再会…そして8


噂とは…その内容が事実であることは極めて低いものと認識されるが…
この男が「噂では…」という前置きをすることは、ほぼ真実…
ただし極秘事項な為、「人には言うなよ」という婉曲な言い回しである



「…何故…その男は…日本に来たのだろう…」

飯沢のつぶやきにノリコの父親は
そりゃあ娘に会いに…という言葉が喉元まで出かかったのを止めた
イザークと自分の関係を知ったら正直に全てを話してくれるかどうか…



「これは…噂なのだが…」

重々しく発せられた飯沢の前置きに
はいはい…と心の中で返事をしたが、黙って先を促す

「彼のために支社が立ち上げられたらしい…」
「はぁ…?」

意外な話に思わず気の抜けた返事をしてしまい
慌てて巻き返しをはかるかのように冷静に理解できないと言い直す

「支社があるから転勤してきたのだろう…」
「いや…彼は日本に行くからと言って辞表を出したんだ」
「…」
「だが、当然の事ながらそれは受理されなかった…」

社長直々説得やら泣き落として彼を引き止めということだ

「日本支社に転勤ということなら簡単に滞在ビザがおりるので
 彼にとっても都合が良かった……相互利益ってやつさ…」
「しかし…なぜそこまでして…」


その質問には答えず、飯沢は話題を変えた

「…彼の生い立ちは知っていると言ったな…」
「ああ…」
「彼の国で…何が行われていたかは…」
「いや…よく知らん」

ひどくいやそうな顔で飯沢はため息をつくと
選ばれた子供達はな…と話し出した

「幼い…まだ物心つく前から親から引き離され… 過酷な訓練を受ける…」
肉体的なものだけでなく徹底した洗脳も施される
敵は皆殺し…全てを破壊せよと…

「成長した奴らは人間の心を無くした冷酷な殺人者さ…」


ごくりと自分が唾を飲み込む音が聞こえたような気がした
 

「その中でも、彼は今までにないほど突出した存在だったそうだよ…」


心を無くした冷酷な殺人者…
うちの玄関に立ったあいつのひどく無愛想な姿が目に浮かんだ…


「当時の彼はまだ十代半ばだったにもかかわらず…
 人の形をした殺人マシン…武器など彼には必要ない…
 身体そのものが兵器なんだ…」


身体から染み出るような凄みは…
もう…何人も…殺した所為なのか…


「何でも…彼は…」


典子は…
自分がどんな男と関わってしまったのかわかっているのだろうか…


「破壊の化物…と呼ばれ恐れられていたそうだ…」





「あ…あの…イザーク」
「…ん?」
「あたしも持つよ…」
「いや…大丈夫だ」
「で…でも、せめて…あたしの服くらい…」

キッチン用品はイザークのところに届けて貰うことにしたが
その他…買った雑貨や…ノリコの服…
イザークは幾つもの紙袋を両手に下げている
小さなショルダーバッグだけを肩からかけているノリコが
申し訳なさそうな顔で紙袋のひとつに伸ばした手を
イザークはひょいっと避けた

「手ぶらがいやなら…」
荷物を持っている腕の肘を曲げるとノリコに突き出す

「ここにつかまっていろ…」
「…」

ノリコは頬を染めるとそっとそこに手をかけた





「彼はな…どんな多勢相手に戦っても自分はかすり傷ひとつ負わない…
 あいつが誰かに殴りつけられている姿を見てみたいものだ…と言っていたぞ」

誰がそう言ったのか…飯沢は言わなかったが
きっと情報をくれた人物なのだろう…

「…」
「どうした…立木…?顔が青いが…」
「い…いや…なんでもない…」

殴った…確かにおれはこの手であいつを…


「だが…そんな男でも肝心な王子は救えなかったんだな…」

握りしめた右手をみつめ、動揺をごまかすように口早にそう言うと
これはおれの考えだが…と飯沢は顎に手を当てて考える仕草をした

「この男だったら…王子を助けるくらい簡単に出来たはずだ…」
「では…何故…」
「助けたくなかったんだろう…」

王家一族は皆…ひどくゆがんだ性格のものだったらしい
女子供…弱いものをいたぶって楽しむのが日常茶飯事だったという

「ひどいな…」
「ああ…クーデターでやられたのも身から出た錆ってやつか…」
「では…あいつはそいつらを裏切ったのか…」
「彼がどういう理由でそうしたか…おれは知らないが…
 彼は完全には洗脳されてはいなかったんだと思うよ
 どこかに…人の心が残っていたのだろう…」


心がなければ人を愛する事は出来ない…





「なにが可笑しい…?」

休憩で入ったカフェで、向かいの席にいるイザークを見ながら
ノリコはつい笑みがこぼれてしまうのを止められない

「なんだか…不思議…まだ信じられない…」

夢見ているようで…

口元の弛みを引き締めようとストローを噛んでみる
そんなノリコの姿をイザークは愛おしそうに眺めていた


再会した時もそう言っておれの存在を
なかなか信じようとしなかったが

確か…


イザークは小さいテーブルを挟んで座っているノリコの方へ身を乗り出した

「え…」

わけがわからずきょとんとしたノリコに顔を寄せると
軽く唇を合わせた

ポンっと真っ赤になったノリコは目も合わせられずに俯く
イザークは口の端を上げてにっと笑うと耳元で囁いた

「夢ではないだろう…」





「彼が…今は一介のボディガードになっている事は僥倖とも言えるな…」

もし奴が、テロリストだかマフィアだか…闇社会の側へ立ったとしたら…
考えるだけでも恐ろしい…と飯沢は身体を震わした

「CIAとか…よくわからんが…
 それこそ軍隊で働いた方が良さそうに思えるが…」
「もちろん勧誘はあったさ…だが政治や戦争には関わりたくないとか…」


ボディガードとしての彼はすでに伝説化しているそうだ

「対象を警護しながら建物を出るだろう…一瞬でわかるらしい…」

『向かい側建物の三階…右から二番目の窓…』
彼に言われた通りにそこへ向かえばスナイパーが銃をかまえて窓際にいる

「 銃が発射されたとしても…」
飯沢はひょいっと頭を横に傾けた

「こんなふうにタマをよけるらしい」
「まさか…」
「言っただろう…伝説だって」

仕掛けられた爆弾は即座に見つけ出して解体してしまう

「ある有力者が、聴衆が多勢集まった屋外で講演した時
 自爆テロの実行者が近づいてきた…」

気がついたイザークはそいつから呼吸ひとつ分の間もなく
服をはぎ取り身体に巻き付けられた爆弾をつかむと

「投げ上げたんだそうだ…」
「投げ上げた?」

飯沢は信じられるか…というような表情をすると真上を見上げ
つられて父親も上を見てしまった

「空高く…空中でドカーン…
 その場にいた者の頭に粉々になった爆弾の破片が降り注いできたんだと…」


なるほど…テロリストの標的になることなど
「大したことない」というわけか…


「研ぎ澄まされた感覚は、鍛え抜かれた精神力のたまものなのだろうか…」
飯沢は首を傾げて唸るようにつぶやいた





「やーだー…イザークったらー」

キスされた後、ノリコはイザークを促して早々にお店を出た
どうした…という顔をするイザークに
まだ赤い顔のノリコが怒ったように抗議し始める

「みんな見てたよ…お店の人もお客さんも…」
「そうか…?」
「あの後…お店の中しーんとしちゃって、すっごい気まずかったでしょ…」
「気づかなかったな…」
「イザークって意外と鈍いの…?」
「…ん?」

眉を吊り上げているノリコを横目でちらっと見て
まずったか…とイザークは少し後悔をしていた

「あのね…日本では人前ではね、ああいうことしないのよ」
「…すまん」


イザークが神妙な顔で謝ったので機嫌を直したノリコが彼の腕を取る

「これからどうしようか…?」





「防御するのはなにも銃や爆弾からだけではないぞ…」

飯沢はぬぅっと顔を寄せるとニヤッと笑った

「噂によるとな…」
「…とっとと話せ…」

噂でも伝説でも…そんなことはもうどうでも良くなっていた

「つい最近だが、◯国王妃の個人的な欧州旅行の警護に当たったらしい」
「あ…あの王妃か?」

その王妃はモデル出身で
三十歳も年上の王と結婚したシンデレラストーリーと共に
派手な外見、奔放な行動で世界中の注目を集めていた

「ああ…お忍びでショッピングやら…ナイトクラブでお遊び…」


『女の買い物につきあっただけだ』
あいつ、やけにしれっと言ったな…


「あっち(欧州)ではな…王室ゴシップは日本では考えられないほど
 美味しいネタなんだよ…」
芸能人など問題にならないほどの人気で
写真一枚にものすごい値段がつくとか…

「だが、彼が警護にあたると…」
どれだけパパラッチが押寄せようと全てのカメラからその姿を守り抜く

「カメラを取り上げられ壊されたやつもたくさんいるらしい…」
「よく、訴えられないな…」
「なんでも…無表情に睨まれながら
 取り上げられたカメラや携帯を目の前で握りつぶされると…」
なにも言えないどころか…恐ろしさにすくんでしまうそうだ

…奴が携帯を握りつぶした情景が目の前に浮かんだ

だが…と、飯沢が今度は可笑しそうに顔を緩ませる

「実際の所…あの王妃は目立ちたがりやで…
 かえって我慢できなかったんだな…」

契約期間より早くお払い箱になったとか…

「通常の警護がついた途端…撮られる撮られる…」

豪華なショッピング風景…ナイトクラブでのご乱交…
ゴシップ誌の表紙を飾って王妃もご満悦だったそうだ

「それでも…あの男の株は一段と上がったらしいぞ…」

今でも相変わらず引く手数多だと…

「では…忙しい身なんだな…」
「いや…」
「?」

不思議そうな顔をした私を飯沢はちらっと見る

「会社の方が様子を見て、少し控えている現状だ…
 いくら凄腕だと言っても、テロリストの標的になっている奴に
 警護をさせるわけにもいかんだろう」

要するに…彼は今、仕事から干されているそうだ


「プライベートでは、どういう人間なのだろうか …」
何気なさを装って一番気になる事を訊ねた…

「それについては何とも言えんな…」
「?」

「彼の私生活は謎に包まれている」
さすがの飯沢の情報源もそこまでは把握していない…ということか

「一番の相棒ですら彼の自宅の場所を知らないという
 他人と深く関わるのを好まないんだな…」

だが…典子とは必要以上に深く関わっている…


「取り巻きのような女たちはいたらしいよ…」
ダンサー、モデル…良家の子女までが彼を追っかけていた

「時々気が向けば、彼女達と関係を持ったという話だが…」
「一夜限りの関係ってか…」
「…一夜どころか…」

行為が終われば一秒も余計な時間を過ごすことなく出て行く
ただの欲望処理…
それでも構わないという女がいっぱいいたそうだ…

飯沢はそう言いながら少し羨ましそうな顔をした


『他の女を抱きはしたが…』
そういうことか…


「夜の警護中に対象と関係を持ったと言う噂もある…」

仕事中にか…

「まあ…抱かれた女が自慢げに吹聴している事だから…」
こればっかりはあまり信憑性はないと苦笑まじりに飯沢が言う

「本当の事は本人に聞くしかないが…
 まぁ、聞いたところでまともには答えてくれないだろうな…」

聞けばこちらが嫌になるくらい真っ正直な答えが返ってきそうで…
逆に恐いのだが…



「そんな男が、暖かな家庭に憧れる事もあるのだろうか」
「はぁ…?」
「例えば帰ってきた時…誰かが料理して待っているような…」

飯沢は一瞬ぽかんとすると、ぶぶっと吹き出した

「あんた…何言ってるんだ」
「そんなに可笑しいか…」

おれの話をきいてなかったのか…と飯沢は涙を拭き始める

「ハードボイルドな世界が、いきなりホームドラマに突入かよ…」

ないない…と手を振りながら大笑いをしている
「自宅に他人を入れるのすら厭うやつだぜ…
 孤独が好きなんだよ…一人でいる方がずっと楽だってタイプだな」


『彼が帰って来た時にね…おかえりって言ってあげて…』
そう言って笑ったノリコの顔を思い浮かべると
ふっ…とため息が出てきた

ノリコ…おまえの努力は不毛に終わるかもしれないぞ…





ノリコは携帯を切るとイザークを見上げた

「おかあさんが、お夕飯一緒に食べたら…って、いい?」
「ああ…おれは構わん」
「本当は今晩、お料理しようって張り切ってたんだけどな…
 でもお道具…明日にならなきゃ届かないでしょ」
「…」

イザークが不審そうな表情をしたのにノリコは気づいた

「イザークの今の顔…嫌だなぁ…て言ってる」
「いや…おれは…」
「…あたしのお料理じゃ食べられないと思ってるんだ」
「違う…そうじゃない」
「もしかして…まだあたしが手を切るとか心配してるの?」
「…それもあるが…」
「じゃあ…なに…?」

まっすぐに見つめてくるノリコの視線から
イザークは赤くなった顔を何気にそらした

「ノリコが料理に…」
「?…」
「時間を取られるのは…あまり好ましくないかと…」


もしかして…イザーク…かまってちゃん系…?

うぷぷ…ノリコが吹き出し
イザークは顔を赤くしたまま…
土曜日の人で賑わう繁華街を二人は歩いていた


しばらくして…イザークが何気に訊ねる


「どうする…夕食までにまだ間があるが…」
「うーんと、荷物があるからねぇ…」
「先に…荷物を置きにいくか…」

おれの部屋に…

「う…うん」

その言葉の意味するところをノリコはすぐに理解した
理解しただけでなく…



ぞくっとあたしの身体が疼いた…
イザークが与えてくれる甘い快楽を期待している…

やだ…
あたし…変…?


イザークがふいに立ち止まるとタクシーを止めた

え…
地下鉄で帰るはずじゃぁ…


トランクに荷物を放り込むと後部座席に二人で座った


さっき人前で…って怒ったことを気にしているのか
イザークは少し離れて座ってこちらを見ようともしない

いつもはもっと身体を寄せ合って座って…
肩を抱いてくれたりするのに …


その時…あたしは気づいた


抱きしめてくれるのも
口づけてくれるのも
……

いつもイザークからで…
あたしは…ただ、されるがまま…


もし…あたしが…


座っている身体を彼の方にずらして寄り添ってみた

「…?」

イザークが顔をこちらに向けて不思議そうにあたしを見た

あたしは…運転手さんに見えてももう構わない…と腹を括って
彼に顔を寄せると下手くそに唇を重ねてみた


『イザークが好き』
『ノリコ…』


彼がその時、どんな表情をしたのか…わからない
そのまま彼の手で頭を押さえつけられて
口づけの主導権は彼に移ったから…

あたしたちは車を降りる時までそうして何度も口づけていた


NEXT
その後の彼方から
Topにもどる


Copyright © 2008 彼方から 幸せ通信 All rights reserved.
by 彼方から 幸せ通信