無題1


ノリコは目覚めた時、 イザークに抱きしめられている感触が好きだ。
大抵の場合、イザークは背を向けているノリコの首の下に腕を入れて、もう一方の腕をノリコの体にまわしている。少し丸めた背中や曲げた足が重なっていて、まるでイザークの身体に閉じ込められてようでたまらなく幸せを感じる。

ノリコが起きたことに気づくとイザークは耳元に口を寄せ…おはよう…と低く擦れた声で囁く。 耳にかかるイザークの息がくすぐったくて、ノリコはついくすくすと笑ってしまう。

そんな朝のひと時がノリコは大好きだった。


大好きだったのに…



イザークがシャワーを使う音が聞こえてくる。

朝一番の飛行機で飛ぶので夜明け前には家を出なければいけない。起きなくていいと言われていたので、ノリコはまだベッドにいる。 両手を頬の下に合わせて横向きに寝ているノリコの目から涙が一筋落ちていった。



昨夜のことだった。

楽しそうにノリコが今日の出来事をぺらぺらと話している。
近頃、指定の保育園に週二度ほど、午後だけ研修に出かけるようになったノリコだった。研修と言っても雑用ばかりだが、相変わらずそそっかしくドジを踏んでばかり、それでもあどけない子供たちになつかれ「ノリコしぇんしぇい」なんてまわらない口で言われたら、なんだか泣きたいほど感動してしまう。

ニコニコ嬉しそうに話していたかと思えば、急にうっすらと涙を浮かべるノリコを、知らない人が見たら煩がっているようにしか思われない程ひどくクールな表情で聞いているイザーク。

いつもの二人の夕食の光景だった。


「イザーク、明日の朝早いんでしょ…あたしがやるから先に寝てていいよ」

そうノリコが言っても、まるで聞こえなかったかのように後片付けを始めるイザークを、もう…っと笑ってノリコが隣で手伝う。


「帰るの…週末だったっけ」
「ああ…日曜日に戻る 」
「そっかぁ…す…すぐだよね」

たった五日間…そう自分に言い聞かせるノリコ。

イザークは仕事に関して、ノリコには大まかな場所と戻ってくる日時程度しか告げない。

今回はとある国の皇太女の外遊のお供だった。外遊先 には長い歴史の中で皇太女の国に対して反感を持つ人々が多い。その一部が過激派となって、過去にも何度かその国の要人たちを襲撃していたので、今回特別に傭われたのだった。



「あ…!!」

突然ノリコが声を上げたので、イザークがいぶかしげに見るとノリコはカレンダーの前に立っていた。

「そう言えば土曜日、同窓会があったんだ…カレンダーに書いておかなかったら忘れてた…」

ずいぶん前に通知があったのですっかり失念していたが、今日そういえば月が変わったとカレンダーをめくって見れば、土曜日のところに印がついていた。

「確か・・・中学のだったな」
「うん、でも良かったぁ…イザークが仕事中で…」
「なぜ良かったんだ」

イザークは少しムッとしたように言う。ノリコの中学は男女共学だから出来れば自分が一緒について行きたいくらいなのだが…それに…

「だってイザークがいる時は出来るだけ一緒にいたいもの…」

まったく、人の気も知らないで…とは思うが、ノリコがにっこりと笑ってそう言えば悪い気はしない…


「だが・・・成人式の時のあいつも同じクラスだったはずだが・・・」
「イザークってば気にしてるの・・・もう大丈夫だよ、あたしに彼がいるって知ってるし…」

あの時も「彼がいる」と言ったにもかかわらず、無理矢理連れて行かれそうになったくせに…もう忘れたのかとイザークは頭が痛くなる。

それに酒が入れば強引さも増すだろう。


「おまえは少々能天気すぎる」

すると今度はノリコがムッとした。

「な…なによイザークだってお仕事で女の人にべったりしてるじゃない・・・ベートさんが、イザークは警護についた大抵の女性から言い寄られるって言ってたけど、あたしが気にしたことあった?」

余計なことを…イザークは内心ベートを罵るが、いたって冷静な口調で話す。

「おれはどんなに向こうが言い寄ったとしても、突き放す自信がある」
「じゃ…じゃぁ、あたしが突き放せないって言うの?イザーク、あたしのこと信用してないんだ」
「そういう意味じゃない・・・もし強引に…」
「…そんなこと起こるはずがないじゃない…たかが同窓会だよ…」

興奮したのかノリコは半泣きになっている。

「やだ、もう!!せっかくの同窓会なのに…なんだかいやな気分になってきた」

思わず口走ってしまってから、自分が言ったことにノリコは青ざめた。


「すまん」
「謝らないで…!!」

叫ぶようにそう言って、パタパタとノリコは寝室へ駆け込んでしまった。


一人残されたイザークは、ふぅっとため息をひとつ吐く。


『過保護もな…すぎると束縛になるぜ』

以前言われた言葉が蘇ってきた。

自分はノリコを束縛しようとしているのか…
ノリコはそんな自分がだんだんと煩わしくなってきたのだろうか…

そんなことを考えながら、イザークは酒のボトルを手に取るとグラスに注いだ。強い酒を薄めもせずに一気に飲み干す。

本当は今すぐノリコを追って寝室へ行きたかった。悪かったと言って抱きしめればノリコは許してくれるだろう。

だが…


だからと言って、この先それを止めるかと言えば…自信がなかった。

ノリコと再び出会えた後、自分の中で抑えきれないほどの独占欲が膨れ上がっていることに気づいている。過保護だと笑われているうちはまだましだったが、いつか自分の束縛がノリコの自由さえも奪ってしまいそうで恐ろしいほどだった。

そんな自分に愛想を尽かして、ノリコが離れて行ってしまったら…

「……」

イザークは再びグラスを満たした。



「あたし…甘えてるのかな」

ベッドに飛び込んでちょっとだけ泣いたけど、興奮が収まればノリコはすぐに後悔していた。

イザークの独占欲など少しも苦にならない。むしろそれが嬉しかったりする。
もしイザークが男性もいる飲み会にノリコが出席すると聞いても気に留めずにいたら、ノリコは逆に戸惑ったに違いない。

だったらなぜ…

ノリコは自分に問いかけてみる。答えはすぐにみつかった。


「だって、あなたはいつも余裕なんだもの…」

いつだって不機嫌そうな顔しながら、どこか楽しんでいる。

だからムキになって言い返して・・・
言われたらイザークがいやな気持ちになるだろうとわかっていたのに、わざとあんなことを言って…

もう二度と会えないと思っていた頃の自分が、今の自分を見たら…いったいどう思うのだろう…呆れるだろうな…

ノリコは起き上がって涙を手でぬぐった。

謝ろう…
素直に謝れば、優しいイザークならすぐに笑って許してくれる。

ノリコはベッドから降りると、イザークがまだいるリビングへと向かった。


「ノリコ…」

食卓にいたイザークは、すぐに気配を感じて顔を上げたが、すぐに目をそらした。

「あ…あのさっきはごめんなさい…あたしちょっと興奮しちゃって…」
「いや…おれが悪かった」
「ううん…あたしの方こそ、あんな嫌味なこと言って…」
「おれは気にしてないから…」


嘘だ…
気にしてないのなら、なぜここで一人でお酒を飲んでいるのだろう。

父親やベートと一緒に飲むことはあっても、自分がここに引っ越してからは、イザークが一人でこうして飲むことはなかったのに…。

あたしが傷つけちゃったんだ。


ノリコは何と言っていいのかわからず、話題を変えた。

「明日、早いんでしょ…もう」
「おまえも学校があるだろう…先に寝てろ」

ノリコの言葉を遮って、イザークが言う。
突き放したような言い方にノリコは戸惑った。

「イザークもあんまり飲まないほうがいいよ…」
「…わかっている」

まだイザークが天上鬼で自分が目覚めだと知らなかった頃のイザークを思い出させる、そんな雰囲気にノリコは不安になったが、それ以上話しかけてはいけない気がした。

すぐ近くにいるのに、ひどく遠い…


「じゃ…じゃぁ、先に寝てるね」
「…ん」

先に眠るつもりはなかったから、おやすみは言わなかった。後でイザークが来たら、いつもの様にキスをして抱き締めてくれるだろうか…不安と期待をない交ぜにしてノリコは待っていたのだが、イザークは現れず………明け方近くにシャワーの音がしたのだった。


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