは今頃何をしているんだろう
もう光を配る旅は終わったの…?

あれから三年近くが経っていた

好きな人がもうできたかもしれないね…
イザークはすごくもてて…女の人が放っておかないから


ううん…

ノリコは大きく頭を横にふった

あたしにはわかる…

イザークは…他の人なんか好きにならない
今でも…きっと…悲しんでる
あたし以上に辛い思いをしている…

会いたいと…
あたしに会いたいと…
ずっとそう想ってくれている

絶対に…

彼にとって…
あたしにとって…

あの時交わした誓いは永遠のものだったから…




駅前の繁華街でふと足を止めた
花屋の店先だった

もう冬になろうというにも関わらず
季節感のない色とりどりの花で溢れている


あの…初夏の草原を思い出した

薬草だと彼がくれた花束は
ここの温室栽培の花とは比べならないほどいい香りがした

帰ったら説明すると彼は言ったけど
結局何も教えてもらえず
その花束はあたしの枕元に飾られただけだった

ずっと後に一度訊いてみた時
覚えていないと…赤くなった顔をそらされたっけ


思い出すとノリコはくすっと笑った
それは心からの笑顔だったが、すぐに消えてしまう


あれは…あの時彼ができた…精一杯の…
ひどく不器用な愛情表現だったんだ


(やだ…)

涙がこぼれて…止まらなくなる

こんなに人が一杯歩いているのに…

必死に目を拭いながら、すぐ近くの
ビルとビルとの間の狭い小路に入っていった
その先はビルに囲まれた袋小路で…
囲まれた建物にはその側に窓ひとつなかった

ぐすっ…
もう誰にも見られないから涙を止める必要もなく…
ノリコはビルの壁に向かって泣き崩れる…

イザーク…
会いたいよ…




「なに泣いてんのォ」

え…

振り向くとひどく野卑な男達が数名、ノリコを囲んでいた

やだ…この人たち…

「入り口を見張ってろ…」

そのうちの一人が小路に立つ

そこ以外にこの狭い袋小路に出入りできる所はなく…
ノリコは完全に退路を断たれてしまった

「早く…やっちまおうぜ…」

肩をがっちりと掴まれたノリコは思わず大声で叫んだ

「イザーク…っ!」


「大声を出すなっ!」

口を覆った手を頭を振って振りほどく


「イザーク…助けて!」

それまでの思いが混乱した頭の中に押し寄せてきて
あらんかぎりの声を張り上げた


「なんだよ…外人の彼氏でもいるんかよ…」
「…んなことはどうでもいいから、声を立てさせるな…外に聞こえる」
「くそっ」

いきなりみぞおちに重たい一撃が見舞われた

目の前が一瞬白くはじけたような気がした後
ノリコは気を失った





暗い…部屋のベッドで目が覚めた

ああ…あたしはあの人達に…


ぞっとする思いで身体を抱きしめたが
服を着たままだった
身体のどこにも違和感はなかった…


いったい…あたしは…?

戸惑いながら身体を起こした

…不思議な感覚に襲われた
ひどく懐かしい…におい…が…

気のせい…?


少し暗闇に慣れた目と
窓から差し込んでくる街灯の明かりをたよりにあたりを見回した
ベッドと洋服タンスらしい物以外は何もない…
窓にカーテンもかかっていない無機質な部屋



「気がついたみたいだな…」

ぞくりと背中が強張り、全身に鳥肌が立った


「違う…」
そんなはずはない…


なんの気配も感じなかった真っ暗な部屋の片隅で
ひとつの影が動いた

その影が近づいてくるのが感じられたが
確かめるのが恐くて顔を向けることができない…

でも…ベッドのすぐ傍に立ったその気配は…
それは間違いなく…


「違う…」
もう一度…自分に言い聞かせるようにあたしはつぶやいた


あたしは…あの男達に襲われて
自分をごまかそうと…
自分に都合のいい夢をみているにちがいない


身体が震えてきた…

ベッドが揺れて
その人が傍らに座ったのがわかった


「会いたかった…」

懐かしい声が震えて
肩をつかまれ、ひどく乱暴に抱き寄せられた…



「ずっとね…こんな夢を見てたんだ…」
あたしはその胸の中で、まるで何もなかったように普通に話し出した

「…夢…なんだね、これは」
「そうかもな…」

「…でも…嬉しい…」

あたしは両腕を確かめるようにその身体にまわす
それは…確かにそこに感じられた…

「目が覚めたら…いなくなっちゃうの…?」

あたしはやっと顔を上げて
その人を見る

やっぱり…

いつも夢の中で見てきた人が微笑っていた


「…おまえが…おれを呼んだのだろう…」

「だって…」

恐かったから…

そう言うあたしを
間に合って良かった…と彼はさらにぎゅっと腕に力を込める

息ができないくらいに強く…


「イザーク…?」
勇気を出して、彼の名を呼んでみた

「ノリコ」

唇が塞がれた…

その時…
あたしはこれが夢でないことに気づいたんだ

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その後の彼方から
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