再会…そして1

人は一人では満たされない…







玄関のドアが開いた音に
母親が慌ててやってきて電灯のスイッチを入れた

明るくなったそこに、鍵を締めるノリコの後ろ姿が浮かび上がる

「…遅くなって、ごめんなさい…」

もう…日付が変わろうとする時間だった

「懐かしい人にばったり会って…話し込んでしまって…
 携帯…電源切っていたのに気づかなかったの…」

俯き加減に言うノリコを見ながら
母親は不思議な感覚にとらわれた

「電話してくれたら…駅まで迎えにいったのに…」

本来ならもっときつく叱らなければいけないのだろう…
けれど、それはできなかった

「…タクシーで帰って来たから…」
「お金は…?」
「大丈夫…」

そんな会話を交わす間もノリコは顔をそらしている

「典子…」

たまらず娘の名を呼ぶと
やっとノリコが顔を上げて目が合った

いけないことをしたと自覚している
少し居心地の悪そうな顔があった


…?

母親はひどく落ち着かない気持ちをごまかすように訊ねた

「お風呂…入る?」
「うん…」

自分の部屋へ行こうと、階段へ向かったノリコが振り返り
もう一度謝った

「心配…かけて、ごめんなさい…」
「…次からは、遅くなるって連絡くらいしてね…」

答える代わりに、ニコッと笑ってノリコは階段をあがって行った




「あなた…」

まだ書斎で仕事をいる夫のところへ行った
普段はなるべく邪魔をしないようにしているのだが
今夜はもう何度もここにきていた

「…典子が帰って来たのか…?」
「ええ…」

ほっとしたように…父親がため息をつく
もう少しで警察に届け出ようかと思っていたところだった

まだ大騒ぎするほどではない時間かもしれんが…
ノリコの場合…やはり不安があった

「どうした …?」
妻の様子がおかしいことに気づいた夫が訊ねた




湯船につかったノリコは静かに息を吐くと
自分の胸元にそぉっと視線を落とす

身体中に刻まれた印…

夢じゃない…


イザーク…


震える手で自分を抱きしめる
身体中がまだ彼を感じていた…




ノリコくらいの年頃の女の子であれば
当たり前のことなのかもしれないが
今まで彼女がこんなに遅く帰ってきたことなど一度もなかった
週に何度かするバイトも
たまに友達と食事に行くことがあっても
せいぜい八時頃には戻っていた
それでも我々には事前に「遅くなる」と伝えられていた


「いいと思うのよ…遅くなったことは、無事に戻ってきたし…」
妻は歯切れ悪く言う

「何か気になるのか…?」

「言い訳を…したの…」
「…どんな…?」

「知り合いにばったり会ったとか…
 携帯の電源を切っていたのに気づかなかったとか… 」
「…」
「…二回も申し訳無さそうに謝って…」

妻が何を言いたいかはよくわかった

ノリコが我々に謝らなければならない事などほとんどなかったが
そういう時はノリコはごめんなさい…とだけ無表情に言って黙ってしまう
訊ねられたなら簡単に理由を答えたかもしれないが…
自分から言い訳を言うことなど考えられない


「それに…微笑った顔が…なんだか懐かしくて…」
妻は涙ぐんでいるようだった






最初に落とされたのは
長い旅の間、何度もしていた唇を軽く触れるだけの口づけ

懐かしいその唇の感触が…あたしに教えてくれた

夢じゃない…

本物の…イザークだ…

信じられない思いで目を見開いた

息が…
心臓が止まりそう…


唇を離した彼と目が合った

彼が近くにいると…いつも鼻をくすぐった香り
さっき目が覚めた時に最初に感じた…
世界中で一番好きな匂い…

それが今あたしを包み込んでいる…


「夢じゃないんだね…」

ぽろぽろとこぼれて止まらなくなった涙を
彼は唇でそっと拭ってくれる
左頬から右頬へ…そしてまた左へと何度も口づけて…

優しい…イザーク…

「さっきは、からかったの…?」
そうかもなんて答えて…

あたしは責めるように言って彼を睨む

「ひどいよ…」

こんなに長いこと会えなかったのに…
以前と変わらず彼に甘えている自分に気づいた

貴方が優しい所為だよ…


「…おれにもよくわからんのだ…」

彼は少し困った顔をして、あたしを見ると
何か言いかけた…

説明してくれるのかと思ったけれど
彼は何も言わず…
もう一度唇を重ねてきた


今度は記憶にあるのが一度だけのディープキス…
彼の舌があたしの口中に押し込まれ…弄りはじめる
もうそれだけで…しびれるような目眩を感じた

力が抜けていったあたしの身体を
彼がそっと横たわらせる

彼は何か問いたげにあたしを見たけど
あたしはただ首を横にふった

…静かな拒絶…

何も…訊かないで…


彼は微笑んで、あたしのブラウスのボタンに手をかけた




身体と身体が重なりあい
離れていた時間の隙間を埋めるように
狂おしくお互いを求めあった…

恥ずかしくなんかない…
恐くもない…

身体中で彼を感じて…
彼が与えてくれる全てを受け止めたかった


「イザー…ク…」

「ノリコ…」

あたしたちはお互いの名を何度も呼び続けた

その存在を…確かめるために…

彼の熱い吐息
汗で湿った肌
あたしを翻弄する彼の指…唇…舌…

それは…間違いない現実


「…っや…」

思わずあげてしまった声に
あたしの中の何かがはじけて…
身体も魂も…全てを投げ出し…
快楽という名の深みに…溺れていく

彼に高みへと連れて行かれたあたしの意識は飛んでいった



…その時、こっちへ戻ってきてからずっとあたしを覆っていた
重くて暗い霧のようなものが消えていったのがわかった





洗面所からドライヤーを使う音がする…

「典子…」
声をかけるとどうぞと返事があったので、ドアを開けた

「歯を磨くの…?
 もう乾いたから、あたし自分の部屋に行くね…」
そう言ってノリコはドライヤーの電源を切った

「…典子」

え…なに?と言った顔でこちらを見た

少し首を傾げているその表情は
屈託などない以前のノリコのものだった


「いや…心配したんだ…」
「…ごめんなさい
 これからは気をつけるね…」

申し訳無さそうな顔でおやすみなさいと言って
ノリコは出て行った


私は黙って妻の顔を見て頷いた





「もう…離れたくない…」

最初の出会いから…
思いがまだ通じ合わない頃ですら

何度も抱きついて
何度も抱き寄せられた…

そんなイザークの胸であたしは気がついた


「帰らなくても…いいよね…」

イザークは黙って天井を見ている

「ずっと一緒にいたい…」
すがりついたあたしの身体を彼は抱きしめてくれた

けれど…

「どうして何も言ってくれないの…?」

言葉が欲しかった…
何か言って安心させてもらいたかった…


え…

ちょっと待って…
言葉…?


彼と再び会えて…ただ嬉しくて…
無我夢中だったあたしは
その時初めてひどい違和感を感じた…

がばっと半身起こすと彼を見た
片方の腕を頭の下にあてて寝転がっている彼と目が合った

「やっと…気づいたか…」

「イザーク…」



「おれは…おまえを失ってからずっと…
 自分の中の光の力に…」

イザークは遠くを見るように目を細めると
静かに話し出した

「…一日に何度も…
 毎日…ただ同じことを繰り返し願っていたんだ…」

「なにを…?」

決まってるだろう…という表情でイザークはあたしを見た

「あっちもいい加減、うんざりしてきたんだろうな…」
それともおれの役目はもう終わったということか…

自嘲するように彼はつぶやいた



金の寝床で、どれくらいそうしていたんだろうか…

夜が来て…そして朝が来て…

ただ…おれはノリコだけを想って…
そこに座っていた…


『イザーク…っ!』

突然…おれを呼んでいるノリコの声が聞こえてきた

はじかれたように立ち上がったおれの中から光が溢れてきた…



『ノリコに会いたい…会わせてくれ…
 そして二度とおれ達を引き離すな…っ!』

何度も…厭きることなく…強く願った思い



『イザーク…助けて!』

チチッ…とチモの目がひかり…
周りが白くなって消えた…



「あたしが…気を失う前に見た白くはじけた光は…」

「…おれが来たんだ…」


ノリコに呼ばれるままにおれはこの世界へ来ることが出来た

だが…そこで目にしたのは…

男達に囲まれ羽交い締めにされたノリコが
鳩尾に一発くらって気を失っていく光景だった



「おまえの世界は平和だと…思っていたのだが…」

イザークの冷ややかな言葉を聞くと
先ほどの光景を思い出し、ぞっとする思いが身体を駆け巡った

もし…イザークが来なかったら…
あたしはどうなっていたんだろう


そこで、ふと気になって訊ねた

「…あの人たちは…?」

「あまり…手加減はできなかったな…」

「…」

不安気な様子のノリコを見て
口の端をあげてイザークは笑った

「過剰防衛…か?」

「イ…イザークってば…!」

イザークが口にした単語は…
あちらの世界にはない言葉…

そう…

あたしたちは再び出会った最初から
ごく自然に日本語で会話していたのだった

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