慟哭

ノリコがいなくなったら
おれはどうなるのだろう…










西大陸へ戻る船の船室の中
昼間だというのにイザークはベッドの上で
両腕を頭の後ろで組んで横たわっていた
先ほどまでここにいた女の
胸が悪くなるような脂粉の匂いが
狭い部屋の中に立ち込めている

自分から誘いをかけてきて
部屋に入るなり服を脱ぎ出して…

イザークといえば…服を脱ぐことすら厭い
ただ獣のように交わって欲望を果たした
何やら文句を言い出したので
服と一緒に船室から放り出したのだった

廊下で一騒動あったみたいだが
おれの知ったことではない、とばかりに
イザークは微動だにしなかった

それは別に初めてのことではなかった
光の力を配る旅を続けている間
世話になっている館や宿でも時折そうして女を抱いた

黙ってすごすごと立去る女もいれば
今日のように騒ぎ出すのもいる

「あんたの心は氷でできているの…」
そう気の毒そうに言われたこともあった

心など…とうの昔に失ってしまっているというのに…



訪れた国々での彼の評判も似たようなものだった
大抵最初はその秀麗な容姿に驚かれる
破壊の化物と言われ、今は光の側に立った天上鬼がこんな若者だと…
あわよくば自分の娘の婿にと考えた有力者も少なからずいた

だがそれは最初のうちだけであった

確かに為すべきことは完璧にこなす
どんな困難な状況でも、彼の力で乗り越えられる

けれども…

長く彼といればいるほどその心の冷たさに
ぞっとする思いがこみあげてくるのだ


あんな男と一緒によく行動できるよな…
バラゴやアゴルはよくそう言われる



「おれはジーナの為に
 イザークと離れた方がいいかと考えた」

ある晩、バラゴと酒を飲みながらアゴルが言った

「大人のおれたちには事情が理解できても
 今のイザークは、まだ幼いジーナに
 あまりいい影響を与えないのではないかと思ったんだ」

光の力を配る旅の過程で、ジーナの能力は
掛け替えのないものであることはわかっているが…

「だが、ジーナが言ったんだ…」


『おとうさん…イザークは心を無くしてなんかいないよ…
 ただ…ノリコおねえちゃんの傍に置いてきただけ…』
『…ジーナ…』
『あたしには聞こえる…
 イザークがおねえちゃんを求めて叫んでいるのが…』

バラゴは何も言わずに、ただ酒をあおった






『イザーク…』
ノリコが…今日もあの笑顔をおれにくれる

『…好き…あたしはイザークが好き』



ノリコが目の前で消えてしまった後
どうやって部屋まで戻ったのか覚えてはいない

気がつくとゆうべノリコと愛し合ったベッドの前に立っていた
枕元に丁寧にたたまれた彼女が夜着にしていたおれの服があった

今朝、床に落ちていたそれを彼女が拾って…たたんで置いた時
おれは彼女を後ろから抱きしめ耳元で言ってやった

「もう…それは必要ないぞ」



それを手に取って顔を埋めた
ノリコのほんのりと甘い…匂いがした…

赤くなったノリコの顔が…
もう…多分…二度と見られない彼女の顔が …

抱きしめた彼女の華奢な身体の感触が…
熱い息づかいが…
おれの名を呼ぶ掠れた声が…

全てが蘇ってきて…


がくりと床に崩れ落ちた

おれと一緒にいると言ってくれたから…
家族のもとへ戻るよりおれの傍に いることを選んでくれたから
おれは…おまえを抱いたんだ…
それまで封じ込んでいた欲望を解き放って…



「ノリコーーーっ」


イザークは、まるで獣のように大声で喚き叫んだ



三日の間、おれはノリコとの最初の出会いから今までを
散々…思い出して… 過ごした

悲しくて…辛くて…立ち直ることなど到底無理だと思った

けれど…


ノリコが黙っておれに笑いながら首を横にふっている

ああ…おまえがみつけてくれたんだったな
光の世界を…


せめて…おまえがこの世界にいたという証に…おれはその力を配ろう…


『そうだよ…イザーク』


感情を無くしてしまえばノリコを思い出しても
もう…辛くも悲しくもなかった


だから…


おれはずっとノリコと旅をしてきたんだ


その目を見れば笑ってくれた
話しかければ答えてくれた

彼女はいつもおれの傍らにいたんだ



けれどもその心とは裏腹に
ノリコを奪った運命に復讐するかのように
女を嬲るように抱くおれがいた


おれはまだノリコに甘えているんだ…

こんなおれを怒って欲しくて…
そして最後に…笑って許して欲しくて…


いや…許してくれなくてもいい…
いつまでもおれを罵ってくれ…
…おれの腕の中で…



再びザーゴの地に着いた時、アゴルやバラゴに別れを告げた後
何も考えずにまっすぐおれはそこへ向かった



ノリコが消えてからもう三年近くが過ぎていた




あの夜…
彼女を抱いた…



羞恥で朱色に染まった彼女の身体は…ただ…きれいだった

女を抱いたのは初めてではなかったが
初めて感じる昂りがおれを戸惑わせた

彼女が愛おしい…
彼女を歓ばせたい…
彼女にもっとおれを感じさせたい…

つぎつぎと沸き上がってくる想いに無我夢中で…
自分が押さえきれずに…あいつに無理をさせてしまった…

けれどノリコはそんなおれを嫌がらず受け入れてくれた



眠ることなどできなかった

生まれて初めて愛した女の…その身体を腕に抱きしめて…
一晩中…信じられないほどの幸せをかみしめていたんだ

明け方、ノリコが目を覚ましたらしい気配を感じたが
しばらく気づかないふりをして目を閉じていると
彼女はじっと息をこらしている

おれの眠りを妨げないようにしているのか…
愛おしさがこみ上げてくる…

目を開けると恥ずかしそうな瞳がおれをみていた

最初は指で…もう一度確かめようとした
傍らに居る彼女の存在を…

彼女がおれの散らした跡に抗議をしたのがきっかで
また…どうしようもなくそそられて…
再び彼女を求めてしまった

あれほど長いこと自分を制していたというのに
一度はずれてしまった箍はもうもとには戻せない…

おれはきっと酔っていたんだ…
おまえを得た奇跡に…




その場所は… 当時とは少し違って…
明るささえ感じられた


イザークはそこに腰をおろすと、ゆっくりと目を閉じた


『イザーク』

ノリコは相変わらずおれに笑いかける…

最後に最高の笑顔を残してあいつは消えていった…
おれは逆に顔をこわばらせて…

出会った…最初の頃みたいだな…



ノリコ…

おまえの世界で…家族に会えて…幸せに過ごしているのか…
こちらのことは覚えているのだろうか…
もしかすると記憶すらも…無くしてしまったのかもしれんな


誰か…違う男と…恋に落ちているのか…



『イザーク』

やめろ…

おれにもう笑いかけるな…ノリコ



あの頃のおれを思い出す…


おまえを受け入れられなくて…
おまえを離したくなくて…



もっと…おまえに優しくしてやればよかった…




顔を覆った手に流れる熱いものを感じて
イザークは呆れたように大きく息をついた


おれは…まだ泣けるのか…




樹海の金の寝床…

初めてノリコと出会った場所…
もう…どこにも行きたくなかった… 



いっそこのまま…ここで朽ち果ててしまいたい…


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