そのままで…(前編)


「ん〜〜〜〜〜〜〜」

握りしめた手を口元に当ててノリコが
どうしようかと迷ったまま立ち尽くしていた



師走も半ば過ぎた頃…
ノリコの短大の近くにある可愛らしいカフェが
今日の待ち合わせの場所だった


道路から数段高くなったところにあるガラス張りのテラスの
表に面したテーブルにイザークが座っているのが見えた


なにも…あんな目立つところに座らなくっても…


斜めに座って長い足をこちらにむけて投げ出している
機嫌悪そうに眉間にしわを寄せて…


道行く人たちが…老若男女関係なく…
そんな彼の姿に歩きながらちちらと視線を投げたり…
中には立ち止まってぽぉっと見ている者もいた
ちょうど…今のノリコのように…

カッコいい…という囁きすら聞こえてくる


あの向かい側に座るのは…
ひどく勇気がいる…

それに…その席にはすでに…



「典子…なにやってんの?」
「逃げるように帰っていったと思ったらさ…」

通りかかった博子と雅美につかまってしまった


なんかついてないな…

トホホとノリコは肩を落として
大学でこの友人たちに散々責められた時のことを思い出した



「週末はデートだったの…?」

そう訊ねられたノリコは、土曜日は買い物をして
送った品物が届くのを待っていなければならなかったので
日曜日は彼のところにずっといたと律儀に答えたのだったが…


「…あん? 彼のところに行ったんだ…」
「え…」
「そりゃあ、ご両親に紹介するくらいだから…行くわよね」
「…それがいったい…?」
「だってねぇ…」

友人たちの言っていることが理解できずに
きょとんとしたノリコがつい口走ってしまった

「でも…彼の部屋だったら最初から行ってるよ…」

「!」


「あ…」

しまった…と思った時はもう遅くて…

鋭い視線に射竦められたノリコは、おろっとしながら必死で説明し始めた

「…あ…あの、助けてもらった時にね…気分が悪くなっちゃって…」

「…」

「そ…そうしたら彼が部屋へ連れて行って…休ませてくれて…」


「典子…」

妙に優しい声色で名を呼ばれた典子は
いやな予感がしてそぉっと雅美を見る

「この際だからはっきり訊くけど…
 彼とはどこまでいったの…?」

「え…」

言葉に詰まって、かぁーっと赤くなったノリコに
確信ありげに江利ちゃんが声を落として訊いた

「まさかと思うけど…出会った最初の日にもう?」

ノリコはしれっと嘘をつくようなことはできない…

何も言えずに固まっているノリコを見ながら
友人たちは呆れたようにため息をついた


「典子…彼が初めて…?」

博子の問いにはかくかくと首を縦に振って答えた

「…無理矢理押し倒されたりしたんじゃないの…?」

今度はぶんぶんと首を横に振る


「典子ってば…勇気あるよ…つか無鉄砲と言うか…」
「そうだよね…会ったばかりでどういう人かもわからないのに…」

「…だ…だって、信頼できる人だと思ったんだもの…」

イザークのことを誤解されまいと必死のノリコだった


「信頼できる人…ね…」

「出会ってすぐにおうちにお持ち帰りされて…
 そのまま…美味しくいただかれちゃったんでしょ」

「で…確か…別れる時に当分仕事だから会えない…
  帰ったら連絡するって言われたんだよね…」


なんで…そんなことまでよく覚えてるの〜


「典子…普通に考えてさ…」

人差し指を額に当てて目を閉じた江利ちゃんが言った

「それ…絶対…二度と連絡なんかこないパターンだよ」


「でも…ちゃんと連絡くれたもん…」

あんまりな言われように、ノリコも少しムッとなった

「運が良かったんだよ…次は気をつけな…」

次なんか…ないのに…

「…でも彼の方もねぇ…」
「なによ…」
「手が早いくせに…親に挨拶に行ったり…妙に律儀で…」

変わった人だよね…と雅美がつぶやいた


手なんか早くないもの…
一年以上も…あたしに手も触れずに
とても大事にしてくれていたのに…

心の中で必死に否定するノリコだったが
もちろんそれを友人たちに言えるはずもなかった



「典子…ちょっといいかしら…?」

同じゼミの華ちゃんが声をかけてきて
ノリコはその場から救われたのだった




講義が終わった後…
友人たちにもうあれこれ言われたくなかったので
逃げるように大学を後にしたのだが…
イザークと待ち合わせのカフェの前でもたもたしているうちに
またつかまってしまった

彼氏がいる江利ちゃんは、 デートらしくていなかった


「なにボーッとしてるの?」

雅美が不思議そうに言った時に…


「きゃぁー…みて!」

博子が黄色い声で叫びながら指差した先には…イザークがいた

「うっそぉ…カッコよすぎる…モデルさんかしら…」

雅美もぽぉっとなって顔を赤らめる


「でもなんか…すっごく機嫌悪そうじゃない?」
「一緒にいるの麗美さんよ…彼氏かしら…?」

納得…という顔で二人は頷いている


麗美さんは、同じ学科の女の子で
その名のごとく、とても綺麗なひと…
雑誌の読者モデルなんかもやっているらしい

同学年にも関わらず
あたしたちは彼女のことをさん付けで呼んでしまう…
そういうひとだった

特定の男性はいないという噂だけど
いつもお金持ちのお坊ちゃんや芸能人なんかが
大学の前に高級車を乗り付けて彼女を待っていた

都心の有名なおしゃれなお店に行きつけている彼女に取って
こんな商店街のはずれにあるようなカフェなど
「イケてない」はずなんだけど…


なぜ彼女がイザークの向かい側に座っているの…?


「みてみて…麗美さんお得意の半眼開き流し目よ…」
「誘っているわね…完璧に」


…絵になる二人だった


道行く人たちも…美しい絵画でも見るように
二人を見ているんだ


あそこに…あたしが行ったら…

ただの笑い者…



『ノリコ…なにをしている…』

イザークはとっくに気づいていた…
あたしが、ここにいることを

『連れが来るからと言っても…この女はどいてくれん…』

イザークは、女性にはあまりきつく言わないから…



麗美さんは…高価そうなおしゃれな服を本当にさり気なく着こなして
ヘアメイクもばっちり決まっていて…
そのまま雑誌の表紙を飾れそうなくらいきれいで…


う…
適わないよ、あたし…

涙目になったノリコはその場から動けない…

でも…


『信頼できる人だと思ったんだもの…』

…あたしったら…あんなことを言っておいて…

はっ…とノリコは自分が
また…つまらない考えにとらわれていることに気づいた

こんなことでくじけていたら
イザークの気持ちを疑っていることになるんだ


よし…!

折れそうになった心を奮い立たせてノリコは顔を上げた

イザークを信じて…堂々と…しなくちゃ…

うん…と両手でガッツポーズを決めようとしたその手をいきなり掴まれた


え…

「入っちゃおう…」
「うん…もっと近くで見たいもんね」

え…

結局…友人たちに無理矢理手を引かれた恰好で
ノリコはカフェの中へと入っていった


「すみません…満席で」

店員さんがすまなそうな顔で頭を下げた


「ちぇっ…せっかく…」

もともと混んでいたのか…
それとも窓側に座ったイザークの所為で
友人たちのようなお客が入っていったのか…

店の中は妙齢な女性で埋まっていて…
そのほとんどがテラスに座っている二人を注目していた

麗美さんは両肘をテーブルにつけ、組んだ手で顎を支えて
うっとりとイザークを眺めている
イザークは外の方に顔を向けてそっぽを向いていたが…


「しょうがないね…出ようか」

諦めて出て行こうとした友人たちに
ノリコはイザークたちが座っている四人掛けのテーブルを指差した

「あそこ…空いてるよ…」

「の…典子…」

トコトコ歩いていくノリコを焦った二人が追いかけて来た



『やっと来たか…』

振り向いたイザークの顔が、背後から差し込んでくる逆光ではっきり見えない

自分の躊躇いが形となって彼の表情を覆ってしまったような
そんな錯覚すら覚えてノリコはひどく哀しくなってしまった



「…?」

テーブルの脇まで来たノリコに麗美さんは不思議そうな顔をした


たまたま通りかかってイザークの姿をみかけてしまった
無意識に店に入って、強引に同席したが
連れが来る…と言われたきり、まったく無視されていたところだった

誰が来ようと、勝つ自信はあったのだが…

「あなたが…?」

同じ学年で顔は知っているが、親しく話したことなどない間柄で…
可愛いけれどあまり目立たない
いつも沈んだような顔をしている女の子としてしか
ノリコのことを認識していなかった



「椅子がひとつ足りないね…」

まだ少し哀しげな顔をしているノリコは
麗美さんを追い払う気はなかったので
空いている椅子はないかと店の中を見渡したのだが…


「いらん…必要はない」
「きゃぁ…」

イザークに腕を取られて
気がつくとちょこんと彼の膝の上に横座りになっていた


「…」
「…」

ノリコが真っ赤になってうつむいてしまったので
代わりにイザークが友人たちを目で促し空いている席に座らせる


がやがやしていたお店がしーんと静まり返った


まただ…

イザークったら…全然懲りないんだから…

文句でも言おうかと、顔を上げるとイザークと目が合った
優しい微笑みに、それまでの不安が一掃されていることをノリコは気づいた

ああ…そうなんだ…
いつだって、イザークにはわかっちゃうんだから…

こうしたイザークの行動に
気がつくと不安から意識がそらされてしまっている


ノリコの胸の中はイザークへの感謝ともいえる気持ちで一杯になった



「何にする…?」

机の上に置いてあったメニューをノリコに渡してイザークが訊ねた

「え…と、ケーキとハーブティーのセットが美味しそうだね…」

元気になったノリコが友人たちに向かってそう言うと
まだ戸惑いが隠せない彼女たちはただ声もなく頷いた


椅子をお持ちしましょうか…と店員が訊いてきたのを断ると注文を済ませた



「冷たいな…」

ノリコの頬にイザークは手を当てると心配そうに眉をひそめた

「外は寒いもの…」
「あんなところに突っ立ているからだ」
「…ごめんね…」
「なぜ謝る…?」
「…だって…」

会話の内容に大した意味がなくても
恋人たちの言葉の応酬は聞いている者にはひどく甘く響く


居心地の悪い顔をして黙っている友人たちにノリコが気づいて
慌ててイザークを紹介した…

「みんな…イザークよ…」

それからイザークに向かって…
「雅美と博子…それから麗美さん…」


麗美さんはとっくに自己紹介をしていたのだが
その時は軽く聞き流されてイザークの名前すら教えてもらえなかった


気位の高い麗美さんが口惜しさを顔に出さずに
微笑みながらノリコに遠慮がちに訊ねる

「あの…あなたたちって…その…」


「できてるのよ」

雅美がノリコに代わってきっぱりと言い切った


「ちょ…ちょっと…」

焦ったノリコが止めようとするのを無視して博子が続けた

「典子ってば…出会ったその日にね… 」

「…」


困ったノリコはどうしたらいいかわからず上目遣いにイザークの顔を窺った
イザークは気にも留めずにノリコを見て微笑っている

彼が、気にするな…とでも言ってくれているようで
ほっとしたノリコは額を彼の胸につけた

ここはいつもあたしを拒まず受け入れてくれる…
だから…あたしは安心していられる

身体を支えてくれているイザークの手の感触が心地いい
目を閉じて…身体を彼の胸に預けて…


「典子…」

名前を呼ばれて、はっ…とノリコは目を開いた

いけない…お店の中って忘れてた…


三人からじーっと見られていることに気づいて
えへへ…と照れ笑いをしたところに注文したケーキセットが運ばれてきた




「ノリコ…」
「あ…うん…
 あたしたちもう行くから…みんなゆっくりしてね」

イザークがノリコを床におろすと、伝票を手に取った

「あ…それは…」

遠慮する友人たちを手で制し立ち上がる

ごちそうさま…と頭を下げる彼女らに
ノリコはまた明日ね…と明るく笑った


「炊飯器も買わなくっちゃね…」
「…今日は何か作ってもらえるのか…」
「え…なにそれ…ひどいよ…、昨日は…イザークが…」

出口に向かいながらそんな会話をしているのが聞こえて
二人の姿が視界から消えた



ふぅ…っと、残された面々が一斉に息を吐いた

「まいったわね…」
「ホント…信じられない…」

博子と雅美は目を合わせて頷き合った


麗美さんはテーブルに肘をついた手で顎をささえている
半開きな瞳にはもう誘うような妖しさは影を潜めて
…ただひと言ぽつりとつぶやいた

「過保護…」





「あ…あの…イザーク」

ケーキセットが運ばれてきた時
このままでは自分では食べられないと思ったノリコが顔を赤くして言った

「やっぱり…椅子をもってきてもらおうね…」

そう言うノリコをがん無視したイザークは
膝の上に座っているノリコにお茶を渡してやったり
ケーキを食べさせたりと…それはかいがいしくて…

三人はそんな二人をただぽかんと眺めていたのだった





「…んっ…」

イザークのマンションの部屋はリビングとキッチンが一緒になっている
そこのソファの上でノリコがイザークに唇を奪われていた


「…だめだったら…」

唇を離したノリコは、言葉とは裏腹に甘く潤んだ瞳をしている

「…その方がいいな…」

耳元でイザークに熱い息とともに囁かれ
ノリコの身体はびくんと大きく震えた

イザークに抱かれたのはほんの数回だけなのに…
慣らされたように反応してしまう身体が、ただ…恥ずかしい


「さっき…店に入ってきた時の…哀しげな瞳は…」

勘弁して欲しい…とイザークは言いながら
ノリコの腰に手を回して…ぐいっと引き寄せる
バランスを崩したノリコがソファの上に仰向けに倒れそうになった

「だめぇーっ」

慌てて手をついて身体を支えたノリコが
恨めしげにイザークを見た




彼のために作る初めての料理はカレーライス…

初心者の定番だけど…いきなり凝ったものは作れないし
これだったら…何度か家で作ったことがあったから…

今日、買って来た炊飯器もセットして
お肉や野菜を、今…ぐつぐつ煮ている最中で…

一息つこうと、本を呼んでいたイザークの隣に座った途端…
あっという間に抱きしめられてしまった



昨日も…結局、荷物が届いた頃には
ノリコは起きて料理をすることができずに
夕飯はお寿司の出前になってしまったのだった



「お鍋…見てこなくちゃ…」

意外とあっさりイザークの腕から解放されたノリコが
逃れるように調理台へ向かうその後ろ姿を
イザークは面白そうに口の端を上げて見ていた



彼女と二人きりのひとときは
それだけで何もかもが輝いているような
そんな感覚にとらわれる

あの世界で…運命の魔の手から逃れようと
必死だった時ですら…そうだったんだ

誰にも邪魔されずに…
どんなかたちでも…
彼女を愛おしむことができる

こうして料理をする彼女の後ろ姿を眺めていることだって
おれにとったら…かけがえのない時空…



ピンポーン

チャイムの音にイザークの眉が顰められた


「誰だろうね…」

キッチンからノリコも不思議そうにつぶやいた

「変な勧誘かな…」

うちにはよく来るんだよ…
おかあさんは上手くあしらうんだけど…


「大丈夫だ…おれが追い払ってやる」

ノリコのおしゃべりを聞きながら、イザークはそう言って玄関へ向かった



「やあ…」

ドアを開けると、ニコニコと笑っているベートが立っていた

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by 彼方から 幸せ通信